国家の第一は民主主義である。美しさとか品格はまやかしの国家論である。新聞に掲載されている論文を中心に批判する。
品格より民主そして自由
笑わせる ジャーナリストの自惚れ「民主主義崩壊の危機 「紙」の新聞は社会への窓」


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笑わせる ジャーナリストの自惚れ「民主主義崩壊の危機 「紙」の新聞は社会への窓」
新聞発行部数は1995年ころ、日本全体で7000万部を超えていたが、現在は3000万部余と半分以下にまで落ち込んでいるという。一貫して右肩下がりが続いているが、近年は下がり幅が特に大きくなっている。専修大学文学部ジャーナリズム学科の山田健太教授(言論法)は紙の新聞の激減が民主主義崩壊の危機だという。
新聞の売り上げが減ったのは新聞以外でもニュースを知ることができたからである。近年はSNSやネットの普及で新聞以外で多くの情報を得ることができるようになった。だから、新聞の売り上げが下がり続けたのである。新聞の発行部数が落ちたからといって新聞が与えていた情報が世の中で減ったというわけではない。むしろ増えた。「紙」の新聞に代わる社会への窓が増えたのだから民主主義崩壊の危機ではなく民主主義発展の拡大である。ツイッター、ユーチューブ、ブログなど市民の主張が直接できるようになったのは民主主義の大きな発展である。紙の新聞ではジャーナリストの主張だけが一方的に市民に押し付けるだけであった。しかし、現在は市民が堂々と意見を述べることができる。表現の自由がジャーナリストだけの特権ではなくなった。表現の自由が広がり民主主義は発展しているのだ。それはジャーナリストが独占していた表現の世界が解放されたことである。それを民主主義崩壊の危機というのである。民主主義崩壊ではなくてジャーナリスト独裁の崩壊である。ジャーナリスト独裁の崩壊が起こったのがキャンプ・シュワブであった。
ひろゆき氏がキャンプ・シュワブのゲート前を訪れたところ、基地建設反対の座り込み抗議の参加者が誰もいなかった。抗議日数3011日と書かれた掲示板と笑顔の写真付きでひろゆき氏は「0日にした方がよくない?」とツイートをした。ひろゆき氏のツイートが拡散し賛否の意見が飛び交った。多くの市民はひろゆき氏に賛成した。一方、沖縄のタイムスや新報は反発し、本土の朝日や毎日などはひろゆき氏を批判した。
ひろゆき氏のツイートへの「いいね」のリツイートは30万件を超えた。市民は圧倒的にひろゆき氏に賛同したのだ。この事実に対してタイムスはシュワブの座り込み運動のリーダーの意見を掲載している。
山城氏は「沖縄に犠牲を押し付けながら何の自省もない、倫理観の底が抜けた日本の現状を表している。こうしたソフトな形の侮辱が、直接的な暴力を扇動することを懸念する」と語った。(沖縄タイムス)
タイムスは謝罪と撤回の考えがあるかを尋ねたが、返信はなかったという。中立の立場でなければならないマスコミが市民の意見に謝罪と撤回を求めたのである。タイムスは明らかに辺野古移設反対イデオロギーに縛られマスコミとしての中立性を失っている。
週刊朝日はひろゆき氏のツイートから広がった市民の意見を「沖縄が、また笑われている」と判断してひろゆき氏や賛同者を批判している。タイムスや朝日は正しくて素人であるひろゆき氏は正しくない。ひろゆき氏に賛同する市民は愚かだと決めつけているのだ。
現代の若者は米軍基地問題への関心が薄れている。佐藤教授の基地問題のゼミ生はとても少なく、来年は開かない。すると少ないことが間違っていると主張するのが朝日のジャーナリストである。ジャーナリスなら事実を認め、少ない原因を追究するべきである。
1968年に嘉手納飛行場にB∸52が墜落爆発した。爆発で住宅の窓ガラスが吹き飛んだ。戦争が起こったと住民は思った。嘉手納飛行場から離れている私の実家も揺れ、爆発音はすごかったという。このことがあり私は学生運動に参加した。学科委員長になった。、

多くの市民がB∸52撤去運動に参加した。
那覇市の国際通りでカンパ運動をすると「私たちの分も頑張って」と多くの市民がカンパした。信じられないほどの金額のカンパだった。
道路一杯のデモ隊が続いた。後ろを見るとはるかかなたまでデモ隊が続いているのが見え、感動した。私は金網を蹴飛ばした。

