私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

クルド革命は生き残るだろう

2023-08-02 19:50:16 | 日記・エッセイ・コラム

 百年前にスイスのローザンヌで締結されたローザンヌ条約は、トルコと多数の関係ヨーロッパ諸国(英国が主導、それに、日本も含まれています)が集まって、トルコの独立とその領土が定められ、クルディスタンの土地がトルコ、イラク、イラン、シリアの4国に分割されました。その4つの地域から集まった多数のクルド人団体の代表者六百人によって7月22日23日に行われたローザンヌ条約締結100年記念集会は成功裏に終わったようです。それは条約の否認抗議の集会で、これからも団結してクルドの正義を打ち立てる決意の表明でもありました。その締め括りとして、”Final declaration of the Kurdish conference in Lausanne” が発表されました:

https://anfenglish.com/news/final-declaration-of-the-kurdish-conference-in-lausanne-68460

この記念集会に関する記事は幾つかネットに出ていますが、世界のマスメディアでは殆ど無視されている様です。ここでは、前回に加えてもう一つ引用しておきます:

https://anfenglish.com/news/nato-approves-erdogan-s-genocidal-strategy-on-the-100th-anniversary-of-the-treaty-of-lausanne-68273

この中にISISとトルコとNATOの実質的傭兵であることがはっきり述べられています:

Just four years ago, many NATO member states thanked the Kurds, and particularly the People’s Protection Units (YPG) and Women’s Protection Units (YPJ) in Rojava (Syrian Kurdistan), for saving humanity from catastrophe by fighting and defeating the Islamic State (ISIS) terrorist group, which then posed a major threat to global security. Furthermore, all NATO member states know that ISIS was founded and supported by NATO member Turkey. Erdoğan’s ongoing targeting of the YPG and YPJ is a continuation of the ISIS proxy war against the Kurds. NATO, and any alliance committed to democracy and international stability, should be mindful of this recent history and important regional dynamic.

クルド人たちが直面している状況は絶望的に困難なものに見えます。石油を算出するイラク北東部のクルド地域政府(KDG)はバルザニ一族支配下にありますが、35年前にはサダム・フセインによって住民5千人が毒ガスで虐殺された歴史を持っています。バルザニはトルコと米国と友好的で、その地域の北の山岳地帯でトルコ軍の侵入部隊に対して決死のゲリラ戦を展開しているPKKを、トルコ側に味方して、攻撃することさえあります。また、石油と農産物を産出するシリアの北東部(シリア全土のほぼ三分の一の面積)を、国際法上全く不法に、占領している米国の傭兵となっているクルド人軍事勢力SDF(シリア民主軍)も大問題です。KDGとSDFをあらわに代表する人たちはローザンヌ条約締結100年記念集会に集まった六百人の中に含まれていなかったと考えられます。エルドアンのトルコ、プーチンのロシア、バイデンのアメリカとそれに追随するNATO、この三つ巴の乱闘の解決は、ウクライナ紛争よりも遥かに見通しが立たない様に思われます。

 今、トルコは、北イラクの山岳地帯のクルドPKKゲリラに猛攻撃を加えています。このクルド革命軍事勢力は米国もテロリストと認定して、その幹部の首に多額の懸賞金を提供しているくらいですから、米国からの反対は全くありません。クルド側の出血は毎日のように続いていて、報じられる殆どは女性兵士です。犠牲者数はパレスチナ闘争のそれを上回ると思われます。しかし、世界のマスコミは全くそれを報道していません。先日このブログの中で「私は世界のために戦っている」と発言していた若い女性も既に亡き数に入ったのではありますまいか。しかし、私は、この100年間続いてきたクルド人の闘争、とりわけ、アブドゥッラ・オジャランの名に象徴されるクルド革命は、これから数年、あるいは、十数年かかるにしても、現在の難局を乗り越えて成就の日を迎えると、私は、信じています。

それは単なる私の gut feeling というだけではありません。関心をお持ちの方は過去のブログ記事のいくつかをお読み下さい:

