ひとり座禅のすすめ

自分ひとり、坐禅(靜功)を日常生活の中で取り入れていくと今までと違った感覚を覚えていく。

ひとのお世話をさせて貰うようになったのも母の遺伝子があるからか

2016-08-24 06:54:53 | 自分

私の母は神戸の出身で、若い頃は番を張っていて、みんなを引き連れて街なかを濶歩していたという話を、京都のおばさんが遊びに来ていた時に、話してくれました。 我が家にしばらくおられた時に、母の命令口調で云うことを、嬉しそうに従って動いていたことを思い出します。

そんな母の姿を見た両親が、芦屋にあるお宅に行儀見習いに入ったそうです。 母が東京に働きに来ていた父と結婚することになり、芦屋のお宅は巣鴨に住んでいましたので、よく母に連れられて遊びに行きました。

私が生まれた蒲田の時は記憶がありませんが、同じアパートに住むKさんのことは、Kさんの田舎へ疎開した関係で、後の地である亀戸によく遊びに行ったものです。

蒲田のアパートから、どのような経緯で上野御徒町の松坂屋の斜前に、電気屋さんを開いたかは聞きそびれましたが、モーターや積算計が飛ぶように売れたそうです。 その勢いをかって、新橋でカフェまで開いたのです。

私はその頃は黒門幼稚園に入る前後だったと記憶しています。 電気屋さんでは店頭に商品を並べれば、直ぐ売れたそうです母の反対を押し切って、盗難品のモーターを店先に出して、警察のお世話になり、結果的に店じまいとなり、家も仲町通りに引っ越し、更に茅町に不忍池に面した家に引っ越して行きました。

茅町の家は通りから裏通りまである長い敷地で、奥側に平屋の家があり、父が後援していた大場春夫さんと云うボクサー家族が住み、工場の建物があり、蔵があり、通りに面して2階建ての住まいがありました。