私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

サマンサ・パワーとルワンダ・ジェノサイド(3)

2009-04-15 08:42:50 | 日記・エッセイ・コラム
 前回のブログのはじめに引用したサマンサ・パワーの文章は、二つの重要な言明を含んでいます。前半には、ルワンダ・ジェノサイドはルワンダの多数民族フツが少数民族ツチを、わずか3ヶ月ほどの間に、80万人ほど惨殺した事件だったということ、後半には、それから数年もたってから雑誌『ニューヨーカー』に出た詳報を読んだクリントン大統領は初めてルワンダ・ジェノサイドのひどさを知って仰天したことが書いてあります。前回、私は、前半の言明(これはほぼ世界中で受け入れられている見方ですが)は虚偽の言明だと考えていると申しました。今回は、クリントンがそんなにも完全にツンボ桟敷に閉じ込められていたとは信じられない、と申し上げたいと思います。
 私にとってのルワンダ・ジェノサイドの真実とは、危険を承知でごく手短に要約すると、次のようになります。
■ CIA とペンタゴンがツチ人のポール・カガメを一定の目的をもって軍事的に訓練し、ウガンダに送り返したのが、そもそもの事の始まりである。1990年10月、ポール・カガメの指揮の下、ルワンダ愛国戦線(RPF, Rwanda Patriotic Front)とウガンダ国軍はルワンダに侵攻して、多数民族フツ人大統領ハビャリマーナの政府の打倒を目指した闘争を開始した。1994年4月6日、ルワンダの首都キガリの空港上空で墜落事故が起こり、ルワンダの大統領とブルンディの大統領の二人が死亡し、これが引き金となっていわゆるルワンダ・ジェノサイドが勃発した。搭乗機はRPF の兵士が発射したミサイルによって撃墜されたと思われる。虐殺行為はルワンダ国内の多数派フツの兵士、民兵、大衆が少数派ツチに襲いかかることで始まったたが、ウガンダからルワンダに侵攻していたポール・カガメの指揮するツチ人軍団RPFは、ルワンダ内のツチの虐殺を開始したフツ人軍団よりも遥かに勝る武力装備を駆使してフツ側の虐殺行為を制止圧倒し、続いて、原則として捕虜を取らず、逆に大量のフツ人たちを殺し始めた。虐殺行為に従事したフツの兵士、民兵、大衆と、虐殺には加わらなかった多数のフツ人大衆は、今度はポール・カガメの兵士たちによるフツ人大虐殺を逃れるために避難民として西の隣国コンゴに流出を開始した。こうしてポール・カガメがルワンダ国内を制圧することで、1994年4月6日に始まったルワンダ国内の大虐殺は6月16日には終焉した。この間、約百万人のフツ人が大鉈、小鉈、まさかり、鍬などでむごたらしく惨殺されたことになっている。しかし、実際に殺されたツチ人の数は、おそらく、40万か50万、それに加えて、10万か20万のフツ人がポール・カガメ側の手に掛かって殺されたものと、推定される。CIA とペンタゴンがツチ人のポール・カガメを軍事的に訓練した一定の目的とは、まず、ルワンダにアメリカ政府寄りの政権を樹立し、続いてルワンダの西に位置するコンゴ東部の政情を不安定化することであった。したがって、大虐殺の生々しい惨状に就いては多少の認識不足があったにしても、クリントン大統領が、サマンサ・パワーが描くような無知の状態にあったとは考え難い。■
私なりに到達したこの結論は、確実な証拠文献を揃え、理路整然と説明することは出来ません。状況証拠と私の勘に頼っての結論です。何故そんな情けないことになってしまうのか?-こちらの方が、むしろ、より大きな問題かもしれません。肝心のポイントになると、各種多様のバイアスのかかった情報にしか、私のような部外者にはアクセスがないからです。例えば、誰がルワンダの大統領とブルンディの大統領の二人の搭乗機を撃墜したか?もとポール・カガメの指揮するツチ人軍団RPFの将校だったAbdul Ruzibiza は下手人の名前まで上げてRPFが撃墜したと証言し、ポール・カガメはルワンダ軍の過激派分子の仕業だろうと言い、国連筋は「なぞ」と言い、この線にサマンサ・パワーなど米英側でルワンダ・ジェノサイド通と称される著者たちは沿っています。一方、フランスの裁判官ブルギエールはルジビザの証言を信用し、スペインの高名な平和運動家ホアン・カレロ(カタロニア人)は、この撃墜事故を含めて、ルワンダ・ジェノサイドの責任を全面的にポール・カガメに負わせる立場を取っています。こうした報道や論説や単行本は多量入手できますが、先ほども申した通り、あれこれ読んでいると、殆どの情報に政治的なバイアスがかかっていると結論せざるをえません。
