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沖縄戦になったのは日本が軍国主義だったから3

沖縄戦になったのは日本が軍国主義だったから3

原敬、浜口雄幸、犬養毅三首相暗殺によって日本は軍国主義になり太平洋戦争に突入する

明治維新から日本の近代化は進み、1889年(明治22年)に大日本帝国憲法が公布された。日本は法治国家になったのである。憲法において議会に予算議定権および立法権が認められたので、藩閥政治のように政府が勝手に政治をすることが制限され、議会の多数党を無視した政権運営は困難になった。議会の多数党になることが必要であり、日本の政治は政党政治に向かっていった。
1918年(大姓7年)9月29日に、衆議院議員・立憲政友会総裁の原敬が第19代内閣総理大臣に任命された原内閣は陸軍大臣・海軍大臣・外務大臣を除く国務大臣に、原敬が総裁を務める立憲政友会の党員を起用したことから、日本初の本格的政党内閣となった。
原内閣は、教育制度の改善、交通機関の整備、産業及び通商貿易の振興、国防の充実の4大政綱を推進した。とりわけ交通機関の整備、中でも地方の鉄道建設のためには公債を発行するなど極めて熱心であった。
「高等諸学校創設及拡張計画」が、4,450万円の莫大な追加予算を伴って帝国議会に提出され可決された。
政党政治を推し進めた原敬首相であったが1921年(大正10年)11月4日に東京駅乗車口(現在の丸の内南口)で暗殺(刺殺)された。暗殺したのは鉄道省山手線大塚駅職員の中岡艮一であった。

原敬暗殺以後も政党政治は犬養毅暗殺まで続いた。
19代 原敬
20代 高橋是清 官僚
21代 加藤友三郎 海軍大将 
22代 山本權兵衞 海軍大将 
23代 清浦奎吾清浦 司法官僚
24代 加藤高明 外交官
25代 若槻禮次郎 大蔵官僚
26代 田中義一 陸軍大将
27代 濱口雄幸 大蔵官僚
28代 若槻禮次郎 大蔵官僚
29代 犬養 毅 政治家

原敬は1921年(大正10年)に刺殺された。9年後の、1930年(昭和5年)11月14日に浜口雄幸が東京駅で佐郷屋留雄に狙撃され1931年(昭和6年)に死亡した。わずか1年後の1932年(昭和7年)5月15日に犬養毅が海軍の青年将校に狙撃されて死亡した。12年間で3人の首相が暗殺されるという異常なことが日本で起こったのである。
犬養毅の暗殺によって原敬から始まった政党政治はわずか10年で崩壊した。政党政治を崩壊させて政権を握ったのが軍部であった。

政治面においては普通選挙制度を求める普選運動や言論・集会・結社の自由に関しての運動、外交面においては国民への負担が大きい海外派兵の停止を求めた運動、社会面においては男女平等、部落差別解放運動、団結権、ストライキ権などの獲得運動、文化面においては自由教育の獲得、大学の自治権獲得運動、美術団体の文部省支配からの独立など、様々な方面から様々な自主的集団による民主化運動が展開された。
その結果軍人や右翼による急進的な体制転換運動が活発になっていった(国家改造運動昭和初期から10年代にかけて,軍人の一部や民間の右翼が標榜した〈国家改造〉のスローガン。1920年代後半から30年代初頭,中国民族運動の発展,国内の恐慌による経済混乱,社会運動の活発化,退廃的世相などに危機感を抱いた彼らは,明治維新以来,日清・日露戦争と日本が発展してきたにもかかわらず,こうした危機が起こってきたのは,政党政治の腐敗に象徴される支配のあり方にあるのだとし,明治維新になぞらえて,第2の〈維新〉を主張した。右翼と軍部は政党政治打倒して軍事政権設立の方向に動いていく。犬養毅暗殺へと展開していく。

犬養内閣の発足当初は、政友会は衆議院で174議席に過ぎない少数与党政権であった。蔵相高橋是清は内閣成立後ただちに金輸出再禁止を断行、金本位制を離脱し管理通貨制度へ移行、さらに立憲民政党政権によるデフレ政策をインフレ政策に転換し世界恐慌以来の不況への対策に矢継ぎ早に取り組んだ。結果的に景気回復への期待や、満州事変・上海事変の戦勝なども政権への追い風となり、1932年(昭和7年)1月の衆議院解散、総選挙で301議席を獲得し衆議院で絶対多数を獲得した。
満州事変は軍部が主導して起こしたものである。犬養内閣は軍事力による満州進出には反対だった。満州事変の後、1932年(昭和7年)の⒊月1日、満州国建国が宣言されたが、犬養内閣はこれを承認しなかった。あくまで中華民国に対しての宥和的姿勢をとった。しかし、これが荒木陸相をはじめとする皇道派の反発を招き、同年5月、血盟団の同志であった海軍青年将校によって犬養が暗殺され(五・一五事件)、宮中席次の序列に則り大蔵大臣であった高橋是清が内閣総理大臣臨時兼任し総辞職した。
この事件以後日本は一気に軍国主義に傾倒していくこととなり、事実上犬養政権は戦前日本最後の政党内閣となった。

30代 齋藤 實 海軍大将
31代 岡田啓介 海軍大将
高橋是清 (岡田啓介内閣の大蔵大臣時代の1936年、「2・26事件」で陸軍青年将校により射殺)
齋藤 実 (岡田啓介内閣の内大臣時代の1936年、「2・26事件」で陸軍青年将校により射殺

