「第Ⅳ章-1-1 丸岡城」 日本の木造建築工法の展開

2019-07-13 16:29:33 | 日本の木造建築工法の展開

PDF「日本の木造建築工法の展開 第Ⅳ章ー1-1,2」A4版13頁  (PCの方は、左上の「開く」をクリックし、さらに「Word Onlineで開く」をクリックしてください。)

 「日本の木造建築工法の展開 Ⅳ  近世ー1」 

 ・・・・我々は、ものを見るとき、物理的な意味でそれらを構成していると考えられる要素・部分を等質的に見るのではなく、ある「まとまり」として先ずとらえ、部分はそのある「まとまり」の一部としてのみとらえられるとする考え方すなわち Gestalt 理論の考え方に賛同する・・・。    ギョーム「ゲシュタルト心理学」(岩波書店)

 

・・・・私が山と言うとき、私の言葉は、茨で身を切り裂き、断崖を転落し岩にとりついて汗にぬれ、その花を摘み、そしてついに絶頂の吹きさらしで息をついたおまえに対してのみ、山を言葉で示し得るのだ。

言葉で示すことは把握することではない。・・・・・・・言葉で指し示すことを教えるよりも、把握することを教える方が、はるかに重要なのだ。ものをつかみとらえる操作のしかたを教える方が重要なのだ。

おまえが私に示す人間が、なにを知っていようが、それが私にとってなんの 意味があろう?それなら辞書と同様である。・・・・サン・テグジュペリ「城砦」(みすず書房)

 

主な参考資料  原則として図版に引用資料名を記してあります。

日本建築史図集(彰国社) 日本住宅史図集(理工図書) 日本建築史基礎資料集成(中央公論美術出版) 修理工事報告書  日本の美術 (至文堂) 原色 日本の美術(小学館)      

 

Ⅳ-1 近世の典型-1:城郭建築・・・上層階級と庶民の技術の融合

 室町時代:1392年(明徳3年)~1573年(天正1年)  安土桃山時代:1573年(天正1年)~1603年(慶長8年) 

 室町時代を前・中・後期に分け、後期(1528年~)を戦国時代と呼び、近世に含める分け方もありますが、ここでは、室町時代までを中世安土桃山時代以降を近世として扱うことにします。

 多層工法の例として、室町時代の後期:戦国時代になり各地に生れた城郭建築のうち、現存する2事例を簡単に紹介しました。 城郭建築は、各地域の武士が領地拡大を競って群雄割拠し、その拠点として築いた建物です。それゆえ、当初の城郭建築は、実用に徹しています。すなわち、自らの領地全域を見渡せ、万一の場合には籠って防戦できる、そういう建物を、極力早く築き上げることが求められました。その一例が、土台と通し柱、差物(飛貫)の活用です。

 また、その工事には、それまで武士と係わりがあった工人たちだけではなく、支配地域の一般の人びとの間で仕事をしてきた工人:民間の工人たちも重用されます。それゆえ、城郭建築には、一般の住居などの架構技術(粗い加工の木材で、柱、梁差物飛貫)、を一体に組み、そのまま仕上げとする)と、上層階級の架構技術(整えた木材で、二重屋根桔木を用い、張り天井付長押などで空間を整える)が適宜用いられた、と考えられる点が多く見られます

 そのような視点で、代表的な城郭建築を詳しく見てみます。

 

1.丸岡城 1576年(天正4年) 所在 福井県 坂井市 丸岡町 霞

  

 現存最古の城郭建築遺構。所在は地図上印箇所。九頭竜川北岸の平野一帯を望む標高17mほどの丘陵上に天守台を築き、建つ。 (地図は国土地理院発行20万分の1地形図より)

 信長の下で、柴田勝家による築城。明治維新に際し、天守以外ほとんど取り壊された。明治年間まで、数回の修理が行われている。安政地震で鯱が落下。福井地震では天守台が緩み、倒壊。

 

