私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

サマンサ・パワーとルワンダ・ジェノサイド(2)

2009-04-08 13:17:32 | 日記・エッセイ・コラム
 前回の終りに訳出したサマンサ・パワーの文章を再録します。
■ 1994年、百日間の時の流れの間に、ルワンダのフツ政府とその過激派協力者たちは、その國のツチ少数民族を絶滅するのに成功するすれすれの所まで行った。銃器、広刃鉈、それに農耕園芸用の道具の数々を用いて、フツ族の民兵、兵士、一般市民は、約80万のツチ人と政治的に穏健派のフツ人を殺害した。それは20世紀で最も手っ取り早く、最も能率的な殺戮ドンチャン騒ぎであった。それから数年後、雑誌『ニューヨーカー』の連載もので、フィリップ・グールヴィッチは、恐るべき詳細さで、そのジェノサイドと世界がそれを阻止することに失敗したストーリーを詳しく述べた。大統領ビル・クリントンは、熱心な物読みで有名だが、ショックを隠しきれなかった。彼はグールヴィッチの記事のコピーを二期目の国家安全保障顧問のサンディ・バーガーに送った。記事のコピーの余白には、混乱し苛立った追求的な問いかけが書き込まれていた。クリントンは、やたらに下線を施したパラグラフの横に太字の黒のフェルトペンで“この男が言っているのは本当か?”と書いていた。■
上の最初の4行が世界中で受け入れられているルワンダ民族大虐殺の話ですが、前回に言及したハーマン(Edward S. Herman)がこれはでっち上げのうそ話だと言っています。私も、他の色々の論考を読んであれこれ迷った挙句、ハーマンが正しいと確信するようになりました。アメリカには「ガンゾウ(gonzo)・ジャーナリズム」という妙な言葉があります。独断と偏見に満ちた報道、事実を歪曲した記事や論説のことだそうですが、かつては私たちが信頼を置いて読んでいたニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストなどが、支配権力層の代弁者に成り果ててしまった今、何をガンゾウ・ジャーナリズムと呼び、誰をガンゾウ・ジャーナリストと呼ぶべきか、大変ややこしい時代になってしまいました。ほとんどすべての報道が政治化する状況下で一つの政治的事件の真実を把握するのはとても困難な作業になってしまいました。今やオバマ大統領の側近として権力の中枢にあるサマンサ・パワーは、ハーマンやチョムスキーをガンゾウと呼ぶでしょうし、ハーマンはパワーをガンゾウと呼ぶでしょう。
 私はコンゴをアフリカ問題の中心的地域と考えていますが、それに連関した知識を探る場合に大きな頼りにしている人がいます。スノー(Keith Harmon Snow)という白人ジャーナリストです。アフリカ問題に関心を持つ人々でスノーの名前を知らない人は殆どいないでしょう。この人物をガンゾウ・ジャーナリストと見るか、見ないか、それは、各人の自由ですし、なにしろ、アフリカは世界で最も激烈な宣伝戦が繰り広げられている大陸ですから、スノーが教えてくれる情報源の信憑性も慎重に測る必要があります。しかし、私は彼が言おうとすることに、信頼を持って、耳を傾けています。そのスノーが書いた『ホテル・ルワンダ:ハリウッドと中央アフリカのホロコースト』という長い論説(2006年)があります。ルワンダ・ジェノサイドについての私の所見のおおよその所は前々回のブログ『ジンバブエの脱構築(4)』で述べましたが、それはスノーの意見に強く影響されています。勿論、ほかにも随分と読みましたが。もし私の判断が大筋で正しいとすると、この大虐殺についてはサマンサ・パワーこそが全く無責任なガンゾウ・ジャーナリストだということになります。
 1994年4月6日、ルワンダの首都キガリの空港で墜落事故が起こり、ルワンダの大統領とブルンディの大統領の二人が死亡します。両者ともフツ人(多数民族)でした。この直後に、サマンサ・パワーが生々しく描く、フツ族によるツチ族(少数民族)の無残な虐殺が始まりました。当時、ニューズウィークやニューヨーク・タイムズなどのアメリカの代表的メディアは二人の大統領の死を「なぞの墜落事故」と報じましたが、二人が乗っていた航空機は、ウガンダ軍からルワンダに侵攻してルワンダ政府の打倒を試みていたポール・カガメ指揮下のルワンダ愛国戦線(RPF, Rwandan Patriotic Front)によって撃墜されたのでした。つまりこれは政治的暗殺事件であったのです。また、ルワンダ・ジェノサイドは昔からくすぶり続けていたフツ、ツチ両民族間の憎しみが暴発したという単純は事件ではなく、1990年頃からアメリカ政府(主にCIAとペンタゴン)が進めていたコンゴ東部地域の政情不安定化政策が生んだ結果的現象であったと見るのが、真実のより良い近似であると考えられます。ポール・カガメと彼の身辺の軍人たちは、ペンタゴンが手塩にかけて育て、ウガンダ/ルワンダ地域に送り込んだテロリストの精鋭軍団であったのです。これは世にいう陰謀説などではありません。Paul Kagame という人物は、今では、アフリカの権力者としてアメリカ政府の最高のお気に入りであり、この人物についての公式、非公式の情報は多量に入手できますので、ぜひ御覧になって下さい。
 このブログの冒頭に引用したサマンサ・パワーの文章について、前回のブログで、私は、彼女の語り口のすべてが気に入らないと申しました。その一つは「銃器、広刃鉈、それに農耕園芸用の道具の数々を用いて」という語り口です。特にmachetes という言葉が気に入りません。辞書には、幅広で重い刃のなた(特に中南米の原住民が砂糖きびの伐採などに使う)、と説明してあります。フツ族の暴徒たちが、農具の大鉈や熊手を振り上げてツチ族を惨殺したのは事実でしょう。しかし、このマチェーテという大鉈は、米英の一般白人がアメリカ大陸やアフリカ大陸の原住民の蛮行を描写する時に、余りにも習慣的に用いられるのです。彼等は無意識に赤や黄や黒の原住民たちの野蛮さにふさわしい武器としてマチェートのイメージを使ってしまうのだと思います。しかし、人を殺すための道具の野蛮さとは何でしょうか。フツ族が無人ヘリコプターを使ってツチ族の結婚式場にミサイルを打ち込めば野蛮ではなくなるのか。マチェートと原子爆弾のどちらが野蛮な武器として上なのか?
 すこし感情的に突っ走り過ぎました。サマンサ・パワーの書いたことについては、このマチェートより遥かに重大な問題があります。時の大統領クリントンがルワンダ・ジェノサイドのむごたらしさに驚愕したという証言です。これについては、次回に論じたいと思います。

藤永 茂 (2009年4月8日)



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