32代 廣田弘毅 外交官
33代 林銑十郎 陸軍大将
34代 近衞文麿 貴族院議長
35代 平沼騏一郎 司法官僚
36代 阿部信行 陸軍大将
37代 米内光政 海軍大将
38代 近衞文麿
39代 近衞文麿
40代 東條英機 陸軍大将のまま首相就任する
東條は首相就任に際して大将に昇進しているが、これは内規を変更して行ったものである。東条内閣で完全な軍部独裁政権となる。軍部が政権を握った日本はアジアで戦争を拡大していく。

犬養首相が暗殺されないで政党政治が続いていたら、日本の民主化は進み、アジアの軍事による拡大もなかっただろう。政治が主導権を握ったアジア進出であれば平和的なアジア拡大になっていたはずである。
 
東条政権は対米交渉最大の難問であった中国からの撤兵要求について、すぐにということではなく、中国国内の皇の意思の実現に全力を尽くそうとした。しかし、米国は民主主義国家である。支配階級の皇の意思を尊重する日本政府側の提案はフランクリン・ルーズベルト政権には到底受け入れられるはずはなかった。、組閣から約40日後には東条政権の要求は崩れ去ってしまう。 これによって東條内閣は交渉継続を断念した。対米開戦を決めるのである。
軍国主義国家になった日本は真珠湾攻撃をやり、米国との戦争を始めた。
政党政治であったなら米国との政治交渉を積み重ね、米国との妥協を目指していたはずである。国民、経済のことを重視するからだ。軍部が政権を握ることによって国民、経済よりもアジア支配拡大が優先された。

1941年(昭和16年)12月8日、日本はマレー作戦と真珠湾攻撃を敢行、太平洋戦争が始まった。両作戦が成功したのちも日本軍は連合国軍に対して勝利を重ね、海軍はアジア太平洋圏内のみならず、インド洋やアフリカ沿岸、アメリカ本土やオーストラリアまでその作戦区域を拡大した。開戦4日後の12月12日の閣議決定において、すでに戦闘中であった支那事変(日中戦争)も含めて、対連合国の戦争の呼称を「大東亜戦争」とするとされた。
米国との戦争を始めた東条政権は開戦の翌日早朝を期して、反勢力の396人の身柄を一方的に拘束した。これは2.26事件のときにも満州国において関東軍憲兵隊司令官として皇道派の軍人の拘束や反関東軍の民間人の逮捕、監禁などの処置を行った経験に基づくものである。独裁政権の常套手段である。

原敬、浜口雄幸、犬養毅三首相暗殺によって軍部が政権を握ったのである。軍国主義国家になったから日本は真珠湾攻撃し太平洋戦争に向かったのである。

戦争が終盤になってくると日本軍の敗戦が続いた。ソロモン諸島、ニューギニア島、フィリピン、台湾と日本軍は後退していった。国民に選出された政権であったなら、国民の命を守るために敗北宣言をして戦争を終わらせていたはずである。しかし、軍独裁政権は本土決戦をやる覚悟でいた。日本が軍国主義だったから沖縄戦になったのである。政党政治の日本だったら沖縄戦になる前に敗北宣言をして、沖縄戦にはならなかったはずである。

1932年5月15日の五・一五事件は軍部クーデターである。それ以後の日本は軍部が政権を握った軍独裁政権である。
封建社会の徳川幕府を倒して四民平等の明治政府になった。民主化がゆっくりと進んでいたが軍部クーデターで日本は軍の独裁政権になったのである。
 軍独裁政権でなければ政治交渉をすることによって米国との戦争はしなかっただろう。だから沖縄戦はなかった。米国と戦争になったとしても沖縄戦になる前に敗北宣言して沖縄戦になることはなかった。

民主化が進んでいたミャンマーは軍のクーデターで軍独裁国家になった。タイも軍クーデターによって軍事政権になった。ロシアは1991年に社会主義が崩壊し、大統領と国会議員は国民選挙で選ぶ民主主義体制になった。しかし、。KGBのプーチンは対抗する候補者を暗殺したり刑務所に入れたりして対抗勢力を潰した。だから、立候補するのはフーチンに従う者たちである。対抗勢力を排除することによってロシアをプーチン独裁政権にした。ロシアは議会制民主主義体制でありながらプーチン独裁国家である。
民主主義に向かい始めている時に軍などが政権を握って独裁政権になるケースは多い。日本も民主化方向に進んでいる途中で軍事独裁になった国である。

日本は敗戦した。だが、政治の視点から見れば日本が戦争に負けたというより軍事独裁政権が敗北したのである。戦後の日本は軍事独裁から議会制民主主義になった。軍のクーデターによって犬養首相が暗殺され、軍独裁政権になったが敗戦によって軍独裁政権は崩壊し、政党政治がより発展した状態で復活したのである。戦勝国である米国の内政介入があったが、日本はより質の高い議会制民主主義国家になった。
戦後の沖縄は米国の統治を経て、日本復帰して日本の地方自治体となった。戦後77年間戦場になることはなかった。これからも沖縄が戦場になることはない。

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沖縄戦になったのは日本が軍国主義だったから1

沖縄戦になったのは日本が軍国主義だったから1

 1945年(昭和20年)8月14日に昭和天皇や閣僚たちが御前会議において降伏を決定した。そして、8月15日に玉音放送を通じてポツダム宣言の受諾をした。日本は降伏をし、戦争は終わった。
 兵士と住民を合わせて20万人が犠牲になった沖縄はすでに米軍に占領されていた。沖縄を本拠地にして日本上陸を計画していた時に日本は降伏したのである。
 玉音放送を聞いていた国民は落胆し悲しんだ。

