所感・・・・「近江商人」はいなくなった!

2009-01-06 20:56:10 | 論評
「・・・技術」シリーズは、現在図版の工事中。もう少し時間がかかりそう。そこで、つなぎの一文。本当は暗い話は書きたくなかったのだが・・・。


年末からは「派遣切捨て」のニュースばかり目に付く。

オランダは、いわゆるワークシェアリングの先進国なのだそうだ。そこではたとえば、給料を下げて、下げた分を広く給料が少ない、あるいは職を失っている人たちへまわす、といったことが行なわれ根付いているのだという。一つのパイの食べ方だ。

そこへゆくと、わが日本の正規雇用者の労働組合の集合:連合は、給料上げて雇用も増やせ、だという。
そしてソニーの社長は(副社長?)は、会社の利益が第一、と平然と言う。
キャノンの会長は、派遣切りは、派遣会社がやったこと、と平然と言う。
そして、トヨタは、非正規雇用者を切り捨てて、巨大な内部留保金を守る。

非正規雇用者に依存しないものづくりの会社を知りたいものだ。どなたか、ご存知ならばご教示を。


こういう最近のニュースをみていると、どうしてもかつての「近江商人」の「経営」を対比的に思い起こしてしまう。近江商人とそのつくりだした町については、大分前に書いた。

   註 「近江商人の理念・・・・時代遅れなのだろうか」

そこで引用させていただいた「近江商人の理念」について書かれた同志社大学の末永国紀氏の文のなかに、次のような一節がある(上記からアクセスできます)。

「・・・・江戸時代以来、数百年間にわたって大商人を生み出した近江商人は、近江の在所に本宅を構えつづけた。その存在は立身を願う郷党の青少年の夢を刺激し、結果として今流に言えばベンチャー企業を次々に生み出した。社会的影響としてのデモンストレーション効果である。

成功した近江商人は、起業しようとする者からの資金要請に応じ、苦境にたった後輩に助言したり、運転資金を供給したりすることを惜しまなかった。

貸付金の返済が滞っても、漠然とした将来の経営改善時に返済を約束しただけの出世証文に書き直すことさえ容認した。
こうした資金面での寛容さが、多くの後進を育てる一つの要因になったのである。
 
卒業生からきた年賀状を整理し、新旧を入れ替えているとき、転職を伝える添書きには一瞬手が止まる。新天地の職場に幸あれ、と祈るような気持になる。転職を知らせてくる場合はまだ良い方かもしれない、単なる離職である場合は書き辛いし、伝え難いかもしれないなどと、とつおいつすることになる。

若年層の就業意識の変化によって、大卒でも3割が3年以内に転職・離職するといわれる時代である。日本社会が少子高齢社会へ急速に突入しつつあるなかで、若年労働者層は急激な減少が見込まれている。
それだけに、企業側の若者に対する労働需要は高まりこそすれ、減ることはないはずである。

では、なぜ若年の転職・離職が多くなるのかといえば、現実に就職した先が希望の職場とかけ離れていたというミスマッチ、それとフリーターなどでも生活に困らない、極端な場合は無職であることにも抵抗感が少なくなってきていることが考えられる。

フリーターや無職状態を長期間続けることは、社会的にも個人的にも損失の大きいことは誰の目にも明らかである。
彼らもいずれは正規の職場を目指すであろうと考えると、重要なのは職種や職場のミスマッチを減らし、若年層を育成しながら職場への定着率を高める方法である。

この問題を考える際に大事なことは、実際の企業行動に現れる経営理念と社員の価値観に共有性があることである。
そうであってこそ、従業員の自発的な能力開発を期待でき、定着率も高められるであろう。
束縛を嫌う若者を含めて、誰しも待遇の良さだけを求めて働くのではなく、一義的には天職と思える職場で働くことをこそ望んでいるからである。

犬上郡豊郷出身で、幕末から明治にかけて活躍し、総合商社伊藤忠の基礎を築いた初代伊藤忠兵衛は、企業家として敏腕であっただけでなく、すぐれた教育者でもあった。

忠兵衛は進取の気性の持主であり、とくに自由と合理性を尊んだ。
封建制の色濃く残る明治期に、従業員を事業のパートナーとみなして尊重し、多くの人材を育てた。

明治8年頃から店の給食にスキヤキをとりいれ、17年頃からは毎月1・6の日をスキヤキパーティーの無礼講の日と定めて、懇親と滋養の機会としている。

従業員にも利益の一部を配分する利益三分制度を実行し、月例の会議では、若者にも自由な発言を求め、単に自己の所管だけでなく社会の大勢についても独自の意見をもつことを奨励した。