『中川喜与志著『クルド人とクルディスタン』(南方新社)』

https://blog.goo.ne.jp/goo1818sigeru/e/b242c45abac3b58cfdf42b2ecc0cae2d

『女性』

https://blog.goo.ne.jp/goo1818sigeru/e/032926e5143797950df503530a67f755

『YPJインターナショナル』

https://blog.goo.ne.jp/goo1818sigeru/e/d682e64a83ca6ee0875220c965bfdfb3

私はこのYPJ Internationalという組織の具体的状態を知り、クルド人の革命運動がしっかりと根を張り成長をしていることをとても嬉しく思いました。今日は、その続きの様な意味で、もう一つクルディスタンについての記事を訳出します:

https://znetwork.org/znetarticle/the-flower-of-transformation-blooms-in-kurdistan/

*********(訳出開始)

クルディスタンに咲き誇る変革の花

By Ashish Kothari  June 16, 2023

 

 

「変革の花」の満開には、困難で長期にわたる闘いが必要です。しかし、クルド社会が実現しようとしているものは、まさに「ナウトピア」と呼ぶにふさわしいものであり、世界各地の地平線上には、さらに多くの実践と世界観の多元的宇宙が見えています。

次のシナリオを想像して下さい。ドローンが爆弾を落とし、NATO第2位の軍隊が迫り(訳注:エルドアンのトルコ軍のこと)、数百年にわたる民族的迫害があなたのアイデンティティを消し去ろうとし、過激で宗教的なファシスト組織があなた達の男性を殺し、女性や子供を誘拐して奴隷にしようとしている。しかし、そんな中、あなた達は女性の自由、エコロジーな生活、民主主義に関する教育キャンプを組織し、これらの理想を実践するためにコミュニティを動員しようとしている。ファンタジー映画のように聞こえますか?まさにその通り、しかし、それは極めて現実的で、しっかり足が地についていて、今まさに生起している状況なのです。

世界で最も報道されず、理解もされていない紛争地域のひとつであり、また、公正で持続可能、公平な生活のための取り組みの進行が最も知られていない、評価されていない地域のひとつであるクルディスタンへ、ようこそ。ここはクルディスタンです。現在のトルコ、イラク、シリア、イランにまたがる地域で、クルド人とその他多くの民族(アルメニア人、エジディ人、アラブ人、キリスト教徒)が居住する広大な地域です。1970年代以降、クルド人は自分たちが住んでいて、国民国家体制による迫害や虐殺に抵抗し、何百もの彼らの集落を組織して自分たちなりの自由と民主主義を実践してきたのです。

2022年3月、私は、インドや他の国々での地に足のついた取り組みから生まれたラディカルな代替案に関する枠組みの一部として、以下の五つの花びらを包含する「変革の花」について書きました(以下の諸項目参照): 

生態系の健全性と回復力 自然と自然の多様性の保全、生態系機能の維持、生態系の限界(ローカルからグローバルまで)の尊重、およびすべての人間の行動における生態系倫理を含む。

社会的な幸福と公正 充実した生活(身体的、社会的、文化的、精神的)、コミュニティと個人の間の公平性、コミュニティと民族の調和、信仰、ジェンダー、カースト、階級、民族性、能力、その他の属性に基づく階層と分裂の解消などを含む。

直接民主主義と委任民主主義 意思決定は、すべての人が有意義に参加できるスペースで始まり、そこから下方に説明責任のある上部機関による統治へと発展して行く様に行政を作り上げて行って、現在、社会から疎外されている人々のニーズと権利が尊重される様にする。

経済民主主義 地域社会と個人が生産手段、流通、交換、市場を管理し、基本的なニーズは地域化し、その上で貿易を行うという原則を基本とする。その核心は、私有財産制をコモンズ共有財産性に置き換えることである。

文化の多様性と知識の民主主義 コモンズには複数の知識体系が共存し、多様な生き方、考え方、イデオロギーを尊重し、創造性と革新性を奨励する。

 

クルドの大地で変革の花は咲き誇る

上に掲げた各領域は、クルディスタンでの、しっかり地に足のついた取り組みの諸例で示すことが出来ます。これからのページで紹介しきれない詳細な情報は、民主的近代化アカデミー(Academy of Democratic Modernity)のウェブサイトなどで得ることが出来ます。

急進的民主主義

クルド人の自由運動は、その地域が含まれる国民国家から、その中での、完全な地域自治を主張し、その地域に包含されるコミューンや集落に直接、急進的な民主主義や民主的な連邦制を主張しようとして来ました。