米軍は嘉手納飛行場からB∸52を撤去した。
学生の頃の私であっても辺野古基地建設に反対しない。宜野湾市民の安全のための普天間飛行場移設だからだ。辺野古移設反対埋没のジャーナリスト独裁に民主主義の痛烈な弾を投げたのがひろあき氏のツイートである。
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米軍基地がある限り沖縄は有事にならない それを知らない不思議さ
米軍基地がある限り沖縄は有事にならない それを知らない不思議さ
米軍基地のある沖縄をミサイル攻撃するということは米国と戦争するということである。世界最強の米国と戦争する国はない。米国の軍事力は世界最強である。米国と戦争すれば確実に負ける。負ける戦争はしない。米国と戦争になってしまう沖縄へのミサイル攻撃する国はない。あるはずがない。ところが有事になれば沖縄はミサイル攻撃されるという考えがマスコミでは定着している。
共産党の志位委員長は普天間飛行場の辺野古移設を新基地建設と言い、辺野古に新基地ができると有事の時に辺野古基地はミサイル攻撃されると言った。辺野古がミサイル攻撃されないために新基地建設に反対した。志位委員長は「有事になれば」と仮定した。その仮定が成り立つかは問題にしなかった。仮定が成り立たなければ「有事になれば」とは言えない。
基地が増えれば攻撃される確率が高くなるように左翼は言うがばからしい。マスコミも左翼に同調している。ウクライナに米軍基地があったらロシアは攻撃しなかった。軍事が強ければ攻撃されない。当たり前である。
米軍基地のある沖縄をミサイル攻撃するということは米国と戦争するということである。世界最強の米国と戦争する国はない。米国の軍事力は世界最強である。米国と戦争すれば確実に負ける。負ける戦争はしない。米国と戦争になってしまう沖縄へのミサイル攻撃する国はない。あるはずがない。ところが有事になれば沖縄はミサイル攻撃されるという考えがマスコミでは定着している。
共産党の志位委員長は普天間飛行場の辺野古移設を新基地建設と言い、辺野古に新基地ができると有事の時に辺野古基地はミサイル攻撃されると言った。辺野古がミサイル攻撃されないために新基地建設に反対した。志位委員長は「有事になれば」と仮定した。その仮定が成り立つかは問題にしなかった。仮定が成り立たなければ「有事になれば」とは言えない。
基地が増えれば攻撃される確率が高くなるように左翼は言うがばからしい。マスコミも左翼に同調している。ウクライナに米軍基地があったらロシアは攻撃しなかった。軍事が強ければ攻撃されない。当たり前である。
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笑われているのは沖縄ではない シュワブ座り込みだ 朝日のでっち上げ
笑われているのは沖縄ではない シュワブ座り込みだ 朝日のでっち上げ
週刊朝日に「『沖縄が、また笑われている』 真剣な怒りを無効化、「w」が差別と偏見を助長する」が掲載された。ネットに載っていたので読んだ。沖縄と書いてあるのに沖縄ではなくキャンプ・トシュワブの移設基地反対運動が県外から来たレイシスト集団や右翼が押し掛けて座り込み参加者をからかい笑っていることを書いている。笑われているのは辺野古移設反対の座り込み闘争をしている人たちだ。彼らが笑われたからといって沖縄が笑われているのではない。
キャンプ・シュワブに来て椅子による座り込みをするのは数十人くらいである。たった数十人が笑われたのを沖縄が笑われていると思うのはジャーナリストの主観による錯覚である。
安田氏はシュワブへ県外から来たレイシスト集団や右翼が押し掛けて
「じじい、ばばあ」「朝鮮人」「年寄りばかりで臭い」。そうマイクでがなり立てながら、みなで笑い転げる。抗議参加者が集まるテントに飛び込み、「隠れてるんじゃないよ」「風呂に入れ」と罵りながら、また笑うと述べている。。老人が多く、レイシスト集団、右翼がからかうことができるほどに参加人数は少ないのだ。彼らに沖縄をからかう実力はない。小人数で体力のない老人集団だからからかったのである。彼らは沖縄をからかったのではない力の弱い少数の老人たちをからかったのである。
シュワブの老人たちは沖縄の代表ではない。レインストも右翼もごく一部の本土人である。シュワブの沖縄もなければ本土もない世界で老人たちがからかわれたということだ。こんなちっぽけなことを大袈裟にして沖縄が笑われていると安田氏は思うのである。ジャーナリストのアホな妄想である。
キャンプ・シュワブの移設反対派は現実にはちっぽけなことである。沖縄がうんぬんと大袈裟にするのがマスコミである。マスコミの文字が派手に踊っているだけである。踊らしているのが、文字を躍らすのが飯のタネでジャーナリストである。
ジャーナリスト安田氏から見える沖縄は米軍基地、辺野古と基地反対運動する連中とそれをからかうレイシスト、右翼だけなのだろうな。朝日に文章を掲載するために沖縄がある。
週刊朝日に「『沖縄が、また笑われている』 真剣な怒りを無効化、「w」が差別と偏見を助長する」が掲載された。ネットに載っていたので読んだ。沖縄と書いてあるのに沖縄ではなくキャンプ・トシュワブの移設基地反対運動が県外から来たレイシスト集団や右翼が押し掛けて座り込み参加者をからかい笑っていることを書いている。笑われているのは辺野古移設反対の座り込み闘争をしている人たちだ。彼らが笑われたからといって沖縄が笑われているのではない。
キャンプ・シュワブに来て椅子による座り込みをするのは数十人くらいである。たった数十人が笑われたのを沖縄が笑われていると思うのはジャーナリストの主観による錯覚である。
安田氏はシュワブへ県外から来たレイシスト集団や右翼が押し掛けて
「じじい、ばばあ」「朝鮮人」「年寄りばかりで臭い」。そうマイクでがなり立てながら、みなで笑い転げる。抗議参加者が集まるテントに飛び込み、「隠れてるんじゃないよ」「風呂に入れ」と罵りながら、また笑うと述べている。。老人が多く、レイシスト集団、右翼がからかうことができるほどに参加人数は少ないのだ。彼らに沖縄をからかう実力はない。小人数で体力のない老人集団だからからかったのである。彼らは沖縄をからかったのではない力の弱い少数の老人たちをからかったのである。
シュワブの老人たちは沖縄の代表ではない。レインストも右翼もごく一部の本土人である。シュワブの沖縄もなければ本土もない世界で老人たちがからかわれたということだ。こんなちっぽけなことを大袈裟にして沖縄が笑われていると安田氏は思うのである。ジャーナリストのアホな妄想である。
キャンプ・シュワブの移設反対派は現実にはちっぽけなことである。沖縄がうんぬんと大袈裟にするのがマスコミである。マスコミの文字が派手に踊っているだけである。踊らしているのが、文字を躍らすのが飯のタネでジャーナリストである。
ジャーナリスト安田氏から見える沖縄は米軍基地、辺野古と基地反対運動する連中とそれをからかうレイシスト、右翼だけなのだろうな。朝日に文章を掲載するために沖縄がある。
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デニー知事は普天間飛行場の固定を目指していると議会で追い詰めることができない自民党県連のお粗末
デニー知事は普天間飛行場の固定を目指していると議会で追い詰めることができない自民党県連のお粗末
デニー知事は辺野古移設に反対しているだけで辺野古以外の移設先を取り上げていない
デニー知事は松川宜野湾市長が県に早期返還に向けた協力を要請したのに対して「返還は辺野古移設に関わりなく実現されるべきだ」と辺野古移設と普天間飛行撤去の関係を切り離している。普天間飛行場を撤去するために辺野古移設かある。辺野古移設と普天間飛行場撤去は表裏一体であり、切り離すことはできない。辺野古移設と関わりなく普天間飛行場の撤去を実現するのは不可能である。自民党県連はこのことをデニー知事に突き詰めるべきだ。
デニー知事の辺野古移設反対は普天間飛行場の固定化を主張しているに等しいと主張するべきである。デニー知事がそうではないと言い張るなら、辺野古移設なしに普天間飛行場を撤去できる方法をデニー知事に明らかにさせるのだ。できるはずがない。辺野古以外に移設できる場所はないのだから。政府と話し合うとデニー知事が言えば政府は辺野古移設を進めている。政府は辺野古以外に移設場所を見つけることはできなかった。政府が話に応じないのは明らかであると指摘すればいい。
自民党県連は県議会で徹底してデニー知事の辺野古移設しないで普天間飛行場撤去する方法が何かを追及していくべきだ。
普天間飛行場撤去が辺野古移設と関わりなく実現するには別の移設場所がある時だ。これ以外にはない。デニー知事が辺野古移設に反対することができる条件は別の移設場所をデニー知事が見つけた時である。辺野古以外に移設できる場所があるなら移設反対することができる。
自民党県連はデニー知事に辺野古以外の移設場所を見つけたか否かを質問するべきだ。あるはずがない。ないことをデニー知事の口から言わすのである。言わないならば徹底して追い詰めていくのだ。デニー知事に他の移設場所が見つかっていないことを明らかにし、デニー知事に辺野古移設反対をする資格がないと宣言すればいい。
と思うのだが・・・・。自民氏県連にはその気がない。
13日の県議会一般質問で、共産党の比嘉瑞己議員が「那覇港湾計画の改定は軍港移設を前提とするべきでない」と軍港移設に反対の旨の発言をした際、那覇軍港の浦添移設を容認している自民席から「そうだ」と同調する声が上がった。共産党に同調する自民党県連である。 デニー知事は共産党に同調した自民会派の関周辺を指さした。自民党は那覇軍港の浦添市移転に賛成した。それなのに反対の共産党に同調するのデニー知事にとって信じられないことだった。だから、思わず指をさしてしまったのである。
自民は知事の行為は議会の懲罰委員会に諮るべきではないかと主張した。ニー知事は14日の県議会本会議で、13日の一般質問中、自民党議員の席を指さした自身の行為が不適切だったとして謝罪した。
自民が共産党に同調したことは問題にされていない。ということは自民は那覇軍港の浦添移設に対しては共産党と同じ考えであるということになる。賛成であったり反対であったり中途半端な自民である。
辺野古移設も同じである。辺野古移設に賛成であったが反対になり、それから賛否が入り混じるようになった。辺野古移設に対して中途半端である。中途半端な自民がデニー知事を追い詰めることはできるはずがない。
デニー知事は辺野古移設に反対しているだけで辺野古以外の移設先を取り上げていない
デニー知事は松川宜野湾市長が県に早期返還に向けた協力を要請したのに対して「返還は辺野古移設に関わりなく実現されるべきだ」と辺野古移設と普天間飛行撤去の関係を切り離している。普天間飛行場を撤去するために辺野古移設かある。辺野古移設と普天間飛行場撤去は表裏一体であり、切り離すことはできない。辺野古移設と関わりなく普天間飛行場の撤去を実現するのは不可能である。自民党県連はこのことをデニー知事に突き詰めるべきだ。
デニー知事の辺野古移設反対は普天間飛行場の固定化を主張しているに等しいと主張するべきである。デニー知事がそうではないと言い張るなら、辺野古移設なしに普天間飛行場を撤去できる方法をデニー知事に明らかにさせるのだ。できるはずがない。辺野古以外に移設できる場所はないのだから。政府と話し合うとデニー知事が言えば政府は辺野古移設を進めている。政府は辺野古以外に移設場所を見つけることはできなかった。政府が話に応じないのは明らかであると指摘すればいい。
自民党県連は県議会で徹底してデニー知事の辺野古移設しないで普天間飛行場撤去する方法が何かを追及していくべきだ。
普天間飛行場撤去が辺野古移設と関わりなく実現するには別の移設場所がある時だ。これ以外にはない。デニー知事が辺野古移設に反対することができる条件は別の移設場所をデニー知事が見つけた時である。辺野古以外に移設できる場所があるなら移設反対することができる。
自民党県連はデニー知事に辺野古以外の移設場所を見つけたか否かを質問するべきだ。あるはずがない。ないことをデニー知事の口から言わすのである。言わないならば徹底して追い詰めていくのだ。デニー知事に他の移設場所が見つかっていないことを明らかにし、デニー知事に辺野古移設反対をする資格がないと宣言すればいい。
と思うのだが・・・・。自民氏県連にはその気がない。
