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ファンタスティック・サムシングを枕にブランコ・イ・ネグロの話を

2014-10-08 13:48:21 | 音盤ノート
Fantastic Something "Fantastic Something" Blanco y Negro, 1985.

  ネオアコ。ギリシア出身米国育ちで英国で成人したという双子兄弟のデュオ。ただし、この録音ではアコギとコーラスだけでなく、ドラム、ベース、鍵盤も入るので、編成はフォークロックである。解説にはデビュー当時Simon & Garfunkelと比較されたとあるが、 印象ではそれほど似ていない。というのも、ボーカルは柔和かつ繊細だが、内省的な雰囲気は無くて、どちらかと言えば1970年代のウェストコースト的な明るい気持ち良さの方を強く感じるからである。ある意味能天気なアルバムである。

  全体を通して31分と短いが、かなり心地よい。一枚だけで消えてしまったのがもったいない。なお、CDは日本盤しか存在しないようで、1997年にWEAから再発、続いて2009年にVIVID SOUNDから紙ジャケで再発されている。僕が持っているのは後者のほうである。

  話のついでに原盤を保有するレーベルのBlanco y Negroについて。Wikipedida日本語版で「ブランコ・イ・ネグロ・レコード」の項目を覗いたら、あまりに間違っており、かつ重要な情報を欠いているので驚いた。BananaramaがかつてByNに所属したことのあるアーティストだと?どうやら英国原盤を元にスペインに配給しただけのダンスレーベルと混同している模様。解説部分もこのとおり。
ブランコ・イ・ネグロ・レコード(Blanco y Negro Records)は、ラフ・トレード・レコードの創立者であったジェフ・トラヴィス(Geoff Travis)が、ラフ・トレードを去った後の1983年に創立したイギリスのレコード・レーベルである。(2014-10-08参照)
  いったい何を参考にしたらこのような記述になるのだろうか。ByNは、ワーナー系WEA傘下のれっきとしたメジャーレーベル。たしかに設立者は、英国初期インディーズのRough Tradeのジェフ・トラヴィスであるが、もう一人Cherry Redのマイク・オールウェイ(後にelを設立)もまた設立者である。そして、オールウェイが関与を止めた後にCreationのアラン・マッギーが参加した等のことは、英語版のWikiにはちゃんと書いてある。ただし、ByN設立後もトラヴィスはRough Tradeの経営者であり続けた。そういうわけでByNはトラヴィス単独設立のレーベルでも、インディーズでも、また彼がRough Tradeを辞めた後にできたものでもない。

  以下は僕のうろ覚えと推測。ByNは、インディーズ的な製作方式を保持しつつメジャーの配給力に頼ろうという両者のいいトコどりを目指して設立されたレコードレーベルだと、遠い昔にどこかで聞いたか読んだかした記憶がある。有望新人を発掘してまずはインディーズ側で単発契約で録音し、売れればByNに移籍させる。そうすれば経営に関与するインディーズ・レーベルにもその収益が一部ゆくというわけである。当初熱心だったのはCherry Redで、そのデビューシングルを発行したEverything But The GirlをByNに移籍させている。同じくCherry Red系だったFantastic SomethingとThe Monochrome Setが1985年にByNからアルバムを一枚発表している(彼らが活動停止してしまったのも、オールウェイ関連のゴタゴタが関係しているのかもしれない。そうでなければ結局メジャーレーベルの流儀についていけなかったのだろう)。なお、CreationからはJesus & Mary ChainがByNに供出されて、ByNレーベルのもう一つの看板グループになった。あと、独自契約らしいDream Academyもここである。

  しかしながらRough Tradeからの移籍が無い。1983から84年頃のRough TradeはAztec Camera(参考)のメジャー移籍を受け、これまでの単発契約を見直し、長期の専属契約を試みるようになったばかり。The Smithsがその一つだったが、彼らがRough Trade所属のまま英国チャートを席巻するぐらい売れた──たぶんインディーズの配給網もこの頃かなり充実しつつあったのだと推測させる。結果として、トラヴィスにとってByNはもはや無意味なものになった。長期専属が通常化するならば、それは他のインディーズにとっても同様、で1985年を境にByNは既存インディーズからミュージシャンをもらってくるということができなくなる。したがって、この時点でその存在理由は失われたのだが、ジザメリとEBTGとワーナー資本の力でなんとかしばらく生きながらえた。ワーナーはまだこのレーベルを使うことがあるのだろうか。

(追記:Wikiの「トラヴィスがラフ・トレードを去った」という記述は、おそらく1982年頃?のラフトレードの小売部門とレコード制作部門の分離のことが念頭にあるのだと推測される。しかしながら、トラヴィスは前者を手放しただけで、レコード制作部門についてはそうではない。2014-10-08 20:00)
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