岩手・宮城内陸地震・雑感・・・・短周期地震動と家屋

2008-06-24 20:49:26 | 地震への対し方:対震

[文言補訂 22.06、22.11、22.23][註記追加 6月25日 8.17][註記追加 6月28日 3.30 6月29日 20.26]

東北山地での大地震発生から、もうじき2週間になる。
上掲の地図は「大日本地図帳」(平凡社)から転載した震源地域の地図と、「・・県の地名」(平凡社)から転載の旧市町村行政区画図。

今回の地震の特徴は、建物被災が少なかったことだろう。
調査によると、震度6強を記録した岩手県奥州市、宮城県栗原市でも、全壊家屋は0だったという(読売6月18日、朝日6月19日など)。

いわゆる「応急危険度判定」でも、「危険」と判定された家屋は、奥州市で4%、栗原市で7%で、宮城県北部地震(最大震度6強、2003年)の17%、中越地震(最大震度7、2004年)の15%、中越沖地震(最大震度6強、2007年)の15%を遥かに下回る。
一方、今回の地震の振動の加速度:揺れの強さは、観測史上最大との報道もある。

   註 「応急危険度判定」の判定基準には、伝統的な工法の建物には
      適用できない判定条項がある。
      この地域には、後に触れるが、伝統的な工法による建物が多く、
      実際には危険ではない建物が「危険」と判定されている例が
      あるように思える。

   註 「危険」判定の割合:[註追加 6月25日 8.17] 
      阪神・淡路:13.9%、鳥取県西部:10.9%、福岡沖:16.4%

   註 報道される地名には、合併による新しい行政区画名が多く、
      分りにくい。
      合併前の元の市町村名は以下の通り。上掲地図参照。
       一関市
       一関市(いちのせき・し)、花泉町(はないずみ・まち)、
       東山町(ひがしやま・ちょう)、川崎村(かわさき・むら)、
       大東町(だいとう・ちょう)、千厩町(せんまや・ちょう)、
       室根村(むろね・むら)
       奥州市
       水沢市(みずさわ・し)市、江刺市(えさし・し)、
       前沢町(まえさわ・ちょう)、胆沢町(いさわ・ちょう)、
       衣川村(ころもがわ・むら)
       栗原市
       築館町(つきだて・ちょう)、若柳町(わかやなぎ・ちょう)、
       栗駒町(くりこま・まち)、高清水町(たかしみず・まち)、
       一迫町(いちはざま・ちょう)、瀬峰町(せみね・ちょう)、
       鴬沢町(うぐいすざわ・ちょう)、金成町(かんなり・ちょう)、
       志波姫町(しわひめ・ちょう)町、花山村(はなやま・むら)

       これらは、おおむね、旧「郡」単位で合併したようだ。

       蛇足だが、旧市町村はほとんどが自然境界で区画されており、
       はたして、これを合併して行政が「合理化」できるのだろうか?
       はなはだ疑問に感じる。

       なお、平泉町だけは、どこと合併することなく既存のまま。
       したがって、町の面積は著しく小さい(上図参照)。[記述追加]

被災家屋が少なかったことについては、いろいろな見解が述べられている。そのなかで、「いつもながらの見解」は「屋根がトタンで軽かったから」ぐらい。

震度6強の地域は山地の住まい、しかも戦後の入植者の多い地域。戦後60余年経っている。
おそらく今の建屋は、開拓が落ち着いた頃に建てられたもので、築後30~40年の家屋が多いと思われる。しかも、おそらく都市計画区域外。
ということは、建築基準法の規定に準じた建物であるわけがなく、昔ながらのつくりのはず。また、仮に都市計画区域内であったとしても、旧耐震基準によった建物のはずだ。

さすがに今回ばかりは、耐震専門家も、「新耐震基準以前の建物は壊れた」、などと言うことができなかったのである。屋根がトタンで軽かったからだ、と言うのがせいいっぱいだったのかもしれない。
しかし、それとても、瓦葺きの土蔵が壁を振り落としても、躯体は健在な姿を見ると何も言えまい。

