紹介:眞島健三郎『耐震家屋構造の撰擇に就いて』・・・・柔構造論の原点

2007-08-26 15:08:19 | 地震への対し方:対震
[記述・註記追加 8月27日8.09AM]

 先の中越沖地震に際しては、いつも大地震があるとかならず世上を賑わす専門家たちの「耐震」「耐震補強」論議がほとんどなかったのが奇妙だった。
 それを解き明かしてくれる一つの鍵は、先にも紹介した新潟大学災害復興科学センターの被災調査報告にある。
 その報告には「砂地の丘陵の裾にある刈羽村の2集落の15戸は、中越地震(2004年10月)と今回の地震の二度にわたり被災した。内訳は①全壊し新築したが今回大きく損壊した例:2棟、②大規模補修で再建したが大きく損壊した例:6棟、③全壊して新築したが軽微な被害があった例:3棟、④修繕して軽微な被害があった例:4棟であった。補強により生命にかかわる倒壊は防げたとも言えるが、後背の丘陵全体の対策など大規模な対策が必要で、集団移転も選択肢の一」とある(毎日新聞7月30日記事より要約)。

 ここで為された「新築」や「大規模補修」は、当然、基礎の設計を含め「現行の建築法令」あるいは「耐震補強指針」に基づいて行われた筈。
 したがって、この調査報告が示している事実は、現行法令の耐震のための規定や、国を挙げて進められている耐震補強の指針には、何ら「耐震の効果がなかった」ということを意味している。
 事実は強い。耐震の専門家も、この事実を目の前にしては、さすがに「耐震」「耐震補強」を論じることを躊躇せざるを得なかったのだと思われる。

  註 「報告」が、現行規定の、基礎や全体の構造について、
     つまり「耐震」の考え方そのものを再考することなく、
     集団移転等に言及するのはどうか? 
     現に、他の地区の例では、隣の家屋が被災しているのに、
     建物の被災はおろか、室内の家具さえ転倒しなかった例が
     あったという。
     大分前にも書いたことだが、被災例だけではなく、
     むしろ、無事であった例を精密に調査すべきではないか。

 今から25年ほど前、昭和5年(1930年)伊豆半島北部で起きたM7.3、震度6の地震(「北伊豆地震」)の被災状況を視察した眞島健三郎氏が、当時の朝日新聞に寄稿した「同じ木造建築でも、差鴨居・差物を柱間に組み込んだ架構には被害が少ない」旨の報告を読んだことがある。
 私がそれを目にした1980年代は、すでに木造の軸組を筋かいで固めることが《常識》になっていたから、その論は驚きでもあり、新鮮だった記憶がある。

 眞島健三郎氏は、1873年の生れ、札幌農学校工科出身の海軍省の土木技術者。日本の鉄筋コンクリート構築物の先駆者で、明治37年(1904年)には佐世保軍港の施設を、明治42年(1909年)には同所に高さ45mの煙突も設計している。
 また、「建物の耐震=剛構造化」が主流であった当時の学界の中で柔構造化論を展開、関東大震災(大正12年:1923年)後から昭和初年にかけての、剛構造化を説く帝大の佐野利器との間で行われた柔剛論争は有名。
ただ、論争は決着のないまま、うやむやのうちに消滅。世のなかは剛構造化に突っ走る。

 眞島氏は土木学会会員で、多数の論説を発表している。
 その一つの関東大震災の翌年、大正13年(1924年)4月『土木学会誌』第10巻第2号に発表した『耐震家屋構造の撰擇に就て』は、氏が柔構造(氏の用語では「柔性建築」)を主張する根拠を述べたもの。16頁にわたり詳述されている問題点には、現在でも通用する点が多々あるので、その概要を以下に紹介することにする(上掲のコピーはその冒頭部分)。

   ただし、要約の文責は筆者にあり、詳しく全文をご覧になりたい方は
   『土木学会震災関連デジタルアーカイブ学術誌別リスト:1926~1994』で
   検索・閲覧できる。

