ひとり座禅のすすめ

自分ひとり、坐禅(靜功)を日常生活の中で取り入れていくと今までと違った感覚を覚えていく。

座禅の時に半眼にすれば妄想は抱かないのか

2010-03-23 11:15:22 | 座禅

 禅宗のお坊さんは、よく半眼にする理由を、妄想を抱かないためということを言います。 本当にそうなんでしょうか。 いつも、そのようなことを言われると、疑問を感じざるを得ないのです。

 私は、いつも深夜に真っ暗な部屋で、座禅を1時間行っております。 暗闇ですので、特別、目を半眼にしようがしまいが、余り意識することもなく、座禅を行なってきた経緯があります。 大切なことは、いかに意識を集中させるかではないかと、感じております。

 意識を集中できれば、どんな内容が妄想であるかは分かりませんが、様々に気が散ることもありません。 然しながら、座禅の最中には、ふと日常的な問題解決しなければならないような事柄が、ふと頭によぎります。 私は、そのようなときには、無理に雑念を払おうとせず、静かな状態の中で考えてみます。 静かな状態であるからこそ、そんなときに限って宇宙の叡智が、そっとその問題の答えを教えてくれるのです。

 私は、意識を集中することのほうが、半眼にすることよりも大切と考えています。 禅宗のお寺の日曜日の座禅会でも、和尚さんから半眼にしなさい、と注意されたことがあります。 そのとき以来、座禅のたびに、半眼に意味について考えてみました。

 私は、半眼にするのではなく、半眼になる というのが結論です。 体の全ての力が抜けてきた時には、目は自然と半眼になるのです。 したがって、無理に形だけ半眼にしても、意味はないものと思っています。 

 目を瞑っても、意識さえ集中できれば、妄想は抱かないのです。 目を瞑るか、半眼になるかは、自然の成り行きで、見える姿は出来上がってくるものと思っています。