こういった現地の実像から、地元の専門家は、「貫工法による伝統工法の建物が多かったことが倒壊を少なくした」と見ている(朝日6月19日)。

また、開拓地以外について、奥州市の建築住宅課の「築150~200年の農家などは、柱が太く、びくともしていない」との見解もある(読売6月22日)。
この場合の「太い柱」とは、現在の基準法の最低柱寸法100mmとの比較であることに留意したい。つまり、むやみやたらに太いわけではないことは、東北の農家建築を見てみれば分る。
こういう地域の専門家は、都会の専門家と違って、「あたりまえなものの見かた」ができるようだ。

いろいろな研究者の現地調査で注目したのは、「振動の周期」についての見解。
すなわち、境有紀氏(筑波大学・地震防災工学)の調査によると、今回の地震は、中越、中越沖など過去の地震と異なり、振動の周期、つまり「揺れの一往復の時間」が、きわめて短いという指摘。
今回の地震のそれは、0.2~0.3秒。能登半島地震では1.5秒。多くの場合にくらべて5分の1程度の周期なのだという(読売6月18日、なお境有紀氏のHPに地振動についての詳しい解説あり)。

この短周期の地震動に対しては、通常の家屋は破損・倒壊に至らず、周期1.5秒前後の地震動は倒壊をもたらしやすいという(いわゆるキラーパルス)。

建屋のもつ固有振動数(すべての物体には、それ固有の振動数がある、という)と地震の振動数とが共鳴・共振する場合に、破損が生じやすい、ということのようだ。今回の場合、短い周期の揺れは、多くの木造家屋に共振を起こさなかった、ということらしい。

では、いったい、建物の「固有振動数」とは何によって決まるのだろうか。

機械設計や車両設計では、完成後の機械が共鳴・共振を起こさないように苦心しているらしいが(ディーゼルエンジンなどでは、振動を打ち消すためのバランサーが付いているのではなかったか)、建物ではそういう研究が行われているのだろうか?
おそらく、建物の「固有振動数」は、建物の形体、建物の重さ、重心の位置、使用材料、建物を構成する部材の組み方、・・・など多種の要因で微妙に異なるのではないか。
たとえば、同じ形体、同じ仕上りであっても、伝統的な工法と耐力壁依存工法、2×4工法・・では、固有数値が異なることが予想される。

もしも、固有数値の制御ができるのならば、現在のいわゆる「耐震補強」策とは異なるもっと合理的な「対震」法が見出されるのではなかろうか。

そして、これは私の「勘」なのだが、いわゆる「貫工法」「差鴨居工法」によるいわゆる「伝統工法」では、いろいろな経験の積み重ねの結果、建屋の固有振動数を、地震の「キラーパルス」にはもちろん、どのような振動数に対しても、大きく共鳴・共振しないように整えることのできた工法だったのではないだろうか。
各地の例を見なおしてみて、そのように感じるのだ。

ちなみに、短周期の地震動は、瓦や壁は落ちやすく、ガラスも割れやすく、人も揺れを感じやいそうである。

   註 真島健三郎氏は、大正13年(1924年:関東大震災の翌年)、
      すでにその「柔性建築論」において、
      固有振動数と地震の関係について論じている。
      [註記追加 6月28日 3.30]
      「紹介:真島健三郎『耐震家屋構造の撰擇に就いて』:柔構造論の原点」

ところで、もう一つ今回の地震報道で感じたことは、あの巨大な土砂崩落・地すべりにまき込まれた家屋が、少なくとも多くの映像を見る限り、無いことだ。
温泉宿が二軒まき込まれているが、いずれも河川敷近く、多分泉源に建てられたのだろう。
ところが、農家で土砂に埋まった映像は無い。寸前のところまで土砂が押し寄せている例はあるが無事。
なぜなのだろうか。
これも私のまったくの想像だが、農家の方々は、現地での長年の開拓の実践によって、地形の特質を見抜き知っていたからではないだろうか。
コメント (1)
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