ひとり座禅のすすめ

自分ひとり、坐禅(靜功)を日常生活の中で取り入れていくと今までと違った感覚を覚えていく。

ひたすら座禅というよりもひたすら息をゆっくり吐いている感覚

2010-03-01 06:58:33 | 座禅
「只管打座」ひたすら座禅。 何も求めずただ、ひたすら座禅を行う。 ここでのブログでは、私自身が一人で座禅を続けてきたときに、意外とよい本に出会わなかったことがきっかけで、どんななことに気をつけたほうがよいのか、どんな点が大切なことなのか、これからどんなことが起こるのかなど、思い出しながら書いてきました。

 胡坐を組んで座禅をはじめて、ちょっと嫌だったのは、足が痺れて我慢するのが嫌だったぐらいで、足の痺れも慣れてしまえば、何のこともありませんでした。 吐く息を出来るだけ長く吐くことによって、体に微妙な変化があり、何となく楽しみながら座禅を続けてきたと、言ったほうがよいかもしれません。

 その意味では、ひたすら座禅を行ってきたのです。 座禅を行ってきて、その過程で様々な変化がありましたが、いつも全てを受け入れ、自然の動きに任せ、自然の摂理に従う気持ちを、持ってのぞんできました。 何をも求めず、ひたすら座禅です。 

 ただ、ひたすら座禅といっても、ふと考えますと、ひたすら座禅というよりも、ひたすら吐く息を出来るだけ長く、体の中へ吐いていたような気がいたします。 吐く息だけに意識を集中し、意識を一点に集中することによって、雑念が沸く余地をなくしていたように感じます。

 それでも、意識が集中する中でも、ふと日常的な問題解決しなければならないような雑念が、頭をよぎります。 そんな時には、無理に雑念を払おうとせず、静かな中でその雑念を考えてみます。 すると不思議なことに、問題解決できるヒントのようなものが、思いつくのです。 私はそれを、宇宙の叡智のサジェスチョンと呼んでいます。

 ひとり座禅の良さは、頭で考えるのではなく、座禅を通して心身を静かな状態にする中で、自分自身が感じ、感得できることなのです。 これは人の話を聞いたり、本を読んで何となく分かったようになる感覚とは違います。 自分自身の微細な細胞一つ一つに刻み込まれ、感得するのです。 呼吸法や座禅が楽しめるようになれば、しめたものです。