 
 関東大震災を機に、鉄筋コンクリート造を耐久性があり耐震・耐火性に富む構築法として高く評価する専門家が急増した。しかし、20年以上にわたり鉄筋コンクリート造の実例にかかわり、経年変化の問題などその実態を熟知していた眞島氏は、安易な鉄筋コンクリート造推奨論:剛構造化論に危惧を抱き、五つの問題点を挙げ注意を喚起したのがこの論説である。

◇第一は、鉄筋コンクリートの耐久性の問題。
 コンクリートは、経年変化で表面が粗雑になり小亀裂も増え、
 鉄筋被覆の劣化等、10~15年で致命的な痛手を負う例が多い。
 僅か1~2寸の被覆では鉄筋を外部の作用から絶縁することはできず、
 モルタル塗り、タイル張り等でも外部の作用を避けることはできない。

◇第二は、コンクリートと鉄筋の相性の問題。
 鉄筋コンクリートは、石材同様の脆く割れやすいコンクリートを、
 鉄筋の性質で補うという原理でつくられている。
 しかし、コンクリートを鉄筋に付着させることは容易ではなく、
 また鉄筋がその効力を十分に発揮した場合には、被覆コンクリートは
 耐えられずに損傷する。
 さらに、一旦コンクリートに損傷が生じると、コンクリートが負担すべき
 外力をも鉄筋が負うことになり、損傷はより激しくなる。
 特に、柱・梁による架構は、この問題が生じやすい。
 これを避けるため、壁式の架構が推奨されるが、壁(特に外壁)は自然の
 影響を受けやすく、20~30年の歳月を経ずして問題が生じる。
 つまり、耐久面を考慮すると、鉄筋コンクリート造は、
 専門家の多くが危険視する煉瓦造よりも危険を伴うことが考えられる。

 ちなみに、煉瓦造では、床や屋根を木造にした建物に被災例が多いが、
 司法省や海軍省の建物のように、床が鉄筋コンクリート造の例は
 被災を免れている。
 また、東京芝にあった専売局の4階建ての工場は、地盤の悪い土地に建ち、
 床も木造だったが大きな被害はなかった。
 これは全体の形状がよかったからだと考えられる。

 このことは、煉瓦造の壁に粘靭性を与える工夫をすれば、
 鉄筋コンクリート以上に耐久性のある耐震・耐火構造が可能なことを
 意味している。

   筆者註 眞島氏は、大分前に紹介した岡田信一郎氏同様(12月23日)、
        あらかじめ材料や工法に優劣の順を付ける観方をとらない。 

◇第三は、基礎の問題。
 基礎に変動が生じると、剛性が高く脆弱な煉瓦造や鉄筋コンクリート造は、
 大きな影響を受ける。
 しかし、地震動によって微動だにしない基礎をつくるには莫大な費用を
 要する。
 それゆえ、多少の不動沈下が生じるのはやむを得ないと考え、
 基礎に変動が生じても害が少なく補修が可能な上部構造を選ぶ方が得策で
 ある。

◇第四は、施工の問題。
 鉄筋コンクリートを設計時の想定どおりに施工・実現することは、
 他の構造に比べ、数等難しい。
 それゆえ、設計時に想定した耐久・耐震・耐火性能が、竣工後十全に機能する
 と考えることはできない。

◇第五は、設計上の問題。
 木造や鉄骨造と異なり、種々な材料の配合でつくるコンクリートは、
 仮定に仮定を積み重ねて設計される。鉄筋への付着の程度なども、
 完成品を調べなければ真の性能は分らない。
 設計にあたり、これらの点を心得て適切に按配できる能力と経験に富む
 設計者が必要だが、現実には難しい。
 「設計指針」を整備しても、理想の構築物が設計されることはあり得ない。

◇では、いかなる耐震構造を考えればよいか。
 耐震法には、
 西欧建築のように、壁体を剛強にして地震動に正面から腕ずくで対抗する方法
 日本の木造建築や鉄骨造の如く、撓みやすい架構として地震動を避ける方法
 の二つがある。
 前者の壁体で剛強な建物は自己振動周期は1秒以下、
 後者の柔軟な建物のそれは1秒以上と考えられ、
 前者1秒以下のものを剛性建築、後者1秒以上を柔性建築と定義する。

