ひろの東本西走!?

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原田城跡、旧羽室家住宅-1

2011-01-10 11:01:40 | まち歩き

以前、mayumamaさんのブログ(m's diary)で見た「原田城跡、旧羽室家住宅」に行ってきました。現在は「原田しろあと館」と命名され、とよなか・歴史と文化の会が管理・運営されています。阪急宝塚線・曽根駅から徒歩7、8分。

まず、原田城跡はパンフレットによりますと、

   原田城跡(北城)は、昭和38年(1963年)、当時の豊中市文化財
   保護規則により市史跡に指定され、昭和62年(1987年)の豊中市
   文化財保護条例の施行にともなって、あらためて市史跡に指定された
   中世の城館です。原田氏は、弘安元年(1279年)に能勢一帯に君臨
   した多田院御家人一員として、はじめて記録(『多田神社文書』)に
   登場します。一方、北城は13世紀後半~ 14世紀初頭のうちに
   築かれたことが、発掘調査で出土した遺物から推定されています。

だそうで、旧羽室家住宅は原田城跡の土塁を築山に見立てた形で建てられました。こちらもパンフレットによると、

   昭和12年(1937年)、当時住友化学工業株式会社の役員の一人で
   あった羽室廣一氏が、個人の住まいとして建てた木造二階建ての
   住宅です。約2,950㎡の敷地は原田城跡(北城)の主郭の一部に
   相当し、戦国時代末期(16世紀末)に廃城して以後は、長らく近世
   梨井村庄屋・野口氏の所有となっていました。明治43年(1910年)、
   箕面有馬電気軌道(現阪急宝塚線)の開通以来、池田室町・岡町・
   豊中と軌道沿線に相次いで郊外住宅地が開かれるなか、城跡付近も
   また昭和10年(1935年)頃に松籟園住宅地として開発・分譲され、
   その一角を羽室氏が購入されたものです。

とのことです。

今回はまず、外観と洋風部分、特に応接室と隣接するサンルームをとりあげます。
敷地外周部はこのような感じです。石垣は昔からのものなのでしょうか。

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門を潜ると左前方に旧羽室家住宅が見えます。木造二階建ての和洋折衷式の住宅ですが、パッと見にはシンプルで、外観は特徴がちょっとつかみにくい気もします。

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しかし、更に進むと、サンルームなどに洋風の要素がうかがえます。白く塗られた建具など、なかなか良い感じですね。

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ぐるりと回り込んだところにある玄関周りです。
実は本来の門はこちら側(西側)にあります(別途紹介予定)。

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玄関ドア部は実家と似たテイストでした。建物の規模は全然違うのですが、ちょっと嬉しくなります。

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応接室です。左手奥がサンルーム、右手奥のコーナー部には造りつけのソファが備えられています。シンプルでモダン、明るく伸びやかで開放的ですね。

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右手には壁を丸く穿った窓があり、ここは和風的な雰囲気を醸し出しています。

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左端のドアは玄関ホールからつながっているもので、その右側の上部が台形状になった小ぶりなドアは、廊下から入るようになっており、来客用と使い分けされていたようです。

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ドアに嵌められたガラス窓は淡い色がついた型板ガラスです。さりげなくデザインされているのが良いですね。床は矢筈貼り。

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アール・デコ調の暖炉は左右非対称であり、金属球がユニークですし、タイルが効果的に使われています。その貼り方も変化を持たせており(前面と側面は千鳥に配置、奥は矢筈貼り)、床部もコーナー部だけ45度傾けてアクセントをつけています。矢筈貼りの床板との見切材も良い味わいですし、ここだけでも見どころが多いです。

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鋸目のついた化粧梁はちょっと山荘風であり、カーテンレールもクラシックです。カーテンレールは六甲山ホテル旧館のものと似ているそうです。

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フラッシュ無しとフラッシュ有り写真の比較です。フラッシュ無しの方が光と影の対比がより印象的なようにも思われます。

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サンルーム周りに置かれている家具はやや後年のもののようですが、こちらも細部をじっくり眺めると細かなデザインが施されており、とても興味深いです。サンルームからは奥の和室部分の縁側に行くこともでき、洋から和への変化がドラマチックです。

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サンルームのアールデコ調の天井照明。スッキリとしたデザインが美しいです。

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こちらにも淡い色のタイルが効果的に使われています。

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ここまででも見どころいっぱいですが、他は続きor別記事で。

 


2011年の歩き初めは奈良へ

2011-01-08 23:55:00 | まち歩き

2011年の歩き初め&初探訪は奈良へ出かけました。

翌日から会社だったため、あまり遠くへ行くのもはばかれました。で、どこに行くのか思案し、色々ブログを見たりして決めたのが”びんみんさん”のブログ「日常旅行日記」でチェックしていた奈良の工場跡のカフェ奈良のきたまちなどです。

以下、基本的にびんみんさんの追っかけをしていますので、写真はびんみんさんとかなりカブっています。また、詳細な説明もびんみんさんが書かれていますので、そちらを参考にしてください。ということで、びんみんさん、ゴメンナサイ&ヨロシク~。

依水園(お休み)の前から東大寺戒壇堂へ向かいます。依水園のすぐ近くのお宅が特徴的な門(茅葺きともちょっと異なる?)、蔵、洋風の応接間らしき建物などなかなか素晴らしい佇まいです。

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東大寺戒壇堂は小高い丘の上にあり、素晴らしいロケーションです。このあたりは観光客も少なく、実に静かで良い感じですね。

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他の方が「これ、面白い!」と言って写真を撮られていたのが、屋根の上にいた獅子?です。確かに面白い!

