区議選圧勝は普通選挙を勝ち取る第一歩だ



アマゾンで注文・購入できます。
本土取次店 (株)地方・小出版流通センター
http://neil.chips.jp/chihosho/ TEL.03-3260-0355 
chihosho@mxj.mesh.ne.jp
県内取次店 株式会社 沖縄教販
電話番号098-868-4170
shopping@o-kyohan.co.jp
にほんブログ村 政治ブログへ
にほんブログ村
クリックお願いします。

:掲示板
沖縄内なる民主主義20新発売中

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
区議選圧勝は普通選挙を勝ち取る第一歩だ
香港のデモが激しかつた。商店を破壊し、レンガや火炎瓶を警官隊に投げ、学生たちは香港理工大学を占拠して立て籠った。学生たちの過激な行動は昔の日本の学生運動のようである。学生たちの破壊行動を見て日本の学生運動のようだと思っている人は多いかっただろう。しかし、日本の学生運動と香港の学生たちの運動は根本的に違う。日本の学生運動は革命を目指した運動であったが香港の学生運動は「普通選挙」を求めた民主主義の運動だ。
香港の学生運動の報道を見ていると短編小説「一九七一Mの死」のMのことを思い出した。Mとは町田宗秀である。町田は内ゲバで琉大男子寮で民青に殺害された学生である。彼が殺害される数時間前に彼と話した。プロレタリア革命と民主主義のはざまで悩んでいたのが町田であり私であった。彼は上から支持された「家族闘争」をすることができなくて私に相談した。町田が殺された数時間前である。。
「家族闘争」というのは、家族に学生運動をやっていることを打ち明け、家族と話し合い、自分たちがやっている学生運動を家族に理解させ、家族に学生運動を応援させる運動のことであった。

一九六六年にフランスのストラスブール大学で民主化要求の学生運動が始まり、それが一九六八年にはソルボンヌ大学の学生の民主化運動へと発展し、その年の五月二十一日にはパリで学生と労働者がゼネストを行った。そして、労働者の団結権や学生による自治権、教育制度の民主化を大幅に拡大することに成功した。それをフランスの五月革命と呼んだ。フランスの五月革命は学生が原動力となった革命として世界中に有名になった。
大学の民主化を目指して闘ったフランスの学生たちは、自分たちの運動の意義を理解させるために家族と話し合った。学生の民主化運動を理解した家族は学生を応援し、家族を巻き込んだ民主化運動は次第に学生運動から大衆運動へと発展していった。
五月革命が成功した原因のひとつに学生たちが家族の説得に成功したことをあげ、それを家族闘争と呼び、学生運動のリーダーたちは私たちに家族闘争をやるように指示したのだった。
フランスの五月革命のように大学の自治や民主化を目指した運動であったなら、私は家族の理解を得るために喜んで話していただろう。しかし、琉球大学の学生運動は五月革命のような民主化運動とは性格が異なっていた。
琉球大学の学生運動はアメリカ軍事基地撤去、ベトナム戦争反対などを掲げていたが、反戦平和運動の域に止まるものではなかった。沖縄最大の大衆運動である祖国復帰運動を批判し、民主主義国家であるアメリカを帝国主義呼ばわりし、ソ連をスターリン官僚主義と批判して反帝国主義反スターリン主義を掲げた学生運動であった。本土の学生運動と系列化していった琉球大学の学生運動は急速に過激になっていった。ヘルメットを被ってジクザグデモをやり、ゲバ棒で機動隊と衝突したり、火炎瓶を投げたりした。
琉球大学の学生運動を、古い沖縄の因習を信じている私の親が理解し、納得し、応援するのは不可能であった。民主主義社会を目指した運動であったなら私は熱心に両親を説得していたはずである。しかし、民主主義国家アメリカを帝国主義呼ばわりし、将来のプロレタリア革命を目指している琉球大学の学生運動を家族に理解させるのは不可能であった。上からの指示であったが、私は「家族闘争」はやらないことに決めた。
           「一九七一Mの死」
共産主義は民主主義を超えているのか・・・。共産主義と民主主義の違いは・・・。社会主義と共産主義の違いは・・・・。社会主義国家はどんな国家なのか・・・。プロレタリア独裁国家は議会制民主主義国家を超えた国家なのか・・・。議会制民主主義国家でプロレタリア革命はやっていいのか。プロレタリア独裁国家は議会制民主主義国家より自由で平等なのか・・・。そのような疑問が次々と生まれた学生時代だった。難しい問題であったが民主主義とプロレタリア革命の違いは認識できるようになった。
学生運動が民主主義運動であったら家族も理解できるがプロレタリア革命につながる左翼運動を家族に理解せるのは難しいし、私自身もプロレタリア革命に疑問を持っていた。私なりに左翼運動と民主主義の違いを認識していた。しかし、町田は違いを認識していなかった。だから、家族闘争をしなければならないと思いながら躊躇しできなかったのである。
1991年にソ連が崩壊し多くの国が議会制民主主義国家になった。巨大なソ連の崩壊にはびっくりしたが、歴史も社会主義よりも民主主義が正しいことを実証したことを実感した。
私は民主主義と左翼をはっきりと区別している。そして、民主主義を支持し左翼は支持しない。左翼の根っこには社会主義を求め議会制民主主義を破壊するイデオロギーがあるからだ。韓国の不買運動は左翼が仕掛けたものであり支持しない。それに対して香港のデモは民主主義運動であり支持する。