革命政党が政権を握ったものの、真の民主主義社会を作ることに失敗したロシア国家や他の多くの国々の経験に鑑みて、クルドの自由運動は、社会主義的なクルドの「国家」を要求するイデオロギーから、民衆やコミューンの中にある急進的な政治へと急速に移行して行ったのです。この急進的な民主主義のイデオロギーは、運動の主要なイデオローグであるアブドゥラ・オジャランによって推進されて来ました。彼は1978年からクルド労働者党(Partiya Karkêren Kurdistan、PKK)の創設者で大統領です。オジャランは、世界中の運動の歴史の、飽きる事を知らぬ、明哲な読者であり、政治家や官僚に支配されることなく、人々が真の意味での政治的行為者になることが真の自由であるとの結論に達しました。1999年、オジャランはトルコ国家と結託したNATO勢力によって拉致され、以来、国際法と人権に対する衝撃的違反が犯されて、島に収監されています(ほぼ常時独房)。しかし、彼はクルドの人々に、自由とは何か、特に女性の解放の必要性について最も急進的な考えを伝え、驚くほど多くの革命的な考えや提案を世界に発信してきたのです。

政治、権力、民主主義に関するオジャランの考え方は、初見の時には、困惑するほど複雑であるように思われます。彼は、資本主義的近代(Capitalist modernity)に代わって、民主主義的近代(Democratic modernity)を唱導します。彼によれば、資本主義的近代は人類と自然の両方を奴隷化し続けるが、民主主義的近代は両方に真の自由をもたらすことが出来るとします。彼は、「近代」という言葉そのものが問題とされるべきであり、何故ならば、「近代」は、数世紀にわたる西欧工業国の植民地化計画であり、何千もの伝統的な存在と認識の方法を消し去ってきたからです。しかし、彼はこの言葉を、人々を中心とした政治を求める運動が、歴史的であると同時に現代的であることを示すために使います。資本主義的近代の均質化傾向に反対し、「多元的、確率的、代替案へのオープン、多文化、エコロジー、フェミニスト」なプロセスを尊重します。そして、この基本的なイデオロギーを軸に、民主的な国家の必要性を提唱するのです。そこでは、民族(国民国家と同一視するのではなく、「多様性の中の統一」の原則に基づく共通の民主的意識)の一部として、自らの自由意志と民族、宗教、その他のアイデンティティを持つ民族が、意思決定に完全に関与しています。このような民族や国家は、それぞれのコミューンの自治を犠牲にすることなく、自治を行うコミューンがより大きな地域にわたって連邦化する民主的連邦制を実践することが出来ます。これらを経て、民主主義社会あるいは民主的社会主義(オジャランは、ロシアや中国などで実践されている国家社会主義とは大変異なるものであり、国民国家の手に権力を集中させることを基本としているためであると熱心に指摘します)へと移行することになります。


クルド人社会は、ロジャヴァ(シリアに含まれるクルドの地の一部)で最も先までこの道を進んできましたが、バクール地方(現在トルコに占領されている)では、ここ数年、トルコ国家による度重なる攻撃によって大きな後退がありました。

民主主義的近代と連邦制の両方とも、権力と政治に対するニュアンスのある理解に基づいています。オジャランが使ったトルコ語の原文では、iktidarci yönetim(他者に対する権力)とdemokratik yönetim(民主政治、つまり自分を支配する権力)とは明確に区別されています。政治は「自由の芸術」であり、したがって、すべての人がその意味で政治化される必要があり、政治は道徳的生活、すなわち、日常生活を行うために社会が確立した習慣やルール、「地域社会や共同生活への敬意と献身」に基づくものでなければならないのです。

クルド人の民主主義社会の構築は、メキシコのサパチスタや世界各地の先住民のように、自治と自決を求める他の闘いと多くの点で類似しています。

社会文化的正義と平等

クルド人運動は、様々な形態の家父長制と男性性(masculinity)の中で何千年にもわたって奴隷化されてきた女性の解放を中心に据えています。オジャランによれば、国家は家父長制の現れであり、家族は「男の小国家」であるため、女性の自由は社会の最小単位(家族)から最大単位(国家)までの自由でなければなりません。