13日の県議会一般質問で、共産党の比嘉瑞己議員が「那覇港湾計画の改定は軍港移設を前提とするべきでない」と軍港移設に反対の旨の発言をした際、那覇軍港の浦添移設を容認している自民席から「そうだ」と同調する声が上がった。共産党に同調する自民党県連である。 デニー知事は共産党に同調した自民会派の関周辺を指さした。自民党は那覇軍港の浦添市移転に賛成した。それなのに反対の共産党に同調するのデニー知事にとって信じられないことだった。だから、思わず指をさしてしまったのである。
自民は知事の行為は議会の懲罰委員会に諮るべきではないかと主張した。ニー知事は14日の県議会本会議で、13日の一般質問中、自民党議員の席を指さした自身の行為が不適切だったとして謝罪した。
自民が共産党に同調したことは問題にされていない。ということは自民は那覇軍港の浦添移設に対しては共産党と同じ考えであるということになる。賛成であったり反対であったり中途半端な自民である。
辺野古移設も同じである。辺野古移設に賛成であったが反対になり、それから賛否が入り混じるようになった。辺野古移設に対して中途半端である。中途半端な自民がデニー知事を追い詰めることはできるはずがない。
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辺野古移設の代替案を提示しないデニー知事は普天間固定の推進者だ
辺野古移設の代替案を提示しないデニー知事は普天間固定の推進者だ
辺野古移設に反対し、阻止するために裁判までしているデニー知事だ。辺野古移設に反対であるなら辺野古に代わる移設先を知事として提示しなければならない。
辺野古に米軍飛行場を建設するのは米軍を強化するための新基地建設ではない。普天間飛行場を移設するためである。もし、辺野古に建設できなければ普天間飛行場の移設ができなくなる。移設先を失った普天間飛行場は固定してしまう。
デニー知事は辺野古移設に反対し、移設を阻止するために訴訟を起こし、移設反対派の集会にも参加している。徹底して辺野古移設を阻止しようとしている。辺野古に代わる移設先を提示しないデニー知事は普天間飛行場の固定を容認しているに等しい。
デニー知事は「普天間日古城返還は辺野古移設に関わりなく実現されるべきだ」というが詭弁だ。辺野古に移設することによってのみ返還される。
デニー知事は普天間飛行場の固定化を目指している。デニー知事は普天間飛行場固定の推進者である。
辺野古移設に反対し、阻止するために裁判までしているデニー知事だ。辺野古移設に反対であるなら辺野古に代わる移設先を知事として提示しなければならない。
辺野古に米軍飛行場を建設するのは米軍を強化するための新基地建設ではない。普天間飛行場を移設するためである。もし、辺野古に建設できなければ普天間飛行場の移設ができなくなる。移設先を失った普天間飛行場は固定してしまう。
デニー知事は辺野古移設に反対し、移設を阻止するために訴訟を起こし、移設反対派の集会にも参加している。徹底して辺野古移設を阻止しようとしている。辺野古に代わる移設先を提示しないデニー知事は普天間飛行場の固定を容認しているに等しい。
デニー知事は「普天間日古城返還は辺野古移設に関わりなく実現されるべきだ」というが詭弁だ。辺野古に移設することによってのみ返還される。
デニー知事は普天間飛行場の固定化を目指している。デニー知事は普天間飛行場固定の推進者である。
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デニー知事、左翼の敗北は6年前から指摘 沖縄自民の駄目さも
デニー知事、左翼の敗北は6年前から指摘 沖縄自民の駄目さも
2016年3月15日のブログ
議会制民主主義に唾する翁長知事
翁長知事や革新をのさばらしているお粗末な沖縄自民党政治家
宮崎政久衆議院議員は安倍政権が県と暫定案で和解したことを歓迎している。宮崎議員は和解は「司法の判断に従うということは、三権分立のもと立憲民主主義により政治を行う上で妥当な進み方」であると指摘している。
翁長知事の承認取り消しは違法行為であると主張したのは安倍政権である。違法行為の訴訟を取り下げて和解することに三権分立のもとの立憲民主主義があるわけがない。立憲民主主義避けて政治取り引きにしたのが県との和解である。
三権分立のもとの立憲民主主義にこだわるなら和解をしないで判決を待つべきであった。ところが宮崎議員は安倍政権の和解に賛同し、和解に全力を尽くすというのである。和解を支持する理由として、「辺野古訴訟和解の本質~次で裁判は終わる~」と和解することで、次の裁判ですべてが終わり、二度と裁判はないから辺野古移設はスムーズになるというのである。
沖縄の政治家でありながら沖縄の政治をしらないのが宮崎議員である。
宮崎議員は和解の成立を歓迎するといい、その理由を「普天間飛行場の危険性除去のために国と沖縄県知事が延々と訴訟を続けることを回避し、普天間の危険性除去に向けて大きな前進になるからだ」といって、丁寧に説明している。
和解の内容を簡潔に(それでも長いが)説明しておこう。
1 国も沖縄県知事も現在提訴している訴訟をそれぞれ取り下げる。
2 国は埋立工事を直ちに中止する。
3 国は沖縄県知事に対して、埋立承認取消に対する是正の指示をする。沖縄県知事は1週間以内に国地方係争処理委員会(委員会)へ審査申出をする。
4 国と県知事は委員会が迅速な審理判断を出来るよう全面協力する。
5 委員会が是正指示を違法でないと判断した場合、沖縄県知事は1週間以内に是正指示の取消訴訟を提起する。
6 委員会が是正指示を違法と判断した場合、国が勧告に応じた措置を取らない時は、沖縄県知事は1週間以内に是正指示の取消訴訟を提起する。
7 国と沖縄県知事は、是正指示の取消訴訟が迅速に行えるよう全面的に協力する。
8 国と沖縄県知事は、是正指示の取消訴訟の判決確定まで普天間飛行場の返還及び埋立事業の円満解決に向けた協議を実施する。
9 国と沖縄県知事は、是正指示の鳥系訴訟判決確定後は、直ちに、判決に従い、その主文とそれを導く理由の主旨に沿った手続きを実施するとともに、その後も同趣旨に従って互いに協力して誠実に対応する。
この和解条項1~9をわかりやすくまとめれば、①今やっている裁判は双方取り下げて、②国は埋立工事を中止して、③国から知事への是正指示をした上で、④ファイナルアンサーとなる訴訟を行い、⑤訴訟の結果には国も県知事も従い、その後も協力する、⑥その一方で円満解決に向けた協議を行う、ということです。
弁護士でもある私から皆さんにお伝えしたいことがいくつかあります。
まずは、「和解に勝者も敗者もない」ということです。
和解は訴訟当事者がお互いに譲り合う「互譲の精神」で行われるものです。
どちらか一方にだけ有利な内容では互いに譲り合ったことにならないので、双方が知恵を出し合って、解決に向けて共に前進する合意が和解なのです。
では、本件でどのように「解決に向けた前進」があったのか。
それは9項に示されています。つまり、国と沖縄県知事で次の訴訟をし、その訴訟で判決確定し た後は「互いに協力して誠実に対応する」ということです。次の訴訟が最後の裁判であり、ファイナルアンサーになるということです。
次の裁判が終わった後でも、別途裁判を延々と起こせるということであれば、9項のような特殊な合意はしません。9項には、国と沖縄県知事は、「判決に従い」、「(判決の)主文及びそれを導く理由の趣旨に沿った手続きを実施する」、だけでなくて「その後も同趣旨に従って互いに協力して誠実に対応する」とあります。次の裁判で一定の判決が出れば、もう次の訴訟を起こさないということです。
延々と訴訟が続くことは国にとっても沖縄県にとっても何のメリットもない。だから、次で終わりにするため裁判所を仲介にして国と沖縄県が英知と勇気をもって合意したのが今回の和解です。
もし、このような特別な合意をしておきながら、次の訴訟で敗訴したにもかかわらず延々と訴訟を続けるというのであれば、それは即ち普天間問題を解決するためのファイナルアンサーに従わないことになり、普天間問題の解決は目的にしない行動をとるということになります。いわば、訴訟を延々と続けることが自己目的となって、反対運動をしたいから訴訟を続けると言っているようなものです。
これは誠におかしなことです。
この問題の原点は絶対に忘れてはいけない。
原点は、「普天間飛行場の固定化は絶対に認めない。普天間飛行場の危険性除去は一刻も早く実現する。」です。
そして、普天間問題は私たちの世代で解決し、次の世代に送らないことを決意しています。
常に原点に忠実であるのが県民の立場に立っているということです。
国も沖縄県知事も、次の訴訟で裁判を終えて、普天間問題の解決に向けて互いに協力し誠実に対応する。
それがこの和解の本質です。(宮崎政久オフィシャルブログ)
非常に素晴らしい説明である。これで辺野古問題は解決すると信じてしまうような理路整然としている。しかし、このように理路整然とは進展しないのが沖縄の政治である。
沖縄の政治家でありながら沖縄のどろどろとした沖縄の政治の現実を知らないのが宮崎政久議員である。
宮崎議員は弁護士であり法律に詳しく和解についても法的ルールにのっとって展開していくと説明しているが、違法行為がまかり通るのが沖縄の政治である。
翁長知事は埋め立て承認取り消しという違法行為をやった。違法行為を平然とやった翁長知事のしたたかさを知らないのが宮崎議員である。宮崎議員は9項を根拠に「次の裁判で一定の判決が出れば、もう次の訴訟を起こさない」と説明しているが、その判断は甘い。翁長知事や革新のことを知らない人間の説明である。
翁長知事は代執行訴訟で、承認取り消しが違法だという判決が下れば判決に従って取り消しを取り消すと約束したが、約束の発言した舌の根が乾かないうちに、判決の後に国が新たに設計変更を申し込めば全て承認をしないと発言した。それは今度の和解後の裁判で翁長知事が是正取り消し訴訟に敗北したら、是正取り消しについては取り消すが、次の国の設計変更は承認しないということである。翁長知事が設計変更を承認しなければ、国は非承認は違法であると訴訟を起こすしかない。すると国による新たな訴訟が起こる。国が8度変更申請をしたら8回の裁判が起こるということになる。それを9項で止めることはできない。違法行為ではないからだ。9項は翁長知事が指摘しているように今回の訴訟を縛るものであって、その後に起こるであろう国の申請変更を承認するかしないかの翁長知事の権限を縛るものではない。
翁長知事は国の変更申請は承認しないとすでに宣言している。翁長知事は宮崎議員の指摘する通り、「訴訟を延々と続けることが自己目的となって、反対運動をしたいから訴訟を続ける」のである。翁長知事の行為は誠におかしいことであるが誠におかしくても辺野古工事を引き延ばしたい翁長知事は訴訟を延々と続けるのである。翁長知事が革新の支持を得るためにはそれ以外の方法はないのである。そんなことを知らない宮崎議員である。
宮崎議員は「延々と訴訟が続くことは国にとっても沖縄県にとっても何のメリットもない」と述べているが、訴訟が続き、辺野古工事が中止したり延期したりすることは革新の支持を得ることができるから翁長知事にとって大きなメリットがあるのだ。宮崎議員は弁護士であることを自負しながら「和解に勝者も敗者もない」とかっこいいことをいい、「 和解は訴訟当事者がお互いに譲り合う『互譲の精神』で行われるものです」と優等生発言をしているが、このように考える宮崎議員の政治は翁長知事、革新の政治には通用しない。宮崎議員は沖縄の政治家としてはお粗末である。
宮崎議員は本当の原点は、「普天間飛行場の固定化は絶対に認めない。普天間飛行場の危険性除去は一刻も早く実現する。」であり、この問題の原点は絶対に忘れてはいけないとこれまた優等生発言をしているが、それが本当の原点ではない。原点は普天間飛行場は県外移設、閉鎖・撤去ができないから辺野古移設が唯一であるが翁長知事、革新は違法行為をしてまで辺野古移設を妨害していることである。そのことを見抜くことができない、沖縄の政治状況を正確に把握することができていない沖縄自民党の国会議員宮崎氏である。
翁長知事や革新の違法行為をのさばらしているのは宮崎議員のようなお粗末な沖縄自民党政治家が原因である。
議会制民主主義に唾する翁長知事
今回の県の承認取消訴訟も最高裁で裁判の対象にさえならないという判決が出た。県が起こした訴訟は全て敗北している。違法な訴訟が勝てるわけがない。敗北は当然である。しかし、知事選ではデニー知事は当選した。違法をやり続けている左翼系が知事選では勝利したのである。
沖縄では違法行為をする政治家が県民に選ばれるのだ。その責任は負けた自民党県連にある。県連は左翼の嘘を見抜くことができない。左翼の嘘を覆すことができない。自民県連の無知が左翼のやりたい放題を許すのである。左翼の勝手な行為を許さないのが日本の議会制民主主義・法治主義である。
2016年3月15日のブログ
議会制民主主義に唾する翁長知事
