「在来工法」はなぜ生まれたか-2・・・・「在来」の意味

2007-02-06 12:00:03 | 《在来工法》その呼称の謂れ
「在来工法」という呼び方は、今ではごく普通に使われている。

では、「在来」という語は、どういう意味なのだろうか。
辞書によれば、「在来」とは『これまで普通に行われてきた(ものである)こと』とある(「新明解国語辞典」)。
この解説は、この語に対して、人が通常理解する意味と変わらない。
したがって、人が、これまでの普通の日本の木造の建物は、すべて「在来」であると理解して決しておかしくない。
  
ところが、建築用語としての「在来工法」の「在来」は、辞書の、そして常識的な理解とはまったく異なる。
1960年代、北米から導入された「新来」の「枠組工法:2×4工法」に対して、「木造軸組工法」を区別するために、「在来」の語が使われるようになったのである。
けれども、「枠組工法」に対しては「軸組工法」で十分区別できるわけだから、ここであえて「在来」と呼ぶことにしたのには、別の理由があったと考えられる。

 
日本の木造建築は、古来、柱と横材で空間の骨格を構成し、屋根を架け、柱の隙間に壁や開口装置を充填する方法、すなわち「軸組工法」が主流である。世界的に見ても、木造の建築には「軸組工法」が圧倒的に多い。多分、所要の空間をつくるにあたり、必要木材量が少なくて済むからだろう。

   註 日本には、正倉院のようなログハウス方式「校倉造」、
      軸組の間に板を落し込む「板倉」(基本的に軸組工法)
      もあるが、絶対数は少ない。

そして、日本の「軸組工法」は、古代以来、代々人びとに受け継がれ、工夫が積み重ねられ、近世には、ほぼ完成した技術体系:工法を形成するまでになっていた(この過程については後日触れる)。だから、語の本来の意味から言えば、これも明らかに「在来」の工法である。

ところが、この技術体系:工法は、1950年制定の建築基準法が規定する「軸組工法」とその内容が全く異なる。一例を挙げれば、軸組を基礎に緊結はせず、「筋かい」も必需部材ではない(詳細は次回以降)。
そこで、近世までにほぼ完成していた技術体系は、法令の規定する「軸組工法」には該当しない工法、非近代的、非科学的ないわば時代遅れの過去の工法として扱われるようになり、法令の規定する軸組工法:「在来工法」と区別するために「伝統工法」と呼ばれるようになったのである。
では、「伝統」とはどういう意味か。


先の辞書は、「伝統」とは『前代までの当事者がして来た事を後継者が自覚と誇りとをもって受け継ぐ所のもの』と解説している。
この解釈に従うならば、近世までにほぼ完成していた技術体系を、「過去の工法」=「伝統工法」と呼ぶのは、語の誤用ということになる。「伝統」と名付けた以上、「自覚と誇りをもって受け継ぐ」必要が生じるからである。しかし、実際はそうではない。
なぜ、「伝統」を「過去」と見なす誤解が生じたのか。


それは、得てして理科系の人びとに多い思考法、すなわち、①自然科学的方法への依拠を第一と考え(依拠しないものは認めない)、②「歴史」を顧みることは無用と考える(今日は昨日があっての今日である、とは考えない)思考法がとられたからだと考えてよいだろう。
つまり、「過去」のものは今にとって無意味で捨て去るべきもの、辞書の意のような「伝統」は無用、という理解になる。その結果、「伝統」=「過去のもの」との《独自の解釈》が生まれるのである。


法令の規定する軸組工法と、かつて普通に行われてきた軸組工法の内容は明らかに異なることは事実である。
そのとき、普通は、その違いを、「在来」「伝統」などの語で区別するのではなく、その内容の特徴、違いによって示すのがあたりまえである(名前を付けるなら、特徴を表す名称とする)。けれども、違いの説明、特徴の説明は、今もって、具体的に語られたことはない(あるとすれば、「伝統工法」は「現代科学技術によって生まれたものではない」との《解説》だけだろう:1月26日記事に引用の一文参照:下註にて再掲)。

   註 ある木造建築の「専門家」は、「伝統工法」に対して、次の
      ような一文を書いている。
      「・・・・(伝統構法の木造建築は)いずれも、ある程度の
      耐震性はもっているが、きわめて強い地震に対しては不安な
      ものが少なくない。
      伝統構法は、現代的な科学技術とは無縁に発展してきたもの
      であるだけに、その耐震性の評価と補強方法はいまだ試行錯
      誤の状態であり、今後の大きな課題である。・・」
            坂本功「木造建築の耐震設計の現状と課題」
                   (「建築士」1999年11月号)
       
 
では、なぜ、「在来」「伝統」の《命名》で済ませたのだろうか。

これは私の推測だが、《命名者》は、「伝統」の語の語義に対する《独自の解釈》で「在来」「伝統」と名付けることにより、法令規定の工法の優位性を示すことができる、つまり、かつての主流の工法を「伝統工法」と呼ぶことで、それを「過去のもの」に位置づけ、その存在を消し去ることができる、との「意思」が、多分無意識のうちに、働いたのである。明治以降の(建築学界での)木造建築の扱われ方を調べると、この「意思」の存在が明らかになる(後日触れる)。

そこで、次回は、かつての工法と、法令規定の工法の違いを具体的に調べてみることにする。
 

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