日本の建物づくりを支えてきた技術-11の補足・・・・白水阿弥陀堂 追加

2008-10-11 22:39:17 | 日本の建物づくりを支えてきた技術

[図版更改 10月12日 8.24]

先回の「白水阿弥陀堂」の補足として、以下を載せます。

1) 「白水阿弥陀堂」の立地を見るために、google earth の航空写真を転載。
   左側は、周辺を含んだスケール、右は寺域。

   寺域が、南面に開いた穏やかな盆地状の土地であることが分ります。
   取り囲む山・丘陵の高さが程々なのです。

   昔の人は、「住まう場所」を探す見事な感覚を持っていたようです。
   平安時代以降、その感覚は時代とともにますます鋭敏になるようです。

2) 「白水阿弥陀堂」の「断面図」と「平面図」です。

   「修理工事報告書」が、近くの大学図書館にあることが判明。
   ところが、その図書館、耐震補強工事で、しばらく使えないという。
   図書館で、そんなこと、あってよいのかな?

   国会図書館にあるのは自明、ただし時間がかかる。
   そこである大学の建築史研究室に勤める若い友人に尋ねたら、
   即刻、メール・添付ファイルで送ってくれた!
   そして更に、今夕、「報告書」全巻のコピーが郵送で届きました!
   上の図は、そのうちの一部です。

   とても綺麗な図面です。元図はおそらく「烏口(からすぐち)」描き。
   元図は大判で、きっと惚れ惚れとする図面でしょう。

   註 「烏口」とは「墨入れ図面」を描くための製図道具。
      2枚の刃の間に「墨」を含ませて描きます。
      紙が刃で切れ、そこに「墨」が入り込むため、
      きわめて鋭利な線が描けます。
      私が学生の頃は、「烏口」習熟が一つの課程でした。
      「墨」は硯で摺るのが最高ですが「墨汁」も使いました。

   図面の寸法は、十三尺四寸・・などと和数字で書いてあるようです。
   報告書上でもよく読めませんが、拡大してみたところ、そのようです。
   だから、「棒尺」も右から左へ・・・・。

   報告書は1956年(昭和31年)刊。同年1月に工事着手、同6月に終了。
   工期も短いのに、報告書の発刊までもされているのには驚きました。

   断面図で分るとおり、屋根裏は、もう一つ室が作れるほどの高さ。
   先回の外観の写真と、実際に観る姿とは大差ありません。
   あの外観を得るために、これだけの屋根が要るのです。
   奈良時代、中国伝来の勾配の屋根をつくっているうちに、
   雨対策もさることながら、見えがかりにも関心がいくようになった、
   それも屋根の架構の変化を呼んだのだ、と思います。

3) 堂内の写真です。
   堂内の「たたずまい」を伝えているとは言いがたいです。
   おそらく、写真では、伝えられないのでは・・・。

関東圏の人は、住まう場所の近在で、奈良・平安の頃の建物にお目にかかることは先ず無理です。事例が少ないのだから当然です。
その中で、ここは、「平泉」と比べても遜色がない平安期の建物を、身近に、ゆったりと観ることができるのです(これが関西だったら、おそらく人混みでしょう)。
あと、その時代の建物のお奨めとして、「羽黒山 五重塔」があります。山形県酒田の近くです。


次回

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