ひとり座禅のすすめ

自分ひとり、坐禅(靜功)を日常生活の中で取り入れていくと今までと違った感覚を覚えていく。

「無」とは全く何もないことなのか無限大の意味なのか

2010-03-14 10:38:22 | 座禅
先日、仕事仲間の一人が、月に数回都内のほうで座禅会に参加している方と、座禅について話をしました。 そのときに「無」とは全く何もないということなのか、あるいは無限大を意味するのかということでした。

 私自身は座禅の時に、時々吐く息をゆっくり吐きながら、大宇宙の中で自分ひとりが。ぽつんといるというイメージを、行なうことがあります。 宇宙衛星から地球を見ます。 テレビや新聞報道で、私達はその映像を見ることが出来ます。

 青い海があり茶色い台地が見え、白く浮かぶ雲が見えます。 そのような映像を思い出しながら、吐く息をゆっくり吐きながらイメージします。 大きく見えた地球から少しずつ離れていきます。 大きく見えた地球は、バスケットボールぐらいの大きさになってきました。 更に離れていくと、ソフトボールぐらいの大きさになってきました。 更に離れていくと、ピンポン玉の大きさに。 更に離れていくと点しか見えなくなります。 更に離れていきますと、もう何も見えません。 気がついてみると、果てしなく拡がる大宇宙の中に、自分ひとりがいます。

 そのようなイメージができますと、不思議なことに耳がキーンとしてきます。 これが「無」のイメージです。 無限に広がる宇宙に比べれば、私自身の体はほんの点でしかありません。 そんなイメージをしながら座禅を行なっていますと、「無」と「無限大」が表裏一体のような気がしてくるのです。 

 「ゼロ」の概念をつくった古代インドでの話を思い出しながら、限りなくゼロに近いという感覚が、逆に無限大という反意語とが重なり合っているようにも感じるのです。 静かに呼吸法を伴いながら座禅を行っていると、そんな感覚に自然になってくるのです。