[カテゴリー変更 4月24日17.12]
小坂の「康楽館」を訪ねた際、旧・「鷹巣(たかのす)町」から阿仁川をさかのぼった山間の町、旧・阿仁(あに)町も訪れている。
かつて「阿仁」にも鉱山があり(「阿仁銀山」)、そこにある通称「阿仁 異人館」を観るためである。
秋田~青森一帯の地図を上に載せた。
一般には、阿仁は「マタギの里」として知られている。
「鷹巣」から山を越えて「角館(かくのだて)」まで、「秋田内陸縦貫鉄道」が走っている。
その鉄道の「阿仁合(あにあい)」駅の直ぐ近くにあるのが、「阿仁 異人館」(上掲の写真)。写真の建物の裏手を鉄道が走っている。
註 鷹巣町、阿仁町・・は、合併で現在は「北秋田」市。
「秋田内陸縦貫鉄道」は、第三セクターの運営。
元は国鉄として計画され半世紀かけて全通したのだが、
民営化の際、見捨てられたからだ。
他の第三セクター運営の鉄道同様、存続の危機にあるが、
最近、存続させる方向で地元の意向が固まったとのこと。
なお、「鷹巣町」の先進的な福祉政策は有名だったが、
それを推進してきた町長が選挙に破れ、また合併によって、
大きく変ってしまった。と言うより、昔に戻ってしまった。
この間の経緯・事情については、2年前の2006年に書かれた
次の記事に詳しく述べられています。
「福祉先進地、鷹巣町の出来事」
この建物は、明治15年(1882年)、阿仁銀山の外国人技師のための宿舎として建てられたという。設計はドイツ人と言われている。
工法は、木造の骨組に煉瓦を積んだもの。
東京の「鹿鳴館」は明治16年建設というから、それよりも前に建てられていたことになる。
なお、大館では、約50㎡のかわいらしい「北鹿(ほくろく)ハリストス正教会聖堂」(明治25年:1892年竣工)も観させていただいた(中には入れなかった)。
明治中期、各地域は、いまだ江戸時代を引継ぎ、活気に満ちていたのである。
そしてその後、「中央」への集中が進み、徐々に、地域の活気は失せ、現在に至る。
それは、近代化を目指したという明治政府が決して「近代的」ではなく、民主化を目指したという第二次大戦後の政府は決して「民主的」ではなかったからである。
なお、「阿仁 異人館」は、1990年、国の重要文化財建造物に指定された。