峻厳ではあったが、人を満足させて働かせることが上手で、とくに若者を簡抜して、その潜在能力を引き出すことが得意であり、店員への訓育の際にはいつも、『真の自由があるところに繁栄がある』と語ったといわれる。・・・」

今の「伊藤忠」がそれを引継いでいるかどうかは知らない。

そして、最近のニュースは、現在の日本の「ものづくり」は、大部分が非正規雇用労働者によってつくられているのだ、ということをよく分らせてくれた。正規2:非正規1の割合らしい。

つまりそれは、技術力の低下する前兆以外の何ものでもない、と私には思える。
あるいはそれは、「ものづくり」の技術は、少しの「精鋭」技術者がいれば足りる、と現在の経営者が考えていることの証かもしれない。
かつて、NC制御やロボットが導入されたとき、もう熟練工など不要だ、と産業界で盛んに言われたことを思い出す。
そのとき、ドイツでは、熟練工の養成に努めていた。・・・・

最近の経営者は、何か勘違いをしているのではないだろうか。
利益のためにものをつくるのか、ものをつくることから利益を得るのか。

そして、今の建築界もまた日本の産業界の縮図のように、私には見える。昨日は要らない、明日明日・・・。

コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 謹賀新年 | トップ | 日本の建物づくりを支えてき... »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
派遣社員が技能者というには違和感があります。 (山本大成)
2009-01-07 11:55:37
 派遣社員で正社員として採用された例を知っていますが、派遣社員の大半は「労働者」であって「技能者」ではないとの感覚を持っています。
 企業として守るべき技能の伝承者は企業の根幹を支えるものとして育てられ大切にされていますし、仮に一時職を失うことがあってもも身につけた技能によって同条件以上の仕事の場を得ることが出来ます。
 いわば今回職を失った方の多くは、言わば建築業界に於いてはハウスメーカーの手間仕事に就いて自らの技能の向上を必ずしも目指してこなかった人たちに近い存在ではないでしょうか?
 もちろん企業側の道義的な責任も否定しませんが、そうした仕事を選んだ責任は労働者側にもあり、一概に企業ばかりに責任を負いかぶせるのはおかしいと感じています。
(少なくとも愛知に於いては正社員の道もかなり広く開かれていて、労働条件につられて当社も随分社員が引き抜かれました。)

 実は我が社は粘土瓦製造を辞めて現在会社の整理中なのですが、今の空前の不況下で一番忌むべき事は「会社の存続が出来なくなって、熟練技能者の道を失わせること」だと感じています。

PS.
 内部留保に関しては、設備投資が不可欠で固定費比率の高い製造業者にとって不況時の命綱です。
 仮に10年掛かって溜めた巨額な内部留保と言えども、製造業の場合数年で消えてしまいます。
 対策としては基本的にはワークシェアリング以外に方法が無く、正社員も譲歩して派遣社員と企業の三者痛み分けが出来ないと、継続する対策とは成らないと感じています。

PS2.
 それにつけてもおかしいと感じるのは、雇用主体である人材派遣会社の社名が全く表に出ず、経営破綻も全く耳にしないことです。
 最も責任を重く感じねばならないのは、口銭を執ってきたこの方たちだと思いますがいかがでしょうか?


TBを受け付けていらっしゃらないようなので、記事を一点貼らせていただきます。

一連の「内定取り消し」「派遣社員の契約解除」報道に思うこと
http://kawaraya-taisei.blog.so-net.ne.jp/2008-12-24
返信する
 (筆者)
2009-01-07 15:38:55
コメントありがとうございます。

しかし、私見。
技能者は、あるいは熟練者は、生まれたときから技能者、熟練者ではない、そんな人はいない、と私は思います。
紹介した初代「伊藤忠兵衛」の店に入ってきた若者は、最初から起業者ではない、皆最初は丁稚です。
そこから多くの起業者が生まれたのはなぜか。

たしかに、フリーターでいいや、という風潮があること、あったことは事実ですが、そういう風潮をつくったのは、実は、多くの現代の大手企業経営者だったのではないか、と思います。
もしかしたら、「派遣」を正当化するための下地をつくったのではないか、とさえ思います。

私は、非正規雇用の方々のすべてが、自らすすんで技能者、熟練者への道を選ばなかったのではなく、選べなかったのだ、と思います。
それゆえの私の?です。

「非正規雇用」の方々を、いま人手の足りない仕事へつかせるように訓練するという「愛情溢れる施策」が検討されているといいます。どこまでいっても「物」扱いなのですね。だから、ロボットでいい、などという発想が生まれるのでしょう。
返信する

論評」カテゴリの最新記事