こんばんは、白黒茶々です。
前回の日記の文中でも少し触れましたけど、私・箔・波の白黒茶々家の1人と2頭は、井伊谷の小野政次の終焉の地をめぐったあと、同じ浜松市北区引佐町の地域でもさらに山奥にある、奥山の大本山方広寺に向かいました。私たちは2年ほど前にも同じところを訪れているのですけど、あのときは拝観時間終了間際だったので駆け足でまわり、なかには見られなかったところもありました。 なので、今回はのんびり散歩気分で境内を歩いていこうと思います。
………ということで、やって来ましたよ 奥山方広寺に。地元では、こちらのお寺は奥山半僧坊という名前でも通っています。 向こうの黒門につながる道には、門前町が続いていて、写真には撮っていないのですけど、なかには看板猫のいるお店もありました。波ちゃは、その猫に興味津々。しかし調子に乗ってまたしても構って吠えをして、その看板猫を怒らせたうえに逃げられてしまいました。猫ちゃん、ゴメンなさい。
その奥に見える拝観受け付け所に拝観料の400円(中学生以下200円、未就学児無料)を払って、いざ境内へ もちろん、ワンコも一緒に入ることができますよ。
まずは、山門の前で記念撮影をば。 こちらのお寺は、建徳2年(1371年)に後醍醐天皇の皇子の無文元選禅師によって開創された禅寺です。60ヘクタールの境内には、60余棟の伽藍が点在していて、龍譚寺、大福寺、摩訶耶寺、初山宝林寺とともに、湖北五山に数えられる名刹でもあります。
杉の古木などが林立している参道は涼しくて、夏場のワンコとのお出かけにもオススメです。 その山中のいたるところには………
石製の羅漢様が点在していたり、場所によっては密集していたり。それらは500体ほどあることから、五百羅漢と呼ばれています。しかもじっくり見てみると、それぞれの表情が違うのですよ。
それだけではなく、こちらの石橋の上の羅漢様は、なぜか見るたびに数が変わっているのですよ パンフレットでは写真と同じ5体なのですけど、右端の新しくて小さい像が、左端になっていたり、………と、微妙に配置が変わっていました。そういえば、前回訪れたときには4体だったような……… おそらくそれらは夜になると動き出し、うっかりその姿を見てしまったら、死……… という妄想は前回やっているので「必殺・羅漢突き 」という石頭による頭突きぐらいにしておきましょう。
………という、ちょっと恐い話はこのくらいにしておいて、参道を進んでいきますよ 道にしたがって、木々の間を抜けていき、坂道を上がったところには………
大正12年(1923年)に京都の山口玄洞氏の寄進により建立された、朱塗りの三重塔があります。 そこに至るまでに上ってきた坂道を引き返していくと………
方広寺の伽藍の全景を臨むことができるのですよ 谷間に架かる赤い橋は亀背橋、鐘楼の向こうの大きな建物は大本堂、その右上には上天台舎利殿が見えます。明治14年(1881年)の山火事によって、ほとんどの建物が焼失してしまったのですけど、その後順次再建されていきました。そうしたら、今からそちらに向かいますよ
まず最初に見えてきたのは、半僧坊真殿にございます。こちらの建物は、明治の大火直後に三河の工匠によって建てられた権現造りであります。
お寺の中心にあるこちらの大きな建物は、大本堂です。 明治38年(1905年)から13年もかけて建てられ、間口32m奥行27mと、東海地方屈指の規模を誇ります。 しかも、半分ほど宙に浮く形の懸造りとなっているところにも、注目していただきたいです。
さらにその中央には、山岡鉄舟が揮毫した「深奥山」の大額が掲げられています。ただし、その読み方は「ふかおくやま」ではなく「じんのうざん」で、方広寺のある奥山の山号のことを示しているのですよ。
今回はその内部も見学したいのですけど、箔と波は一緒には入れないので、外で待っていてくださいませ。
畳敷きの大本堂は、やはり広い これだけ広ければ、壁にぶつかる心配はないので、思いっきりゴロンゴロン……… って、実際にはやりませんよ。
ふと思っただけです。
