前回と前々回で述べた通り、2008年の暮れに『ジンバブエの教訓』と題する「マムダーニ論文」、これに対する攻撃的な批判論文「スカーネッチャ・アレクサンダー論文」、さらに、Patric Bond、Horace Campbell、David Johnson の論文がジンバブエ論争に加わりました。2009年2月になると、マムダーニ論文の基礎になっているジンバブエ在住の著名な農政学者モヨが詳細に議論を展開する長い論文を発表しました。モヨはジンバブエ問題をめぐっての突然の論争の盛り上がりを歓迎しています。なぜ今なのか? 2008年の11月から12月にかけて、「ジンバブエの人民を気が狂った暴君ムガベから救ってやらなければ」という理由の下で、軍事介入に踏み切る動きがアメリカとイギリスで急に目立って来たことがその主要なきっかけでした。この危険な動きを牽制するために、アフリカの学者200名が署名した「カメルーン声明」と、これもアフリカ人多数が署名した「ジンバブエ国民への公開書簡」が出されました。
この突然の騒ぎを私の視点から見ると、ジンバブエの問題は、私のような片手間の「アフリカ・ウォッチャー」が考えるよりも、遥かに根が深いことが見えて来たように思われます。前回で「ムガベに取り憑いている白人吸血鬼」と呼んだ男たちのことを今回は少しお話ししましょう。
John Bredenkamp のことは、上に名前をあげたHorace Campbellの論文で知ったのですが、どうも前にも何処かでお目にかかったと思ってファイルを調べてみると、2008年7月31日の英国の Financial Times 紙に、 BAE Systems (British Aerospace Systems) という英国の兵器製造会社の数カ国にわたる贈賄行為の調査に関する記事のコピーを取っていて、その中に、John Bredenkampの名がありました。BAE Systemsから大量の武器をムガベ政府に購入させた「死の商人」がこの男でした。彼は南アフリカ政府にもBAEが関与した軍用航空機を売り込んだり、また、コンゴ共和国の鉱山業にも手を出したりしています。ウィキベディアによると、1940年南アで生まれたオランダ系白人で、ジンバブエの前身であるイアン・スミスのローデシア時代から時の権力者に取り入り、ローデシアに対して国際社会がとった経済封鎖措置をうまくくぐり抜ける密輸入行為に長けた人物であったようです。彼はまたアメリカ合州国のそとでは最大のタバコ販売業者でもあります。
私の関心事は、しかし、ハリウッド映画にも出て来そうなこうした国際的な大悪漢たちそのものにあるのではありません。John Bredenkamp という一つの名前の奥に見えてくる幾つかの事実の方が遥かに重大な意義があります。その第一は、1960年代以降、アフリカの諸国が次々にヨーロッパの植民地支配から脱却して独立したように見えた時期に、“独立”した諸国政府にどのような形で、どのような人数の白人たちが食い込んだか、という問題です。少し物理の力学の言葉使いをすれば、いわゆるポストコロニアル時代の出発の初期条件はどのように設定されていたか?-という問題です。ニュートン力学の初等の演習問題を解いてみたことのある人なら誰でもご存知ですが、初期条件であとの運動は決まってしまいます。ですから一つの力学系の径時的な進行を理解するためには、どのような初期条件のもとでその系が運動を始めたかを知ることが必須になります。もちろん、アフリカで独立を達成した黒人国は、単純な孤立ニュートン力学系ではありません。しかし、独立後の動向を理解しようとする時、その初期条件に重大な見落としがあれば、その國のその後の歴史的展開の理解や見通しが極めて困難になることは明らかです。ジンバブエの場合、ローデシア時代から連続して、独立黒人政府の「獅子身中の虫」として悪性の真田虫のように体内に残存し続けた白人のよい例がJohn Bredenkampです。