 大地震の周期は平均して約1~1.5秒、関東大地震のそれは1.5秒。
 ただ、その数値は地盤により異なり、東京下町では1秒内外で、
 建物の周期が地震のそれに近い場合、建物は大振動を起こす。
 当時の西洋建築物の振動周期は0.3~1秒で地震の周期に近かったから
 被災を避け得なかったのも当然と言える。

  註 ここに挙げられているデータは、当時の研究者の実測によるもの。

 「耐震構造」を考えるには、建物の固有振動周期と地震の周期の関係を
 無視することはできない。

 剛性建築を耐震にするには、その固有振動周期を常に0.5秒程度以下とする
 必要があるが、建物が多少でも損傷すると振動周期はそれを越え1に近づく。
 それゆえ、粘靭性を欠く壁体で、地震に完全に対応することは難しい、と
 考えるべきである。
 
 明治に導入された西欧の剛性建築は、数度の大地震を経て
 その剛性補強策が進歩したはずだが「昨年の一撃に遇ふて脆くも大敗した」。
 関東大震災を機に改正された「市街地建築物取締規則」では、
 震度0.1以上の水平力で設計することを規定しているが、
 これを充たしても、地震周期に合致する建物が生じることを避けられない。
 この規定は、洋風建築に加えられてきた局部補強法を単に数値化したに
 すぎず「何処迄行ったらよいのやら霧中をぶらついている様なもの」である。

   註 市街地建築物取締規則は、現在の建築基準法の前身にあたる。

 これに対し、「(たとえば)波浪に翻弄(ほんろう)さるる小舟に乗じて
 我々は剛直に立つことは一瞬も出来(ないが)、若し姿態を柔順に保てば
 転倒を避くることは左まで難事ではない(のと同じように)・・
 地震の急激なる衝動を一時吸取し、或は之れを消失し、或は緩徐に之れを
 吐出し以(もっ)て被害を少からしむる(ことは可能で)・・
 基礎や本体の剛柔に依って其受くる震力に相違あるべきは
 推定に難(かた)からざる処(である)。
 (実際)木造日本家屋の如きは一振二振で壁ちりが切れ木材の仕口が弛み
 急に剛性を失ふて緩く大きく揺れ出(すが)、爾(じ)後(ご)の振動には
 耐へて居る」。
 また日本では、「(幾度か大地震に遭ってきた)頭の巨(おおき)い高い
 重い荷を負っている大寺院も、殆んど四方明け放しで、耐震壁も、筋違も、
 ボールトも、短冊鉄物もなく、それで百千年厳然と立って居る・・。
 之に筋違を入れたり、耐震壁を設けたり、ボールトで締付けたり
 耐震補強を(することは)鉄道客車から緩衝装置を取り外したと同様で
 折角の柔性を損し危険率を増す・・」ことは明らかである。
 日本に古来剛性建築が一つもないのは、地震の多い日本には不向きなことを
 知っていたからだろう。

 「要するに、壁に重きを置く剛性建築は耐震上は恐るべき」ことなのである。


 以上が眞島氏の論の概要で、氏は具体的な耐震建築の仕様も例示ているが、ここでは省略する。

 氏の論理は、方法論としては現場・経験・過去の事実・・から真理を探る「帰納法」と言ってよいだろう。それに対し、片や、中央を牛耳っていた剛構造化を主唱する「帝大派」のそれは、机上でつくり上げた論を「一般的な原理」と見なした「演繹法」の論理であり、問題は、その「一般的原理」がリアリティの裏づけなしのもの、つまり、事実に反するものであった点である。

 この論を読むと、冒頭に紹介した「耐震」規定・指針の効果がなかった中越沖地震による被災の要因を、ある程度想定することができる。
 このあたりで立ち止まって「耐震の考え方」を根本的に見直さなければならないのではなかろうか。

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