玉音放送は最初のところしか聞いたことがなかった。玉音放送に興味がなかったから、全文を読んだこともない。
日本の運命を変えたのが玉音放送である。最近、原文ではなく口語訳を読んだ。玉音放送に云々するつもりはない。
玉音放送の口語訳を紹介する。

玉音放送

私は、深く世界の大勢と日本国の現状とを振返り、非常の措置をもって時局を収拾しようと思い、ここに忠実かつ善良なあなたがた国民に申し伝える。
 私は、日本国政府から米、英、中、ソの四国に対して、それらの共同宣言(ポツダム宣言)を受諾することを通告するよう下命した。
 そもそも日本国民の平穏無事を図って世界繁栄の喜びを共有することは、代々天皇が伝えてきた理念であり、私が常々大切にしてきたことである。先に米英二国に対して宣戦した理由も、本来日本の自立と東アジア諸国の安定とを望み願う思いから出たものであり、他国の主権を排除して領土を侵すようなことは、もとから私の望むところではない。
 ところが交戦はもう四年を経て、我が陸海将兵の勇敢な戦いも、我が多くの公職者の奮励努力も、我が一億国民の無私の尽力も、それぞれ最善を尽くしたにもかかわらず、戦局は必ずしも好転していないし、世界の大勢もまた我国に有利をもたらしていない。それどころか、敵は新たに残虐な爆弾(原爆)を使用して、しきりに無実の人々までをも殺傷しており、惨澹たる被害がどこまで及ぶのか全く予測できないまでに至った。
 なのにまだ戦争を継続するならば、ついには我が民族の滅亡を招くだけでなく、ひいては人類の文明をも破滅しかねないであろう。このようなことでは、私は一体どうやって多くの愛すべき国民を守り、代々の天皇の御霊に謝罪したら良いというのか。これこそが、私が日本国政府に対し共同宣言を受諾(無条件降伏)するよう下命するに至った理由なのである。
 私は、日本と共に終始東アジア諸国の解放に協力してくれた同盟諸国に対しては遺憾の意を表せざるを得ない。日本国民であって前線で戦死した者、公務にて殉職した者、戦災に倒れた者、さらにはその遺族の気持ちに想いを寄せると、我が身を引き裂かれる思いである。また戦傷を負ったり、災禍を被って家財職業を失った人々の再起については、私が深く心を痛めているところである。
 考えれば、今後日本国の受けるべき苦難はきっと並大抵のことではなかろう。あなたがた国民の本心も私はよく理解している。しかしながら、私は時の巡り合せに逆らわず、堪えがたくまた忍びがたい思いを乗り越えて、未来永劫のために平和な世界を切り開こうと思うのである。
 私は、ここに国としての形を維持し得れば、善良なあなたがた国民の真心を拠所として、常にあなたがた国民と共に過ごすことができる。もしだれかが感情の高ぶりからむやみやたらに事件を起したり、あるいは仲間を陥れたりして互いに時勢の成り行きを混乱させ、そのために進むべき正しい道を誤って世界の国々から信頼を失うようなことは、私が最も強く警戒するところである。
 ぜひとも国を挙げて一家の子孫にまで語り伝え、誇るべき自国の不滅を確信し、責任は重くかつ復興への道のりは遠いことを覚悟し、総力を将来の建設に傾け、正しい道を常に忘れずその心を堅持し、誓って国のあるべき姿の真髄を発揚し、世界の流れに遅れを取らぬよう決意しなければならない。
 あなたがた国民は、これら私の意をよく理解して行動せよ。


 玉音放送を聞いた日本国民は、失望し、深く悲しんだ。皇居に向かってひざまずき深く頭を垂れた。

戦後の沖縄に生まれた私の周囲にはアメリカ兵が多く居た。彼らは私服であったから普通のアメリカ人であった。周囲に住んでいるのはみんな沖縄女性と同棲しているアメリカ人であった。アメリカ人には親しみを感じたし、彼らは周囲の沖縄人より自由で明るかった。
学校では戦前は軍国主義国家であったが戦後は民主主義国家になったと言う教育を受けていたし、リンカーン大統領の「人民の人民による人民のための政治」の言葉に深く感銘していたから、玉音放送にうなだれる写真に正直に言えば違和感があった。
自分の幸福を犠牲にしても天皇のために尽くすというのが天皇崇拝である。自分や国民の幸福のほうが天皇のために尽くすよりも大事であると思っていた私は天皇崇拝を受け入れることはできなかったし、写真のような人間にはなりたくなかった。

