彼女は慰安婦ではない 違法少女売春婦だ 少女慰安婦像は韓国の恥である1大坂夏の陣図屏風



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彼女は慰安婦ではない 違法少女売春婦だ
少女慰安婦像は韓国の恥である1大坂夏の陣図屏風
慰安婦問題と言えば第二次世界大戦中の日本兵相手の売春婦のことを中心に展開される。日本本土(内地)の日本人のほか、日本の植民地だった朝鮮半島や台湾出身者も慰安婦にされた。日本軍の侵攻に伴い中国、フィリピン、ビルマ(現ミャンマー)、マレーシアなど各地で慰安所が作られ、現地女性も送り込まれた。オランダの植民地だったインドネシアでは現地女性のほか、現地在住のオランダ人も慰安婦にされた。
 問題になるのは慰安婦ば性奴隷だったのかそうではなかったのかである。韓国は慰安婦は性奴隷だったと主張している。日本の場合は性奴隷であったという主張とそうではなかったという主張に二分している。
 韓国の元慰安婦たち、歴史的な事実、噂などが入り混じり、性奴隷であったという主張とそうではなかったという主張はいつまでも平行線である。混沌とした中にあるからこそ私たちは冷静に慰安婦について検証する必要がある。
 明治政府は四民平等、法治主義を掲げて始まった。帝国主義、富国強兵も掲げていたから、明治以後の日本が帝国主義であったことは否めない事実である。しかし、帝国主義であったから四民平等、法治主義はないがしろにしたということではない。明治政府は日本の近代化を目指して四民平等、法治主義を実現していった。慰安婦問題も日本では四民平等、法治主義に深く関係している。

大坂夏の陣図屏風



日本軍が大陸進出をし、戦争をしたから慰安婦が居たのは事実である。日本軍が大陸進出をしなければ慰安婦は存在しなかった。慰安婦が存在した責任は日本にある。それは異論を挟む余地はない。
 慰安婦が性奴隷であったのか、性奴隷ではなかったのかを主張し合う前に、私たちは慰安婦について正確に知らなければならない。慰安婦がどんな存在であったかを正確に知って初めて正当な主張ができる。
 慰安婦は先の大戦で急に誕生したのではない。誕生するまでには長い日本の歴史がある。私たちはそのことを知る必要がある。へ
 慰安婦問題をやる前にあなたに見てもらいたい絵がある。大坂夏の陣図屏風に描かれた絵である。

 大坂夏の陣図屏風(おおさかなつのじんずびょうぶ)は、慶長20年(1615年)に起きた大坂夏の陣の様子を描いた紙本金地著色・六曲一双の屏風絵である。大阪城天守閣所蔵、重要文化財。筑前福岡藩黒田家伝来で、「黒田屏風」、「黒田本」とも呼ばれる。戦国時代最後の戦いの激烈さと戦災の悲惨さを迫真の描写で描き出し、数ある日本の合戦図屏風の中でも白眉と呼ばれる。
大坂夏の陣図屏風 (大阪城天守閣・国指定重要美術品)

各隻150.3x360.7㎝の大画面に、人物5071人、馬348頭、幟1387本、槍974本、弓119張、鉄砲158挺などが精緻に描き込まれている。右隻には1615年6月3日(慶長20年5月7日)大坂夏の陣最後の戦いの様子が、左隻には大坂落城間際、または後の大混乱する様を迫真的に描き出している。全体的な構図は大坂城を中心に、向かって右が南、左が北で、右から左へ合戦の推移が時系列順に自然に展開するよう工夫されている。それだけなら合戦の絵であるが、大坂夏の陣図屏風には合戦ではなく戦争から逃げようとする敗残兵や避難民が描かれていて、略奪・誘拐・首狩りしようとする徳川方の兵士や野盗も描かれている。このような生々しい描写は他の合戦図屏風には見られない。

制作時期は、生々しい描写から陣後まもなくだったと推測される。福岡藩の故実によれば合戦に参加した黒田長政が、この戦いを記録するために筆頭家老の黒田一成、または家臣の竹森貞幸に命じて作成したものとされる。ただ、長政は右隻第2扇目中央やや上に、あまり目立たない形で描かれている。異説として右隻第3扇目上部にこの戦いで討ち死にを遂げた本多忠朝が奮戦する様子を描いていることから本多家で作られ、それが婚礼の輿入れ調度の一つとして黒田家にもたらされたとする説もある。しかし、黒田吉之に本多家の姫が輿入しているが、光之が編纂させた黒田家の故実成立と時期が重なっているためにこの説の信憑性は薄い。

描いたのは「八郎兵衛」なる絵師が一人で描いたとする説や、土佐派を学んだ「久左衛門」、両者を折衷する説、右隻と左隻で保存状態が異なり(左隻のほうが状態が良い)、描写の微妙な差異が指摘されることから、左隻はやや後に別の絵師によって作られたとする説や、同一工房内で複数の絵師が手掛けたとする説がある。
大坂夏の陣図屏風は戦をテーマにした絵である。武将たちが勇ましく戦っている絵が多い。しかし、この屏風は他の戦の屏風とは違う絵がある。兵士たちが戦っている絵だけではなくて、戦乱から逃げようとする町民を兵士が襲っている絵もある。
そして。女性が兵士に襲われる衝撃的な絵がいくつもある。世界でもこんな絵は少ないと思う。






戦場は無法地帯であることをこの屏風絵は如実に表している。殺人をしても強姦をしても逮捕する警官はいない。兵士のやりたい放題である。
勝ったほうの兵士は農民・町民の財産を取り上げ、抵抗するものは殺し、女を強姦する。それが当たり前のように行われていたのが戦争である。
  
 それは歴史的事実である。NHKの日曜大河の戦国時代ドラマの戦争の裏には農民・町民の惨劇が繰り返されていたのである。しかし、NHKは武将たちのかっこういいドラマを描くだけである。NHKだけでなく時代劇ドラマでは戦争の裏側で町民や農民が兵士に略奪され、殺され、強姦される凄惨な様子はほとんど描かない。描いてあるのが大坂夏の陣図屏風である。
大坂夏の陣図屏風は戦争をリアルに描いたというより、あってはいけない戦争の悲劇を描いたのだと考えられる。
 このような女性の性被害をなくすことを武将たちは考えていた。それが公娼制度の始まりである。

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