翁長知事や革新をのさばらしているお粗末な沖縄自民党政治家
宮崎政久衆議院議員は安倍政権が県と暫定案で和解したことを歓迎している。宮崎議員は和解は「司法の判断に従うということは、三権分立のもと立憲民主主義により政治を行う上で妥当な進み方」であると指摘している。
翁長知事の承認取り消しは違法行為であると主張したのは安倍政権である。違法行為の訴訟を取り下げて和解することに三権分立のもとの立憲民主主義があるわけがない。立憲民主主義避けて政治取り引きにしたのが県との和解である。
三権分立のもとの立憲民主主義にこだわるなら和解をしないで判決を待つべきであった。ところが宮崎議員は安倍政権の和解に賛同し、和解に全力を尽くすというのである。和解を支持する理由として、「辺野古訴訟和解の本質~次で裁判は終わる~」と和解することで、次の裁判ですべてが終わり、二度と裁判はないから辺野古移設はスムーズになるというのである。
沖縄の政治家でありながら沖縄の政治をしらないのが宮崎議員である。
宮崎議員は和解の成立を歓迎するといい、その理由を「普天間飛行場の危険性除去のために国と沖縄県知事が延々と訴訟を続けることを回避し、普天間の危険性除去に向けて大きな前進になるからだ」といって、丁寧に説明している。
和解の内容を簡潔に(それでも長いが)説明しておこう。
1 国も沖縄県知事も現在提訴している訴訟をそれぞれ取り下げる。
2 国は埋立工事を直ちに中止する。
3 国は沖縄県知事に対して、埋立承認取消に対する是正の指示をする。沖縄県知事は1週間以内に国地方係争処理委員会(委員会)へ審査申出をする。
4 国と県知事は委員会が迅速な審理判断を出来るよう全面協力する。
5 委員会が是正指示を違法でないと判断した場合、沖縄県知事は1週間以内に是正指示の取消訴訟を提起する。
6 委員会が是正指示を違法と判断した場合、国が勧告に応じた措置を取らない時は、沖縄県知事は1週間以内に是正指示の取消訴訟を提起する。
7 国と沖縄県知事は、是正指示の取消訴訟が迅速に行えるよう全面的に協力する。
8 国と沖縄県知事は、是正指示の取消訴訟の判決確定まで普天間飛行場の返還及び埋立事業の円満解決に向けた協議を実施する。
9 国と沖縄県知事は、是正指示の鳥系訴訟判決確定後は、直ちに、判決に従い、その主文とそれを導く理由の主旨に沿った手続きを実施するとともに、その後も同趣旨に従って互いに協力して誠実に対応する。
この和解条項1~9をわかりやすくまとめれば、①今やっている裁判は双方取り下げて、②国は埋立工事を中止して、③国から知事への是正指示をした上で、④ファイナルアンサーとなる訴訟を行い、⑤訴訟の結果には国も県知事も従い、その後も協力する、⑥その一方で円満解決に向けた協議を行う、ということです。
弁護士でもある私から皆さんにお伝えしたいことがいくつかあります。
まずは、「和解に勝者も敗者もない」ということです。
和解は訴訟当事者がお互いに譲り合う「互譲の精神」で行われるものです。
どちらか一方にだけ有利な内容では互いに譲り合ったことにならないので、双方が知恵を出し合って、解決に向けて共に前進する合意が和解なのです。
では、本件でどのように「解決に向けた前進」があったのか。
それは9項に示されています。つまり、国と沖縄県知事で次の訴訟をし、その訴訟で判決確定し た後は「互いに協力して誠実に対応する」ということです。次の訴訟が最後の裁判であり、ファイナルアンサーになるということです。
次の裁判が終わった後でも、別途裁判を延々と起こせるということであれば、9項のような特殊な合意はしません。9項には、国と沖縄県知事は、「判決に従い」、「(判決の)主文及びそれを導く理由の趣旨に沿った手続きを実施する」、だけでなくて「その後も同趣旨に従って互いに協力して誠実に対応する」とあります。次の裁判で一定の判決が出れば、もう次の訴訟を起こさないということです。
延々と訴訟が続くことは国にとっても沖縄県にとっても何のメリットもない。だから、次で終わりにするため裁判所を仲介にして国と沖縄県が英知と勇気をもって合意したのが今回の和解です。
もし、このような特別な合意をしておきながら、次の訴訟で敗訴したにもかかわらず延々と訴訟を続けるというのであれば、それは即ち普天間問題を解決するためのファイナルアンサーに従わないことになり、普天間問題の解決は目的にしない行動をとるということになります。いわば、訴訟を延々と続けることが自己目的となって、反対運動をしたいから訴訟を続けると言っているようなものです。
これは誠におかしなことです。
この問題の原点は絶対に忘れてはいけない。
原点は、「普天間飛行場の固定化は絶対に認めない。普天間飛行場の危険性除去は一刻も早く実現する。」です。
そして、普天間問題は私たちの世代で解決し、次の世代に送らないことを決意しています。
常に原点に忠実であるのが県民の立場に立っているということです。
国も沖縄県知事も、次の訴訟で裁判を終えて、普天間問題の解決に向けて互いに協力し誠実に対応する。
それがこの和解の本質です。(宮崎政久オフィシャルブログ)
非常に素晴らしい説明である。これで辺野古問題は解決すると信じてしまうような理路整然としている。しかし、このように理路整然とは進展しないのが沖縄の政治である。
沖縄の政治家でありながら沖縄のどろどろとした沖縄の政治の現実を知らないのが宮崎政久議員である。
宮崎議員は弁護士であり法律に詳しく和解についても法的ルールにのっとって展開していくと説明しているが、違法行為がまかり通るのが沖縄の政治である。
翁長知事は埋め立て承認取り消しという違法行為をやった。違法行為を平然とやった翁長知事のしたたかさを知らないのが宮崎議員である。宮崎議員は9項を根拠に「次の裁判で一定の判決が出れば、もう次の訴訟を起こさない」と説明しているが、その判断は甘い。翁長知事や革新のことを知らない人間の説明である。
翁長知事は代執行訴訟で、承認取り消しが違法だという判決が下れば判決に従って取り消しを取り消すと約束したが、約束の発言した舌の根が乾かないうちに、判決の後に国が新たに設計変更を申し込めば全て承認をしないと発言した。それは今度の和解後の裁判で翁長知事が是正取り消し訴訟に敗北したら、是正取り消しについては取り消すが、次の国の設計変更は承認しないということである。翁長知事が設計変更を承認しなければ、国は非承認は違法であると訴訟を起こすしかない。すると国による新たな訴訟が起こる。国が8度変更申請をしたら8回の裁判が起こるということになる。それを9項で止めることはできない。違法行為ではないからだ。9項は翁長知事が指摘しているように今回の訴訟を縛るものであって、その後に起こるであろう国の申請変更を承認するかしないかの翁長知事の権限を縛るものではない。
翁長知事は国の変更申請は承認しないとすでに宣言している。翁長知事は宮崎議員の指摘する通り、「訴訟を延々と続けることが自己目的となって、反対運動をしたいから訴訟を続ける」のである。翁長知事の行為は誠におかしいことであるが誠におかしくても辺野古工事を引き延ばしたい翁長知事は訴訟を延々と続けるのである。翁長知事が革新の支持を得るためにはそれ以外の方法はないのである。そんなことを知らない宮崎議員である。
宮崎議員は「延々と訴訟が続くことは国にとっても沖縄県にとっても何のメリットもない」と述べているが、訴訟が続き、辺野古工事が中止したり延期したりすることは革新の支持を得ることができるから翁長知事にとって大きなメリットがあるのだ。宮崎議員は弁護士であることを自負しながら「和解に勝者も敗者もない」とかっこいいことをいい、「 和解は訴訟当事者がお互いに譲り合う『互譲の精神』で行われるものです」と優等生発言をしているが、このように考える宮崎議員の政治は翁長知事、革新の政治には通用しない。宮崎議員は沖縄の政治家としてはお粗末である。
宮崎議員は本当の原点は、「普天間飛行場の固定化は絶対に認めない。普天間飛行場の危険性除去は一刻も早く実現する。」であり、この問題の原点は絶対に忘れてはいけないとこれまた優等生発言をしているが、それが本当の原点ではない。原点は普天間飛行場は県外移設、閉鎖・撤去ができないから辺野古移設が唯一であるが翁長知事、革新は違法行為をしてまで辺野古移設を妨害していることである。そのことを見抜くことができない、沖縄の政治状況を正確に把握することができていない沖縄自民党の国会議員宮崎氏である。
翁長知事や革新の違法行為をのさばらしているのは宮崎議員のようなお粗末な沖縄自民党政治家が原因である。
議会制民主主義に唾する翁長知事
今回の県の承認取消訴訟も最高裁で裁判の対象にさえならないという判決が出た。県が起こした訴訟は全て敗北している。違法な訴訟が勝てるわけがない。敗北は当然である。しかし、知事選ではデニー知事は当選した。違法をやり続けている左翼系が知事選では勝利したのである。
沖縄では違法行為をする政治家が県民に選ばれるのだ。その責任は負けた自民党県連にある。県連は左翼の嘘を見抜くことができない。左翼の嘘を覆すことができない。自民県連の無知が左翼のやりたい放題を許すのである。左翼の勝手な行為を許さないのが日本の議会制民主主義・法治主義である。
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辺野古新基地反対で普天間飛行場撤去が言えなくなった 皮肉なことよ (苦笑
辺野古新基地反対で普天間飛行場撤去が言えなくなった 皮肉なことよ (苦笑)
(苦笑)
2017年12月13日、普天間第二小学校の運動場にアメリカ軍のCH53Eヘリコプターから重さ8キロの窓が落下した。事故当時、運動場では、およそ50人の生徒が体育の授業を受けていた。子供たちの上に落ちる可能性もあった。死者が出なかったのは不幸中の幸いであった。
普天間飛行場があるために少年の生命が危険さらされていることが明らかになった事故であった。宜野湾市は普天間飛行場の騒音被害を受けている。それに加えて子供たちの生命さえ危険であることが判明した。騒音被害をなくし、子供たちの生命を守るには普天間飛行場の撤去しかない。。今までの沖縄であったら激しい普天間飛行場撤去運動が展開されていた。ところが普天間飛行場の存在が生徒の生命を奪うことが現実となったのに撤去運動を展開しない。沖縄は米軍基地撤去運動に明け暮れていた。沖縄から米軍基地を撤去し、基地のない平和な島にするのを理想とするのが沖縄の戦いだった。
小学校の運動場にヘリコプターの窓が落下した。生徒の生命の危機!!
「子供たちのいのちを守るために、沖縄を平和にするために普天間飛行場を撤去せよー」とすぐに撤去運動が展開され、現在続いているはずである・・・・が撤去運動は起こらなかった。おかしい。
今日のタイムス、新報には6年前の窓枠落下による普天間飛行場の危険性を書いている。大惨事になりかねなかったことを強調している。しかし、不思議なことに「日も早く、普天間飛行場を鉄橋してほしい」と主張していない。なぜなのか。理由は普天間飛行場の辺野古移設にある。米軍基地撤去運動を展開してきたのは教職員組合と自治労であり、米軍基地を日本から撤去するのを目的にしている彼らは県内の辺野古に移設するのは反対である。普天間基地撤去を主張することは辺野古移設賛成に繋がってしまう。普天間基地撤去=辺野古移設にならないためには普天間基地撤去を主張するわけにはいかない。基地撤去と基地移設阻止のジレンマで基地撤去運動ができなくなっているのが沖縄の左翼である。
共産党の志位委員長は普天間飛行場の移設をイメージさせないために辺野古新基地建設と言い、あたかも辺野古に新しい米軍基地を建設しようとしているように話す。そして、辺野古に米軍基地ができると有事になるとミサイル攻撃されて、名護市民が危険であると辺野古基地建設に反対する。志位委員長の話には笑ってしまう。辺野古移設できなかったら普天間基地がそのままだ。有事になれば普天間飛行場がミサイル攻撃される。被害は辺野古の比ではない。志位委員長は辺野古がミサイル攻撃されるより宜野湾市がミサイル攻撃されることを選んでいるのである。県民の被害が大きくなるのを選んでいる。
「辺野古に新基地ができたらミサイル攻撃される」と話す主志位委員長は滑稽である。
辺野古新基地建設反対に熱心であるために普天間基地撤去、嘉手納基地撤去・・・米軍基地撤去を言わなくなった米軍基地撤去派の左翼である。辺野古新基地建阻止運動に集中しているキャンプ・シュワブ座り込み闘争は本土の有名人ひろゆき氏と高須院長に茶化されている。沖縄の反米軍基地運動が茶化されるとは以前なら考えられないことである。運動に真剣さが薄れ、軽くなったということだな。
米軍基地撤去を言えない辺野古新基地建設阻止運動には苦笑するしかない 。