神風特攻隊にも反対だった。ベストセラー作家の百田尚樹氏が名護市の数久田体育館で公演したが、百田氏は沖縄戦が始まった時から神風特攻隊が沖縄の米軍に死を賭けて特攻していったことや戦艦大和が沖縄の米軍と戦うために向かったことを述べ、日本は決して沖縄を見捨てたのではなく、沖縄のために多くの日本兵が戦い、死んでいったことを強調していた。
百田氏の主張は「日本軍は沖縄住民を守らなかった」という左翼の主張に対する反論である。沖縄の地上戦でも日本軍は壮絶に戦い、全滅した。日本軍は住民を守らなかったのではなく全滅したために守ることができなかったのだ。
百田氏の指摘はその通りであるが、神風特攻隊を出撃すれば戦況を逆転し、沖縄を米軍の進攻から止めることができたかといえば、そうではなかつたことがはっきりしている。神風特攻隊は戦況を逆転させることはできなかったし、沖縄を守ることもできなかった。それは最初から分かっていた。
神風特攻隊とは神風に頼った出撃であり、神風が吹かなければ戦況を逆転することはできないと信じるくらいに米軍と日本軍の軍事力の戦力は大差があった。
日本軍のトップなら沖縄が米軍に占領されることは知っていたはずである。知りながら沖縄戦をやり、住民、日本兵の犠牲を20万人も出したのである。
日本軍は沖縄戦の次は本土決戦もやろうとしていた。本土決戦をすれば本土も沖縄戦のように兵士も住民も米軍に殲滅され、犠牲者が何百万何千万人も出ていただろう。それを知っていながら日本軍は本土決戦をやろうとしていたのである。

昭和天皇の玉音放送で戦争は終わった。本土決戦はなくなり、これ以上の日本国民の犠牲は出さなくて済んだ。
玉音放送で本土決戦は阻止されたが、私の疑問は沖縄戦が始まる前のフィリピンが陥落した時に日本が降伏すれば沖縄の犠牲は免れたはずであるが、なぜ日本はフィリピンが陥落した時に降伏をしないで沖縄戦をやったかということである。敗戦が確実であるならできるだけ早く降伏をして、犠牲を押さえるべきである。しかし、日本は降伏しなかった。そのために沖縄戦にになり20万人の兵士と住民が犠牲になった。

日清戦争や日露戦争の清国やロシアは徹底抗戦をしないで、本国が攻撃される前に降伏して、賠償金を払い、土地を日本に提供している。過去の戦争では敗戦が濃厚になると降伏をし、自国の被害を少なくする努力をしている。日本もフィリピンが陥落した時に降伏するべきであった。しかし、日本は敗戦が濃厚であるのに降伏をしないで戦争を続け沖縄戦の悲劇を生んだ。なぜ日本は沖縄戦が始まる前に降伏をしなかったのか。

なぜ、太平洋戦争が起こったのか、なぜ、日本は太平洋戦争に負けたのかの原因を説明する論文は非常に多いが、なぜ、沖縄戦になる前に日本は降伏しなかったのかを説明する論文はない。私には不思議である。

私は中学、高校生の頃は映画が好きで、よく映画を見た。戦争映画も多く見た。神風特攻隊が敵艦に突撃する時に、「天皇陛下バンザーイ」と叫んでいる映画を見たし、二二六事件の映画も見た。戦争を美化する映画もあったし批判する映画もあった。字幕がスムーズに読めるようになると米国やフランスなどの戦争映画も多く見た。外国の戦争映画には神風特攻隊や日本軍の玉砕を美化するような映画はなかった。美化するのは日本映画だけだった。外国の映画を見ていくと日本軍が降伏を拒否して玉砕したのは本当に正しい選択だったのか疑問を持つようになった。

日本軍の玉砕
1943年(昭和18年)
5月12日 米軍、アッツ島上陸(5月25日、日本軍全滅し「玉砕」の語の使用始まる)
1944年。
11月21日 米軍、マキン島・タラワ島上陸(11月23日 日本軍玉砕)。
2月6日 クェゼリン島の日本軍玉砕。
6月15日 米軍、サイパン上陸(サイパンの戦い。7月7日日本軍玉砕、在住 日本人1万人死亡)
8月2日 テニアン島の日本軍玉砕。(テニアンの戦い)
8月11日 グアム島の日本軍玉砕。(グアムの戦い)
1945年(昭和20年)
3月26日 硫黄島日本軍玉砕    

なぜ日本軍は降伏をしないで玉砕をしたのか。日清、日露戦争の時は玉砕の思想はなかったから玉砕はしていない。しかし、太平洋戦争では降伏はしないで玉砕をしている。日本軍が玉砕をした原因を調べてみると、日清、日露戦争の時の捕虜問題と武士道が関係していた。

日清戦争中に第一軍司令官であった山縣有朋が清国軍の捕虜の扱いの残虐さを問題にし、
「敵国側の俘虜の扱いは極めて残忍の性を有す。決して敵の生擒する所となる可からず。寧ろ潔く一死を遂げ、以て日本男児の気象を示し、日本男児の名誉を全うせよ」と「捕虜となるくらいなら死ぬべきだ」という趣旨の訓令を出した。

1905年(明治38年)には井上哲次郎が『武士道叢書』を発表した。『武士道叢書』は戦国時代の戦陣訓や葉隠の「武士道とは死ぬことと見つけたり」等を収めたうえで、日清日露戦争で勝利したのは日本古来の武士道によるとし、天皇への唯一無二の忠誠を唱え、忠義や滅私奉公、国家のためには死をも厭わぬものとして武士道を解釈した。これはのちに昭和17年に『武士道全書』へと継承され、太平洋戦争における「皇道的武士道」へ影響を与えた。
戦時国際法としての傷病者及び捕虜の待遇改善のための国際条約であるジュネーヴ条約に日本も加盟していたが、捕虜の待遇に関する条約(全97条)に日本は加入をしなかった。理由として、「日本軍は決して降伏などしないのでこの条約は片務的なものとなる」と述べた。
降伏をしないということは玉砕するということである。
太平洋戦争における日本兵の降伏拒否や自決は、東条英機の戦陣訓示の「生きて虜囚の辱を受けず」によるものと言われているが、玉砕の思想は『戦陣訓』以前からあったのである。
日本軍が玉砕したのは、日清、日露戦争の捕虜が残虐な扱いを受けたことに対する反発と武士道の教えが影響していた。しかし、武士道は兵士を武士とした日本軍内の問題である。民間人は武士ではないから武士道とは関係がない。しかし、沖縄戦では兵士ではない10万人近くの民間人が犠牲になった。沖縄戦が始まる前に、
3月10日 東京大空襲
3月12日 名古屋大空襲
3月14日 大阪大空襲
3月16日 神戸空襲
3月25日 名古屋大空襲
があり、何十万と言う民間人が犠牲になった。東京大空襲では一夜にして10万人の市民が犠牲になった。国民の犠牲を止めるには降伏するしかない。しかし、日本は降伏しなかった。
 形勢を逆転する可能性はなく、国民の犠牲が増えていったのに日本は降伏しなかったのである。それは日本が軍国主義国家であったからである。軍国主義国家ではなく、民主主義国家であれば国民を犠牲にするのを止めるために降伏していたはずである。沖縄戦もなかったはずである。

 玉砕思想を持っていた軍部は本土決戦をやる積もりでいた。軍部は日本国民全体で米軍を迎え撃ち、最後の一人まで戦う覚悟でいた。政権は軍部が握っていたし、国民も本土決戦を覚悟し、米軍と戦う積りでいたから、本土決戦になるのは確実であった。しかし、本土決戦にはならなかった。
本土決戦を止めたのが昭和天皇の玉音放送である。

日本は戦前の憲法が大日本帝国憲法というように帝国主義国家であった。しかし、四民平等・法治主義を掲げていたから民主化への道も辿っていた。
大正デモクラシーが民主化の象徴である。
政治と軍事は分業化され、政治は政治家が行い。国の法律、予算を決めていた。次第に民主化に進んでいたのに民主化への道が軍によって一気に閉ざされた。その始まりが5・15事件の犬養毅首相暗殺である。
5・15事件をきっかけに日本は軍国主義へまい進していく。日本が軍国主義国家であったから沖縄戦が起こり、10万人近くの住民が犠牲になったのである。
なぜ、軍国主義国家だったから沖縄戦になったかは次に説明する。

     つづく
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クワッドの存在で中国が沖縄攻撃できないことを知るべきである

クワッドの存在で中国が沖縄攻撃できないことを知るべきである

沖縄タイムスは、沖縄県内41市町村長を対象にアンケートを実施した。
〇台湾有事の危険性が高まっていると思う約95%の37人
〇衝突回避に向けた日本政府の外交努力は十分ではない 約80%の30人。
〇安保関連⒊文書の決定や、防衛費増額に伴う増税への政府の説明は十分ではない。9割を超える39人

タイムスの記事

台湾海峡を巡り、軍備拡大を続ける中国と米国との武
力衝突への懸念が県内市町村長の中で高まっていることが明らかになった。一方、政治的な立場を超えて政府の外交努力に課題があるとの認識も示された。

■「避難民の受け入れ態勢協議を」

  台湾に近接し、ミサイル部隊の配備方針が示された与那国町の糸数健一町長は「危険性は高まっている」としつつ、「防衛力強化はさることながら、もっと外交力強化を図るべきだ」と訴えた。

  中山義隆石垣市長は国と県に「台湾有事を想定した住民避難や台湾からの避難民の受け入れ態勢などを協議する場を早急に設けてほしい」と要望。渡久地政志北谷町長は「外務省の外交努力で(平和を)維持できており、引き続き平和的な外交努力を望む」とした。
               沖縄タイムス
 中国が日本を攻撃させない手はすでに打っている。それは中国が日本を攻撃すれば米国、オーストラリア、印度、イギリスが日本の側になり中国と戦う態勢である。

 日米豪印の4ヵ国は自由で開かれたインド太平洋の実現に向け、ワクチン、インフラ、気候変動、重要・新興技術などの幅広い分野にて協力体制を構築している。協力体制をクワッドという。4カ国はクワッドの安全を維持するために軍事訓練をしている。
軍事訓練は「マラバール」と呼ばれている。この訓練は、アメリカ海軍とインド海軍が30年前から行っていて、海上自衛隊は2007年から、オーストラリアはおととしから参加しています。ことしは日本周辺の太平洋で8日から今月15日までの日程で行われ、横須賀市では4か国の司令官らが出席して開始式が開かれた。
海上自衛隊自衛艦隊の湯浅秀樹司令官は「私たちは、国際社会のルールを重視するとともに、力を背景とした一方的な現状変更の試みには一致団結して反対するどうしだ。世界情勢が大きく変動するなか、4か国の緊密な連携と結束を世界に示すことは、極めて大きな意義がある」と述べた。
アメリカ海軍第7艦隊のカール・トーマス司令官が「マラバールはルールを書き換えようとする国々に対して、私たちが黙って見ているわけではないことを示すものだ」と述べるなど、各国の司令官も連携を強化していく考えを示した。
今回の訓練ではアメリカ軍の原子力空母など合わせて14隻の艦艇が参加して潜水艦に対処する手順などを確認した。

日本に中国が攻撃すればクワッドに参加している米国、豪州、インドが日本を支援するのは確実である。中国は4カ国と闘わなくてはならない。
クワッドを最初に提唱したのは故安倍首相である。16年前である。首相になるとクワットを実現させた。


