日本の建築技術の展開-17 の補足・・・・大仙院方丈の平面および断面

2007-05-01 20:21:13 | 日本の建築技術の展開

 大仙院の中心の建物、方丈の写真と平面図および断面図。平面図は先々回にも載せた。
 写真、図はいずれも「日本建築史基礎資料集成 十六 書院Ⅰ」より。

 2月24日に載せた東福寺・竜吟庵に比べると、中央の「室中」と呼ぶ室が小さくなっているが、全体の構成は同じと言ってよい。ただ、竜吟庵の基準柱間が6尺8寸であるのに対して、大仙院は6尺5寸。
 「玄関」は切妻屋根で、両者とも、「方丈」の屋根の下にもぐりこむ形になっている(写真参照)。このあたりは、いわゆる「寝殿造」の名残りと言えるように思う。

  註 時代が下ると、ほぼ同様の空間構成:平面の
    園城寺の光浄院客殿や勧学院客殿のように、
    「中門廊」と呼ばれる場所は「広縁」と床を一続きにし、
    屋根も本体と一体になり、「玄関」:入口は別の場所になる。
    2月26日に光浄院の図面、写真を掲載。
 
 竜吟庵の柱は、広縁外側は除き、面取り4.8寸角。大仙院は資料にないが面取り4.5寸前後と思われる。
 広縁外側の柱は、どちらの建物も「室中」の幅に合わせ柱を抜いているため、竜吟庵では27尺強(8m強)、大仙院では22尺強(7m弱)を飛ばすことになり、面取り6寸角程度と思われる(詳細についての資料が手元にない)。
 この柱寸法は、室内、広縁とも、実際に見ても違和感なくなじむ、言い換えれば柱の太さを意識しないですむ寸法。

 この広縁は気分のよい場所。広縁の幅と高さ、室中との隔て方、軒の出の位置(高さも含め)、落縁の落差と幅、庭への続き方、そして前面の庭を囲む築地塀の高さ・・、すべてが頃合いの寸法である。
 多分、基本に建物の矩計があり、庭や塀の細かなところは、現場で決めていったのだろう(おおよその見当はあっての話)。
 建物だけではなく、庭も含めた断面図が欲しいところ。なかなかそういう図面はないし、そう簡単に実測もできないから、いつも、実物を目の前にして、断面を描いてみることにしている。

 小屋組は、両建物とも妻側(東西面)1間通りを引いた入母屋で、四周に「桔木」を@1間で配し、中央部は「束立て」で「束」相互を「貫」で縦横を縫っている。屋根はともに桧皮葺き(大仙院は、桧皮に模した銅板葺きに変っている)。
 また、両者とも、断面図で分るとおり、「室中」部分は、高い天井に合わせて小屋梁が高い位置に置かれ、その高さから「桔木」が四周へ降りるため、小屋組全体は、いわば傘のような形で軸部に覆いかぶさることになる(「桔木」が傘の骨に相当)。
 そのため、おそらく小屋は、普通の束立組の小屋よりも、一段と強い立体に組み上がっていると考えられる。

 軸組は、柱は礎石立て、「足固め」で柱脚部を固め(大引・根太・床板も柱脚部を固める役を果している)、内法付長押と天井付長押裏の「貫」(厚1.2~1.3寸×4寸程度)で軸部を縫う。
 壁は、鴨居上の高さ4尺ほどの小壁だけで(先の「貫」をくるむ小舞土塗り壁)、内法部には壁はほとんどないに等しい(「室中」の写真参照)。
 
 創建以来、何度かの改造や修理(大半が屋根の葺き替え)を経て、現在にまで至っている。大きな改造は1575年(天正3年)の屋根の構造変更だが、1960年の修理に際し、創建当時の姿に復原された。

 このようなつくりの建物が強固なのは、足元を「足固め」で、上部を「貫」をくるんだ小壁で固めた軸組と、その軸組に覆いかぶさるように架けられた小屋組とで全体を構成するつくりかたによるのではないだろうか。

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 日本の建築技術の展開-17 ... | トップ | 憲法記念日に寄せて »
最新の画像もっと見る

日本の建築技術の展開」カテゴリの最新記事