波と狛のつれづれ日記

日本スピッツ波と狛と、ときどき箔

大平の里にようこそ!

2024-03-30 01:48:41 | お城

こんばんは、白黒茶々です。

前回、人やワンコで賑わっている渚園からなんとか脱出して、私はとともに浜松市の北の外れのほうに走っていきました。 そのようにして、たどり着いたところは………

ネオパーサ浜松(上り線側)でした いわゆる新東名高速道路の浜松サービスエリア(SA)のことで、これから高速道路に乗って遠くまで出向く………

………というワケではなく、こちらではトイレ休憩をしたり、ドッグランで一息入れるのが目的でした。 ちなみに車は、SAの外側にあるぷらっとパークに止めてきました。 そうしたら、ドッグランに入りましょう

私たちにとっては、ドッグランはこの日2つ目となります。 しかし渚園とは対照的で、こちらは他のワンコがいなくて静かでした。

さらに、SA内にある展望台から北側を臨んでみました。 新東名は浜松市の北の山側を通っていて、そのまわりには山村の風景が広がっています。 旧浜北市が浜北区となり、現在は浜名区に組み込まれた地域の中にある大平(おいだいら)という集落は、こちらのSAから手が届きそうなところに位置しています。 実際には、手を伸ばしても触れませんけど。 それはさておき、私たちにとっては初めてとなる大平地区を、今から散策しますよ

話の展開の都合で、ネオパーサ浜松からは少し戻る形になりますけど、私たちは大平地区の入口にある唐猫様の石碑を訪れました。 立派な土台に乗っているのは大平の氏神の六所神社のもので、唐猫様はその向かって右脇にある小さいヤツです。

昔々のこと、信州のある村ではネズミの被害に悩まされていました。 そこで、中国(唐の国)との交易船で飼われていた猫を借りてきたら、ネズミを退治してくれて万事解決 村人はその猫の姿を型どった置物を作って、祀りました。 しかし、心ない旅人がその置物を持ち出して、この地に捨てていったのです。 その後、地主の家族が次々と原因不明の病に倒れるという事態に。 そこで、占い師に相談してみたら「田んぼに禍があるので掘ってみなさい」と。 家人が言われた通りにしたら、猫の置物が出てきました。 そいつをカラネコ様として大切に祀ったら、病は平癒したそうです。 めでたしめでたし。

犬を祀った神社はあるのですけど、「それならば、猫は 」と私が調べたら、ここに行き着いたのですよ 新東名高速道路の橋脚の下の田んぼの片隅にひっそりとあるので、気になられた方は訪れてみてください。 次に、私たちは唐猫様から近いといえなくもないところにある………

足立梅園にやって来ました 無人の施設なのですけど、入場料は「100円~」と記されていて、受付所の穴に入れるシステムとなっていました。 その手続き(?)を済ませたら………

園内を散策しますよ トンネルのようになっているのは河津桜ですけど、花はほぼ散って葉桜の状態になっていました。 1週間前に私たちが雨天決行した東大山のものも、今はこのような感じでしょうか?

同じ頃に旬の時季を向かえるの花も、わずかに残っているだけでした。

こちらはまだ見られる状態ですね。 お花見の時季から出遅れてしまいましたけど、これらの木の花が満開になった風景を想像することはできました。 今回は、最盛期に再び訪れるときの下見ということにして、大平の中心部に迫ります

気を取り直した私たちは、六所神社に向かいました。 参道の幅は狭く、その先にある鳥居も小さめなのですけど………

鬱蒼とした森の中に社殿があって、神域の雰囲気がありありでした。

しかし建物の屋根が痛んでいて、危険を避けるためにロープで囲まれていて、近付くことはできませんでした。 お賽銭箱は他のところに設置されているのですけど、早く修理してあげてください。

さらに私たちは、この地区にある廃校を訪れました。 こちらは浜松市立大平小学校だったところで………

今から10年前の、平成26年(2014年)3月に閉校しました。 しかし校舎や体育館、プールなどの施設は、時が止まったかのようにそのまま残っていました。

校門のところには、スクールバスが止まっていました。 過去に遡っても、ストリートビューにはずっと同じ場所に写り続けているので、私は放置車両かと思っていました。 実際には綺麗に整備されているので、この地域の子供たちを統合先の麁玉小学校に送迎するのに使っていると思われます。 大平小学校跡での現地調査を終えた私たちは………

大平城跡にやって来ました 以前からその存在は知っていたのですけど、実際に訪れるのは今回が初めてとなります。 さらに、私たちにとっては今年5つ目のお城となる大平城は……… え~と、どこから登れるのでしょうか?

麓から石段を上がったところには、五体力神社という怪しい……… いや、樹木に囲まれてひっそりと佇む神社があります。 案内によると、この神社の境内の裏からもお城に登れるみたいなので、それっぽい道をたどっていくことにしましょう
大平城は南北朝時代の14世紀頃に、三岳城を拠点にしてこの地域を治めていた井伊氏の支城として築かれました。 のちに後醍醐天皇の皇子の宗良親王が籠って高師泰らの軍と戦ったのですけど、落城。 宗良親王は信州に落ち延びていきました。 私は当初、宗良親王のことを「そうらしんのう」とか「むねよししんのう」とか呼んでいたのですけど、正しくは「むねながしんのう」だったのですね。 それよりも………

気付いたら、私たちが歩いてきた道は途絶えて、どこに進んだらいいのか分からなくなってしまいました。 いわゆる、プチ遭難です。 それでも、このような場合は上へ上へと登っていけば、お城のどこかに出られるハズ そのようにしたら………

頂上っぽいところに行き着きました。 しかし、平らに整地された曲輪の跡や案内板みたいなものは見当たりませんでした。 いや、その反対側を降りたところに、ちゃんとした山道がありましたよ そこまでなんとかして行って、その道を進んでいったら………

「大平城址」と刻まれた石碑がありました ここがお城の最深部か中心部ということに。

そうしたら、無事に登頂できたことを記念して、写真を撮っておきましょう そのあと、正式な登山道を降りていったら………

本来の登り口に出ました。 私は見学者用の駐車場から西の五体力神社のほうに向かったのですけど、逆の東側に分かりやすい道があったのですね。 それにしても、今回は曲輪の跡だけではなく、土塁や堀切の跡も確認することはできませんでした。 それでも「大平城に行った 」という証拠はできたので、再調査はいずれするとして、さらなる目的地に向かうことにしましょう。 あ、それから大平地区は静かな集落でしたけど、決して寂れているというワケではなく、見どころや興味深いスポットがいくらかあって、いいところでした。


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