昨日、奥日光の戦場ヶ原で撮った一枚。
青空は出ていたが、雲が多く、しかも流れが早かった。
遠くの山や草原に落とした雲の影が、かなり早い速度で移動していた。上空は風が強いらしい。
草原に落とす雲の影を撮ろうと待った。影と光がまだらになることを願った。「絵になるかな」という期待があった。
「行雲流水」という禅語を思い出した。「行く雲や流れる水のように、深くこだわらず、淀みなく対処すること」を言うらしい。
ところが私は、「深くこだわらず」どころか、雲の動きにこだわった。
竜頭の滝付近の駐車場は満車だったので、滝や流れに映える紅葉を撮ることはできなかった。
だから、ここで気に入った一枚を撮りたかった。人生のことや恋愛などとは重さの違いはあるが、これもまた「こだわり」には違いあるまい。
展望台に三脚を立てて撮っていた。先を急ぐ気持ちがあった。その気持ちの焦りに手元が追いつかず、レンズフードを落としてしまった。
「どうしようか?」
降りて行けないこともなかった。しかし、「湿地には入らないで下さい」との立て札が立ててあった。諦めることにした。
「行雲流水」で生きたいが、凡人はそんなわけにはいかない。諦めが悪いのだ。
特に人との関わりでは、「行雲流水」とはいかない。
むしろ人とのかかわりにこそ「行雲流水」で対処すべきなのだろうが。
胸中をよぎるものあり秋の雲 ひよどり 一平