見学の順路は大本堂の内部だけに留まらず、通路をつたって観音堂や開山堂、さらには与謝野晶子の歌碑があるらかんの庭を経て、上天台舎利殿にまで及んでいました。
私はなぜかそれらの写真を撮らずに、その途中にあった精進料理の写真の写真だけを収めていました。 以前はこちらの精進料理は事前予約が必要で、2人以上ではないと注文できなかったのですけど、今では当日に単独で行っても、食べられるそうです。 それにしても、肉や動物性の油脂類を一切使わずに、これほど見栄えのする料理ができるなんてスゴいことです。 それから、その料理を食べる前には、必ず「食事五観」を唱えなければならないことになっています。お寺でいただく料理の意味や感謝の言葉が込められた「食事五観」。
今からン0年前の高校時代に、私はこちらのお寺で合宿をしたことがあります。 1回目は、入学した直後の宿泊訓練で。2回目は、2年生の夏に仲間たちに説得されて、仕方なく参加した勉強合宿で。しかし、お寺の体験にすっかりハマり、特に「食事五観」は率先してやる程に。 もちろん今でもハッキリと覚えていて、唱えることができるのですよ。嗚呼、次に来たときには「食事五観」と精進料理のセットを味わいたい。
箔波ちゃ、お待たせしました。今回は内部見学だけではなく、脳内でも遠くまで行ってしまったような気がします。 ちなみに写真に写っているのはそんな彼らではなく、境内では最大規模の半僧杉にございます。宿坊の円明閣の前にあるこの巨木は、高さ43mで幹まわりは5,75m。明治の大火の際には、一部の建物とともに焼け残り、お寺の御神木として今に伝わっています。
あとは、今来た道を戻っていくだけですけど、実はこのあとにもう一ヶ所寄るところがあるのですよ。 こちらからは車で5分ほどのところにある観光鍾乳洞のR洞なのですけど、
※伏せ字にする必要があるのでしょうか?(編集部注)
次回の日記では開発者の視点から、その洞窟を見ていこうと思います。
「羅漢突き」の経験をすでにお持ちの方は、こちらに投票してやってください。
前回の日記の文中でも少し触れましたけど、私・箔・波の白黒茶々家の1人と2頭は、井伊谷の小野政次の終焉の地をめぐったあと、同じ浜松市北区引佐町の地域でもさらに山奥にある、奥山の大本山方広寺に向かいました。私たちは2年ほど前にも同じところを訪れているのですけど、あのときは拝観時間終了間際だったので駆け足でまわり、なかには見られなかったところもありました。 なので、今回はのんびり散歩気分で境内を歩いていこうと思います。
………ということで、やって来ましたよ 奥山方広寺に。地元では、こちらのお寺は奥山半僧坊という名前でも通っています。 向こうの黒門につながる道には、門前町が続いていて、写真には撮っていないのですけど、なかには看板猫のいるお店もありました。波ちゃは、その猫に興味津々。しかし調子に乗ってまたしても構って吠えをして、その看板猫を怒らせたうえに逃げられてしまいました。猫ちゃん、ゴメンなさい。
その奥に見える拝観受け付け所に拝観料の400円(中学生以下200円、未就学児無料)を払って、いざ境内へ もちろん、ワンコも一緒に入ることができますよ。
まずは、山門の前で記念撮影をば。 こちらのお寺は、建徳2年(1371年)に後醍醐天皇の皇子の無文元選禅師によって開創された禅寺です。60ヘクタールの境内には、60余棟の伽藍が点在していて、龍譚寺、大福寺、摩訶耶寺、初山宝林寺とともに、湖北五山に数えられる名刹でもあります。
杉の古木などが林立している参道は涼しくて、夏場のワンコとのお出かけにもオススメです。 その山中のいたるところには………
石製の羅漢様が点在していたり、場所によっては密集していたり。それらは500体ほどあることから、五百羅漢と呼ばれています。しかもじっくり見てみると、それぞれの表情が違うのですよ。
