斎藤幸平は沖縄を貧困に向かわせるマルクス主義者 賛同するデニー知事は無知

斎藤幸平は沖縄を貧困に向かわせるマルクス主義者 賛同するデニー知事は無知

人新世の『資本論』」著者斎藤幸平氏は那覇市のジュンク堂書店那覇店で玉城デニー知事との対談をした。斎藤氏は沖縄の社会や経済の方向性について「豊かな自然やゆいまーる精神など、地域性に基づいてつくっていく潜在能力があると述べ、地場産業の創出や食糧自給率の向上、自然エネルギーを増やすことも挙げた。

 ゆいまーるは沖縄だけにあるのではない。日本にもある。資本経済が発達していなかった時代に多人数でやらなければならない仕事を村人はゆいまーるで行った。昔はどこの村にもゆいまーるはあった。現在でも沖縄以外で残っている村はある。
世界遺産である合掌造りがある白川郷のゆいまーるは有名である。



世界遺産としても有名な、岐阜県飛騨地方の「白川郷(しらかわごう)には昔ながらの建築様式「合掌造り」の家々がある。世界遺産である「合掌造り」の家は世界遺産ではあるが展示物としてあるのではなく人が住んでいる。合掌造りをそのままにしながら生活が普通に送れるように家の中は改造している。世界遺産でありながら家族が生活をしているという世界でも珍しいのが白川郷の合掌造りである。合掌造りはかやぶきだから2、30年ごとに萱のふき替えをしなければならない。ふき替えを業者に依頼すれば家主には払えないほどの莫大なお金が必要である。家主に金銭的な負担をかけないためにふき替えは村人全員でやる。村人だけではない。日本全国から無料奉仕する人々がやって来る。
 屋根の葺き替えは二日以上もかかるという大掛かりな作業である。その家屋に住んでいる住人だけではとても成し遂げられないこの「葺き替え」の作業を村人総出で行う。あるものは、茅を刈り取り、あるものはそれを束ね、あるものは屋根に上り、あるものは全体の流れを指揮する。食事の支度をしたり、お茶を用意したり。大人も子供も女も男も、皆の力を合わせて行っていく。そうして、ようやく茅の葺き替えがなされるのである。人数にして一日あたり100人~200人、人件費やその他の費用を現金に換算すると数百万円以上にものぼる作業である。それらは無償で行われる。このような相互扶助の精神、人々の助け合いの心を「結(ゆい)の精神という。沖縄のゆいまーるである。

 合掌造りは昔の建築である。建築が発展した現在は合掌造りのようなふき替えはしない。合掌造りは世界遺産として維持ししているのであって現代の住宅としては時代遅れである。昔の家を維持するためのゆいまーるである。現代の住宅を維持するのにゆいまーるは必要ない。

 沖縄の農業にもゆいまーるがあった。きび刈りはゆいまーるでやった。きび刈りは多人数が必要だったので農民が協力しあっていた。ゆいまーるをする原因はきび刈りする人にお金を払えば儲けはほとんどなかったからだ。現在は収穫を機械化したのでゆいまーるは必要なくなった。機械化によって生産、収穫を合理化していったのである。田植え、稲刈りも機械化することによってゆいまーるはなくなった。

 斎藤氏はゆいまーるは沖縄だけにあると勘違いしている。それに、ゆいまーるを美化している。沖縄のゆいまーるが有名であるのは戦後の沖縄は経済発展が遅く、農業などではゆいまーるによって生産を維持していたからである。経済が発展するにつれてゆいまーるは必要ではなくなり次第に少なくなっていった。

 斎藤氏は沖縄には「豊かな自然」があると思っている。沖縄の自然は豊かではない。沖縄の自然を知らないから豊だというのである。沖縄の土は赤土である。赤土は養分を含んでいない。農業に向いていない。沖縄の農業は貧しい。
沖縄には石油などの資源もない。沖縄の自然が沖縄の生活を豊かにする要素は全然ない。沖縄の自然は貧困を生み出すだけである。ゆいまーる精神は沖縄の貧困の象徴である。斎藤氏は沖縄の自然ほ美化し沖縄の貧困を美化している。

テニー知事は「おっしゃる通りだ」と斎藤氏の不毛な理屈に賛同した。沖縄を貧困にする理論に賛同するデニー知事である。まあ、斎藤氏の理論は紙の上にだけ存在しているだけで現実には通用するものではないからデニー知事は口裏を合わすだけであり斎藤氏の理論を政策に取り入れることはないだろう。

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