この地域のクルド人(および他の近隣の民族)コミュニティが極めて家父長制的であることを考えると、これは運動にとって最も困難な闘いの一つでした。女性個人やグループによる小さな反抗から始まり、武装ゲリラなど国民国家の押し付けに対する反乱への女性の関与が高まり(詳細は後述)、オジャランが声高に主張するようになって、家父長制(あるいは男性性)の柱は組織的に侵食されて来ました。また、統治、経済、社会文化の各機関に女性と男性の共同議長を置くなど、運動が定めたルールや規範も役立っています。おそらく最も重要なのは、ジネオロジー、すなわち「女性の自由の科学」の推進です。このアイデアは初めオジャランによって提案され、その後、一連のジネオロジー・アカデミーやその他の活動を通じて、女性運動の他の多くの人々によって洗練された深い社会科学や生活/理解/存在の方法へと発展したのです。

クルドの女性運動の歴史とその多くの成果は、全世界にとって魅力的な教訓です。しかし、闘いはまだ終わっていません。女性は常に、男性支配の継続的な要素に直面しています。そのような行動を、対立ではなく学習の雰囲気の中で提起できる場、例えばテクミル(これについては後述)のような場があることが助けになります。数千年にわたる性差別的抑圧を克服し、オジャランが、上品ぶった社会に衝撃を与えるような、「横柄な男性を殺す」といった表現を用いて表した社会状況に移行するには、時間がかかるでしょう。これには、伝統的な社会が同性間関係や複数のジェンダーやセクシュアリティをどう見てきたかの変革や、ヘブジヤナ・アザド(自由な共同生活)と呼ばれる交際の形態への移行も含まれます。

クルディスタンにおける社会文化的変容の次元は、ジェンダーだけではありません。急進的な民主主義がどこでも直面する最も困難な問題の一つは、異なる民族や国家のアイデンティティの間の緊張です。クルディスタンでは、クルド人は、イェジディ、キリスト教徒、アルメニア人、アラブ人など、複数の民族のうちのひとつに過ぎません。クルド人が多数派である地域もあれば、そうでない地域もあります。しかし、前者であっても、例えば、関連する意思決定機関、集会や教育機関での言語使用、さらには武装ゲリラ部隊において、運動はすべての民族に平等な発言と空間を与えようと試みてきました。

対立や緊張、あるいは不正や搾取的な行動とみなされるものを継続的かつ定期的に浮かび上がらせるのに役立っているユニークなプロセスはテクミル(tekmil)です。これは、批判と自己批判のための制度化されたフォーラムで、社会動員のさまざまなレベル、PKKやその他の政治機関、ゲリラ部隊で開催されています。その基調は、クルド人抵抗運動の初期に、オジャランやハキ・カラー、ケマル・ピル、サキネ・カンシズといった同志たちによって作られたようで、彼らは自分たちも含めて全員がこれにさらされることを主張しました。私は、このようなフィードバックと開放のプロセスが試みられた組織やいくつかのネットワーク構想に関わった経験がありますが、誰かを批判しながらも同志の精神を確保すること、自分自身の批判を受け入れること、そして自己批判することがいかに難しいかを証言することが出来ます。しかし、クルド運動は、戦争と紛争という最も残酷な状況の中にあっても、これをうまく実行しているように見えます。この事はクルドに滞在したことのある複数の外部オブザーバーが指摘している通りです。

また、その様な外部オブザーバーは、クルドの運動家やコミューンのメンバーが定期的に「教育」セッションを行うという、もう一つの魅力的な試みにも注目して来ました。数時間から数日間にわたって行われるこのセッションでは、民主的近代主義と連邦制、ジネオロジー、中東やその他の地域における植民地化と宗教的教条主義の歴史、世界各地の急進的な思想と実践など、革命の基礎となるテーマが提示され、対話が行われます。また、監禁されたオジャランが弁護士や家族とごくたまに会うことができた時代から、定期的に勧められていたこともあり、読書への情熱も広がっています(ここ2年近くは、これも停止)。最近設立された「民主的近代アカデミー」は、ヨーロッパで何度かこのような「教育」セッションを行っています(そのうちの一つに、私は2022年8月に幸運にも参加することが出来ました)。