2017年12月13日、普天間第二小学校の運動場にアメリカ軍のCH53Eヘリコプターから重さ8キロの窓が落下した。事故当時、運動場では、およそ50人の生徒が体育の授業を受けていた。子供たちの上に落ちる可能性もあった。死者が出なかったのは不幸中の幸いであった。
普天間飛行場があるために少年の生命が危険さらされていることが明らかになった事故であった。宜野湾市は普天間飛行場の騒音被害を受けている。それに加えて子供たちの生命さえ危険であることが判明した。騒音被害をなくし、子供たちの生命を守るには普天間飛行場の撤去しかない。。今までの沖縄であったら激しい普天間飛行場撤去運動が展開されていた。ところが普天間飛行場の存在が生徒の生命を奪うことが現実となったのに撤去運動を展開しない。沖縄は米軍基地撤去運動に明け暮れていた。沖縄から米軍基地を撤去し、基地のない平和な島にするのを理想とするのが沖縄の戦いだった。
小学校の運動場にヘリコプターの窓が落下した。生徒の生命の危機!!
「子供たちのいのちを守るために、沖縄を平和にするために普天間飛行場を撤去せよー」とすぐに撤去運動が展開され、現在続いているはずである・・・・が撤去運動は起こらなかった。おかしい。
今日のタイムス、新報には6年前の窓枠落下による普天間飛行場の危険性を書いている。大惨事になりかねなかったことを強調している。しかし、不思議なことに「日も早く、普天間飛行場を鉄橋してほしい」と主張していない。なぜなのか。理由は普天間飛行場の辺野古移設にある。米軍基地撤去運動を展開してきたのは教職員組合と自治労であり、米軍基地を日本から撤去するのを目的にしている彼らは県内の辺野古に移設するのは反対である。普天間基地撤去を主張することは辺野古移設賛成に繋がってしまう。普天間基地撤去=辺野古移設にならないためには普天間基地撤去を主張するわけにはいかない。基地撤去と基地移設阻止のジレンマで基地撤去運動ができなくなっているのが沖縄の左翼である。
共産党の志位委員長は普天間飛行場の移設をイメージさせないために辺野古新基地建設と言い、あたかも辺野古に新しい米軍基地を建設しようとしているように話す。そして、辺野古に米軍基地ができると有事になるとミサイル攻撃されて、名護市民が危険であると辺野古基地建設に反対する。志位委員長の話には笑ってしまう。辺野古移設できなかったら普天間基地がそのままだ。有事になれば普天間飛行場がミサイル攻撃される。被害は辺野古の比ではない。志位委員長は辺野古がミサイル攻撃されるより宜野湾市がミサイル攻撃されることを選んでいるのである。県民の被害が大きくなるのを選んでいる。
「辺野古に新基地ができたらミサイル攻撃される」と話す主志位委員長は滑稽である。
辺野古新基地建設反対に熱心であるために普天間基地撤去、嘉手納基地撤去・・・米軍基地撤去を言わなくなった米軍基地撤去派の左翼である。辺野古新基地建阻止運動に集中しているキャンプ・シュワブ座り込み闘争は本土の有名人ひろゆき氏と高須院長に茶化されている。沖縄の反米軍基地運動が茶化されるとは以前なら考えられないことである。運動に真剣さが薄れ、軽くなったということだな。
米軍基地撤去を言えない辺野古新基地建設阻止運動には苦笑するしかない 。