南アフリカ、ジンバブエ、コンゴを含めた地域で兵器売買と貴金属やダイヤモンドの鉱山権をめぐって暗躍を続けているBilly Rautenbachという男は年齢的にまだ若いので、これらの国々の独立後に活動を始めたのでしょうが、アフリカ諸国がこうした白人たちにかき回されている境界条件もよく調べ上げなければなりません。またこの種の、私たち一般の人間には見え難い外的勢力による攪乱という意味では、Fana Hlongwane なども数え上げなければなりません。この国際的プレイボーイは黒人(たぶん混血)ですが、コンドリーザ・ライスが黒人であるのと同じ意味で、この悪漢が南ア、ジンバブエ、コンゴにとって悪しき外人勢力であることは確かです。
次にトレバー・マニュエル(Trevor Manuel)、これはいかがわしい名前ではありません。それどころか、本年1月のスイスでのダボス会議でマニュエルさんと同席した竹中平蔵さんをはじめ、日本の財政金融関係の人々ならば、ほぼ必ず知っている名前でしょう。Trevor Manuel は、1996年、南アフリカの初代大統領ネルソン・マンデラ内閣の財務大臣に任命されてから、次代大統領ムベキの下でもその地位を保ちましたが、ムベキが政敵ズーマに押し負かされて、2008年9月21日、大統領を辞任したのに従って、9月23日、トレバー・マニュエルも財務大臣辞任の意向を表明しました。ところがこの発表で南アフリカの株式市場が暴落し、それを見た彼は、二日後の9月25日、ズーマ大統領下の新内閣でも財務大臣の地位に就くことに同意しました。それほど、つまり、大統領が交替しても、トレバー・マニュエルの財務大臣の地位は揺るがないほど、南アフリカにとって掛け替えのない存在だということです。ダボスの世界経済フォーラムで竹中さんの隣りに座っていたのも象徴的ですが、この十年間世界経済の流れを支配して来た新自由主義的経済政策推進の重要なリーダーの一人であったわけです。しかし、この所、南アフリカでは貧富の格差が極端に広がり、治安もひどく悪化し、来年のサッカーの世界選手権大会の開催を危ぶむ声さえ出ています。松本仁一氏も、どこかで、「南アフリカは失敗国家へ転落の一歩手前」といった意味のことを書かれていました。このトレバー・マニュエルの存在も、私の目には、アフリカ大陸に外から加えられている力の一部と見えます。
ジンバブエに話を戻します。今度はムガベ大統領の政権を打倒するために1999年に結成された反対党MDC(Movement for Democratic Change) にまつわる白人の名前を挙げます。日本のマスコミに限らず、もし現在のジンバブエ情勢について論じようとするならば、MDC という組織の誕生の歴史まで是非にも戻って調べる必要があります。日本にもアフリカ研究の専門学者の集団があるのですから、ムガベに味方するか、MDC側の肩を持つかに関係なく、MDC の発祥について学問的に確かめられる事実を分かりやすく提供して一般のジャーナリストや私たち一般大衆を啓蒙してほしいと思います。MDCの創設には、英国政府が支持する団体Westminster Foundation と米国政府の外郭団体National Endowment for Demodracy (NED、これは大いに問題のある団体です!!)が関わっています。第一近似でいえば、MDCは英国と米国とローデシア時代にジンバブエの地に住んでいた白人たちのイニシアティブで出発した団体です。MDCの発足時から内部の要人であった、そして、今もそうである、白人の名前を三つ挙げます。David Coltart, Ian Kay, Roy Bennett。 Coltartはもとローデシア警察の幹部、King はもとローデシアの白人農場主団体の指導者の一人、Bennett はムガベの農地改革で農場を取り上げられてムガベに対する激しい怨念に燃えている人物です。この人物をめぐっての騒ぎがこの3月13日の英国のタイムズ紙の紙面を飾っています。その騒ぎはムガベとツァンギライの間の妥協でやっと誕生した統一政府(前回のブログで言及しました)を崩壊させることに決めたオバマ政権の方針を反映した事件です。
