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へんな人たち

 へんな人たち

とにかく細々の暗記の天才が東京には多い
第二次世界大戦から六十年以上も過ぎたというのに
遥か昔のことなのに
まるで昨日の出来事のように
満州事変がどうのこうの
日中戦争がどうのこうの
真珠湾攻撃がどうのこうの
東京裁判がどうのこうの
とか
細かすぎるほどに暗記して
あれこれとしゃべる
そして
ああである
こうである
という
記憶にない所が取り出されて
ああである
こうである
と言われたら
なにしろ私は知らないことだから
ああでしょうね
こうでしょうね
と思うしかできない
つまりは
暗記力の弱い私はお手上げなのだ

お手上げではあるけれど

この人たちの正体はなんだろう

不思議な人たちのような感じだ
評論家とは実に不思議な存在だ
政治家であり外交官であり歴史学者である
その正体は
武士階級か
貴族階級か
ただ
庶民のにおいはしない
戦争中の話になると軍人になる
とにかく
庶民のにおいはしない

記憶力がよくて頭のいい人間たちは
六十年以上のことを詳しく記憶して
私なぞが知らない政治家や軍人の発言を引用して
論争するのだが
私にはさっぱり分からない。
満州事変
関東軍
蒋介石
毛沢東
共産党
東条英機
軍国主義
等々、高校でならったことのある人物や事件などは私でも分かる
しかし、
記憶のいい人たちは色々な人物の考えや行動を例に出して
論争する。
戦争の内実はこんなものであり、東京裁判の内実はこんなものであり
だから
どうのこうのであると
具体的に書けば読者にもっと理解させることができるが
なにぶん私の記憶力はそれほどよくないので彼らの論争を具体的には
書けない。

私が感じることは
東京は政治・経済・文化の中心地であり
東京の人はその自負が強く
戦争を語る時も
まるで戦争のリーダーであり、
リーダーの立場から過去の戦争を批判しり肯定したり
していることだ

日本が中国に侵略したというのは正確な評価ではないとか
信者湾攻撃は日本として仕方がなかったのだなどとか
ちゅうごく侵攻は蒋介石とか毛沢東とか誰それとかの謀略のためにやったのだとか

東京の頭のいい人たちの話はややこしくて
よくわからん

よくわからんと言えば
明治時代は
貴族国家なのか
武士国家なのか
よくわからない
天皇制国家なのだから貴族が支配している国家のようであるが
どうもそうではない
首相や大臣は武士で占められている
天皇が直接政治をしているのではないし
どうも貴族国家ではない
武士国家なのではないか
でも
国民は天皇の子であるなどと教育するし
教育を進めるのは武士政治家だし
本当に天皇星国家だったのか分からない
形は天皇制政治で
内容は武士政治ということが本当ところだろう
明治から始まったのは国民の下級武士化というわけだ
家父長制度
長が絶対的権力者であるのが武士のしきたり
徴兵制度
軍人とは武士のこと農民も漁民もみんな戦う武士にさせられた

降伏するよりも死を選ぶのが武士
玉砕もまた武士の思想
日本国民の最後の一人まで戦うというのが武士思想
日本玉砕を救ったのが昭和天皇だったのは有名な話だ
玉砕思想は武士の思想
天皇の思想ではなかったということ
戦争は武士の思想
滅びの美学
武士道は本土決戦をやり日本民族を滅亡させる思想だったわけだ

武士はどうも天皇の威厳を利用して政治をやる天邪鬼だったようだ

ああ、分かった
靖国で天皇と武士の意見が分かれたのだ
靖国は武士思想を露骨にしたものだから
天皇は反発したというわけだ

頭のいい人は
頭がいいばっかりにイメージ力も優れていて
戦争のリーダーの気持ちが理解できるのだろう
私は昔の人間の気持ちになろうにもそんな知識もないし
それに六十年以上も昔の人間の気持ちを理解するのが億劫である。

億劫だから
こう考える

私の親父は農民で
朝から晩まで鍬と鎌で畑仕事をしていたそうだ
満月の夜なぞは月明かりの下で夜遅くまで畑仕事をしていたそうだ
それが私の母の自慢話であった
四歳の娘がひとり

そんな父に赤紙が来た
それで南方の戦場に行ったというわけだ


お前は戦争に行くのとそのまま畑仕事をするのと
どちらを選ぶかと
聞いてみると

父は畑仕事をしたいと答えただろう。

とまあ私は考えるわけだ

そんなことは当たり前のことだ
つまらん考えだ
というかも知れないが

でもさ
戦争の様子を正確に伝え
国民ひとりひとりに戦争を続けるかどうか
を聞いたら
戦争をしていただろうかということだ

戦争に賛成する人も居ただろうが
戦争に反対する人も居ただろう

中国で商売したり儲けたい人は賛成しただろう
中国に行きたいと思わない人は反対しただろう
農民は兵隊になりたいとは思わない
大工だってそうだ
音楽
美術
商売人
とまあ、兵隊になりたくない人間の方が圧倒的に多い
人は
働いて、
家族団欒の生活を望むものさ

戦争を続けていくと戦死者は増えるわけだし
武器を作るために家のなべややかん徴収されるし
高校や大学に行っても
勉強をしたくても
兵隊にされたりや工場で働かされたり
生活は困窮していくのだから

戦争に反対する人が増えていくのは当たり前だ
報道が自由で戦況が正確に国民に知らされていたら
国民は戦争を止めていただろう

アメリカの国民にイラク戦争に反対する人が増え
民主党が上院下院とも勝った。

もし、戦前の日本が民主主義国家だったら
アメリカと同じことが早い時期に起こっていただろう。
いや
戦争は起こらなかったかも知れない

戦後六十年を振り返ると戦争をしないで
企業を育てた方が国は豊かになることを証明した

つまり
軍隊を強くして植民地を拡大することによって国が富む
富国強兵政策は国を貧しくする政策であるということだ

満州侵攻がどうのこうの
日中戦争がどうのこうの
真珠湾攻撃がどうのこうのという
論争論議は
もう
うざいということだ。

太平洋戦争で負けたが
そのおかげで
民主主義憲法が成立したのだから
太平洋戦争は民主主義革命だったということだ


帝国主義や軍国主義より民主主義がいいということだ
それでいいではないか

これからは
民主主義社会から民主社会へ絶え間なく変革していく
それでいいではないか


国家の品格と言い
武士道がいいと言い
新しい首相は

美しい日本

を 政治課題にしている。

戦争をやって植民地を増やすのが日本は富める考えは間違っていることを
日本の工業を発展させて貿易を拡大するほうが日本は富めるという戦後の日本の歴史が証明している。
だから日本の富国強兵は間違っていたのだ。
歴史が証明しているのだからこれ以上はっきりしていることはない
「『戦犯と一般国民を分ける』という毛沢東的な言い方はおかしいが。」
いえいえちっともおかしくありません。
だから、「日本が加害者であると同時に被害者でもある。」という毛沢東の言葉はその通りなのです。
名言です。さすが毛沢東です。

「戦争を一般的に論じれば、どの国もそうなります。」とT氏はそれは当たり前という風に言ったが、
そうかなあ、
そうではないのかもなあ。
報道が自由で言論が自由で
外国の情報が正確に伝えられ
国のリーダーを国民が選び
その上で戦争をするのなら国民が選択した戦争なのだから国民が被害者であるとは言えないのじゃないかな。
でも、国民が選んだ政治家は軍部に殺され、国民の代表を殺した軍部が政治の実権を握った日本の政治は国民の意思を喪失した政治と言える。
戦争に反対すれば警察にリンチされ、
自由を主張すれば警察にリンチされ
共産主義者というだけで小説家が警察のリンチで殺され
「りんごの歌」は明るい唄であるという理由で発売禁止
国民の希望や意思は踏みにじられ

日本がアジアで戦争をすることができたのは国民を犠牲にしたからだと私は思う
単純な理屈だから
複雑な理屈に太刀打ちはできないが
でもこの単純な理屈の方が「真実」の芯だろう。

第一が日中戦争
第二が四十一年からの日米の戦い
第三が四十五年八月という戦争末期の対ソ連の戦いというか、一方的に受けた侵略です

え、満州は日本だったということか。
侵略したかどうか。

え、日本は朝鮮に侵略はしていないということなのか
満州には侵略していないということなのか

専門の世界は難しい。

戦争犯罪人と一般国民は分けることができるのが日本軍国主義国家なのでなかろうか。
小学生は教育者のおもちゃか

私は沖縄に六〇年近く住んでいる
大きい声では言えないが
私はアメリカ軍の沖縄駐留に賛成なのである
こんなことを堂々と言ったら、
「非国民。」
などと言われかねない。
だから内緒にしている。
アメリカさまさまなのだ
「売国奴」
と言われそうだ。
なにしろ沖縄の支配者は「本土従属ありき」なのだからね。
どうしてそうなのか分からないが
とにかく
「本土従属ありき」なのだ

ぷふふ

おっと笑ってはだめだ。
日本には武士思想と社会主義思想しかないのか

日本は民主主義国家なのに
日本には武士思想と社会主義思想しかない
と私が言ったら
多くの人が苦笑するだろうな

おいおい
民主主義は難しい思想じゃない
だれもかれもが民主主義は理解している
日本は国会議員も地方議員も選挙で選ばれているし国民は
選挙に参加しているよ

うん、そうだね。
と私はうなずく
その後に首を傾げる

でも、
国会には武士道意識の強い議員が多い
で世の中は
品格が流行している。

まあ、それはそれでいいのかも知れない。
なにがいいのかも知れないのかは言えないか。

司馬遼太郎大先生も
武士が政治をするものだと考えていた
武士幻想が日本には根強い

高杉晋作の騎兵隊は平民の軍隊で
江戸幕府の武士軍団をやっつけた
現実はそんなものだ
武士だから戦争に強いとか
意思力が強いとか
ていうのは幻想だ
武士も人間
平民も人間
才能に差はないということだ

民主主義社会なのだよ
なぜ
武士道なのだ
変だよ

武士はそんなに立派だったのか
違うだろう
政治は武士しかできなかっただけのことだ
武士が知に優れていたわけではない
武士が武の才能があったわけではない
武を身に付ける権利が武士だけにあったというわけだ
当たり前の話だが
でも
武の才能は武士だけにあったと錯覚している人々は以外に多い

武士も平民も
生まれた時は同じ才能であったと
いうわけだ
それだけのこと

大発見

戦後六十年で大発見したと言えば
民主国家と民主国家は戦争しないということだ

こいつは歴史的大発見だ

民主国家と民主国家は戦争しないなんて馬鹿なこと言うな

君は言うかも知れない。
民主国家でも性悪な大統領なら戦争をしてしまう

君は言うかも知れない。

ところがそれは間違いだ。

イギリスとアメリカが戦争するだろうか
フランスとイギリスが戦争をするだろうか

しないね
断言できる


武士と天皇の対立
明治になり
天皇制になったのだが
よく考えてみると変な感じだ
天皇はいわゆる皇族なのであり
でも江戸幕府を倒したのは長州藩や薩摩藩などの武士階級なのであり
明治政府を作ったのは武士である
武士政権から
武士政権になっのであり
皇族政権になったわけではない
なぜ
最高権力者は天皇なのか
武士ではないのか
変である
天皇が最高権力者であるのなら
天皇を支える内閣は皇族で構成されるはずなのに
藩閥で占められている
おかしいではないか
本当に天皇が支配していたのか疑問である

昭和天皇は本当に
日本の国民が「天皇陛下ばんざい。」と言って天皇陛下のために死ぬのを望んだのだろうか。
国のために死ぬということは天皇陛下のために死ぬということらしいが
昭和天皇は自分のために国民は戦争をやり自分のために「ばんざい。」と叫んで死ぬのを当然と思っていたのだろうか。
武士の時代の前に
貴族の時代があり
貴族の長は天皇で
武士は天皇から政治権力を奪ったがその位は奪わなかった
つまり花より団子を選んだ

考えてみると
明治は外様藩が江戸幕府から権力を奪った
クーデターだった
いわゆる体制が変わったように見えるが
明治も武士が政治権力を握ったわけで
武士の政治が変化しただけだった
江戸幕府の鎖国政策を解いただけだ

貴族に玉砕の思想があるのだろうか

そう言えば
奈良時代
平安時代
戦国時代のように血で血を洗う戦争はなかった
長い平和な時代に
貴族は戦争のやり方さえ忘れていった

貴族時代には大陸を攻めることもなかった

国取り物語は武士の物語

軍国主義というのは武士が国を完全支配するというものなのだろうか

   真珠湾攻撃

トラトラトラ
真珠湾攻撃
中学生の私は世界地図でハワイを見ながら
日本軍がハワイの真珠湾攻撃をなぜやったのか
不思議だった。
アメリカ本国はハワイのはるか東だ
首都のワシントンDCやニューヨークは大きい北アメリカ大陸の
遥か東側にあるのだ。

アメリカに本気で勝つ気があったのだろうか

中学生の私は疑問に思った
中学生ですよ
ハワイを攻撃してハワイを占拠してもアメリカを征服するのは不可能だ
そう確信できる

アメリカと戦争するなんて
頭がおかしいとしか思えない
と子供の私は思った

変だよ
本当に変だよ
ハワイに奇襲をかけるのがやっとであるのに
アメリカに勝つには
アメリカ本国に上陸して
大陸を横断しなければならない。

あの時の日本の指導者は頭がおかしかったのではないだろうか

アメリカに勝つシュミレーションを子供ながらにやったが
妄想を平気でやる中学生の私でさえ
アメリカ征服のシュミレーションは無理だった




  国民が大企業を支配する

郵便貯金が三〇〇兆円もあるのにはびっくりだ
日本国民は金持ちじゃないか
三〇〇兆円で
大企業の株式を買い占めれば
大企業は国民のものになるじゃないか

下手な労働運動するより
労働者は預金しないで株を買ったほうがいい
株主というのは純粋なブルジョアジーで会社の所有者なのだ
経営者より偉いのだ
経営者を召使いにするのだ

天皇を崇拝はしないが尊敬する

笑い方まで要求されるのか
オランダで
はじけるような笑顔をしたら
日本の文化人はケチをつけた

笑いでさえ厳しくチェックされる
そこまでどうのこうのいう人たちは
すごく偉い人たちなのだろう

オランダで素直な心で笑っていいのでないか
自然にはじける笑いが出てきたのだから
それでいいのではないかと私は思う
日本でもあのようなはじけた笑いをしなければならないなどというが
そんなことは無理なことで
日本ではできないのならそれはそれでいいのではないか
日本では日本の支配者に要求される笑いを痛々しく精一杯やっているのだから
それでいいのではないか


皇族と国民の隔たりは次第に大きくなっているような気がする

平民の私は皇族に深い興味はない




オランダで幸せな顔をしたからケチをつけられた



オランダではカメラマンが皇女に「アイコ、アイコ。」と声をかけてもいいそうだ。
でも日本ではカメラマンが声をかけるのは禁止されているそうだ。

日本では平民が気安く声をかけてはいけない。
気楽に話してはいけない。
指定された人しか話してはいけない。


 透明で厚い壁

天皇は国民に手を振り日本国民の平安と世界平和を願うとマイクに話す
参列した人々は日の丸を振る
それに答えて天皇陛下は手を振る

それにしてもどうしてあんなに分厚いガラスが天皇と国民の間にはあるのだろう
けいからぬ人間のけしからぬ行為を防ぐためだと思うが
あんなぶあついガラスが必要なのだろうか

天皇と国民の間にある厚い透明な壁
透明な壁をしきりに厚くして
しきりに強くしている連中がいるように
私には思える。

 天皇を敬語で支配するものたち

天皇のことを話すときは水も漏らさぬ完璧な敬語で話す人
天皇のことも皇族のことも法のこともよく知っている
頭のいい人たち
でも
その内容は
天皇はこうでなくてはならないと事細かに話す



武士道精神か
物を生産する仕事はしないで
生きる武士の精神を
毎日働いている人々が持ということはへんな話だ

武士は人口の6パーセントだという
94パーセントは平民だ。

日本車がアメリカに進出してアメリカの自動車がうれなくなったので日本車を破壊したりして、日本車に反発した。
その時にアメリカの怒りを緩和するために日本の国は医療器具を大量に輸入するようになった。
日本車がアメリカで売れて日本の自動車企業は儲かったが
その代わりに
日本の医療は高くなった。
なにか
へんだよ。
あの時は仕方がなかった
と国は言うから国は
仕方がなかったかも知れないが
国民が本当に仕方がなかったのかどうかは
わからない。



  国ってなんだろう

国ってなんだろう
分かるようで分からない
国民というと
国の民ということになるが
国の民というと
国に尽くす民ということになるのか

戦前は天皇陛下のために死ぬというのが国民の義務であったらしい
靖国で会おうと言って戦争で死んでいったらしい
靖国というのは
国のために戦って死んでいった者たちを讃える神社らしい
天皇陛下バンザイと死に
靖国に入ったけれど
その天皇が靖国に行かなくなった
行かなくなったことには深い理由があるだろう

はっきりしていることは
靖国は天皇と同じではないことだ

でも天皇陛下ばんざいと言って死んだものたちは
天皇と靖国は同じ存在だっただろう

多分
靖国は武士の思想がいっぱい詰まっているのだろう
天皇は皇族で
武士ではないのだから
武士の思想である靖国になにかひっかかりができたのだろう

武士と皇族の
思想のずれ
それが
今の靖国かも知れない



日本の政治というと
憲法はアメリカのGHQが作ったもので
アメリカか望んだ民主主義憲法ということで

でも日本は軍国主義だったし
自由民権運動家は弾圧されて
民主主義思想が熾烈な弾圧によって骨抜きにされたその絶頂期に
日本が戦争に負けて
日本国憲法ができた
だから
形式は民主主義になったのに
日本のリーダーは軍国主義と社会主義と共産主義しか残っていなかった
だから
どうやら
日本の民主主義思想家は脆弱のようだ

日本には民主主義思想家は居ない
と言いたくなるほどである




共同幻想論

マルクスのドイツイデオロギーかなにかの書物で
「国家とは共同体的幻想である。」
と書かれているのを読んだ時
そうかそうなんだ
国家とは共同体的幻想なんだと私は思い
納得した。
すると吉本隆明が
共同幻想論という本を出した
若い私はとても期待してその本を買って読んだ
マルクスの「国家とは共同体的幻想である。」を解明する本だと信じていた
吉本隆明の共同幻想論は
個人幻想
対幻想
家族幻想
から共同幻想へと理論は展開されていった

あれ変だぞと私は思った
変だと思ったついでに
こりゃ駄目だと思った

そう、

個人幻想
対幻想
家族幻想
なんてありはしない
共同幻想
なんてありはしない
マルクスは
共同体的幻想といったのであって
共同幻想とは言っていない

共同幻想は存在しない
ありもしないのをあるように
思い込んでいた吉本隆明は
まあ、
愚かであったということだ
すべてが
虚しい理屈
だったというわけだ



平和主義

私は平和主義が好きになれない

イランに核兵器を所有させてもいいじゃないか

ハマスは民に指示されたのだから

ハマスは民に指示されたのだから
パレスチナの代表である
ハマスが代表になったからパレスチナへの援助を打ち切るのは変である
民主的な選挙で選ばれたということは人民の意志が反映されているということであり
人民というのは根本的に平和主義なのだ
ハマスは人民に責任を持たなければならない
だからハマスも人民の望む政治をやらざるを得ない

パレスチナに経済援助を打ち切ったアメリカやEUは愚かだ

ハマスを選択するなら経済援助はしないという脅しは愚かだ



もうひとつの核の抑止力

核には戦争の抑止力があるという
なるほど
核を持っていれば他国から攻められないということか
他国から攻めれば
その国に核爆弾をお見舞いするというわけだ
それじゃあ
他国は核を保有している国を攻めるわけにはいかない


どうもうそ臭い





 町田の死

沖縄の学生運動で初めての犠牲者が町田なのだが
もう
色褪せた問題かも知れない
町田が殺される数時間前に
首里城跡に造られた琉球大学のキャンパスで
私は町田と話していた

私は国文学科の学生で
町田は電気科の学生だから知り合いになる環境ではなかったが
大学二年の時
彼は演劇部にやってきた
演劇が好きでもないし経験もないが
ジャン・ジュネの黒ん坊たちという戯曲を上演することになり
しかし、役者不足のために中里貞夫が無理やり入部させたのだ


町田は将軍の役でセリフは少ないが
「女郎屋へ。くそ女郎屋へ。」
意味不明なセリフでそれがまた町田は意味不明な表情で口に泡を飛ばして叫ぶものだから
仲間はみんな笑った。
でも町田はくそ真面目な奴で真剣にセリフを吐いただけだから
笑わなかった
なぜ皆が笑うのかも理解していなかった

町田を連れてきた仲里は変な奴で
演劇部であるのに
方言を使い
共通語はまるっきし駄目で
照明係り専門に徹していた

ジュネの黒ん坊たちはあっけなく頓挫し
毎夜酒飲み会が続き
町田は何時の間にか来なくなっていた
だから私が学生運動に首を突っ込まなければ
町田を顔を会わすこともなかっただろう
実際デモや会合や学生自治会で顔を会わすことはあったが
親しく話すことはなかった


「みんな元気か。」
と町田は聞き
「ああ、元気だ。」
と私は答える。
それだけの挨拶程度の会話だった

三年生になった時
私は国文学科の委員長になり
町田は電気学科の委員長になっていた
私は町田が学科委員長になっていることに驚いたが
町田も私が学科委員長になったことを以外に思ったかも知れない
まじめで従順なので先輩に望まれて断わることができなかったのだろう
私もしつこい先輩がいて
なんども断ったが私が出ないと政敵に委員長の座を奪われてしまうという脅しに負けて
委員長に立候補した
町田もそんなところだろう

一九七一年と言えば私は琉大に入って五年目である
多くの同期生は社会人になっている

私は松尾で家庭教師の仕事を早めに切り上げて与儀公園の県民大会に参加した
いつものように琉大の学生集団は大会の進行を無視してマイクをがなり立ててスクラムを組んでジグザグデモをやった
私はデモをするだけだろうと思っていたら壇上の上り日の丸と星条旗を焼いた
その演出があるとは知らなかったが
労働者の一団が襲ってきて学生は蹴散らされた。
私も逃げたが雨降りの後で土が粘土状になっている場所で逃げる途中で革靴が取れてしまった。
デモが終わればさっさと部屋に帰るようにしていた私だが
買ったばかりの革靴であり私は自治会の女性に私の革靴を探してくれるように頼んだ
ので彼女が帰るまで
自治会事務所の近くのキャンパスで待っていた。

闇の中で木にもたれながら時間を潰していた私のところに
黒い影が近づいてきた
「又吉。」
と私の名を呼んだ。それが町田だった。
町田は私に
家族闘争をやったかを聞き
私は家族闘争なんてできるはずがない
ばからしい
などと答えた

町田は「そうか。」と言い、
私は黙った

町田は私の家族のことを聞き
自分の家族のことを話した

私は家族のことを話し
私たちの考えを話しても理解するのは不可能であると断言した
そして
だから話さないと言った
町田は
「そうか。」
と言い、黙った。

フランスの学生は夏休みに家に帰ると
学生運動のことを家族に話し討論をし
家族に理解させる
だから
お前たちもやれと
家族闘争を運動のひとつにした

ここはフランスじゃない沖縄だ
民主主義さへ知らない親たちにアメリカ帝国主義やらベトナム戦争が社会主義とアメリカ帝国主義の覇権争いであるとか
祖国復帰運動とも平和運動とも違う自分たちの運動が理解できるはずがない
そもそも反帝国主義反スターリン主義を自分が本当に理解しているかどうかあやふやであるし、反帝国主義反スターリン主義が正論てあるかどうかを完全に信じることはできない
沖縄を民主主義社会にするのだという思想なら親にも話せるが星条旗と日の丸をやいたことを説明することはできない
私にはそんな思いがあったし
学生運動から離れて四年間も上演していない演劇に打ち込みたい気分だったから
私は町田を突き放していた

インターネットで検索すると
革マル派学生町田宗秀が琉大男子寮で殺される
とあるが
家族闘争さえできない柔な若者が
まるでゴチゴチの学生運動家として記載されることに
私は苦笑する

二人の居るところに私の革靴を探しに行った女が来て
私の革靴はなかったと知らされた
私はそうかと言い、立ち上がって帰ろうとすると
町田は
「又吉は男子寮に行くのか。」
と聞いた。私が「いや、違う。」と言うと、
町田は残念そうな顔をしていた
町田は私ともっと話しかったのだろう
個人的に話す相手は町田には居なかったのかもしれない
しかし、
私は個人的な話でも政治に繋がるような話はやりたくなかったから
「じゃな。」
と言って町田と別れた


私は部屋に帰り
私がくつろいでいる時に
町田は殺されていた

シャワーを浴びるために男子寮に行くと
異様な雰囲気で男子寮いるのはまずいはずの学生が数人玄関に居たので
私は裏口から入った
男子寮が襲われたことを知り
それから
朝まで
自治会室に居て
町田が死んだことや怪我の状況などを知らされた

町田の死に
私に涙の悲しみはなかった
町田を殺した組織への憎しみも怒りもなかった
家族闘争さえできない
大衆運動と革命論の中途半端な心の青年が
殺されるに値しない脆弱な若者が殺されたことへの虚しさが
私に残った
交通事故よりも
不自然な死のように感じた

町田が生きていたらどんな生活をしていただろう
多分県庁か電力会社の部長になって
普通の生活をしていただろう

伊平屋島には
食用カエルが田んぼにわんさか居るという
野生の山羊も居て捕まえるは自由だという
伊平屋島出身のシゲがそういうので
演劇部の夏の合宿を伊平屋島に決めた

しげ
けん
なえ
町田
高安
あっちゃん
みっちゃん

ところが稲刈り時期の田は水が抜かれ
乾いた田に食用カエルは一匹もいなかった
野生の山羊も村の許可なしには捕獲してはならないという掟があった
寝る場所は小学校の教室
机を並べ、その上に寝た
へびが入り込み大騒ぎ

しげは口八丁の男で
ジュネやバタイユが好きで
支離滅裂な話を平気でやる男だった

それでもどこかに責任感もある男でまるっきりのうそつきでもなかった
食用カエルは田には居なかったが
小学校の校長室の裏の池には居た
男四人が池に居る食用カエルを追っかけて二匹捕まえた

しげは掟を全然気にしない男だったから
町田を連れて山羊狩りにでかけた
町田は従順な男でしげのような男の言うことも素直に聞いたから
多分しげは町田を連れて行ったのだろう
無口であるから頑固な人間の印象があるが
素直で従順な性格だった
夜に
首を切り落とした子山羊を自転車の前に括り付けて
帰ってきた
女は悲鳴を上げ、食べることができなかったが
私たちはバーベキューにして食べた


沖縄に革命が起こり
革命兵士として敵に殺される死は価値ある死である
それ以外は
価値のない死だ
だから町田の死は価値のない死である
アメリカの強大な軍事基地が存在する沖縄で武力闘争なんてできない
大衆運動から革命へと転換させるのは不可能だ


自殺

いじめに会い自殺してしまう生徒が政治問題にされたものだから
色んな政治家や評論家が
自殺について語っている

こうすればいいとか
ああすればいいとか
色々論ずるが
いじめの問題は複雑というか色々なパターンがあるというかかなり難しい問題で
あるひとつの論理が解決への道となることはない



    美しい日本

美しい日本か
富士山は美しい
四万十川もまたうつくしい
国家の品格を書いた人は
日本の美しい田園はなくしてはならないという
美しい日本を思い浮かべてみると
美しい日本の情景には人間がいないのに気づいた
美しい田園には
ぼろ着を着た農民は似合わない
田園をつくる農民は排除して
美しい田園

貧しい農民のおんぼろな家や
年老いた農民が
田植えする姿や
稲刈りをする姿や
哀れな姿は排除して写真を撮る
ほら
美しい田園だ

貧しさも
不満を言わなければ美しい


東京にいけなかった私

東京には国会がある
政治家のトップクラスが集まるところだ
頭の優れた人は地方にも居て
でも地方でトップの政治家は国会議員となって東京に行く
だから全国から頭のいい政治家は東京に集まる

東京大学も東京にある。
東京大学だから東京にあるのは当たり前だから
東京大学も東京にあるというのは変な言い方だが
まあ東京大学も東京にあるである。
頭のいい学生が東京大学に入学する
東京には
早稲田大学とか慶応大学とか
とにかくトップクラスの大学が多くて頭のいい学生は
東京に集まる

大企業も東京に集まっているし
テレビ局や色々なサービス企業も東京に集まっている

頭のいい人や出世志向の強い人々は東京に集まる

そんなところが東京で
「朝は壊れやすいガラスだから
東京へ行くな」
と言った詩人も東京に行くのだから
東京はすごいところである。

私が東京に行かなかったのは
私は頭がよくないし
出世はしたいが出世する努力はしたくなかったから
東京にはいかなかったというわけだ

東京に行けない理由がもうひとつある。
東京は身の毛がよだつほど怖いところであるからだ

東京はテレビで放映されるが
東京のテレビは隠していることがある
東京はいたるところにカラスがいるが
あまり写さない

カラスは死肉を食らう

東京の至る所にカラスが居るということは
東京にはいたるところに死体が転がっているのだろう
カラスが死肉を食らうのは東京の不名誉だから
テレビ局は写さないようにしているのだろう

ガーガーと早朝から東京のカラスは鳴く
東京は恐ろしい
「朝は壊れやすいガラスだから」くらいの東京なら東京に行けるかも知れないが
朝っぱらから
死肉を食らうカラスが
ガーガーと
鳴く東京は恐ろしくて恐ろしくて行けない。
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世界 民主主義の戦い

世界 民主主義の戦い


ロシア

ロシアは、大統領、国会議員は国民の選挙で選ぶ。議会は国家院と連邦院の二院からなる議院内閣制である。プーチン大統領は国民が選んだ。しかし、プーチン大統領は独裁者である。国民の選挙で選ばれているにも関わらず独裁者なのである。
プーチン大統領は対立する候補を暗殺したり、刑務所に送り、対抗馬を排除していった。プーチン大統領が確
実に選出されるようにしたのである。ロシアは議会制民
主主義の形態ではあるが実態はプーチン独裁国家である。議会はプーチンの要求する法律を制定するプーチン独裁下請け機関である。
ウクライナ戦争はウクライナの民主主義を守る戦いであるととともにプーチン独裁を倒す戦いでもある。ロシア軍が敗北すればプーチンの権威は失墜する。ロシアの報道規制が崩れて自由になり、ロシア軍がウクライナでやった残虐な行為をロシア国民は知ることになる。プーチン独裁が崩壊するだろう。

タイ

 タイは立憲君主制である。1932年6月24日にタイ王国(シャム王国)で勃発した立憲革命は、タイを絶対君主制から立憲君主制へと移行させた。 革命は、主に平民出身で構成された文民と軍人の官僚により組織された人民党によって行われた。文民と軍部の対立が激しくなっていき、政権維持に不利になると軍部はクーデターを起こして文民勢力を弾圧した。。
 2006年タイ王国軍の反タクシン首相派の将校が下士官・兵士を率いて、タクシン政権を倒した。タクシン氏を国外追放した。
 2014年の軍事クーデター。2011年の総選挙でタイ貢献党が勝利し、第31代首相のタクシン・チナワットの妹であるインラック・シナワトラが第36代首相に就任したが軍部の圧力で失職した。2014年に行われた総選挙は反政府派(軍部関係集団)による妨害で一部選挙区では投票が行えず、選挙が無効になった。軍部による政権が続いた。
首都バンコクの知事選が今月22日に投開票された。当選したのは2014年5月の軍事クーデターで政権を追われたインラック内閣の元運輸相チャチャート氏(55)。2位に入ったスチャチャウィー氏(民主党)以下に100万票以上の大差をつけた圧勝だった。
選挙によって民主派が勢力を拡大しているタイである。

ミャンマー

 2020年の総選挙でスーチー氏の国民民主連盟が圧勝した。民主派の圧勝に危機を抱いた軍部はクーデターを起こし、スーチー氏や幹部を拘束して権力を奪った。軍部が支配するミャンマーである。
 軍部政権打倒で立ち上がった挙国一致政府は、各地に散らばる民主派武装勢力「国民防衛隊(PDF)」などによる武装闘争「防衛戦」の開始を2021年9月7日に宣言。国軍に長年抵抗する少数民族武装勢力も取り込み、武力によって軍政打倒を図ろうとしている。
民主主義の戦いはイラン、アフガンても始まった

アフガニスタン

 駐留20年がたった2021年に米軍はアフガンから撤退した。米国が築いた議会制民主主義はあっけなく崩れた。タリバンとの戦争では簡単に敗北し、大統領は国外逃亡した。
 タリバンが政権を握ったアフガンはイスラム教政権になった。そのまま安定したタリバン政権が続くだろうと思っていた。
タリバンが実権を掌握して以来、アフガン女性は公共の場から締め出された。全国の公立と私立の大学で女子教育を停止した。女性公務員はほとんどが失職した。
 女性は男性の親族同伴でなければ旅行できず、外出時には全身を覆わなければならなくなった。公園や遊園地、スポーツジム、公衆浴場に入ることも禁じられた。女子教育を行う学校も大半が閉鎖された。

タリバン政府の女性差別に対して女性たちは立ち上がった。アフガニスタンの首都カブールで、国連(UN)の「女性に対する暴力撤廃の国際デーを前に、十数人の女性が短時間の抗議デモを行った。参加した女性の多くはサングラスを掛け、頭髪を覆い、医療用マスクで顔を隠していた。うち1人が手にしたプラカードには、「私たちは最後まで権利のために闘い、決して降伏しない」とダリー語で書かれていた。
 首都のカブール大学の近くで女性約50人が「教育は我々の権利だ。大学は開かれるべき」と訴え、抗議デモを行った。東部ジャララバードでも、大学の前で女性と男性の参加者がともにプラカードを掲げ抗議した。

女子に教育をしている団体もある。「地下学校」である。
 タリバンによる政権奪取以降、アフガニスタン国内でも市民たちによる抵抗が広がっている。その一つの形が学校に通えない少女たちがひそかに勉強を教わる「地下学校」である。「地下学校」には二つの種類がある。一つは個人の自宅などでひっそりと少人数を集めて勉強を教えるものである。存在自体が秘密にされている。もう一つが「地下学校」である。「地下学校」は、タリバン政権の教育省から「専門学校」の認可を得ている。表向きは女性が編み物や刺繍、コーランなどを学ぶ学校ということになっている。それは「隠れ蓑」で、女子が学ぶことを禁止されている英語や数学、物理、歴史など中等教育の教科も教えている。
地下学校の修了式の様子
 市内の住宅街の一画、1階が商店、2階以上がアパートの小さなビルの地下に、日本の学校のクラス二つ分ほどの広さのホールがあり、風船で飾り付けられたステージが作られていた。ヒジャブと長衣をまとった少女たちが次々に入ってきてホールは満杯になった。その数100人以上。これほどの数の生徒たちが集まった「地下学校」の映像はメディアでも見たことがない。この「学校」は6カ月が1学期で、きょう行われるのは学期末の修了式だという。
 式典で生徒一人ひとりに修了証を手渡すのは40歳代の女性の校長先生。記念撮影をしたあとは、大きな書物の形をしたケーキにナイフを入れ、校長が生徒たちの口に小さく切ったケーキを放り込んで、厳かななかに笑い声がもれる楽しい会となった。修了生を代表して一人の女子生徒が英語でスピーチを行った。テーマは「女性について」。
「コーランによれば、女性は男性と同じく社会の重要な役割を果たすべきである。また、知識を求めることはすべてのムスリムの義務である。私たちはタリバンに女子の学校を開くよう、女子が科学を勉強することを禁じることをやめるよう要求する」
 慣れない英語でたどたどしく、しかし堂々と仲間に語りかける。あどけなさの残る女子であるが自立の精神をしっかりと持っている。自立心旺盛な女性をアフガン社会は生み出している。

 校長はこの「地下学校」を去年10月、たった一人で立ち上げた。学校の教員だった彼女は、女性に差別的なタリバンの施策を見て辞職。「学校に行けなくなったと絶望して泣く少女たちを見て、いてもたってもいられなくなりました。他人事ではありません。私にももう少しで中等教育の年齢になる女の子がいるのです」という。またタリバンが再び権力を奪ったときに国を出た友人もいたが、「みんなが逃げたら、誰がこの国の女性たちのために立ち上がるのでしょう。私は残って闘うことに決めました」と悲壮な決意を語った。

イラン


2022年9月13日、アミニはイランの首都テヘランの駅で、風紀警察に逮捕された。その理由は、ヒジャブの着用方法が不適切だったことと、タイトなズボンを着用していたことであった。アミニはバンに乗せられ、警察署に連行された。連行後、暴行でアミニは意識を失い、カスラ病院に救急車で搬送された。そして16日、死亡が確認された。
アミニの死への抗議活動が勃発した。
北西部のクルディスタン州で追悼式が行われた後、人々は通りに出て、詳細な調査を求めるスローガンを叫び始めた。その後、抗議者たちは知事室の前に集まり、警察は催涙ガスを発射して群衆を解散させた。
警察の厳しい弾圧にも関わらず抗議は拡大していった。抗議はアミニの死への抗議にとどまらず女性の自由への戦いだったのだ。
デモ参加者たちは抗議活動のなかで叫んでいる「女性、命、自由」のスローガンを記した横断幕などを掲げていた。デモは女性差別への抗議になっていた。女性たちが自由を求めて立ち上がったのである。
デモは全国に広がっていった。イラン政府の弾圧は厳しくこれまでに18歳未満の子ども64人を含む少なくとも476人が死亡した。
 有名人やスポーツ選手も「女性、生命、自由」運動を支持している。米アカデミー賞の外国語映画賞を受賞したアリドゥスティ氏はスカーフを被っていない自分の写真をソーシャルメディアに投稿し、反政府抗議の参加者が処刑されたことを非難した。彼女は逮捕された。

 イランとアフガンで女性の自由を求める戦いが始まった。長く困難な戦いになると思う。しかし、弾圧に負けて消滅することはない。弾圧を跳ね除けて勝利すると思う。

世界 民主主義の戦い ウクライナ

 1991年ソ連が崩壊したことでウクライナは独立した。独立したウクライナはロシア派と西欧NATO派に分かれたが、ロシア派が優勢であり、ロシア派の大統領が政権を握った。

ウクライナは2013年に欧州連合との政治・貿易協定の仮調印を済ませていたが、親露派であるヤヌコーヴィチ大統領はロシアからの圧力もあり調印を見送った。これに対しEU寄りの野党勢力から強い反発が起こり、ウクライナ国内は大規模な反政府デモが発生した。ヤヌコーヴィチ大統領から出動を命じられたベルクトは群衆を攻撃するなど騒乱状態に陥った(2014年ウクライナ騒乱)。事態収拾のため2014年2月21日には挙国一致内閣の樹立や大統領選挙繰り上げなどの譲歩を示したがデモ隊の動きを止めることはできず、ヤヌコーヴィチ大統領は22日に首都キエフを脱出した。ウクライナ議会は同日ヤヌコーヴィチの大統領解任を決議し、5月25日に大統領選挙を行うことを決定した。ヤヌコーヴィチはロシアに亡命した。しかし、新しい大統領になってもウクライナの腐敗政治は改善することがなかった。

2019年にゼレンスキー氏が大統領になる。
「チョコレート王であり、ガラス王であり、造船王でもあるポロシェンコ大統領は、私腹を肥やすばかりで国民のための政治をやろうとしない。民衆の声を反映する政治を実現するべきだ」
ゼレンスキーは本気でそう思ったからこそ、大統領選挙に出馬した。
ポロシェンコ政権が存続する限り、ウクライナの問題が何ひとつ解決しないことは明らかだった。平和と経済復興を願う民衆の望みによって、ゼレンスキー大統領は必然的に誕生したのだ。

ゼレンスキーとは、どういう人物なのだろう。
15年、ゼレンスキーはウクライナのドラマ「国民の僕」に出演して人気を博す。ゼレンスキーが扮する主人公は高校教師ゴロボロジコだった。

現職大統領の腐敗政治に憤慨する高校教師が「ウクライナの政治はおかしい」と言っているうちに、大統領選挙に立候補するはめになり当選する。しかし、腐敗政治家と寡占資本家(オリガルヒ)の開票操作により当選無効とされたうえで、反体制派と見なされて投獄される。ドラマの腐敗した大統領は、明らかに15年当時のポロシェンコ(14~19年在任)を当てこすっている。

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沖縄革新の未来を象徴するキャンプ・シュワブの3つの写真

沖縄革新の未来を象徴するキャンプ・シュワブの3つの写真



電子書籍 350円
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辺野古埋め立てが始まる8年前の2015年に出版した「捻じ曲げられた辺野古真実」では日本には公有水面埋立法があり、辺野古埋め立てで辺野古の海が汚染されることはないことを説明した。



2017年に出版した「違法行為を繰り返す沖縄革新に未来はあるか」の最後に、
「自分勝手でやりたい放題のヘリパッド建設阻止運動は建設を阻止することはできなかったかわりに村民に迷惑をかけ、国民の税金を浪費させた。
ヘリパッドが完成したから、ヘリパッド建設阻止運動家たちは辺野古飛行場建設阻止運動に移った。
辺野古でも安波のヘリパッド建設と同じことが繰り返されるだけであるだろう。辺野古飛行場建設阻止運動は違法行為を繰り返し、取り締まる機動隊の経費に国や県の税金を使う。そして、阻止運動の効果はなく建設工事は順調に進む。議会制民主主義国家では国民に選ばれた政治家が法治主義に則って政治をする。法を破り身勝手な運動をする沖縄革新は今までしぼんできた。そしてこれからもしぼんでいくだけである。沖縄革新に未来はない。」と書いた。



沖縄革新に未来はないを象徴しているのがキャンプ・シュワブの看板の写真である。
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政府の方針は「学術会議つぶし」ではない「学術会議正常化」だ 歪んでいる学術会議

政府の方針は「学術会議つぶし」ではない「学術会議正常化」だ 歪んでいる学術会議

「安全保障関連法に反対する学者の会」が学術会議法を改定しようとしている政府の方針は「学術会議を政府の意向に追従する組織に改造するもの」だとして反対するおかしな声明を発表した。
元学術会議会長の広渡清吾・東京大名誉教授は、「民主主義に必要なのは多様性の尊重。ナチスのように社会を同質化させてはいけない。学術会議は戦争を反省し、独立してものをいう研究者の組織が必要だとしてつくられた。学術会議の独立性や自主性を守ることは日本の民主主義の根幹にかかわる」と述べた。
 日本は民主主義国家である。民主主義の本質は国民主権にある。学者の多様性の尊重はすでに保証されている。日本では多様性は尊重されナチスのように社会を同質化にはしない。今の日本がナチスのようになることは絶対にない。広瀬前会長は日本の民主主義を理解していないどころか侮辱している。戦後の民主主義の日本では学者の研究の自由、発言の自由は保障されている。
「安全保障関連法に反対する」学者たちが集まって団体を結成できたのは表現の自由を保障しているからだ。表現の自由のないロシア、イラン。アフガンであったら全員逮捕され刑務所に入れられていただろう。広渡元会長は「学術会議は戦争を反省し、独立してものをいう研究者の組織が必要だとしてつくられた」と述べている。でもそれは広渡元会長の意見である。内閣、国会の意見ではない。広渡元会長は学者である。国民に選ばれていない一学者でしかない。そんな広渡元会長が学術会議を定義づけする方が間違っている。広渡元会長の意見は一学者の個人的な意見である。
日本学術会議には年間10億円余りの国の予算が支出されている。学術会議の活動は国民の税金によって賄われている。学術会議には国民のために活動する義務がある。国民の代理が政府である。学術会議は政府の方針に従わなければならない。それが議会制民主主義である。

安全保障関連法に反対する学者の会は「学術会議は創設以来、平和と学問の自由を擁護し、軍事研究を否定してきた」と主張している。日本には日米安保があり、自衛隊が存在している。軍事研究を否定したということは日本の軍事を否定したことである。行政の側の学術会議が軍事研究を否定したことは日本の民主主義を否定したことになる。学問の自由も否定している。安保や軍事研究も自由にするのが学問の自由である。学術会議は軍事研究する学者を排除していった。学術会議には学問の自由はない。

岸田政権が昨年12月に閣議決定した安保⒊文書の「国家安全保障戦略」で政府と企業、学術界の連携強化を求めたことに対して学者の会は、政府の学術会議の改革の狙いは軍需産業振興のために科学技術を動員し、軍事研究の推進に適合する組織に改造することだと岸田政権を批判した。そのような改革は学術会議の独立性を損なう「学術会議つぶし」だとして、政府に撤回を求めた。

安保⒊文書は「国家安全保障を目指したものである。安全保障をより進展させるために岸田政権は政府と企業、学術界の連携の強化を求めたのである。多くの知恵を結集して、安全保障を強化していくのは政府として当然のことである。政府は学術会議に提案を求めたのであり学術会議潰しではない。学術会議潰しに見えるのは「安全保障関連法に反対する」「学者の会」であるからである。安全保障関連法に反対する」は学問の世界ではなく政治イデオロギーの世界である。イデオロギーが潰されるのではないかと恐れている。
安全保障関連法を分析し、内容や性質を解明するのは学者の仕事である。しかし、賛成するか反対するかは学問ではなくイデオロギーである。学者の会はイデオロギーで反対している。

学術会議の独立性や自主性を守ることが日本の民主主義の根幹ではない。民主主義の根幹は国民主権である。代議制、国会、内閣、司法の三権分立が民主主義の根拠である。
学術会議は政権運営する政府への政策提言、科学の啓発活動を行う機関である。
独立性、自主性を守るのが学術会議であると主張しいるのが「安全保障関連法に反対する学者の会」である。しかし、安全保障関連法に反対するということは国会で定めた法律に反対するということである。学者の会は国会の法律に反対する政治集団である。学問ではなくイデオルギー集団である。国会の決めたことに反対するのだから学者会議は非民主主義である。

日本は表現は自由だから国会で決めた法律に反対する学者集団が存在してもいい。しかし、学術会議は違う。学術会議は政府への提言機関である。政府は行政を司る機関である。国会で決めた法律を遵守しなければならないのが政府である。国会に違反する政府であれば司法によって解散させられる。それが三権分立だ。
学術会議は国会が定めた安全保障関連法に反対することはできない。行政に属する団体であるからだ。政府から独立していても国会が制定した法律からは独立していない。
学術会議が政府から独立しているというのは学術会議が行政機関ではないからである。学術会議は政府への政策の内容に関して提案する機関であり行政機関ではない。だから、学術会議は政府に対して自由である。その自由は行政ではなく、意見が政府に束縛されないで自由であるということである。学術会議の自由は提案の自由である。学術会議は自由にテーマを決めて研究することはできない。政府の行政に限った問題に限られる。だから、学者としての自由は学術会議にはない。そして、国会が定めた法律に反する目的の研究はできない。学術会議は国会が定めた法律からは自由ではない。