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本土にもて遊ばれるキャンプ・シュワブ座り込み 今度は高須院長が座り込みピース
本土にもて遊ばれるキャンプ・シュワブ座り込み 今度は高須院長が座り込みピース

高須院長は、「メリークリスマス辺野古基地なう」と投稿して沖縄県名護市辺野古の米軍基地シュワブゲート前を訪れたことを明かし、続けて「誰もいないので座りこみしてあげたぜなう」と連投した。政治に関係のない高須院長のピースはおちゃめそのものである。
もう遊びの世界だな。「新基地断念まで座り込み抗議」が高須院長のピースで遊びの世界になった。
本土にもてアゾばれているキャンプ・シュワブの辺野古移設反対運動である。

高須院長は、「メリークリスマス辺野古基地なう」と投稿して沖縄県名護市辺野古の米軍基地シュワブゲート前を訪れたことを明かし、続けて「誰もいないので座りこみしてあげたぜなう」と連投した。政治に関係のない高須院長のピースはおちゃめそのものである。
もう遊びの世界だな。「新基地断念まで座り込み抗議」が高須院長のピースで遊びの世界になった。
本土にもてアゾばれているキャンプ・シュワブの辺野古移設反対運動である。
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6年前に辺野古移設反対運動の衰退を予想していた
6年前に辺野古移設反対運動の衰退を予想していた
6年前の2016年04月06日にブログに掲載した「1967年、暴力で教公二法が阻止されたことを忘れるな」である。
6年前のキャンプ・シュワブの辺野古移設反対運動は激しかった。反対派は実力で埋め立て工事を阻止するつもりでいた。実力阻止に向けて激しい運動を展開した。しかし、日本は議会制民主主義の国である。非民主的な暴力行為は衰退していく運命にある。だから。、6年後の現在は衰退している。
1967年、暴力で教公二法が阻止されたことを忘れるな

米民政府が統治していた1967年である。教員は10割年休を取り、教育を放り出して立法院に結集した。そして、警官をごぼう抜きにして議会に乗り込んで教公二法の議決を阻止した。教公二法とは教員の政治活動を禁止するものであり、本土ではすでに成立していた。政治活動を抑え込まれることを嫌った教員が立法院の議会になだれ込み、法案議決を阻止したのである。
キャンプ・シュワブに集まって辺野古飛行場建設に反対している人たちは1967年に教公二法を暴力で阻止した教員と同じ思想だ。キャンプ・シュワブに2万5000人の反対者を集めて実力で移設を阻止したいのだ。幹部は「10000人集まれば阻止できる」という話はよく言う。
キャンプ・シュワブで教公二法阻止闘争の時のように工事を阻止できないのは単に人数が少ないだけである。彼らの思想は教公二法を阻止した時と同じである。2万5000人も集まればキャンプ・シュワブになだれ込みキャンプ・シュワブを占拠していただろう。
なぜ、こんなに教職員は強かったのか。その原因の一つは戦前の教員の地位の高さにある。戦前は中央集権政治であった。中央の政治を地方に広めるのには教育が必要であり、教員がその役目だった。いわゆる国家意思の伝達者である。
「三歩下がって師の影を踏まず」
生徒が教師の影を踏んではいけないくらいに教師の地位は高かったのである。沖縄の優秀な人は軍人か教師か公務員になった。敗戦によって軍人はいなくなった。沖縄では優秀な人は教師と公務員であった。
教師は優秀であり沖縄の人々の信任が厚かった。しかし、復帰後は日本政府によって教育が発展し、ほとんどの県民が高校に進学し、大学進学者も増加することによって教師の権威は落ちていった。教師は聖者ではなく、普通の人になった。普通の人になることによって次第に左翼政治活動から離れていく教師が増えていった。教師の左翼思想を支持する県民も減っていった。
教師の左翼活動家はまだまだ多いが、減少傾向に歯止めはかからないだろう。
目取真俊氏は元教師である。彼の思想には教公二法阻止運動の教師と同じように、実力で法案を阻止する思想がある。それは彼の言動と行動に表れている。
目取真氏は今度の逮捕を不当逮捕だと主張している。その理由として、一部のメディアでは目取真氏が陸上に上陸したから逮捕されたと報じているが自分は上陸していない、だから逮捕は不当だと主張している。
そして、「最近の海上行動は、スパッド台船やクレーン付き台船の様子を見、陸上部での作業がないかを確認するのが中心だ。長崎の岩場付近はスパッド台船に向かう通過点に過ぎず、浜に上陸する理由などない」と言い、軍警備員が二人がかりで暴力的に目取真氏を海から岩場に引きずり上げ、力づくで浜に移動させたと言っている。そして、「事実関係をきちんと取材もせず、国家権力側の情報を垂れ流しているメディアには情けなさと怒りを覚える」とメディアを非難している。目取真氏のメディア非難はおかしい。
逮捕された時、目取真氏は進入禁止フロートをすでに超えていた。超えてなおも進み陸に接近したから軍警備員の手が届いたのである。軍警備員の手が届いたということは違法行為をした証拠である。
目取真氏は「事実関係をきちんと取材もせず」と反発しているが、ほとんどのメディアが進入禁止のフロートを超えたことを書いている。「国家権力側の情報を垂れ流しているメディアには情けなさと怒りを覚える」と言っているが、フロートを超えなかったとは目取真氏は言っていない。陸上に引きずり込まれたと言っているだけである。フロートを超えていたら不当逮捕ではない。正当な逮捕である。目取真氏のほうが嘘をついている。
目取真氏は自分のブログで、立ち入り禁止のフロートを障害物と呼び、立ち入り禁止のフロートを超えるのが彼の日課になっている。フロートを障害物と考えている目取真氏は今回の逮捕を違法行為と認めていない。その理由は、彼には彼の法律があり、国の法律より自分の法律の方が正しいと思っているからである。
目取真氏だけでなくキャンプ・シュワブで反対運動をしている人たちはほとんどの人たちが自分たちの法律が国よりも正しいと思っているのである。
三線の日に国道一杯に広がって交通をしゃだんするのは彼らにとって正しい。