可能な限り、この運動は中東の歴史と文化の基礎、クルディスタン運動への理解、生態学的感性の基礎を正式な教育機関のカリキュラムや教育方針に取り入れてきました。しかし、国民国家が押し付ける教育体制が支配的で、多くの場合、トルコ語などの「国語」を押し付けてきた残酷な歴史が続いているため、こうした教育(地域保健などの他の側面も)は厳しく制限されています(クルド語を話すと、子供は学校で殴られ、大人は街で逮捕されています)。

経済的民主主義

上記のすべてのイニシアチブに包含されるのは、経済的な生存と安全保障にとって重要な資源に対するガバナンスとマネジメントの権利を主張する能力です。これは、土地や海のコモンズ、水、種子、生物多様性に対する集団的権利、あるいは工業や工芸に基づく生産手段の民主的管理、あるいは社会的連帯やコミュニティ経済といったものでしょう。クルド人運動は、資本主義や国家に明確に反対しているため、その目的は、経済を「民主的共同体」形態に転換することであり、これには、最大限の利益を得ることよりも、「社会の基本的なニーズを満たすことに基礎を置き、労働者や生産者が主導権を握る協同組合モデルでの事業運営が含まれる。また、農業や製造業においても、生態学的に持続可能であることを目指しています。オジャランは、これを、工業主義を「エコ産業」に置き換えることだと言っています。ここでも、思いやりと分かち合いの関係を強調する経済の女性化が重要です。

共有地の植民地化の歴史、250万人の伝統的な故郷からの強制移住、クルディスタンが位置する国民国家による継続的な攻撃と支配、農業と土地の民営化の遺産、経済活動の男性支配など、これらは経済の民主化を阻む大きな要因です。しかし、この運動は前進しています。様々な事業やビジネスを展開する数百の協同組合や、持続可能な生計手段を推進する「ジンワール」と呼ばれるユニークな女性の村など、印象的な取り組みがあります。また、この運動は、世界の他の地域で成功している社会的経済、連帯経済、コミュニティ経済の取り組みから学びたいと考えています。

エコロジーの知恵とレジリエンス(訳注:弾力的な回復力)

女性の自由と民主主義はクルド運動の重要な二本の柱であり、三本目は生態系への配慮で、これらは表裏一体のものであります。資本主義的近代と国民国家が地球を破壊し、人々を自然から遠ざけていることを認識したオジャランは、早くからこの側面に重点を置いてきました。例えば、「シュメール語で自由を意味する "アマルギ "が母なる自然への回帰を意味する」ことに彼は注目し、さらに、「このような自然に対する過去の認識が、自然の中に多くの神聖さや神性を認めるメンタリティーを育んだのだ。集団生活の本質は、母なる女性への畏敬の念に由来する聖性と神性の形而上学に基づいていたことを認めれば、より良い理解を得ることができるだろう」と述べています。自然の権利は、クルド運動にとって、人間の権利と同じように尊重されるべきものです。権力や利益ではなく、人間と地球が革命の支点なのです。ヘブジヤナ・アザディの理念(The philosophy of hevjiana azadi)(訳注:意味不明)は、人間と人間の関係だけでなく、人間と他の生物との関係にも適用されるべきです。

しかし、この運動が認めているように、これは革命の最も遅れた側面であり、その実用化が本格的に始まったのは1990年代に入ってからです。この地域の植民地支配と国民国家による生態系破壊の歴史、クルディスタンの持続的な包囲、破壊的なインフラプロジェクトの押し付け、農業の工業化、石油などの収入源への依存の継続は、再生と持続可能性という目標を達成することを非常に難しくしています。

この地域で最近起こった最初のエコロジー運動は、チグリス川のイリスやデルシムのムンズール川のダムなどの巨大水力発電プロジェクトに反対するキャンペーンです。「ロジャヴァを再び緑に」のようなキャンペーンでは、大規模な植林、水源の清掃、コミュニティガーデンなどの活動が行われています。前述の「女性の村」ジンワールは、持続可能な自立を目標に掲げており、このような試みから、他の同様の取り組みに学びたいと考えています。HDPのようなクルド運動支持政党が与党を務める自治体の多くでは、都市再生、公共交通、水辺の清掃、貧困層への適切な住宅供給などが真剣に試みられています。メソポタミア・エコロジー・ムーブメントという広範な政党綱領が、抵抗と、地方やテーマ別の委員会を通じて環境に関する議論や行動をさらに進めるための一助となっています。