それだけではなく、こちらの石橋の上の羅漢様は、なぜか見るたびに数が変わっているのですよ パンフレットでは写真と同じ5体なのですけど、右端の新しくて小さい像が、左端になっていたり、………と、微妙に配置が変わっていました。そういえば、前回訪れたときには4体だったような……… おそらくそれらは夜になると動き出し、うっかりその姿を見てしまったら、死……… という妄想は前回やっているので「必殺・羅漢突き 」という石頭による頭突きぐらいにしておきましょう。
………という、ちょっと恐い話はこのくらいにしておいて、参道を進んでいきますよ 道にしたがって、木々の間を抜けていき、坂道を上がったところには………
大正12年(1923年)に京都の山口玄洞氏の寄進により建立された、朱塗りの三重塔があります。 そこに至るまでに上ってきた坂道を引き返していくと………
方広寺の伽藍の全景を臨むことができるのですよ 谷間に架かる赤い橋は亀背橋、鐘楼の向こうの大きな建物は大本堂、その右上には上天台舎利殿が見えます。明治14年(1881年)の山火事によって、ほとんどの建物が焼失してしまったのですけど、その後順次再建されていきました。そうしたら、今からそちらに向かいますよ
まず最初に見えてきたのは、半僧坊真殿にございます。こちらの建物は、明治の大火直後に三河の工匠によって建てられた権現造りであります。
お寺の中心にあるこちらの大きな建物は、大本堂です。 明治38年(1905年)から13年もかけて建てられ、間口32m奥行27mと、東海地方屈指の規模を誇ります。 しかも、半分ほど宙に浮く形の懸造りとなっているところにも、注目していただきたいです。
さらにその中央には、山岡鉄舟が揮毫した「深奥山」の大額が掲げられています。ただし、その読み方は「ふかおくやま」ではなく「じんのうざん」で、方広寺のある奥山の山号のことを示しているのですよ。
今回はその内部も見学したいのですけど、箔と波は一緒には入れないので、外で待っていてくださいませ。
畳敷きの大本堂は、やはり広い これだけ広ければ、壁にぶつかる心配はないので、思いっきりゴロンゴロン……… って、実際にはやりませんよ。
ふと思っただけです。
見学の順路は大本堂の内部だけに留まらず、通路をつたって観音堂や開山堂、さらには与謝野晶子の歌碑があるらかんの庭を経て、上天台舎利殿にまで及んでいました。
私はなぜかそれらの写真を撮らずに、その途中にあった精進料理の写真の写真だけを収めていました。 以前はこちらの精進料理は事前予約が必要で、2人以上ではないと注文できなかったのですけど、今では当日に単独で行っても、食べられるそうです。 それにしても、肉や動物性の油脂類を一切使わずに、これほど見栄えのする料理ができるなんてスゴいことです。 それから、その料理を食べる前には、必ず「食事五観」を唱えなければならないことになっています。お寺でいただく料理の意味や感謝の言葉が込められた「食事五観」。
今からン0年前の高校時代に、私はこちらのお寺で合宿をしたことがあります。 1回目は、入学した直後の宿泊訓練で。2回目は、2年生の夏に仲間たちに説得されて、仕方なく参加した勉強合宿で。しかし、お寺の体験にすっかりハマり、特に「食事五観」は率先してやる程に。 もちろん今でもハッキリと覚えていて、唱えることができるのですよ。嗚呼、次に来たときには「食事五観」と精進料理のセットを味わいたい。
箔波ちゃ、お待たせしました。今回は内部見学だけではなく、脳内でも遠くまで行ってしまったような気がします。 ちなみに写真に写っているのはそんな彼らではなく、境内では最大規模の半僧杉にございます。宿坊の円明閣の前にあるこの巨木は、高さ43mで幹まわりは5,75m。明治の大火の際には、一部の建物とともに焼け残り、お寺の御神木として今に伝わっています。
あとは、今来た道を戻っていくだけですけど、実はこのあとにもう一ヶ所寄るところがあるのですよ。 こちらからは車で5分ほどのところにある観光鍾乳洞のR洞なのですけど、
※伏せ字にする必要があるのでしょうか?(編集部注)
次回の日記では開発者の視点から、その洞窟を見ていこうと思います。
「羅漢突き」の経験をすでにお持ちの方は、こちらに投票してやってください。