ウクライナ戦争で見られたように民主主義国家は連帯
する。ウクライナは戦争が起きてから連帯してウクライナ支援をした。アジアでは日米印豪に英が連帯してすでに中国と対峙している。

台湾有事が沖縄有事になると信じているのはクワッドを知らないからである。日米は中国対策はすでにやっている。中国が日本をミサイル攻撃することはない。それに民主主義国家の日本や米国が先に中国を攻撃することもない。日米VS中国戦争は起きない。

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馬毛島基地建設容認が多数を明らかにした八板市長リコール運動

馬毛島基地建設容認が多数を明らかにした八板市長リコール運動

鹿児島県西之表市八板俊輔市長の解職請求(リコール)署名は688人分であった。リコールが成立するには西之表市の人口の3分の1である4109人の有効署名が必要である。必要署名の16、7%しかなかった。
 西之表市には無人島馬毛島がある。政府は馬毛島への自衛隊基地建設と米軍機訓練移転計画があり、八板市長は馬毛島の基地建設を容認した。容認に反対の市民が八板市長のリコール署名運動をやったのである。その結果、リコールは成立しなかった。
 今までのマスメディアの報道ではリコールの成立は確実であるような印象であった。
 「馬毛島への米軍施設に反対する市民・団体連絡会」は抗議集会を繰り返し、反対運動は市民にひろがっている印象を与えていた。市民・団体連絡会の集会には日本共産党の田村貴昭衆院議員が参加し、連帯あいさつをした。立憲民主党や社民党の国会議員らも参加した
 共産党の田村議員は、米国は馬毛島を含めた南西諸島にミサイル部隊を分散させ、中国に対抗する戦略であると指摘して、
「戦争が起これば標的になるのは馬毛島を含めた南西諸島だ。島の未来がかかっており、私も頑張り抜きたい。全国で運動と世論を広げていこう」
と演説した。
「辺野古に新基地を建設すれば、有事になるとミサイル攻撃される」と志位委員長が辺野古で指摘したことと同じことを田村議員は西之表市で述べたのである。
 共産党は有事になれば全国の米軍基地、自衛隊基地がミサイル攻撃されるということを主張し続けている。
沖縄では沖縄の基地だけがミサイル攻撃され戦場になると主張しているが、実は全国の基地が攻撃されると主張しているのである。リコール署名はリコールできる⒊分の1にほど遠いわずか688人分であった。多くの市民が基地建設を容認しているということだ。共産党のデマは通用しない。

 馬毛島基地反対派のリコール運動とキャンプ・シュワブの辺野古移設反対運動がダブって見える。二つとも共産党、社民党に立憲民党の左翼系の野党政党が中心とする運動である。そして、賛同者が少ない。
 基地建設を西之表市、宜野湾市、名護市の3市長は容認している。基地建設容認の市民が増加しているのだ。基地があればミサイル攻撃されるというデマに騙されない市民が増えているということだ。
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タイムス社説よ ウクライナの国民が武器をすて、平和への祈りをすれば平和になれるというのか

タイムス社説よ ウクライナの国民が武器をすて、平和への祈りをすれば平和になれるというのか

沖縄タイムスの新年社説である。

今、必要なのは憲法制定時の志を生かしていく具体的な取り組みだ。
 敵味方の別なく沖縄戦で亡くなった人たちの名を刻む「平和の礎」。そこには二度と戦争を起こしてはならないという沖縄の人々の祈念が刻み込まれている。
 昨年6月、市民グループが礎に刻まれた戦没者全員の名前を読み上げる取り組みを行った。そうやって一人一人のかけがえのない命、戦場で失われてしまった命に触れているのである。
 そのようなことの積み重ねを通して、沖縄に「平和の文化」を根付かせたい。
 私たちは今年を「非戦・平和創造元年」と位置付け、紙面を通して戦争を回避するための機運づくりを進めていきたい。
          タイムス社説
 ウクライナは戦争中である。戦争はロシア軍がウクライナに侵攻したからだ。タイムスはウクライナ国民が武器を持たず「二度と戦争を起こしてはならない」平和の祈りをしていたらロシアは侵攻しないでウクライナ戦争は起こらなかったというのか。
 武器を捨て平和の祈りをしていたらロシアは侵攻しなかったというのはあり得ないことである。ウクライナが武器を捨てていたら数日でウクライナ全土がロシアに支配されていただろう。ウクライナ戦争が教えたのは軍事力が弱ければ侵攻されることである。ウクライナは武器があり、国民も立ち上がりロシア軍と戦っている。タイムス社説の主張するような「二度と戦争を起こしてはならない」と祈るだけでは平和を勝ち取ることはできない。それを教えたのがウクライナ戦争なのだ。
 沖縄は戦後75年間戦争がなかった。戦争がなく平和だったから敵味方の別なく沖縄戦で亡くなった人たちの名を刻む「平和の礎」を建設することができたのである。
 ベトナム戦争などアジアで多くの戦争があった。しかし、沖縄が戦争に巻き込まれたことは一度もなかった。それは米軍基地があったからである。軍事力が強ければ侵攻されない。ウクライナと沖縄の違いである。
 タイムス社説よ!
 反戦平和の祈りをしたから沖縄が平和ではない。沖縄が平和だから平和の祈りをすることができるのだ。
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ガマフヤー具志堅が正しいか 土石工業の永山代表が正しいか 沖縄2紙がはっきりさせるべき

