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[図面差替え 22.13][説明追加 05月18日 05.16]
前2回の補足として、1887年(明治20年)編集の地図:測量図を紹介。
当時、現在の国土地理院の前身、陸軍陸地測量部が、全国を測量した。通称「迅速図」と呼ばれている。
平凡社は、各県の地名辞典を編纂するにあたって、各県毎に迅速図を集成編集した。上掲の地図は、そこから抜粋、分りやすくするために、筆者が主な街道を赤、河川を青に塗った。
①は、埼玉平野の中央部。図の上が北。
中山道、陸羽街道、そして中山道線、東北線が記載されている。
青く塗ってあるのは右上が利根川、左下の曲折するのは荒川~隅田川。
②は茨城県南部。図の右が北。①と縮尺を同じにするため、90度右に回転。
見難いけれども、縮尺重視したのでご容赦。
青塗りは、上から(西から)順に、利根川、鬼怒川、小貝川、桜川の流れる範囲。
上を横切る街道(赤く塗ってない)は中山道。
右側の上下に(東西に)通っている赤線塗りが、「小山~水戸」をつないでいた街道。
赤塗りは、上から(西から)順に、「取手~下館」「土浦~真壁・岩瀬」間の街道。
この時代、都市・町・街と農村部は、西欧では現在でもあたりまえな、メリハリのついた様相であったことが分る。
今、日本では、全土を町・街化するのが開発、進歩であるかのように、ノッペラボウに家々が続く様相になりつつある。
それには、ある時代以降の鉄道敷設の思惑が深く関係していると言ってよい。
今回の連載記事は、それを明らかにするのが目的。
できるだけ広い範囲を入れようとしたため、地名などが見難いと思います。何とか想定してみてください。
なお、当時の横書きは、右から左へ並べます。例えば、「東京」は、この地図上では「京東」になります。