三線の日に国道で踊るのは正しい。

道路の真ん中で警官の静止を無視して車を進めるのも正しい。制止する警官の足をひいても正しい。

出入り口にブロックを積むのも正しい。
>
それが彼らの法律である。日本の法律ではない。彼らの法律が屈服させられるのは彼らの法律に欠点があるとは彼らは考えていない。屈服させられるのは法律を駆使できる彼らの権力が弱いからであると彼らは考えている。権力は弱いが思想は正しいというのが彼らである。
彼らは国の権力である警察や機動隊が増加するのに非難を浴びせる。減らせ減らせとシュプレイコールする。それは敵である国の権力が強くなれば自分たちの権力が抑え込まれるからである。敵の権力が弱ければ自分たちの権力を発揮することができる。2004年の辺野古沖移設のように。あの時は国の権力が弱かった。だから、ボーリング調査を阻止できたのである。
彼らは彼らの暴力を正しいと信じているのである。それは議会制民主主義国家日本の法律を否定することである。彼らの思想が全国に広まれば議会制民主主義国家日本の崩壊である。
キャンプ・シュワブの反対運動の規模がとても小さいから議会制民主主義の崩壊は大袈裟な話である。大げさではあるが彼らの思想を深く考えれば暴力革命につながる思想であることが分かる。彼らの思想は滅ばなければならない思想である。
1967年、暴力で教公二法が阻止されたことを忘れるな
普天間飛行場の横暴な辺野古移設反対運動は6年前に比べると明らかに衰退している。彼らの主張が正しければ反対運動は拡大していた。しかし、県民から身勝手な反対運動は敬遠されるようになったのである。
6年前の2016年04月06日にブログに掲載した「1967年、暴力で教公二法が阻止されたことを忘れるな」である。
6年前のキャンプ・シュワブの辺野古移設反対運動は激しかった。反対派は実力で埋め立て工事を阻止するつもりでいた。実力阻止に向けて激しい運動を展開した。しかし、日本は議会制民主主義の国である。非民主的な暴力行為は衰退していく運命にある。だから。、6年後の現在は衰退している。
1967年、暴力で教公二法が阻止されたことを忘れるな

米民政府が統治していた1967年である。教員は10割年休を取り、教育を放り出して立法院に結集した。そして、警官をごぼう抜きにして議会に乗り込んで教公二法の議決を阻止した。教公二法とは教員の政治活動を禁止するものであり、本土ではすでに成立していた。政治活動を抑え込まれることを嫌った教員が立法院の議会になだれ込み、法案議決を阻止したのである。
キャンプ・シュワブに集まって辺野古飛行場建設に反対している人たちは1967年に教公二法を暴力で阻止した教員と同じ思想だ。キャンプ・シュワブに2万5000人の反対者を集めて実力で移設を阻止したいのだ。幹部は「10000人集まれば阻止できる」という話はよく言う。
キャンプ・シュワブで教公二法阻止闘争の時のように工事を阻止できないのは単に人数が少ないだけである。彼らの思想は教公二法を阻止した時と同じである。2万5000人も集まればキャンプ・シュワブになだれ込みキャンプ・シュワブを占拠していただろう。
なぜ、こんなに教職員は強かったのか。その原因の一つは戦前の教員の地位の高さにある。戦前は中央集権政治であった。中央の政治を地方に広めるのには教育が必要であり、教員がその役目だった。いわゆる国家意思の伝達者である。
「三歩下がって師の影を踏まず」
生徒が教師の影を踏んではいけないくらいに教師の地位は高かったのである。沖縄の優秀な人は軍人か教師か公務員になった。敗戦によって軍人はいなくなった。沖縄では優秀な人は教師と公務員であった。
教師は優秀であり沖縄の人々の信任が厚かった。しかし、復帰後は日本政府によって教育が発展し、ほとんどの県民が高校に進学し、大学進学者も増加することによって教師の権威は落ちていった。教師は聖者ではなく、普通の人になった。普通の人になることによって次第に左翼政治活動から離れていく教師が増えていった。教師の左翼思想を支持する県民も減っていった。
教師の左翼活動家はまだまだ多いが、減少傾向に歯止めはかからないだろう。
目取真俊氏は元教師である。彼の思想には教公二法阻止運動の教師と同じように、実力で法案を阻止する思想がある。それは彼の言動と行動に表れている。
目取真氏は今度の逮捕を不当逮捕だと主張している。その理由として、一部のメディアでは目取真氏が陸上に上陸したから逮捕されたと報じているが自分は上陸していない、だから逮捕は不当だと主張している。
そして、「最近の海上行動は、スパッド台船やクレーン付き台船の様子を見、陸上部での作業がないかを確認するのが中心だ。長崎の岩場付近はスパッド台船に向かう通過点に過ぎず、浜に上陸する理由などない」と言い、軍警備員が二人がかりで暴力的に目取真氏を海から岩場に引きずり上げ、力づくで浜に移動させたと言っている。そして、「事実関係をきちんと取材もせず、国家権力側の情報を垂れ流しているメディアには情けなさと怒りを覚える」とメディアを非難している。目取真氏のメディア非難はおかしい。
逮捕された時、目取真氏は進入禁止フロートをすでに超えていた。超えてなおも進み陸に接近したから軍警備員の手が届いたのである。軍警備員の手が届いたということは違法行為をした証拠である。
目取真氏は「事実関係をきちんと取材もせず」と反発しているが、ほとんどのメディアが進入禁止のフロートを超えたことを書いている。「国家権力側の情報を垂れ流しているメディアには情けなさと怒りを覚える」と言っているが、フロートを超えなかったとは目取真氏は言っていない。陸上に引きずり込まれたと言っているだけである。フロートを超えていたら不当逮捕ではない。正当な逮捕である。目取真氏のほうが嘘をついている。
目取真氏は自分のブログで、立ち入り禁止のフロートを障害物と呼び、立ち入り禁止のフロートを超えるのが彼の日課になっている。フロートを障害物と考えている目取真氏は今回の逮捕を違法行為と認めていない。その理由は、彼には彼の法律があり、国の法律より自分の法律の方が正しいと思っているからである。
目取真氏だけでなくキャンプ・シュワブで反対運動をしている人たちはほとんどの人たちが自分たちの法律が国よりも正しいと思っているのである。
三線の日に国道一杯に広がって交通をしゃだんするのは彼らにとって正しい。