ガマフヤー具志堅が正しいか 土石工業の永山代表が正しいか 沖縄2紙がはっきりさせるべき

 問題になっているのは土砂の中に沖縄戦被害者の遺骨が混じっているか混じっていないかではない。土砂が辺野古の埋立てに使われるか使われないかである。ガマフヤー具志堅は使うと主張している。しかし、採掘する永山代表は使わないと言っている。どっちが正しいのか。もし、土砂を使うとすれば、遺骨が混じっている土砂を埋め立てに使うことになる。しかし、土砂を使わないで石灰岩だけを使うとすれば遺骨は埋め立てに使われない。
県内外の227議会が可決した意見書は土砂の使用中止である。石灰岩の使用中止ではない。
土砂を埋め立てに使用するのかしないのか。それが問題である。それを調べることができるのがマスメディアである。採掘業者から採掘から埋め立てまでの過程を詳しく聞けば分かることである。タイムスと新報は採掘業者から詳しい情報収集をするべきだ。そして、客観的な事実を報道するべきである。
客観的な立場からどちらが正しいかを報道する。ここにこそマスメディアの存在価値がある。採掘するのは沖縄の業者である。採掘届を受理するのは沖縄の県政である。反対しているの具志堅氏は沖縄人である。これは沖縄の問題である。沖縄の2紙は土砂が埋め立てに使用されるかされないかを明らかにすることができる。
沖縄2紙は調査して土砂を使用するか否かをはっきりするべきだ。調査しなければ採掘工事が進んでいくことによって明らかになる。それは辺野古埋め立て工事の時と同じである。埋め立て工事によって埋め立て反対派の嘘がばれた。今度も同じことになるのか・・・。
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辺野古移設反対派は嘘を県民に信じさせて巻き込んでいる でも破綻する運命にある

辺野古移設反対派は嘘を県民に信じさせて巻き込んでいる でも破綻する運命にある

〇ガマフヤー具志堅隆松は沖縄戦で犠牲になった人の遺骨が眠る本島南部の土砂が辺野古新基地建設の埋め立てに使われようとしていると主張し続けている。具志堅氏は国連でも訴えた。

 埋め立てに使用するのは土砂の下にある石灰岩である。土砂は埋め立てに使用しない。だから、具志堅氏は嘘をついている。

 遺骨が残る可能性がある南部の土砂の使用中止などを求め、県内外の227議会が意見書を可決したという。ガマフヤー具志堅隆松代表は県内外の1743の地方議会に意見書の可決を促す要望書を送付した。1743の地方議会の中で可決したのはわずか227自治会であった。具志堅の意見書を支持しない自治体が圧倒的に多いということだ

〇辺野古を埋め立てれば汚染されて、魚やジュゴンは棲めなくなるし。サンゴは死滅する。

 嘘である。日本には公有水面埋立法がある。汚染しないための厳しい規則がある。汚染を信じた県民は反対していたが、埋め立て工事が始まり、汚染しないことが明らかになると反対する県民は減っていった。

〇有事になれば辺野古新基地はミサイル攻撃される。

ミサイル攻撃されるのは辺野古新基地だけではない。沖縄の軍事基地すべてが攻撃される。辺野古新基地ができなかったら普天間飛行場がミサイル攻撃される。だがそのことは言わない。あたかも建設予定の辺野古新基地だけがミサイル攻撃されるように言う。

 辺野古移設反対派は移設すれば辺野古の海が汚染される、沖縄戦犠牲者の遺骨が埋め立てに使用される、有事の時ミサイル攻撃されるなどと、県民に嘘をばらまいて、移設反対運動を展開してきた。
 反対派の嘘は最初は信じられる。しかし、年月が経てば次第に嘘の皮が剥がれていく。嘘を信じない県民が増えていく。県民の支持は減少していく。いつまでも騙し続けることができると思ったら間違いである。
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「戦没者の遺骨が混じる可能性がある土砂」は真っ赤な嘘 だから、デニー知事は採掘届を受理せざるを得なかった

「戦没者の遺骨が混じる可能性がある土砂」は真っ赤な嘘 だから、デニー知事は採掘届を受理せざるを得なかった

沖縄県糸満市米須の土砂採掘を巡り、県が業者からの採掘届け出を受理した。辺野古基地建設に反対であるデニー知事の県政が受理したのである。デニー知事は米須の土砂を辺野古埋め立てに使うことを認めたのである。今までデニー知事は辺野古埋め立てに関する政府の申請を全て拒否した。だから、米須の土砂採掘も拒否するはずである。しかし、違った。受理した。
沖縄戦遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」の具志堅隆松代表は「チルダイ(落胆)した。辺野古移設に反対し政府と対立している玉城デニー知事が受理したのを具志堅氏は信じられないだろう。「デニー知事がどう考えているのかを問いたい」と述べている。
デニー知事はなぜ受理したのか。受理すれば辺野古移設に賛成していると思われる可能性がある。選挙公約で掲げた辺野古移設反対が疑われるだろう。オール沖縄から反発されるかもしれない。それにも関わらずデニー知事は採掘届を受理したのである。辺野古移設反対派の支持を失うかも知れないのにだ。なぜデニー知事は受理したのか。理由はガマフヤー植松の「戦没者の遺骨が混じる可能性がある土砂を埋め立てに使用する」は真っ赤な噓だからである。
鉱山の開発を計画する沖縄土石工業の永山盛也代表は、「出荷するのは土砂ではなく琉球石灰岩であり、遺骨が混じることは絶対にない」と説明している。鉱山の表面にある土砂は取り除き、下にある石灰岩を採取するのである。石灰岩に遺骨が含まれることはない。永山代表はもし県が受理しなかったら訴訟すると断言している。裁判になれば確実に県が敗北するだろう。
政府との裁判に負けたら地方自治を政府は差別していると政府を批判することができる。しかし、民間との裁判で負けると県が民間を差別していると思われる。デニー知事のイメージが悪くなる。県民の支持を維持するためには敗北確実の民間との裁判を避けるべきである。だから、採掘届を受理したのである。
ガマフヤー具志堅を信じた遺族や市民団体は落胆し、具志堅を信用しなくなるだろう。真っ赤な嘘による糸満市米須の採掘阻止運動は県の採掘届受理で終わった。植松は悪あがきするだろうが、今月31日以降に採掘工事が可能になる。来年採掘が始まれば完全な終焉である。
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安保関連3文書批判に90歳以上の戦争体験者を利用した琉球新報

