[図版更改 10月12日 8.24]
先回の「白水阿弥陀堂」の補足として、以下を載せます。
1) 「白水阿弥陀堂」の立地を見るために、google earth の航空写真を転載。
左側は、周辺を含んだスケール、右は寺域。
寺域が、南面に開いた穏やかな盆地状の土地であることが分ります。
取り囲む山・丘陵の高さが程々なのです。
昔の人は、「住まう場所」を探す見事な感覚を持っていたようです。
平安時代以降、その感覚は時代とともにますます鋭敏になるようです。
2) 「白水阿弥陀堂」の「断面図」と「平面図」です。
「修理工事報告書」が、近くの大学図書館にあることが判明。
ところが、その図書館、耐震補強工事で、しばらく使えないという。
図書館で、そんなこと、あってよいのかな?
国会図書館にあるのは自明、ただし時間がかかる。
そこである大学の建築史研究室に勤める若い友人に尋ねたら、
即刻、メール・添付ファイルで送ってくれた!
そして更に、今夕、「報告書」全巻のコピーが郵送で届きました!
上の図は、そのうちの一部です。
とても綺麗な図面です。元図はおそらく「烏口(からすぐち)」描き。
元図は大判で、きっと惚れ惚れとする図面でしょう。
註 「烏口」とは「墨入れ図面」を描くための製図道具。
2枚の刃の間に「墨」を含ませて描きます。
紙が刃で切れ、そこに「墨」が入り込むため、
きわめて鋭利な線が描けます。
私が学生の頃は、「烏口」習熟が一つの課程でした。
「墨」は硯で摺るのが最高ですが「墨汁」も使いました。
図面の寸法は、十三尺四寸・・などと和数字で書いてあるようです。
報告書上でもよく読めませんが、拡大してみたところ、そのようです。
だから、「棒尺」も右から左へ・・・・。
報告書は1956年(昭和31年)刊。同年1月に工事着手、同6月に終了。
工期も短いのに、報告書の発刊までもされているのには驚きました。
断面図で分るとおり、屋根裏は、もう一つ室が作れるほどの高さ。
先回の外観の写真と、実際に観る姿とは大差ありません。
あの外観を得るために、これだけの屋根が要るのです。
奈良時代、中国伝来の勾配の屋根をつくっているうちに、
雨対策もさることながら、見えがかりにも関心がいくようになった、
それも屋根の架構の変化を呼んだのだ、と思います。
3) 堂内の写真です。
堂内の「たたずまい」を伝えているとは言いがたいです。
おそらく、写真では、伝えられないのでは・・・。
関東圏の人は、住まう場所の近在で、奈良・平安の頃の建物にお目にかかることは先ず無理です。事例が少ないのだから当然です。
その中で、ここは、「平泉」と比べても遜色がない平安期の建物を、身近に、ゆったりと観ることができるのです(これが関西だったら、おそらく人混みでしょう)。
あと、その時代の建物のお奨めとして、「羽黒山 五重塔」があります。山形県酒田の近くです。
次回は