新・ほろ酔い気分

酔っているような気分のまま、
愚にもつかない身辺雑記や俳句で遊んでおります。
お目に留めて下されば嬉しいです。

よろよろしながらしっかりと!

2015年10月29日 20時14分59秒 | 身辺雑記

 平成19年(2007年)9月、ブログ「ほろ酔い気分」を書籍として出版した。ブログをスタートしてからほぼ9ヶ月分をまとめたものだ。

 「ほろ酔い気分」の序文には、ブログを始めた動機として、「身辺雑記をブログに書いて、知人に読んでもらおう」ということだった。

 今にして思えば、「読んでもらおう」という気持ちが、ギラギラあったわけではなかったように思う。

 ただひたすら発散したかったのではなかろうか。

 平成16,7年のころ、私は公私ともに大きな変化の波の中にあった。

 会社人間だった私は、そのころに第一線を退いた。年齢相応の順当な引退だったと思っている。

 長男の家に初孫が生まれた。大きな喜びだった。

 が、1才未満の孫を残して、孫の母親が急逝した。息子と孫が私たちの家で暮らすようになった。

 さらに加えて、娘が我が家で「里帰り出産」をした。

 能力に乏しい老夫婦としては、精一杯の頑張りをしなければならなかった。

 癌をはじめとして幾つかの病気をしたが、その時のストレスが原因だったとは思っていない。もともと私は病気に好かれていたのだ。

 その後、息子たち父子、娘たち母子は、自分たちの生活に戻り、老夫婦の出番はほとんどなくなった。

 私の胸に大きな穴が開いた。

 ブログを始めたのはその頃だった。

 「誰かに読んでもらおう」という気持ちより、自分を鎮めるための手段だったように思えなくもない。

 ブログを書き始めてから、すでに8,9年ほど経過した。

 書き始めたころの気分は薄れて、今は惰性的に書いている面がありそうだ。

 「ほろ酔い気分」を「新・ほろ酔い気分」とタイトルを変更したのだが、進化出来ずにウダウダ続けている。

 記事にコメントをいただくほか、電話やメールで感想を頂くこともある。とてもありがたいことと感謝している。

 81歳ともなれば、惰性で生きている面がないでもない。

 しかしそれは世間様に申し訳ないことであり、ヨロヨロな足腰であるとしても、しっかり生きて行かなければなるまい。

 ブログについても同じ。

 今後ともよろしくお付き合いをお願いします。

 写真はブログを書籍化した時の表紙。

 

 

 

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南シナ海が波立った

2015年10月29日 08時11分56秒 | コラム・エッセー

 南シナ海の中国人工島問題で、アメリカ海軍のイージス駆逐艦「ラッセン」が、人工島の12カイリ内を航行した。

 アメリカがあっと重い腰を上げた。

 このたびのイージス艦派遣には、「航行の自由作戦」と銘打っているとのこと。

 アメリカ国防総省は、今後も同様の作戦を継続する意向を示している。

 これに対して中国外務省報道局長は、定例記者会見において、「中国の主権と安全上の利益を脅かす」とし、譲歩しない姿勢を示している。

 外遊中の安倍首相は、訪問先のカザフスタンにおいて記者団に、「開かれた自由で平和な海を守るため、アメリカをはじめ国際社会と連携していく」と強調した。

 アメリカ、中国ともに、事態を深刻化させる強硬な行動には出ないだろうが、どちらも引けない問題であるだけに、当面は緊張が続くに違いない。

 日本としては連携すると言いつつも、安保法案は施行されておらず、直ちに自衛隊が作戦に加わるようなことにはならないらしい。

 いずれにしても、当分の間、南シナ海は軍事的な緊張が継続すると思われる。

 海洋国家を目指す中国は、かねてアメリカに対し、「太平洋をハンブンコしよう」と言っていた。また、「核心的利益」という表現もしていた。決して退くことはなさそうだ。

 アメリカも当面は退くことはあるまい。

 戦争状態に入るとは思わないが、かなりの綱引きとなりそうだ。

 もはやヨーロッパは期待できない。もちろん、ロシアも期待できない。

 海洋国家でもある日本としては、南シナ海は重要な交通路だ。国家の覚悟を問われに違いない。

 南シナ海の処理は、尖閣諸島の領有問題にもつながり、大陸棚の資源掘削問題にもつながっているのだ。

 中国は厄介な隣人なのだ。

 

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