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建築をめぐる話・・・つくることの原点を考える 下山眞司
☆
続・鉄筋コンクリートの「踏み天井」・・・・追加補足写真
2006-11-03 03:43:15
|
RC造
先回の『鉄筋コンクリートの「踏み天井」』:江東図書館:の写真を追加します。
上段左は「南面立面の部分」、右は「逆方向から見た吹抜け」
下段左は「2階開架閲覧室:南側閲覧コーナー」、右は「1階ラウンジ」
図と照合してご覧ください。
写真は「建築文化」359号からの転載です。
#芸術(レビュー感想)
コメント (4)
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実際に拝見しました。
(
はな垂れ
)
2006-11-04 20:10:07
このブログ本当に勉強になります。ぜひ長く続けて頂きたいと思います。
江東区立図書館実際に拝見しました。派手さはありませんが、かめばかむほど味のあるするめのように、見れば見るほど唸らされる作品でした。いくつか思ったことを書きます。
アーチについて。現場に向かう電車の中でふと考えました。「アーチの形はおかしいのではないか。アーチも梁であるから、梁の両端が剛であれピンであれ、曲げモーメントが最大になるのはスパン中央。部材の曲げ耐力を上げるには断面二次モーメントを上げる、つまり梁成を上げなければならない。なのにアーチ梁は、梁間うちで中央が一番薄い(梁成がない)形状となっていて、構造力学の通念とは逆になる・・・。」アーチは言われるまでもなく梁ではあるけども、西洋の宗教建築などに多用され、壁面と一体になっている事もあり、梁である事を忘れがちでした。学校でも習って、アーチの構造的特徴についてはなんとなく理解しているつもりでしたが、改めて考えてみると不思議。で自分なりに推測した結論。力を物量(カサ)で受けるのではなく受け流す、柱へ効率よく伝達するため、むしろあの形がベストなのだと。もともと柱と梁の関係はそうであるはずですが、それを(工学的にも美的にも)最もスマートな形に完成させたのがあの形なんだと。先人は感覚的に理解していたんでしょう。自然にある部材で曲げに抵抗させるのには大変だけれども、軸力には比較的簡単だと。しかもそれは変換可能だと。だから通常であれば梁の曲げ・せん断力は柱にそれぞれ曲げ・軸力として伝わるけれども、応力が梁にあるうちから曲げを少なく、軸力が多くなるように変換する装置、それがあの形なのではないかと。ただし柱の柱頭では、変換された斜めに入力される軸力のために余計に柱頭曲げが発生してしまうので、側廊柱を段階的に設け応力分散を図るのは語りつくされている通り。カーンの建築でアーチ梁のすぐ下にまた梁がありますが、あれは決して見てくれだけで付けているのではなく、斜めに入力された応力に対抗するため、(側廊がない分)柱のために引張部材が必要なためだと頷けます。結局アーチは、曲げを軸力に変換してしまうからくりだったのですね。(間違えてたらすいません)
次に柱梁を同幅で配置されている点について。
安藤忠雄さんもよくやっていますが、いくら施工性が良くなるからといっても、地震力はF=maで質量に比例するから、荷重が増えてしまう分、短期荷重時には不利なになるのではないかと言う懸念です。しかしアーチ梁を見てすぐ納得しました。平面的には確かに柱と同面で納まっているけども、立面的には十分絞られていると。しかも書いているうちに今気付きました。水平荷重時の曲げモーメント図。梁は長期荷重時とは違い、中央ではなく端部で曲げが最大となり中央では0となります。まてよ・・・アーチ梁の断面は端部で最大・・・。えーっ!アーチは長期にも短期にも有効な形状じゃないかー!先人達は感覚的にあるいは経験的にここまでわかっていたのでしょうか?もしそうなら恐れ入ります・・・。(すでに当たり前の話ならすいません。主に意匠をしている人間が自力で考えたの話なのでご容赦下さい。)
デザイン的には、周辺への配慮から建物を低く見せるための工夫。おまけではなく建物と一体として配置・計画された駐輪場。力の流れからデザインした閲覧室の照明。軽やかさを演出する階段脇の浮いた机。レンゾ・ピアノよりはるか何十年も前に設備機器をデザインとして取り入れた点。ちょっとしたコーナーの取り方・しつらえ方。カーンばりの外観など・・・本当に勉強になりました。
これからも楽しみに拝見しますので、機関銃のようにお書きになって下さい。
返信する
「はな垂れ」さんへ
(
筆者
)
2006-11-05 10:36:23
はな垂れ(小僧)などと謙遜なさらないでください。
南砂まで行かれたとのこと、少し足を伸ばして、隅田川にかかる橋の散策・見学をなさればよかったのになあ、と思いました。機会をつくって、是非お奨めします。
返信する
続「はな垂れ」さんへ
(
筆者
)
2006-11-06 02:31:20
昼間はとりあえずコメントしました。ゆっくり読ませていただきました。遠路(?)お出かけいただき、感激してます。建物の近況も想像できました(最近は訪ねていなかったので)。
電車の中での考えの「揺れ動き」の様子、大変興味深く読ませていただきますした。私は、学校出たてで、教わった(よく分からなかった!)「建築構造」で「もの」を見てもさっぱり見えなかったころのことを思い出しました。大分経って、「感覚」で見たほうがよく分かることに気付き、そして「構造学」も、元はと言えば「感覚」の理論化に過ぎなかったことにも思い至りました。
「感覚」というのは何か?それは、子どものころからの日常の経験・体験で体に(頭に)蓄えられたものなのではないでしょうか。
それが分かるようになってからは、素直に「もの」が見えるようになったようなな気がしています。
今は「感覚・直観」と「学問」の位置が、逆転しているみたいですね(「直観」は《山勘》のように見られている)。
今後もお読みいただき、ご意見をたまわれば幸いです。
返信する
恐縮です
(
はな垂れ
)
2006-11-06 21:03:13
ご丁寧なご返信を有難うございます。いろいろ学ばせていただくのはこちらのほうです。とんちんかんな質問・書き込みなどする場合もあると思いますが、その際はご容赦ください。
返信する
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自己紹介
1937年東京生まれ、東京育ち。建築士。1976年に新治郡桜村(現つくば市)に移住、2000年からは、出島村(現かすみがうら市)に居住。
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これからも楽しみに拝見しますので、機関銃のようにお書きになって下さい。
南砂まで行かれたとのこと、少し足を伸ばして、隅田川にかかる橋の散策・見学をなさればよかったのになあ、と思いました。機会をつくって、是非お奨めします。
電車の中での考えの「揺れ動き」の様子、大変興味深く読ませていただきますした。私は、学校出たてで、教わった(よく分からなかった!)「建築構造」で「もの」を見てもさっぱり見えなかったころのことを思い出しました。大分経って、「感覚」で見たほうがよく分かることに気付き、そして「構造学」も、元はと言えば「感覚」の理論化に過ぎなかったことにも思い至りました。
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