このブログをここまで読んで下さった方々の中から、上掲のいくつかの名前に興味をもって調べてみて下さる方が少しでも出て下されば嬉しく思います。いまの私には、十分の時間をかけてこれらの人物が演じている役割をお話している余裕がありません。私の関心は、私のアフリカの原点であるコンゴ共和国の独立と崩壊の問題にどうしても戻ってしまいます。次回には、私の当初の予想を遥かに上回るジンバブエとコンゴの混乱状態の相互連関について報告したいと思います。
藤永 茂 (2009年3月18日)
この突然の騒ぎを私の視点から見ると、ジンバブエの問題は、私のような片手間の「アフリカ・ウォッチャー」が考えるよりも、遥かに根が深いことが見えて来たように思われます。前回で「ムガベに取り憑いている白人吸血鬼」と呼んだ男たちのことを今回は少しお話ししましょう。
John Bredenkamp のことは、上に名前をあげたHorace Campbellの論文で知ったのですが、どうも前にも何処かでお目にかかったと思ってファイルを調べてみると、2008年7月31日の英国の Financial Times 紙に、 BAE Systems (British Aerospace Systems) という英国の兵器製造会社の数カ国にわたる贈賄行為の調査に関する記事のコピーを取っていて、その中に、John Bredenkampの名がありました。BAE Systemsから大量の武器をムガベ政府に購入させた「死の商人」がこの男でした。彼は南アフリカ政府にもBAEが関与した軍用航空機を売り込んだり、また、コンゴ共和国の鉱山業にも手を出したりしています。ウィキベディアによると、1940年南アで生まれたオランダ系白人で、ジンバブエの前身であるイアン・スミスのローデシア時代から時の権力者に取り入り、ローデシアに対して国際社会がとった経済封鎖措置をうまくくぐり抜ける密輸入行為に長けた人物であったようです。彼はまたアメリカ合州国のそとでは最大のタバコ販売業者でもあります。
私の関心事は、しかし、ハリウッド映画にも出て来そうなこうした国際的な大悪漢たちそのものにあるのではありません。John Bredenkamp という一つの名前の奥に見えてくる幾つかの事実の方が遥かに重大な意義があります。その第一は、1960年代以降、アフリカの諸国が次々にヨーロッパの植民地支配から脱却して独立したように見えた時期に、“独立”した諸国政府にどのような形で、どのような人数の白人たちが食い込んだか、という問題です。少し物理の力学の言葉使いをすれば、いわゆるポストコロニアル時代の出発の初期条件はどのように設定されていたか?-という問題です。ニュートン力学の初等の演習問題を解いてみたことのある人なら誰でもご存知ですが、初期条件であとの運動は決まってしまいます。ですから一つの力学系の径時的な進行を理解するためには、どのような初期条件のもとでその系が運動を始めたかを知ることが必須になります。もちろん、アフリカで独立を達成した黒人国は、単純な孤立ニュートン力学系ではありません。しかし、独立後の動向を理解しようとする時、その初期条件に重大な見落としがあれば、その國のその後の歴史的展開の理解や見通しが極めて困難になることは明らかです。ジンバブエの場合、ローデシア時代から連続して、独立黒人政府の「獅子身中の虫」として悪性の真田虫のように体内に残存し続けた白人のよい例がJohn Bredenkampです。
南アフリカ、ジンバブエ、コンゴを含めた地域で兵器売買と貴金属やダイヤモンドの鉱山権をめぐって暗躍を続けているBilly Rautenbachという男は年齢的にまだ若いので、これらの国々の独立後に活動を始めたのでしょうが、アフリカ諸国がこうした白人たちにかき回されている境界条件もよく調べ上げなければなりません。またこの種の、私たち一般の人間には見え難い外的勢力による攪乱という意味では、Fana Hlongwane なども数え上げなければなりません。この国際的プレイボーイは黒人(たぶん混血)ですが、コンドリーザ・ライスが黒人であるのと同じ意味で、この悪漢が南ア、ジンバブエ、コンゴにとって悪しき外人勢力であることは確かです。