学術会議の意見が政府と違っていてもいい。政府が学術会議の意見を採用するか否かは政府が判断する。政府は学術会議に対して自由である。学術会議は政府から与えられた課題を自由に研究する。研究した結果を自由に政府に提案する。それが学術会議である。
岸田政権が政府と企業、学術界の連携強化を求めたのは軍需産業振興のために科学技術を動員し、軍事研究の推進に適合する学術会議に改造することだと学者会議は決めつけ、連兼強化は学術会議の独立性を損なう「学術会議つぶし」であると批判し、政府に連携強化の撤回を求めた。
学術会議の自由な提言を封じるなら学術会議潰しである。しかし、政府は学術会議の口封じはしない。自由に発言させる。だから、学術会議潰しはしない。学者会議のいう学術会議潰しとは学術会議に安保⒊文書の「国家安全保障戦略」を研究させることてある。「国家安全保障戦略」を研究させることは学術会議の独立性や自主性を守ることができない。日本の民主主義の根幹にかかわる問題であるというのである。政府の一機関であるにすぎない学術会議に民主主義の根幹云々というのはおかしい。日本社会から見れば学術会議は政府の一機関の小さな存在である。民主主義の根幹なんて問題にできる団体ではない。むしろ、国民の税金を使っている学術会議が政府の機関としてちゃんと機能しているか否かが問題になる。学術会議と民主主義はかけ離れた問題である。

「安全保障関連法に反対する」イデオロギーの学者会議が学術会議の民主主義を主張するのはおかしい。学者会議は表現の自由によって安全保障関連法に反対して結成した。学者会議内では安全保障関連法に賛成することは許されない。賛成する学者は排除される。表現の自由がない学者会議は民主主義ではない。結社なのだから当然である。

学術会議は戦争を反省し、独立してものをいう研究者の組織が必要だとしてつくられたといっても、民主主義の三権分立のルールを破る権利はない。学術会議は行政の政府に属している。だから、行政法を守らなくてはならない。やりたい放題できる自由は学術会議にはない。それなのにあると間違った主張をしているのが学者会議である。
学術会議は民主的に選ばれた学者の集まりではない。選挙はなく、学術会議の現会員が次期会員候補者を推薦する仕組みになっている。そのために次第に左翼系の学者が増え、左翼系学者が支配するようになったのが現在の学術会議である。


政府の日本学術会議に関する改革案が5日、判明した。国の機関として存続させ、会員の選考方法を含めた活動・運営の透明性向上を図ることが柱だ。政府は、与党や同会議の意見も踏まえて改革案を決定し、2023年度末までに日本学術会議法の改正案を国会提出する方向だ。

改革案では、同会議の位置づけについて「政府と問題意識や時間軸を共有し、中長期的な課題に関する科学的助言を行う」として、これまで通り国の機関とすると結論付けた。

日本学術会議
活動や運営については、「徹底した透明化・ガバナンス機能の抜本強化を図る」と掲げた。「科学技術立国」の実現や、日本の国際競争力の向上には、政府と日本学術会議が連携を深めることが「不可欠」と強調した。

会員の選考・任命のあり方に関しては、幅広い人材の起用につながる選考方針を策定させ、選考過程の透明性向上につなげることを盛り込んだ。新たな学問分野からの積極的な登用や、性別や年齢などのバランスを取ることに努める必要性も記した。会員には、専門分野の深い学識にとどまらず「分野横断的な見識や対話能力が求められている」とも指摘した。

科学的助言機能の強化に向けては、中長期的な重点目標などをまとめた活動方針の策定を求めた。学術会議の活動を検証するため、第三者機関による評価・検証を行う必要性も明記した。改正法の施行から6年をめどに、組織や体制のあり方を再検証することも盛り込んだ。

 政府は5日午後、改革案を自民党のプロジェクトチーム(PT)に説明する。自民PTは、同会議を国から独立した組織とすることを求めており、異論が出る可能性がある。

同会議を巡っては、2020年に当時の菅首相が、会議が推薦した会員候補のうち6人の任命を拒否した。この問題を契機に、政府は21年5月から有識者会議などで組織のあり方を検討していた。

学術会議を左翼から中立に戻すべきである。
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キャンプ・シュワブ座り込み抗議「1日」の看板

キャンプ・シュワブ座り込み抗議「1日」の看板

 キャンプシュワブの看板が抗議日数を示した看板の4桁の数字のうち一部が何者かによって外され、「1日」になっていたという。


 見つけたのは近くに住む女性であるという。見つけたのは故語であるということは午前中は抗議者は一人も居なかったというこか。午後も女性が行くまでは一人も居なかったということだ。
 タイムスは女性が見つけた時間は午後5時過ぎであると書いてあった。午後4時ごろには、若い男性1人が看板の写真を撮っているのが目撃されている。はずされた三つの数字のプレートはテント内で見つかったらしい。
 新報は現場の写真を掲載しているがタイムスは2022年10月の看板の写真を掲載している。現場に行かなかったのだろう。
 座り込み者は一人も居ないようだ。居ないから、プレートを外されてしまう。

 座り込み運動は形骸化している。それを示すのが座り込み抗議1日の看板である。
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宮本亜門の弁舌「戦争を止めるために動いていきたい」に吐き気がする 

宮本亜門の弁舌「戦争を止めるために動いていきたい」に吐き気がする 

沖縄県が主催した「平和の尊さについて考える」のシンポジウムが11日、東京都渋谷区で開かれた。シンポジウムで演出家の宮本亜門氏が「戦争の足音が聞こえる今だから知ってほしいこと」と題して講演した。
 かつての琉球王国が外交でアジア諸国と平和的関係を築いた歴史を踏まえたことを根拠に、「礼節を持っていろいろな国をつなげていく。良い意味で自分たちの生き方をしたたかに考えることが必要」と語ったことに吐き気がする。
宮本氏は琉球王国が平和を築いた素晴らしい国であったと賞賛したのである。まるで琉球王国は平和で豊かな国だつたと宮本氏と述べたのである。豊かであったのは琉球王国を支配する王族であった。支配されていた農民はとても貧しかった。
子供の時から聞かされていた沖縄の格言がある。
〇命(ぬち)どぅ宝・・・命が一番宝である。
〇物(むぬ)喰うすどぅ我が主(すう)・・・生活手段をくれるのが私の御主人。
 この二つの格言をほとんどの大人は知っていた。格言は琉球王国時代の農民から生まれた格言である。
命(ぬち)どぅ宝は一番大事なことは生きていくことである。どんなに惨めなことがあっても耐えて生き抜くことが大事だという格言である。8歳で遊郭に売られていく少女が売られることに反対し親に泣きすがった時に、親は少女に、少女が遊郭に行かないと家族が極貧で死んでいかなければならない。家族が生きるためだといい、少女には生きていることが大事だからどんなに辛いことがあっても生き抜いてほしい説得したという。
沖縄の農民はとても貧しく、生きていくだけで精一杯だった。そんな状況から「命どぅ宝」の格言が生まれた。
現在は戦争反対の格言になっているが、それは1968年にB52が嘉手納飛行場で墜落爆発して反基地運動が盛んになった時に瀬長亀次郎が「命どぅ宝」を反戦の格言として利用したのが始まりだった。「命どぅ宝」はせんそうとは全然関係のない格言であったのを瀬永氏が戦争反対の格言にして、いまではそれが定着している。
瀬長氏が最初に命どぅ宝を反戦の格言てあるように演説した大会に私もいた。沖縄の歴史的な格言が政治運動に利用され、嘘の解釈が現在は定着している。

「沖縄に内ある民主主義はあるか」に琉球王国時代の身分構成を記述した。

琉球王国時代は富む士族と貧しき平民に分かれていた琉球処分を否定するかそれとも肯定するか、その判断をするためには琉球王国時代の社会を知る必要がある。

 琉球王国の身分構成

身分        戸数        割合
王子        2戸      0・002%
按司        26戸     0・032%
親方(総地頭)   38戸      0・047%
脇地頭親方・親雲上 296戸     0・367%
一般士族      20、759戸  25・79%
平民        9,326戸   73・71%

琉球王国の中でも財産があり、豊かであったのは、王子2戸(0・002%)、按司26戸(0・032%)、親方38戸(0・047%)、脇地頭親方296戸(0・367%)だけであり、事実上琉球を支配していたのは全戸数のわずか0・448%の戸数の士族であった。
士族の戸数は全戸数の26・29%を占めていたが、士族の98%を占める一般士族は王府勤めを待ち望む無禄士族であり、実際に王府に勤めていたのはごく一部であった。多くの一般士族は貧しい生活を送っていた。

琉球王国はわずか0・448%戸の士族が支配している独裁国家であった。わずかの人間たちだけが贅沢な生活をやり、平民は貧しい生活を強いられていた。琉球王国は一六〇九年に薩摩藩に支配されたので、毎年薩摩藩に多くの産物を献納しなければならなかった。

年貢   9000石
芭蕉布  3000反
琉球上布 6000反
琉球下布 10000反
むしろ  3800枚
牛皮   200枚

沖縄の農民は薩摩藩と琉球王府に二重に搾取されていたことになる。そのために琉球の農民の生活は苦しく、蓄えがほとんどなかったので干ばつに弱く、農民は干ばつになるとソテツを食べて命をしのいだ。それをソテツ地獄という。琉球王国の農民は餓死者が出るソテツ地獄に何度も襲われ、極貧の生活を送った。