興味深いことに、この30年間、クルド人運動のゲリラ部隊は、エコロジカルな生活にも重点を置いてきました。例えば、彼らが住む山の自然へのストレスを最小限に抑え、木の伐採や狩猟を絶対に必要な場所だけに厳しく制限し、プラスチックや金属の廃棄物を一切捨てず、過去に荒廃した生態系の再生に協力し、「教育」セッションの一環として生態学について絶えず議論しています。

 

インターセクショナリティ(交差性)と価値観

例えば、環境的に劣悪な労働条件や生活環境は、人種、カースト、階級の観点から疎外されている人々にとって最も顕著であり、栄養価の高い食品への不十分なアクセスは、女性に対する他の差別を土台とすることがあります。そのため、上記のイニシアティブの多くでは、これらに対する対応もまた、交差的、あるいは5つの領域を横断しているのです。

クルド運動では、明確で、しばしばあらかじめ設定された交差性が存在します。これは、政治的、社会的、文化的、生態的な変革の各側面におけるジェンダーの次元に関して、最も明確です。クルド人によれば、革命は未来にあるのではなく、今あるものであり、それは断片的なものではなく、全体的なものであり、可能な限りすべての次元で同時にそれを実践することを意味します。彼らは、過去の革命運動の失敗を繰り返したくないのです。そこでは、予兆の欠如や、外的・内的な次元での同時変革が、運動が主導権を握った後でも、何度も失敗を招きました。

政治的意思決定の急進性を社会文化的変革、経済的民主主義、生態学的健全性と統合しようとするクルド人運動のような運動は、ラディカル・エコロジカル・デモクラシー、あるいは(インドから生まれた言葉を使えば)エコ・スワラジを目指します。彼らは、地域の意思決定を主張すると同時に、他の人々やその他の自然に対する責任を体現しています。その多くは、共同生活、連帯、相互依存、多様性など、古くから受け継がれてきたものであり、また、急進的な民主主義、女性の自由、男女平等など、最近になって生まれたものもあります。民主主義社会とジネオロジーの枠組みは、理論的な構成にとどまることなく、日々生活する中で、これらの価値観やその他の価値観を取り込んでいます。クルド人の活動家や知識人が、絶え間ない自己批判の伝統の中で自ら指摘するように、どれも完璧には達成されていない。しかし、少なくとも真摯な試みは絶えず行われており、その多くは上記のような政治的、社会文化的、経済的活動の中で目撃することができます。

おそらく、この運動がしなければならない最も困難な妥協の一つは、武力抵抗に踏み切ることでしょう。暴力は基本的にその理念に反するものであります。最初の何年間かは、トルコ国家と交渉し、自治区を求めようとしました。しかし、トルコによる暴力的な文化・経済支配とともに軍事的な侵略が続き、ここでも、他のクルディスタンでも、クルド人が絶滅寸前の状況に直面すると、自衛への衝動が運動を武装化させました。しかし、暴力は自衛のためにのみ使用し、決して攻撃には使用しないこと、平和的解決を求め続けることを明言しています。そのような解決を試みるために、何度も一方的な停戦を宣言してきましたが、トルコはそれに応じず、尊重もしてこなかった。また、オジャランを23年間も監禁していることも、有意義な和平プロセスへの障害となっています。

変容の花の満開には、困難で長期的な闘いが必要です。しかし、クルド人社会が達成しようとしているものは、「ナウトピア」と呼ぶにふさわしいものであり、さらに多くのものが世界中の地平線上に見えており、まさに実践と世界観の「プリバース」なのです。軍事・産業・資本主義・国家主義の支配体制や、家父長制・人種主義・人間中心主義の継続によってもたらされる巨大な課題を軽視するわけでは決してありませんが、暗闇の中のこれらの霊感的なこれらの光の小穴は、より健全で公正な世界に向かっての希望を与えてくれます。

繰り返しになりますが、クルド人が言うように、革命は今です。そしてそれは、女性、生命、自由という、ヘブジヤナ・アザディ(訳注:前出)の基盤の上にあるのです!

*********(訳出終わり)

藤永茂(2023年8月2日)


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