三線の日に国道で踊るのは正しい。

道路の真ん中で警官の静止を無視して車を進めるのも正しい。制止する警官の足をひいても正しい。

出入り口にブロックを積むのも正しい。

それが彼らの法律である。日本の法律ではない。彼らの法律が屈服させられるのは彼らの法律に欠点があるとは彼らは考えていない。屈服させられるのは法律を駆使できる彼らの権力が弱いからであると彼らは考えている。権力は弱いが思想は正しいというのが彼らである。
彼らは国の権力である警察や機動隊が増加するのに非難を浴びせる。減らせ減らせとシュプレイコールする。それは敵である国の権力が強くなれば自分たちの権力が抑え込まれるからである。敵の権力が弱ければ自分たちの権力を発揮することができる。2004年の辺野古沖移設のように。あの時は国の権力が弱かった。だから、ボーリング調査を阻止できたのである。
彼らは彼らの暴力を正しいと信じているのである。それは議会制民主主義国家日本の法律を否定することである。彼らの思想が全国に広まれば議会制民主主義国家日本の崩壊である。
キャンプ・シュワブの反対運動の規模がとても小さいから議会制民主主義の崩壊は大袈裟な話である。大げさではあるが彼らの思想を深く考えれば暴力革命につながる思想であることが分かる。彼らの思想は滅ばなければならない思想である。
1967年、暴力で教公二法が阻止されたことを忘れるな
普天間飛行場の横暴な辺野古移設反対運動は6年前に比べると明らかに衰退している。彼らの主張が正しければ反対運動は拡大していた。しかし、県民から身勝手な反対運動は敬遠されるようになったのである。
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敗北を分かりながら訴訟した 左翼の空しい戦い
敗北を分かりながら訴訟した 左翼の空しい戦い
県が辺野古の軟弱地盤を根拠にして埋め立てを中止するように請求した訴訟が最高裁によって却下された。県側の敗訴である。県の敗訴にデニー知事、タイムス、オール沖縄は判決が間違っていると抗議した。キャンプ・シュワブでも抗議集会が行われた。集会の人に新報は取材をした。
「結果は予想していたが残念だ」。原告の男性(65)は声を落とす。
琉球新報
原告の男性は県と同様の辺野古抗告訴訟を民間で起こしたひとである。その原告の男は最高裁が訴訟を却下することを知っていたのである。。
彼は裁判に負けるのは最初から分かっていた。分かっていながら訴訟をおこしたのだ。軟弱地盤を理由に埋め立て中止の訴訟をしても裁判に勝つことはできない。そのことを知っていながら訴訟したのは裁判に勝つのが目的ではないということである。軟弱地盤のことを県民に広め、辺野古埋め立て反対に賛成する県民を増やし、辺野古移設反対運動を盛り上げて、辺野古移設を阻止するためである。そんな夢を持っているから負けると分かっている裁判もやるのだ。
裁判を展開しながら辺野古移設反対運動を広げていく予定だったのに、今回は裁判さえ開かないという判決が下ったのである。裁判をして負けてもいいから県民に辺野古移設反対を訴えるという戦術が使えなくなったのが今回の訴訟廃棄である。訴訟廃棄の花血は一審で下った。ということは訴訟廃棄の判決が高裁、最高裁でも出るのは分かり切ったことであった。そのことを新報が取材した原告が話したのである。
そのおとこだけではない。敗訴することは県もタイムスも移設反対派のほとんどの人が知っていたのである。知っていながら上告したのだ。そして、最高裁の判決が出た時に司法へ批判するすでにを準備していたのである。
〇司法が民主主義を守るという大きな役割を放棄した。
〇司法は国は上、地方自治体は下にして差別している。
〇司法は国の行政に忖度(そんたく)している。
3点である。
辺野古の埋め立て予定地で軟弱地盤見つかり、国土交通省が埋め立て設計変更を提出したことから始まった裁判問題である。国は公有水面埋め立て法を忠実に守りながら埋め立てを進めてきた。法律に則っている埋め立て計画を阻止するために違法なことをやってきたのが県である。それなのにテリー知事、タイムス、反対派は県の訴訟を破棄した司法を非難し、三権分立は崩壊して日本は民主主義ではないというのである。
移設反対派の批判が辺野古の埋立てにとどまらず司法、民主主義の否定まで発展している。あまりにも大袈裟である。なぜ、こんなに大袈裟展開していくのか。それは反対派の性質にある。

9日、那覇市・県民広場で開かれた辺野古新基地を造らせないオール沖縄会議の写真である。のぼりを見てほしい。のぼりは教職員や公務員のそれぞれの職場ののぼりである。集会を主導しているのが公務員層であるということだ。復帰前からずっと反米軍を主導してきたのは教職員組合と自治労である。
辺野古埋め立て阻止運動は共産党、社民党、教職組合、自治労が展開していることが写真でもわかる。彼らの最終目的は社会主義革命であった。ソ連崩壊があり、彼らの目標は遥か彼方に遠のいている。夢は遠くなっていったが自民党政府打倒は強い。
辺野古移設を阻止することは自民党政府に勝利することである。だから、勝利を勝ち取るためにあらゆる手段をを用いて戦っている。しかし、時代に合わない運動は弱体化している。
沖縄の政治はグラグラしていて、辺野古移設反対の翁長雄志氏が知事になり埋め立てを阻止しようとし、後継者のデニー知事も移設阻止しようとしている。しかし、移設阻止はむりである。
日本の議会制民主主義体制は強固である。司法はしっかりと議会制民主主義を守っている。民主主義に則って進めている辺野古移設工事はびくともしない。着実に進んでいく。
県が辺野古の軟弱地盤を根拠にして埋め立てを中止するように請求した訴訟が最高裁によって却下された。県側の敗訴である。県の敗訴にデニー知事、タイムス、オール沖縄は判決が間違っていると抗議した。キャンプ・シュワブでも抗議集会が行われた。集会の人に新報は取材をした。
「結果は予想していたが残念だ」。原告の男性(65)は声を落とす。
琉球新報
原告の男性は県と同様の辺野古抗告訴訟を民間で起こしたひとである。その原告の男は最高裁が訴訟を却下することを知っていたのである。。
彼は裁判に負けるのは最初から分かっていた。分かっていながら訴訟をおこしたのだ。軟弱地盤を理由に埋め立て中止の訴訟をしても裁判に勝つことはできない。そのことを知っていながら訴訟したのは裁判に勝つのが目的ではないということである。軟弱地盤のことを県民に広め、辺野古埋め立て反対に賛成する県民を増やし、辺野古移設反対運動を盛り上げて、辺野古移設を阻止するためである。そんな夢を持っているから負けると分かっている裁判もやるのだ。
裁判を展開しながら辺野古移設反対運動を広げていく予定だったのに、今回は裁判さえ開かないという判決が下ったのである。裁判をして負けてもいいから県民に辺野古移設反対を訴えるという戦術が使えなくなったのが今回の訴訟廃棄である。訴訟廃棄の花血は一審で下った。ということは訴訟廃棄の判決が高裁、最高裁でも出るのは分かり切ったことであった。そのことを新報が取材した原告が話したのである。
そのおとこだけではない。敗訴することは県もタイムスも移設反対派のほとんどの人が知っていたのである。知っていながら上告したのだ。そして、最高裁の判決が出た時に司法へ批判するすでにを準備していたのである。
〇司法が民主主義を守るという大きな役割を放棄した。
〇司法は国は上、地方自治体は下にして差別している。
〇司法は国の行政に忖度(そんたく)している。
3点である。
辺野古の埋め立て予定地で軟弱地盤見つかり、国土交通省が埋め立て設計変更を提出したことから始まった裁判問題である。国は公有水面埋め立て法を忠実に守りながら埋め立てを進めてきた。法律に則っている埋め立て計画を阻止するために違法なことをやってきたのが県である。それなのにテリー知事、タイムス、反対派は県の訴訟を破棄した司法を非難し、三権分立は崩壊して日本は民主主義ではないというのである。
移設反対派の批判が辺野古の埋立てにとどまらず司法、民主主義の否定まで発展している。あまりにも大袈裟である。なぜ、こんなに大袈裟展開していくのか。それは反対派の性質にある。

9日、那覇市・県民広場で開かれた辺野古新基地を造らせないオール沖縄会議の写真である。のぼりを見てほしい。のぼりは教職員や公務員のそれぞれの職場ののぼりである。集会を主導しているのが公務員層であるということだ。復帰前からずっと反米軍を主導してきたのは教職員組合と自治労である。
辺野古埋め立て阻止運動は共産党、社民党、教職組合、自治労が展開していることが写真でもわかる。彼らの最終目的は社会主義革命であった。ソ連崩壊があり、彼らの目標は遥か彼方に遠のいている。夢は遠くなっていったが自民党政府打倒は強い。
辺野古移設を阻止することは自民党政府に勝利することである。だから、勝利を勝ち取るためにあらゆる手段をを用いて戦っている。しかし、時代に合わない運動は弱体化している。
沖縄の政治はグラグラしていて、辺野古移設反対の翁長雄志氏が知事になり埋め立てを阻止しようとし、後継者のデニー知事も移設阻止しようとしている。しかし、移設阻止はむりである。
日本の議会制民主主義体制は強固である。司法はしっかりと議会制民主主義を守っている。民主主義に則って進めている辺野古移設工事はびくともしない。着実に進んでいく。
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