次にトレバー・マニュエル(Trevor Manuel)、これはいかがわしい名前ではありません。それどころか、本年1月のスイスでのダボス会議でマニュエルさんと同席した竹中平蔵さんをはじめ、日本の財政金融関係の人々ならば、ほぼ必ず知っている名前でしょう。Trevor Manuel は、1996年、南アフリカの初代大統領ネルソン・マンデラ内閣の財務大臣に任命されてから、次代大統領ムベキの下でもその地位を保ちましたが、ムベキが政敵ズーマに押し負かされて、2008年9月21日、大統領を辞任したのに従って、9月23日、トレバー・マニュエルも財務大臣辞任の意向を表明しました。ところがこの発表で南アフリカの株式市場が暴落し、それを見た彼は、二日後の9月25日、ズーマ大統領下の新内閣でも財務大臣の地位に就くことに同意しました。それほど、つまり、大統領が交替しても、トレバー・マニュエルの財務大臣の地位は揺るがないほど、南アフリカにとって掛け替えのない存在だということです。ダボスの世界経済フォーラムで竹中さんの隣りに座っていたのも象徴的ですが、この十年間世界経済の流れを支配して来た新自由主義的経済政策推進の重要なリーダーの一人であったわけです。しかし、この所、南アフリカでは貧富の格差が極端に広がり、治安もひどく悪化し、来年のサッカーの世界選手権大会の開催を危ぶむ声さえ出ています。松本仁一氏も、どこかで、「南アフリカは失敗国家へ転落の一歩手前」といった意味のことを書かれていました。このトレバー・マニュエルの存在も、私の目には、アフリカ大陸に外から加えられている力の一部と見えます。
ジンバブエに話を戻します。今度はムガベ大統領の政権を打倒するために1999年に結成された反対党MDC(Movement for Democratic Change) にまつわる白人の名前を挙げます。日本のマスコミに限らず、もし現在のジンバブエ情勢について論じようとするならば、MDC という組織の誕生の歴史まで是非にも戻って調べる必要があります。日本にもアフリカ研究の専門学者の集団があるのですから、ムガベに味方するか、MDC側の肩を持つかに関係なく、MDC の発祥について学問的に確かめられる事実を分かりやすく提供して一般のジャーナリストや私たち一般大衆を啓蒙してほしいと思います。MDCの創設には、英国政府が支持する団体Westminster Foundation と米国政府の外郭団体National Endowment for Demodracy (NED、これは大いに問題のある団体です!!)が関わっています。第一近似でいえば、MDCは英国と米国とローデシア時代にジンバブエの地に住んでいた白人たちのイニシアティブで出発した団体です。MDCの発足時から内部の要人であった、そして、今もそうである、白人の名前を三つ挙げます。David Coltart, Ian Kay, Roy Bennett。 Coltartはもとローデシア警察の幹部、King はもとローデシアの白人農場主団体の指導者の一人、Bennett はムガベの農地改革で農場を取り上げられてムガベに対する激しい怨念に燃えている人物です。この人物をめぐっての騒ぎがこの3月13日の英国のタイムズ紙の紙面を飾っています。その騒ぎはムガベとツァンギライの間の妥協でやっと誕生した統一政府(前回のブログで言及しました)を崩壊させることに決めたオバマ政権の方針を反映した事件です。
このブログをここまで読んで下さった方々の中から、上掲のいくつかの名前に興味をもって調べてみて下さる方が少しでも出て下されば嬉しく思います。いまの私には、十分の時間をかけてこれらの人物が演じている役割をお話している余裕がありません。私の関心は、私のアフリカの原点であるコンゴ共和国の独立と崩壊の問題にどうしても戻ってしまいます。次回には、私の当初の予想を遥かに上回るジンバブエとコンゴの混乱状態の相互連関について報告したいと思います。
藤永 茂 (2009年3月18日)
ご指摘の通り, Ian King は Ian Kay です。失礼しました。
David Coltart についての情報源は
George Shire, The Guardian (UK), 24 January, 2002
です。
藤永 茂