[文言追加 24日14.35][訂正追加 25日 9.30]
昔撮った写真の中に、板倉の写真を見つけました。
いくつか紹介いたします。ネガが見つからず紙焼きからのスキャンなので、今一冴えませんがご容赦。
30年ほど前、諏訪から佐久への蓼科越えの街道の茅野寄りで見かけた、と記憶しています。もう現存していないのではないでしょうか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/c5/1944802058b4ef90ae8505f8ebc088e3.jpg)
土蔵のように見えますが、板倉に土塗を施していて、大きく剥落しています。
剥落部を撮ったのが次の写真。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/fa/fffcc537b336cf6aa07f5082446d2b3e.jpg)
次は別の建物です。
はっきり覚えていませんが、一階部分は床下になっているのかもしれません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/62/dd1ff55399f11af9fe566449ce2e948d.jpg)
その土塗壁の剥落部分の近影。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/5e/7dd53fac8a3457c0a9b908ea719c1738.jpg)
板壁への土塗の方法を知る手掛かりとなるのが次の事例です。上が妻側、下が妻~平側の隅の部分。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/8d/ac50e4be7d107728a16b5111d8615aa1.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/e0/7c3f166c34be95b30241f20e50cc457d.jpg)
板壁に竹釘を打付け、下げ緒(下げ苧:さげお)を結いつけ土塗をしていた、と考えられます。
写真では分りづらいですが、竹釘が多少残存していたと思います。
下げ緒(下げ苧):麻の繊維は、トンボと呼ぶこともあり、木摺下地の塗壁の補強のために常用される手法です。
鉢巻になる部分には、縄がからげてあります。
多分、木摺下地とは違い、下地の厚板の収縮の度合いが大きいため剥落が起きやすいのではないか、と思います。
木摺下地漆喰塗の仕様例を「煉瓦の活用と木摺下地の漆喰大壁」で紹介してあります。
なお、この記事で、木摺の大きさを厚さ2分×幅1寸5分程度とありますが、実際は、幅 1寸2分~1寸3分 程度です。訂正します。[訂正追加 25日 9.30]
以上の事例は板壁を柱間に落し込んでいるものと考えられます。
板は、全厚を柱に嵌めるのではなく、柱に小穴を突いて厚さの1/3~1/2ほど嵌めているのではないでしょうか。板~板の間にはとりたてて細工はしていないようです。
また、次の写真のように、隅部に柱を設けず、板を井籠(せいろう)に組んで納めた例もあります。板厚は、見たところ、2寸程度です(落し込みの場合もその程度でしょう)。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/77/ef8848fff664d636f2ec90783460d873.jpg)
屋根は、いずれも鞘組が設けてあります。
建物内に入って確認はしていませんが、本体の合掌部に板天井が設けられているものと思われます。
鞘組については、「日本家屋構造・中巻・製図編の紹介-13 『土蔵』 」で触れています。
屋根勾配が緩く、軒の出が深いのは、諏訪地域の建物に共通しています。
板倉+土塗仕様は、諏訪地域に多いように見受けられます。
板倉にした上に土塗を施すのは何故なのか、分りません。
「土蔵風に見せるため」、などという「現代的な《理由》」ではなく、正当な謂れがあるはずです。
積層の板の間に生じがちな空隙防止のためか、とも思いますが、どなたか、ご存知の方、ご教示いただければ幸いです。
深い軒の出を維持していることから、防火のためとは考えられません。[文言追加 24日14.35]
この写真を撮った頃、同じ諏訪の原村の近在で、主屋の切妻屋根の形にあわせ整形した防風・屋敷林を撮った覚えがあるのですが、見つかりません。
いずれ見つかったら紹介いたします。
昔撮った写真の中に、板倉の写真を見つけました。
いくつか紹介いたします。ネガが見つからず紙焼きからのスキャンなので、今一冴えませんがご容赦。
30年ほど前、諏訪から佐久への蓼科越えの街道の茅野寄りで見かけた、と記憶しています。もう現存していないのではないでしょうか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/c5/1944802058b4ef90ae8505f8ebc088e3.jpg)
土蔵のように見えますが、板倉に土塗を施していて、大きく剥落しています。
剥落部を撮ったのが次の写真。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/fa/fffcc537b336cf6aa07f5082446d2b3e.jpg)
次は別の建物です。
はっきり覚えていませんが、一階部分は床下になっているのかもしれません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/62/dd1ff55399f11af9fe566449ce2e948d.jpg)
その土塗壁の剥落部分の近影。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/5e/7dd53fac8a3457c0a9b908ea719c1738.jpg)
板壁への土塗の方法を知る手掛かりとなるのが次の事例です。上が妻側、下が妻~平側の隅の部分。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/8d/ac50e4be7d107728a16b5111d8615aa1.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/e0/7c3f166c34be95b30241f20e50cc457d.jpg)
板壁に竹釘を打付け、下げ緒(下げ苧:さげお)を結いつけ土塗をしていた、と考えられます。
写真では分りづらいですが、竹釘が多少残存していたと思います。
下げ緒(下げ苧):麻の繊維は、トンボと呼ぶこともあり、木摺下地の塗壁の補強のために常用される手法です。
鉢巻になる部分には、縄がからげてあります。
多分、木摺下地とは違い、下地の厚板の収縮の度合いが大きいため剥落が起きやすいのではないか、と思います。
木摺下地漆喰塗の仕様例を「煉瓦の活用と木摺下地の漆喰大壁」で紹介してあります。
なお、この記事で、木摺の大きさを厚さ2分×幅1寸5分程度とありますが、実際は、幅 1寸2分~1寸3分 程度です。訂正します。[訂正追加 25日 9.30]
以上の事例は板壁を柱間に落し込んでいるものと考えられます。
板は、全厚を柱に嵌めるのではなく、柱に小穴を突いて厚さの1/3~1/2ほど嵌めているのではないでしょうか。板~板の間にはとりたてて細工はしていないようです。
また、次の写真のように、隅部に柱を設けず、板を井籠(せいろう)に組んで納めた例もあります。板厚は、見たところ、2寸程度です(落し込みの場合もその程度でしょう)。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/77/ef8848fff664d636f2ec90783460d873.jpg)
屋根は、いずれも鞘組が設けてあります。
建物内に入って確認はしていませんが、本体の合掌部に板天井が設けられているものと思われます。
鞘組については、「日本家屋構造・中巻・製図編の紹介-13 『土蔵』 」で触れています。
屋根勾配が緩く、軒の出が深いのは、諏訪地域の建物に共通しています。
板倉+土塗仕様は、諏訪地域に多いように見受けられます。
板倉にした上に土塗を施すのは何故なのか、分りません。
「土蔵風に見せるため」、などという「現代的な《理由》」ではなく、正当な謂れがあるはずです。
積層の板の間に生じがちな空隙防止のためか、とも思いますが、どなたか、ご存知の方、ご教示いただければ幸いです。
深い軒の出を維持していることから、防火のためとは考えられません。[文言追加 24日14.35]
この写真を撮った頃、同じ諏訪の原村の近在で、主屋の切妻屋根の形にあわせ整形した防風・屋敷林を撮った覚えがあるのですが、見つかりません。
いずれ見つかったら紹介いたします。
茅野市美術館で以前、藤森照信先生の「諏訪の民家の特徴と謎」と題する講座がありまして、諏訪地域のヘンなもの(←藤森先生流な表現)の紹介として、建てぐるみや校倉のことに触れられていました。
下山先生の掲載された写真と同じ、板倉+土壁の写真も幾つか紹介されていたのですが、何故、板倉にした上に土壁を塗ったのかという謂れまでは残念ながら触れられてはいませんでした。
諏訪生まれの藤森氏がご存知ないとは・・・・。
今や、実際に建てた方に訊かなければ分らないのかもしれませんね。
建築史家にも、建築家と同じく、出来上がった「形」にだけ興味を持つ方が増えているようです。
「謂れ」に関心を持つ方が減っています。
そういう関心を持つ奴は変人と思われる。
「つくる現場」を大事にしなくなっているのではないか・・・。
残念至極です。
今後ともよろしく。
ない智恵を絞ってみました。
まず土蔵にならないのは、厳しい寒さの季節が長いと厚い壁土の乾燥に支障を来してしまうからでしょうか。仙台・新潟には土蔵はありますが。
しかし倉は必要になるので、豊富な森林資源を活かして板倉とし、倉内の密閉性や保温性確保のために土塗り壁にしたのではないかと思いました。
乾燥による板傍の隙間防止という意図もあると思いますが、お互いの収縮の度合いも違うでしょうから、結果的に相互に悪い影響を与えてしまいそうです。
また、土塗りの厚みからすれば、防火の意識は少ないのではないかと思います。
鞘屋根の軒の出が深いのは、雪の多い地方の特色ではないかと思います。軒を深くして支柱を建てて板囲いを付けているところもあります。
また、軒屋根を下屋のように長くしているのは、倉前での農作業の場となるのではないかとも思います。
町屋の土蔵に見られる、物の保存と防火のためにあるのとは違う使われ方が垣間見られ、形となって現れているのが興味深いです。
寒冷地でも蔵造りは各地にあります。寒冷地だからこそ、と言ってもよいかもしれません。保温性に優れているからです。
「軒の出の深さ」はおっしゃる通りのようです。
川島宙次氏も「滅びゆく民家」の中で、写真付きで解説されています。
今後ともよろしく。