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そして、戒壇堂の脇を通り、下の門を抜けたところに工場跡があります。

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びんみんさんのブログで大体の感じは分かっていましたが、おおーっと感じる景観ですね。

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こちらは隣接して建つ喜多家住宅(大正14年 登録文化財)です。
規模が大きいですね。

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こちらが工場跡の本体です。
この日は予想通りお休みだったので要再訪ですが、この佇まいは実に期待できそうな雰囲気です。それにしても、こういう所があったのにはビックリ!

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この後、ブラブラ歩きながら近鉄奈良駅方面に戻りました。びんみんさんのブログにも写真がありましたが、「ひのり」という会社のビルなど和風あり、洋風あり、和洋折衷あり、レトロモダンありと、味わいのある建物が多く面白かったです。

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↑有名な奈良女子大そばの旧交番です。 

探訪をスタートしてここまでで約1時間経過。当然、まだまだ歩きます。 


我が家のお正月

2011-01-03 23:37:56 | アート・文化

今日で三が日も終わりですが、皆さんお正月は如何過ごされましたか?

我が家は例年通り今年のお正月も(実際には大晦日から)堺の実家で過ごしました。ただ、いつもの年だと私の実家→妻の実家に移動するのですが、今年は年明けの休みが短めであることと長男のサッカー部蹴り初めのイベントなどの関係で、子供たちだけ年末に妻の実家にお泊まりでお世話になりました。

さて、元旦はまずお屠蘇を頂きます。写真のようなオーソドックスな塗りの屠蘇セットにお酒を入れ、年の若い順に小さな杯(次男・長男)、真ん中の杯(妻・私)、大きな杯(母)でお屠蘇を頂きました。

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そして、お雑煮とおせち料理を頂きます。我が家の雑煮は関西では珍しい(?)白味噌仕立てです。これは◎◎◎家の出身が秋田県だからということもあるのでしょうか。但し、現在は秋田に近しい親族はおりませんし、秋田に行ったこともないので、もう一つピンときませんが。

※訂正:yumeさんのコメントで大間違いに気付きました。
     丸餅を入れた白味噌仕立ては完全に”関西風”でした(汗)。
     どこでどう勘違いしちゃったんでしょね。
     でも、反省の意味もこめて元の文章は残しておきます(笑)。
     yumeさん、ご指摘ありがとうございました。

私は小さい頃・若い頃はあまりお雑煮やおせち料理が好きではなかったのですが、加齢と共に(笑)和食嗜好が強まり?、結構よく食べるようになってきました。昔、TVを見ながらよくごまめを炒ったことも思い出されます。母によると、今でも黒豆を煮るときには良い色と艶を出すために古釘を入れているそうな。

お雑煮を頂いた後、私はもっぱら砂糖醤油でお餅を頂きます。

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話は少し遡って、実家の床の間(可愛らしい半間床というのでしょうか)の掛け軸の下の棒(? 軸?)が外れたとのことで、古くなっていたこともあって年末に新しい色紙幅の掛け軸を購入し、掃除の手伝いも兼ねて実家に交換に行きました。シンプルでシックなデザイン、色合いのものにしたのですが、古い掛け軸と交換しようとしたときに何と古い掛け軸が裂けてしまい、これにはビックリ!かなり劣化が進んでいたのでしょうね。お正月に新しい掛け軸に交換してまずはすっきりしました。近代洋風建築が好きな私ですが、やはり日本の伝統や文化、日本らしいものも大事にしたいものです。

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そして、夕方には住吉大社へ初詣に出かけました。元旦の住吉さんはかなりの人出で、阪堺線の住吉鳥居前駅を降りてから、すぐそこに見えている太鼓橋を渡るまでにかなり時間がかかりました。

今年は住吉さんの写真はなく、その代わりでもないのですが、阪堺線(阪堺電気軌道)の写真を少しアップしました。色んな型式・デザインの車両が面白いですね。また、阪堺線も堺市内区間の存続が決まったようで、良かった良かった。

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あけましておめでとうございます2011

2011-01-01 00:00:00 | 年賀状

Happynewyear20111

あけましておめでとうございます。

2010年は家族全員が忙しく----会社、パート、学校・塾、サッカー(部活やスクール)、建築探訪、ランニング、テニス、飲み会(汗)や食事会 etc.----家族旅行はなしでした。しかし、4人ともまずまず健康だったので、良しとしなければいけませんね。遂に長男に背を抜かれてしまった。。。今年は何とか家族でちょこっと海外に行きたいのですが、3日くらいでもスケジュール調整が至難の技なのです。

私自身は昨年、ブログだけでなくリアルな付き合いや活動で、多くの人と様々なことを楽しんだ気がします。ブログの方は常に更新が滞りがちながらも、一応、記事はアップし続けています。ただ、時間がなくて写真でごまかすことも多く、実際にアップできたのは持ちネタ?の1/3くらいでしょうか。今年も何とか少しずつでもアウトプットしていかねば!昨年も書いたのですが、アウトプットなしには逆にインプットも続かないとも感じています。そして、読書力(by斎藤孝)・発信力(by樋口裕一)・人間力にもっと磨きをかけねば!

お暇なときにはぜひ当ブログに遊びにお越しください。そして、できればコメントを残して頂ければと思います。コメントはすごく励みになりますので。では、本年もよろしくお願い申し上げます。