普通選挙を求める運動は2014年雨笠運動に続き二度目である。
 香港デモの五大要求
(1)条例改正案の撤回
(2)デモの「暴動」認定の取り消し
(3)警察の暴力に関する独立調査委員会の設置
(4)拘束したデモ参加者の釈放-
(5)普通選挙の要求
この5大要求を香港市民は要求しているし。学生も要求している。普通選挙を五大要求に入れたのは意義がある。香港デモは紛れもなく民主主義運動である。日本の全共闘運動とは違う。

香港デモは次第に激しくなっていった。地下鉄の駅や銀行のATMを破壊した。中国系銀行の店舗も「大陸からの資金流入を防ぐため」という理由で破壊した。デモ隊には信号機を壊すのも居た。デモは警官隊にレンガを投げ、火炎瓶も投げるようになった。そして、大学に籠城した。

中高生を含む学生たちが占拠した香港理工大には警官隊が突入し、周辺では断続的に衝突が続いた。
「自由がなくなるなら死んだ方がましだ」
会員制交流サイト(SNS)上には、学内にとどまる学生の悲痛な書き込みもあった。命を懸けた学生たちの闘いであった。
1000人以上の学生が逮捕された。
 SNS上には「私たちは最後まで構内にとどまる」とする学生の決意表明が投稿された。「学生は逮捕と死を恐れない。歴史が私たちの無罪を言い渡すだろうから」。文面には悲壮な決意がにじむ。区議会選挙の時も大学に留まる学生が居て警察は大学を包囲した。

雨傘運動は一部の若者らの過激な行動が市民の批判を招き、運動が終息する一因となった。雨傘運動のように学生たちの激しい運動が市民の反発を招き区議選では民主派が敗北するかもしれないという危惧が私はあった。
嘉手納飛行場でB52が墜落炎上した時に学生がB52撤去運動に立ち上がった時、運動資金を集めるために那覇市で募金運動をした。すると市民の応援は多く、募金は驚くほどたくさん集まった。市民に支持されているという実感を募金運動で感じた。しかし、学生運動が次第に激しくなり、火炎ビンを使うようになると募金は減っていった。過激な学生運動は市民の支持を失っていったのである。
学生の時の体験から、香港の学生運動が激しくなったのが原因で区議選は敗北するだろうし、今後の民主主義運動は苦しい長い闘いになると予想していた。しかし、区議選の速報を見て驚いた。なんと民主派が圧勝したのだ。
香港政府が発表した速報によると、民主派が385議席と定数452議席のうち85%を獲得して圧勝した。投票率は71.2%であった。
香港市民は学生たちの過激な運動も民主主義運動と理解していた。そして、香港市民は老いも若きも真剣に香港の自由な民主社会を望んでいることがはっきりした。香港の民主主義運動は本物だ。

軍隊で香港を制圧するのは簡単にできるが中国政府が軍隊を投入することはできない。区議選で圧勝したことは香港デモをテロと呼ぶことはできなくなった。軍隊を投入すれば世界から非難される。そうなると一帯一路の経済戦略がつまずくだろうし、中国経済が落ち込むだろう。軍隊投入は絶対にできない。軍隊投入がなければ香港市民は中国政府と五分五分に戦える。
普通選挙を勝ち取るのは困難であるかもしれないが、実現するまで香港市民は戦い続ける。そして、勝利する。区議会選挙の圧勝がその一歩だ。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )