桐敷真次郎『耐久建築論』の紹介・・・・建築史家の語る-6

2007-06-16 23:45:58 | 桐敷真次郎『耐久建築論』の紹介

5.耐久建築研究のすすめ

 いまや近代建築の理論的再構築に関する議論がきわめて盛んである。しかし、そうした議論を聞いていると、何かますます混迷を深めるために努力しているように思われることが多い。建築の問題はそうした思想的課題にも確かに関係しているが、その核心は主として実務や研究のなかにあると思う。社会の複雑化・多様化に対して、建築の理論・実務・流行はあまりにひと色であり、一本調子ではないか。
 これからの建築は設備だ、超高層だ、都市だ、環境だ、省エネルギーだと、ただ目先の風潮だけですぐ右往左往したり、建築に何か深遠不可思議な秘密や秘儀があるかのような議論は、全く無意味とはいえないが、より重要な問題から目をそらすためのトリックのように思われる。本論で建築の耐久力の問題をとり上げたのは、それが根本的課題のひとつであり、改めて真剣に研究されてよいテーマと考えるからである。

 建築の耐久力を重点項目とすることは、さまざまな面で近代建築の不健全さを是正する転回点となるかもしれない。構造家は、安くできるがあまり保証できない躯体、しばらくは適当にもつ躯体、絶対に壊れない躯体、200年は確実にもつ躯体など、さまざまの構造を区別してゆく。鉄材を用いて永久建築を目差すというむずかしい課題にも取組む。設備家には、建物の躯体を傷めずに更新できる設備のくふう、ランニング・コストを低減する建築的諸元の提示、そして耐久性があり維持容易な設備機器の発明、などを期待したい。

 こうしたアプローチが近代建築に真実の意味での多様性をもたらすことは疑いをいれないばかりか、真実の意味での合理性と科学性の確立につながると思うのである。
 近代建築は、近代の衝撃におびえて、いくつかの迷路にふみ込んでしまった。その第一は、他の先端的産業のパターンを模倣し、それに追随しようとしたことである。第二に、やはりそれらに追随して目先の経済性の追及を建設業の目的としたことである。すでに述べたように、建築がビジネスである以上、そうした行動はある程度は当然であろう。しかし、建築という仕事をそれひと色に塗り込めることは不当であるし、近代建築運動の教義のように、排他的に他のアプローチを圧殺するようなことも困るのである。

 耐久建築の研究は、建築設計家にも大きな影響をもたらすはずである。
 近代建築が誇った自由度は、建築を自由な造形芸術とみなした表現主義に典型的にみられたように、他の造形芸術の影響力に圧倒された結果の産物である。ル・コルビュジェの初期作品は、始め建築のおさまりを知らない素人の遊びと嘲笑された。ル・コルビュジェの天才は、こうした嘲笑を圧殺しきる偉大さをもっていたが、それだからといって、この嘲笑の背後にある建築のロジックと伝統の重味をそのまま無視することはできない。

 表現主義と近代主義の差は、後者が偽似科学的な言論とイメージで、近代建設産業の論理に密接できたということにほかならない。耐久性とメンテナンスに配慮した建築は、そのディーテイリングにまで大きな制約を受け、これまでの自由度の多くは失われるかもしれない。
 しかし、過去数十年間の近代建築のとりとめのない自由さこそ、建築の世界では異常なものだったのである。そして、このことは、日毎に現われる新材料部品や新設備機器との応接に忙殺される良心的な建築家の胸に絶えず去来する疑惑のひとつであったはずである。

 われわれは、耐久建築だけが唯一の正当な建築だといっているのではない。今日の社会では、10年もてば十分という種類の建築も多数要求されていることは熟知している。20年で十分という商業建築も多いであろう。しかし、モニュメンタルな建築や、少なくとも三世代の使用に耐えて欲しい住宅に同じ原理を適用することは明らかに不合理であり、不条理な傾向であることを指摘したい。

 建築の目差す多様性とは、単なる意匠の多様化ではなく、むしろ耐久性や維持費を配慮した多様性である。数年から10年で減価償却できる建物と、殆ど生産性のない記念建造物や住宅とは、建てかたが本来違うべきであるという主張なのである。
 現代の高度の技術水準をもって、この問題を追及する活動がこれまで全くなかったことが、現代の不思議のひとつではあるまいか。あえて耐久建築の研究を提案する所以である。(了)

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1 コメント

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Unknown (立川 慧)
2017-01-02 15:10:54
下山先生、初めまして
明治大学大学院で建築を専攻している立川といいます。
ただいま建築基準法の改定自体が木造住宅地の更新自体にどのような影響があるかを研究していたところこちらのブログにたどり着きました。

本当に勉強になります。

桐敷真次郎『耐久建築論』の紹介においては目から鱗の話ばかりでした。
社会政策派の佐野・内田・野田の工業化・近代化への意志が建物自体を柔から剛へとそして壁の性能化を担い結果的には建物を定量的に扱うことで都市を不燃化し長寿命化しようした試み自体が一断面を切り取れば、金物自体が建物の耐久性を落とす(もちろんこれは使用者と提供者の距離の隔たりが大きいとは思いますが)ことに寄与してしまい皮肉にもそのような建物自体が短期的な経済利潤に回収されてしまうような視座は本当に視野が広がった気分です。建物の多様性の項目自体に耐久性というものもあっても良いという話も大変面白かったです。


単に基準法における[基礎と土台]の項目を調べてただけでしたから、とても勉強させていただきました。
建築基準法自体が村松貞次郎先生が建築基準法は「耐震基準」,「性能基準」というような技術評価点という定量的な値を基準にした結果、法律そのものの背景を度外視し結果に対しての適合という視点に傾倒することに対して「思うことのない法律(技術)」として警報を鳴らしていたのを思い出しました。

ありがとうございます。
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