これが琉球王国の実態である。首里城の豪華さは農民の貧困の裏返しであった。
        沖縄に内なる民主主義はあるか
 宮本氏は支配者琉球王の側から沖縄を見ている。だから、宮本氏にとっての昔の沖縄は平和で豊かなのである。支配者側に立っている宮本氏の弁舌は胸糞悪い。日本、沖縄には胸糞悪い連中が多い。

 国民が選んだ日米政府が沖縄の平和を守るために尽力してきたから戦後の沖縄が戦争になることは一度もなかった。これからもない。平和守るために日米政府だけでなくオーストラリア、イギリスなど民主主義国家が連帯している。宮本氏は「戦争を止めるために動いていきたい」と宣言したが、彼は何もできない。日本のわずかな人々の集会で弁舌するだけである。「戦争を止めるために動いていきたい」の自惚れ宣言は胸糞が悪い。
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中国は台湾・日本侵攻はできないことはっきりしている

中国は台湾・日本侵攻はできないことはっきりしている

中国は8日、台湾周辺で軍事演習を行った。台湾国防部は9日朝までの24時間に延べ57機の中国軍機の活動を確認した。
中国軍で台湾方面などを管轄する東部戦区の報道官は8日、「台湾周辺の海域と空域で実戦的な演習を行い、陸上への攻撃と海上での突撃などに重点を置いて、部隊の統合作戦能力を検証した」と発表しました。
中国軍は今回の発表で「外部勢力と『台湾独立』勢力が結託した挑発への断固とした反撃だ」と主張している。
今回中国が軍事演習を行った背景には、台湾と外交関係のない韓国やヨーロッパの国々の議員団が相次いで訪問していることに反発した可能性もある。

 中国の軍事演習について日本のマスメディアは「台湾有事への懸念」を報道している。2022年10月の共産党大会で、習近平国家主席が、台湾統一のためには武力行使も辞さないという姿勢を示したからである。。

中国は軍事演習をした。一方日米印は中国に対処するために次の行動をした。

 2023年1月16日から26日にかけて、インドの戦闘機4機(インド初の女性戦闘機パイロットも含む)と大型輸送機2機、空中給油機1機が、茨城県にある百里基地にきて、航空自衛隊と共同演習「ヴィーア・ガーディアン」を行う。日印で行われる初めての戦闘機の共同演習である。

菅前総理はきょう、ハノイにある首相府でベトナムのチン首相と会談しました。菅氏は昨年末に日本政府が安保3文書を改定したことを機にベトナムとの連携を強化していきたいと述べたうえで、日本からの防衛装備品の移転など協力の進展を呼びかけた。
一方、チン首相は、南シナ海での中国との領有権問題について日本側の理解と協力を求め、日本との安全保障面での協力を具体化していく考えを示した。

米政府は、沖縄県に駐留する米海兵隊を2025年度までに改編し、離島有事に即応する「海兵沿岸連隊(MLR)」を創設する方針を固め、日本政府に伝えた。強引な海洋進出を続ける中国への抑止力と対処力を高める狙いがある。
 MLRは有事の際、敵の勢力圏内にある最前線の島しょ部にとどまって戦うことが想定されている。具体的には、小規模なチームに分散して各離島へ展開し、敵からの攻撃をかわしながら相手の艦艇や航空機の進出を食い止め、制海権の確保を目指す。

 社会主義国家であるベトナムてあるのに中国とは対立し日本と協力し合うことを望んでいる。中国はインドなど周辺国との領土争いをしている。
台湾進攻すれば米国、NATO、日本だけでなくベトナムなどの周辺国も台湾支援するだろう。中国にとってハンディが大きい。
 中国は台湾にも日本にも侵攻しない。いやできない。できないことを中国は知っている。
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世界 民主主義の戦い ウクライナ

世界 民主主義の戦い ウクライナ

 1991年ソ連が崩壊したことでウクライナは独立した。独立したウクライナはロシア派と西欧NATO派に分かれたが、ロシア派が優勢であり、ロシア派の大統領が政権を握った。

ウクライナは2013年に欧州連合との政治・貿易協定の仮調印を済ませていたが、親露派であるヤヌコーヴィチ大統領はロシアからの圧力もあり調印を見送るった。これに対しEU寄りの野党勢力から強い反発が起こり、ウクライナ国内は大規模な反政府デモが発生した。ヤヌコーヴィチ大統領から出動を命じられたベルクトは群衆を攻撃するなど騒乱状態に陥った(2014年ウクライナ騒乱)。事態収拾のため2014年2月21日には挙国一致内閣の樹立や大統領選挙繰り上げなどの譲歩を示したがデモ隊の動きを止めることはできず、ヤヌコーヴィチ大統領は22日に首都キエフを脱出した。ウクライナ議会は同日ヤヌコーヴィチの大統領解任を決議し、5月25日に大統領選挙を行うことを決定した。ヤヌコーヴィチはロシアに亡命した。しかし、新しい大統領になってもウクライナの腐敗政治は改善することがなかった。

2019年にゼレンスキー氏が大統領になる。
「チョコレート王であり、ガラス王であり、造船王でもあるポロシェンコ大統領は、私腹を肥やすばかりで国民のための政治をやろうとしない。民衆の声を反映する政治を実現するべきだ」
ゼレンスキーは本気でそう思ったからこそ、大統領選挙に出馬した。
ポロシェンコ政権が存続する限り、ウクライナの問題が何ひとつ解決しないことは明らかだった。平和と経済復興を願う民衆の望みによって、ゼレンスキー大統領は必然的に誕生したのだ。

ゼレンスキーとは、どういう人物なのだろう。
15年、ゼレンスキーはウクライナのドラマ「国民の僕」に出演して人気を博す。ゼレンスキーが扮する主人公は高校教師ゴロボロジコだった。

現職大統領の腐敗政治に憤慨する高校教師が「ウクライナの政治はおかしい」と言っているうちに、大統領選挙に立候補するはめになり当選する。しかし、腐敗政治家と寡占資本家(オリガルヒ)の開票操作により当選無効とされたうえで、反体制派と見なされて投獄される。ドラマの腐敗した大統領は、明らかに15年当時のポロシェンコ(14~19年在任)を当てこすっている。

ドラマでは、2049年のウクライナ医科大学の授業が描かれる。

「今はどういう生活ですか。生活水準はどうですか」
「正常です。悪くないです」
「経済の発展によって、私たちは世界の中で最先端に立つようになりました。政治も経済も先進国です。しかし20年前はこんな状況ではありませんでした。教師の給与は足りない。光熱費さえ足りない時代でした。高齢者はものすごく貧乏な暮らしをしていて、古い車しか走っていない貧しい状態でした。当時の時代と今を比較してみることが重要です。2019年のウクライナ大統領は誰でしたか」
ゼレンスキーが扮する高校教師は、投獄されてもなお腐敗政治と闘う。その高潔な人物が大統領になって大きな政治変化が起きたおかげで、ウクライナは世界の最先進国へと発展した。こういうストーリーだ。このドラマはテレビで爆発的な人気を得て、高視聴率を獲得した。

その勢いに乗ってゼレンスキーはドラマと同じ19年に大統領選挙に出馬し、当選した。得票率は73%を超えた。フィクションであるはずのドラマが、現実となったのである。

ロシアが侵攻した時にウクライナ国民は「自由と民主主義のために戦う」と立ち上がった。ゼレンスキー大統領は米国やNATOの首脳がポーランドに避難するように提案したが、断り、ウクライナに留まった。ゼレンイキー大統領と国民は心の底から自由と民主主義を望んでロシア軍と戦っている。
ウクライナ国民は過去のウクライナの腐敗した独裁政治を体験したからこそ絶対にプーチンロシアに支配されることを拒否している。

ウクライナはゼレンスキー氏が大統領になり国内の民主化は実現に向かっている。しかし、戦争でロシアに敗北すればロシアに支配されてしまう。絶対にそんなことになってはいけないと米国、NATO、民主主義国家はウクライナを支援している。民主主義国家の結束が非常に強いことを示したのがウクライナ戦争で売る。ウクライナが勝てばプーチン政権が崩壊するだろう。ウクライナ戦争はロシアの民主化につながる戦争でもある。

タイ、ミャンマーは軍事政権が民主化を押さえている。イランとアフガンはイスラム教独裁政治の弾圧は強固であり、女性の津別反対の運動は弾圧されている。しかし、根強い闘いがこれからも続くだろう。女性、生命、自由」は民主主義の戦いである。
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NATOは台湾支援・中国経済制裁を宣言 中国は台湾侵攻できない

NATOは台湾支援・中国経済制裁を宣言 中国は台湾侵攻できない

訪台した北大西洋条約機構(NATO)の前事務総長、デンマークのラスムセン元首相は、台北市で記者会見し、中国が台湾に武力行使をした場合、
「NATOは台湾が必要とする軍事援助を行い、台湾が自衛できる能力を得られるよう対応する」
と述べた。

ラスムセン氏は、台湾海峡で衝突が起きた場合には「NATOは(直接の)当事者ではないが、具体的な対応を取る」と強調し、ロシアに侵攻されたウクライナに対して実施した軍事演習や軍事訓練は「非常に重要な手段だ」と述べた。また「台湾と欧州の軍人は既に協力している」と指摘し、欧州での合同軍事演習実施に期待を示した。
また中国が武力行使した際には「重大で全面的な経済制裁を実施する」と強調。世界の経済に全面的に組み込まれている中国に「対価が重いことを知らしめ、中国指導部に(自らの行動を)熟考させる必要がある」と述べた。