▽  北からの遠望                写真は日本基礎資料集成十四 城郭Ⅰより

 

1)各階平面図 単位 尺、 天守は三層。一層の上にニ、三層が載る形をとる。 二層、三層は同一形状。

 平面図は、下から一層、二層、三層。図中の各柱まわりの数字は、柱の大きさを示す。基準柱間:6尺3寸。

 

                    日本建築史基礎資料集成十四 城郭Ⅰより転載・編集

  

 一層は、黄色枠内の母屋と、それを囲むからなる。黄色枠内の母屋の柱はすべて、印以外、当初は掘立柱だった。

 掘立柱は、石垣で築かれた天守台天端面から下約3尺3寸の土中に礎石を据え、を立て、厚板で根巻をして漆喰を塗っていた。ある時期に、根元を切断し、地盤上の礎石建てに替えている。庇部は、石垣上に土台をまわし、柱を立てている。

 〇印を付したは、礎石建てに変更した後、二層・三層を受けるために追加された補強柱。この柱は、両脇の柱の礎石上に土台を渡してその上に立つ。二層三層は、四隅の通し柱

 天守台天端面が糸巻状の形(中央部が凹んでいる)ため、他の城郭とは異なり、土台は石垣上には設けられず、別個に礎石を据えている。そのため、石垣と土台の隙間を塞ぐために、土台水切小屋根を付けている。

 

 

2)断面図  単位 尺、   桁行(西~東)断面図、 梁行(南~北)断面図

建て方の手順  ① 一層の中央部の東西方向の掘立ての柱列に飛貫を通し、大桁を架ける。

  ② 大桁の上に、直交して、母屋部の南側および北側の掘立柱を結ぶを架ける。

  ③ ②で架けたに直交して二層、三層の南側および北側の柱列を受けるを架ける。四隅はし柱。

写真で分るように、内部は農家あるいは商家同様のつくりとし、外部は二重屋根桔木を用いている。

                                    日本建築史基礎資料集成 十四 城郭Ⅰより

  

天守 二層内部 北~南面を見る(梁行断面図参照)        天守 三層内部 東~南面を見る(梁行断面図参照)

  

天守一階 北~東面を見る                      天守一階 東~南面を見る 

 天守一階 南~西面を見る                                 カラー写真は、高村幸絵氏 撮影提供による。

 床梁下に取付けられた横材が目をひく。両脇の差口で取付く。飛貫と言うべきか。 差口:一材が他材に差さる状態を総称

          

3)矩計図  単位 尺 

  

 東南側から見上げ   原色 日本の美術 城と書院 より      

 石垣の天端が糸巻状のため、一層部の土台と石垣の間にできた隙間を、土台から掛けた板葺きの小屋根で塞いでいる。 南面(写真の左側の面)では、板屋根が石垣の外側に飛び出している。

 矩計図礎石建てに変更後の図)  日本建築史基礎資料集成 十四 城郭Ⅰより転載・編集

 

 諸種の技法が、混合して使われている。

 外観を形づくるために、寺院で多用された二重屋根:桔木が使われているが(図の部)、二重にしているのは外側の軒裏部分のみ。内部では、化粧垂木野屋根とも表し。

 全般に、屋内は部材すべて表しの一般の人びと:民間の建屋の工法で、図の部の付長押など、部分的に上層の建屋のつくりかたが唐突に付加されている(三層内部写真参照)。

 図の部の下段の横材は、飛貫、差物・差鴨居と同じ役を担っている(桁行断面図参照)。民間の工法の援用と考えられる。

 図の部は、数段通したを表しの小壁。柱径が7寸前後ゆえ、は5寸×2.3寸程度。このようにを表しで使うのは、一般ではあたりまえな使い方。

 礎石建ては後補。当初は掘立て。 大引足固を兼ねる。

 柱、梁・桁、貫(差物)で組んだ架構は自立し、壁の位置は任意。

 

(「第Ⅳ章-1-2 松本城」に続きます。) 

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