安保関連3文書批判に90歳以上の戦争体験者を利用した琉球新報

 琉球新報は安保関連3文書の閣議批判に90歳を超す沖縄戦体験者などの老人を登場させた。
沖縄戦で砲弾が飛び交う中を逃げ惑った翁長安子さん(93)、名桜大学学長も務め、現在は沖縄戦体験の継承に力を注ぐ瀬名波栄喜さん(94)、は疎開先の台湾で学徒兵として動員され、戦後は小学校教員として平和主義の大切さを説いてきた宮城政三郎さん(94)、佐渡山照子さん(91)である。
90歳を超す老人たちが安保関連3文書を読み、内容を理解した上で新報に自分の意見を述べたのか。彼らは安保関連3文書を本当に理解したのか。考えられない。
「人殺しのために税金を使うなんて許せない。(そもそも)戦をしなければいいわけよ」「弾の雨あられの中をどれだけの人が死んでいったか。訓練をしても全く意味がない。命を大切にしてほしい」戦争を前提に軍備強化することに納得できない。日本は二度と戦争を起こしてはいけない」・・老人たちは反戦平和を主張するだけ。
沖縄体験の老人たちも安保関連3文書に反対していると県民に信じさせるための新報の演出としか思えない。
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台湾を見捨てる沖縄に内なる民主主義はない

台湾を見捨てる沖縄に内なる民主主義はない

 沖縄にミサイル基地を建設すれば台湾有事になった時に沖縄が中国に攻撃されると考えているから、沖縄が戦場にならないために、ミサイル基地建設に反対しているのが沖縄である。ということは沖縄が攻撃されなければ台湾有事は起こってもいいと沖縄はおもっているということである。沖縄さえ平和であれば台湾が中国に侵攻されて、中国に支配されてもいいのだ。

台湾は民主主義国である。中国は共産党一党独裁国である。独裁国中国が民主主義国台湾を支配するための戦争が台湾有事である。沖縄は台湾有事には反対していない。台湾有事が沖縄に戦争をもたらすことに反対している。台湾有事の時に沖縄を戦争に巻き込む恐れがあるミサイル基地建設に反対している。

台湾の民主主義を守ることに関心がないことは沖縄に内なる民主主義がないからである。内なる民主主義があれば台湾の民主主義を守ることに強い関心を持ち、中国の台湾進攻に反対するはずである。内なる民主主義があれば台湾が中国に侵攻されないように日本は努力べきであると主張するだろう。残念ながら沖縄は主張しない。台湾有事が沖縄を戦場にしないことを望み、ミサイル建設に反対するだけである。
 
自民党議員は沖縄と違う。次々と台湾を訪問して台湾との関係を深める努力をしている。
内閣官房副長官や経済産業大臣など政府の要職を務めた経験を持つ世耕議員は。平素より台日関係の深化に力を尽くしている。世耕議員は、自民党の「安倍派」に属する国会議員を率いて台湾を訪問し、具体的行動をもって台湾支持の姿勢を示し、台湾と日本の友好関係が長い歴史を経てなお盤石であることをアピールしている。
台湾外交部は、
「台湾は自由、民主主義を守るという一貫した信念を掲げ、日本など近い理念を含む国々とこれからも連携し、普遍的な価値観を守っていきたいと考えている。今回の世耕議員の訪台は、台日間の実質的な友好と協力関係を深化させるものと強く信じている」
と世耕議員に述べた。
民主主義国である日本と台湾は連携し共闘する努力を積み重ねていくべきであり、自民党議員は積極的に台湾と交流している。
与党であり、日本の政治を担っている自民党は民主主義政党である。だから、民主主義国台湾と友好と協力を深める努力をしている。しかし、沖縄は違う。沖縄が戦争に巻き込まれることだけを嫌っている。沖縄戦で多くの民間人が犠牲になった。二度と沖縄で悲劇を起こさせないというのが沖縄である。沖縄は反戦平和主義である。沖縄にミサイル基地を建設すれば台湾有事の時に沖縄が攻撃される。だから、ミサイル基地建設に反対している。反戦平和主義沖縄にとって民主主義は関心がない。民主主義国台湾が独裁国中国に侵攻され支配されても沖縄が平和であればいいのだ。

沖縄は50年前に日本復帰して、日本の政治体制に組み込まれた。日本の憲法、法律が適用され沖縄は民主主義国家の地方自治体になった。沖縄が民主主義の戦いをして勝ち取ったのではなく外=日本から与えられた民主主義である。だから沖縄には内なる民主主義がない。沖縄の内にあるのは反戦平和である。それも沖縄だけの反戦平和である。
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