 中国が台湾に侵攻すれば、米国、NATOは台湾への軍事支援と中国への経済をする。ウクライナ戦争と同じことが台湾で再現される。ウクライナ戦争の恐れがある台湾進攻を中国がやるはずがない。

台湾は長年にわたり中国の軍事的脅威にさらされてきたため、早くから空爆への備えを進めてきた。1970年代から建築基準関連の法整備を進め、学校などの公共施設や商業施設、地上6階以上のマンションやビルなどにはシェルターの設置を義務化した。
日本人観光客に人気の五つ星ホテル「円山大飯店」(台北市)の地下にも73年に大規模なシェルターが建設されている。

現在。台湾のシェルターは10万カ所にある。人口の⒊倍超収容できる台湾のシェルターである。ミサイル攻撃に万全な台湾である。

台湾、NATOの対策を見れば中国が台湾侵攻することはない。侵攻すれば習政権崩壊の危険がある。有極八侵攻できない。
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世界 民主主義の戦い

世界 民主主義の戦い


ロシア

ロシアは、大統領、国会議員は国民の選挙で選ぶ。議会は国家院と連邦院の二院からなる議院内閣制である。プーチン大統領は国民が選んだ。しかし、プーチン大統領は独裁者と呼ばれている。国民の選挙で選ばれているにも関わらず独裁者なのである。
プーチン大統領は対立する候補を暗殺したり、刑務所に送り、対抗馬を排除していった。プーチン大統領が確
実に選出されるようにしたのである。ロシアは議会制民
主主義の形態ではあるが実態はプーチン独裁国家である。議会はプーチンの要求する法律を制定するプーチン独裁下請け機関である。
ウクライナ戦争はウクライナの民主主義を守る戦いであるととともにプーチン独裁を倒す戦いでもある。ロシア軍が敗北すればプーチンの権威は失墜する。ロシアの報道規制が崩れて自由になり、ロシア軍がウクライナでやった残虐な行為をロシア国民は知ることになる。プーチン独裁が崩壊するだろう。
タイ
 タイは立憲君主制である。1932年6月24日にタイ王国(シャム王国)で勃発した立憲革命は、タイを絶対君主制から立憲君主制へと移行させた。 革命は、主に平民出身で構成された文民と軍人の官僚により組織された人民党によって行われた。文民と軍部の対立が激しくなっていき、政権維持に不利になると軍部はクーデターを起こして文民勢力を弾圧した。。
 2006年タイ王国軍の反タクシン首相派の将校が下士官・兵士を率いて、タクシン政権を倒した。タクシン氏を国外追放した。
 2014年の軍事クーデター。2011年の総選挙でタイ貢献党が勝利し、第31代首相のタクシン・チナワットの妹であるインラック・シナワトラが第36代首相に就任したが軍部の圧力で失職した。2014年に行われた総選挙は反政府派(軍部関係集団)による妨害で一部選挙区では投票が行えず、選挙が無効になった。軍部による政権が続いた。
首都バンコクの知事選が今月22日に投開票された。当選したのは2014年5月の軍事クーデターで政権を追われたインラック内閣の元運輸相チャチャート氏(55)。2位に入ったスチャチャウィー氏(民主党)以下に100万票以上の大差をつけた圧勝だった。
選挙によって民主派が勢力を拡大しているタイである。

ミャンマー

 2020年の総選挙でスーチー氏の国民民主連盟が圧勝した。民主派の圧勝に危機を抱いた軍部はクーデターを起こし、スーチー氏や幹部を拘束して権力を奪った。軍部が支配するミャンマーである。
 軍部政権打倒で立ち上がった挙国一致政府は、各地に散らばる民主派武装勢力「国民防衛隊(PDF)」などによる武装闘争「防衛戦」の開始を2021年9月7日に宣言。国軍に長年抵抗する少数民族武装勢力も取り込み、武力によって軍政打倒を図ろうとしている。

民主主義の戦いはイラン、アフガンても始まった。

アフガニスタン

 駐留20年がたった2021年に米軍はアフガンから撤退した。米国が築いた議会制民主主義はあっけなく崩れた。タリバンとの戦争では簡単に敗北し、大統領は国外逃亡した。
 タリバンが政権を握ったアフガンはイスラム教政権になった。そのまま安定したタリバン政権が続くだろうと思っていた。
タリバンが実権を掌握して以来、アフガン女性は公共の場から締め出された。全国の公立と私立の大学で女子教育を停止した。女性公務員はほとんどが失職した。
 女性は男性の親族同伴でなければ旅行できず、外出時には全身を覆わなければならなくなった。公園や遊園地、スポーツジム、公衆浴場に入ることも禁じられた。女子教育を行う学校も大半が閉鎖された。

タリバン政府の女性差別に対して女性たちは立ち上がった。アフガニスタンの首都カブールで、国連(UN)の「女性に対する暴力撤廃の国際デーを前に、十数人の女性が短時間の抗議デモを行った。参加した女性の多くはサングラスを掛け、頭髪を覆い、医療用マスクで顔を隠していた。うち1人が手にしたプラカードには、「私たちは最後まで権利のために闘い、決して降伏しない」とダリー語で書かれていた。
 首都のカブール大学の近くで女性約50人が「教育は我々の権利だ。大学は開かれるべき」と訴え、抗議デモを行った。東部ジャララバードでも、大学の前で女性と男性の参加者がともにプラカードを掲げ抗議した。

女子に教育をしている団体もある。「地下学校」である。
 タリバンによる政権奪取以降、アフガニスタン国内でも市民たちによる抵抗が広がっている。その一つの形が学校に通えない少女たちがひそかに勉強を教わる「地下学校」である。「地下学校」には二つの種類がある。一つは個人の自宅などでひっそりと少人数を集めて勉強を教えるものである。存在自体が秘密にされている。もう一つが「地下学校」である。「地下学校」は、タリバン政権の教育省から「専門学校」の認可を得ている。表向きは女性が編み物や刺繍、コーランなどを学ぶ学校ということになっている。それは「隠れ蓑」で、女子が学ぶことを禁止されている英語や数学、物理、歴史など中等教育の教科も教えている。
地下学校の修了式の様子
 市内の住宅街の一画、1階が商店、2階以上がアパートの小さなビルの地下に、日本の学校のクラス二つ分ほどの広さのホールがあり、風船で飾り付けられたステージが作られていた。ヒジャブと長衣をまとった少女たちが次々に入ってきてホールは満杯になった。その数100人以上。これほどの数の生徒たちが集まった「地下学校」の映像はメディアでも見たことがない。この「学校」は6カ月が1学期で、きょう行われるのは学期末の修了式だという。
 式典で生徒一人ひとりに修了証を手渡すのは40歳代の女性の校長先生。記念撮影をしたあとは、大きな書物の形をしたケーキにナイフを入れ、校長が生徒たちの口に小さく切ったケーキを放り込んで、厳かななかに笑い声がもれる楽しい会となった。修了生を代表して一人の女子生徒が英語でスピーチを行った。テーマは「女性について」。
「コーランによれば、女性は男性と同じく社会の重要な役割を果たすべきである。また、知識を求めることはすべてのムスリムの義務である。私たちはタリバンに女子の学校を開くよう、女子が科学を勉強することを禁じることをやめるよう要求する」
 慣れない英語でたどたどしく、しかし堂々と仲間に語りかける。あどけなさの残る女子であるが自立の精神をしっかりと持っている。自立心旺盛な女性をアフガン社会は生み出している。

 校長はこの「地下学校」を去年10月、たった一人で立ち上げた。学校の教員だった彼女は、女性に差別的なタリバンの施策を見て辞職。「学校に行けなくなったと絶望して泣く少女たちを見て、いてもたってもいられなくなりました。他人事ではありません。私にももう少しで中等教育の年齢になる女の子がいるのです」という。またタリバンが再び権力を奪ったときに国を出た友人もいたが、「みんなが逃げたら、誰がこの国の女性たちのために立ち上がるのでしょう。私は残って闘うことに決めました」と悲壮な決意を語る。

イラン


2022年9月13日、アミニはイランの首都テヘランの駅で、風紀警察に逮捕された。その理由は、ヒジャブの着用方法が不適切だったことと、タイトなズボンを着用していたことであった。アミニはバンに乗せられ、警察署に連行された。連行後、暴行でアミニは意識を失い、カスラ病院に救急車で搬送された。そして16日、死亡が確認された。
アミニの死への抗議活動が勃発した。
北西部のクルディスタン州で追悼式が行われた後、人々は通りに出て、詳細な調査を求めるスローガンを叫び始めた。その後、抗議者たちは知事室の前に集まり、警察は催涙ガスを発射して群衆を解散させた。
警察の厳しい弾圧にも関わらず抗議は拡大していった。抗議はアミニの死への抗議にとどまらず女性の自由への戦いで会ったのだ。
デモ参加者たちは抗議活動のなかで叫んでいる「女性、命、自由」のスローガンを記した横断幕などを掲げていた。デモは女性差別への抗議になっていた。女性たちが自由を求めて立ち上がったのである。
デモは全国に広がっていった。イラン政府の弾圧は厳しくこれまでに18歳未満の子ども64人を含む少なくとも476人が死亡した。
 有名人やスポーツ選手も「女性、生命、自由」運動を支持している。米アカデミー賞の外国語映画賞を受賞したアリドゥスティ氏はスカーフを被っていない自分の写真をソーシャルメディアに投稿し、反政府抗議の参加者が処刑されたことを非難した。彼女は逮捕された。

 イランとアフガンで女性の自由を求める戦いが始まった。長く困難な戦いになると思う。しかし、弾圧に負けて消滅することはない。弾圧を跳ね除けて勝利すると思う。

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