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滅びつつあるのか栄えているのかどっち?

2010-01-05 12:24:28 | 読書ノート
五十嵐太郎編著『ヤンキー文化論序説』河出書房, 2009.

  カルチュラル・スタディーズ。18名の著者による論集だが、玉石混交で全体の質はそんなに高いものではない。個人的には「つなぎを着て化粧をする脳(参考)」に衝撃を受けたので読んでみた。

  編者が序文で記しているように、「ヤンキー」は定義されないまま、各論者が自由に対象について述べている。大ざっぱに言って、①ヤンキー的な心性を対象とする論考、②ヤンキーそのものの生態について明らかにする論考、③改造車や漫画などのヤンキー的意匠についての論考の三つがある。

  このうち①と②は微妙に対立する説となっている。①に属する斉藤環と酒井順子は、過剰で悪趣味なヤンキー的センスは歌舞伎にまでさかのぼることができるという。彼らは、ヤンキー的なものは日本人の重要な心性のひとつであるため、大衆の中に拡散してしぶとく生き残っていると指摘する。キャバクラ嬢のような化粧のセンスがそうだというのである。一方、②の宮台真司や阿部真大ら社会学者による議論では、ヤンキーは1970年代に登場し、80年代に全盛を迎え、不景気または地域共同体などの崩壊によっ1990年代には衰退したとされる。

  前者に従えばヤンキーは栄えているが、後者によれば滅びつつある。両者の違いは、「ヤンキー的なセンス」を対象とするか、「人格化されたヤンキー」を対象とするかの違いに還元できるかもしれない。しかし、後者の対象は明確だが、前者は露悪的で悪趣味なものならなんでも入ってしまう。やはり定義無しでは粗いという印象。キャバクラ嬢とヤンキーを一緒くたにしていいものなのか?

  とはいえ、「つなぎ」はヤンキー的意匠に入るだろう。ちなみにそれを身に付けた学生たちは特にヤンキーというわけではなかった。その精神は形骸化し、外見だけが生き残ったというのが今なのだろう。
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