 しかし、動かしがたい事実、確かめようとすれば確かめられる事実も沢山存在します。今回はその二つを挙げておきます。その一つは、ルワンダの鉄腕冷血の大統領ポール・カガメについてのクリントン、ブッシュ、オバマの三代大統領の覚えが大変よいということです。米英のアフリカ政策推進のための現在最高の優等生はポール・カガメです。CIA とペンタゴンが軍事訓練をポール・カガメに与えたことは既に述べましたが、それ以来彼の背後に強力なアメリカの存在があることは誰もが認める所です。最近について言えば、2007年、ペンタゴンは軍事訓練費として一千万ドルほどをポール・カガメに与え、2008年、ブッシュ大統領がルワンダを訪問した時にも、隣接するソマリアのダフール地域の平和維持のためという名目で、ほぼ同額の軍事訓練費を手渡しています。
 もう一つの明々白々の事実は、「ルワンダの大統領とブルンディの大統領の二人の墜落死にポール・カガメは関与しておらず、ルワンダ・ジェノサイドを終結させ、ルワンダに平和と安定をもたらしたのはポール・カガメの大きな功績であった」という公式版の神話に楯つく言説をなすものには、激しい非難と処罰が課せられる、ということです。その例証として、2006年11月28日の日本での新聞報道を掲げます。■ フランスの司法当局が1994年のハビャリマナ大統領搭載機墜落事件に関与したとしてポール・カガメ大統領に対する国際法廷審理を提起したことに対し、ルワンダ国内では抗議活動が拡大している。ルワンダ政府は24日に仏大使館やフランス語学校への72時間以内の閉鎖を求めたが、27日には新たにラジオ・フランスに対して放送禁止命令を出した。■
フランスに対してもこれだけの断固たる処置に出るのですから、国民の発言については、法律できびしい禁止が行われています。まさに、ナチ・ホロコーストを想起させる状況です。
 しかしながら、ルワンダ・ジェノサイドの無残さをフィリップ・グールヴィッチが書いた雑誌『ニューヨーカー』の記事で初めて知ってクリントン大統領がびっくり仰天したかどうかを直接確かめることが出来るような資料に、私がアクセスできる可能性はゼロです。では、私がサマンサ・パワーの面白おかしいストーリーの真実性を疑う根拠は何か? 私はそれを「勘」あるいは「直感」と呼びたいのですが、それは、私が彼女の書いたものを読み、インターヴュー記事を読んだ結果として、「この女性、どうもいけ好かないな」という感じを漠然と持ってしまったことだけを意味するのでは決してありません。コンゴの東部の情勢についての各種報道記事や論説に目を通していると、そうした資料を読む目が次第に肥えて来るのを自分でも実感できます。それは一定の傾向を持った偏見が固まって来るのとは違うことは、本読みの方々なら、同意して下さるでしょう。パスカルが好きでなかったヴァレリーは『パンセ』を評して「文章を書くパスカルの手が見える」と言ったことがあります。私の場合は、ずっと卑俗なレベルの話ですが、読者へのインパクトを計算しながら筆を運ぶサマンサ・パワーの手が見えるのです。
 『アトランティック・マンスリー』の彼女の論説を読むと、クリントン大統領と政府高官たちは、ルワンダからのアメリカ市民の無事引き上げが最大の関心事で、それが完了してしまうと、途端にルワンダの状況に対する興味を失ったかのように描かれています。「あの墜落事故のあと、国務省6階の対策本部の壁に慌ててピン留めされたルワンダの地図も忘れ去られ、政府高官たちのレーダースクリーンからルワンダは殆ど消え落ちた」と書いてあります。そして、高官の一人、Anthony Lake に「その頃はハイチとボスニアで頭が一杯で、ルワンダは、・・・、わきの出し物(side-show)ですらなく、余興ですらなかった(a no-show)」と言わせています。ここまでルワンダ問題軽視を主張されると、ヒゲ爺ではありませんが、「ちょっと待って」と言いたくなります。
 そんな筈はありません。ここでアメリカ政府の最高国防機関である国家安全保障会議(NSC)の高級官僚Richard Clarke という人物に注目しましょう。NSCの構成員は、大統領、副大統領、国務長官、国防長官、CIA長官、統合参謀本部議長という、アメリカ国家の国家政策を検討する最高のメンバーです。Richard Clarkeは極めて有能辣腕の官僚のようで、彼がルワンダ問題を実質的に取り仕切っていたと考える十分の証拠があります。1994年のルワンダ・ジェノサイド騒ぎについて注目すべきことは、騒ぎが大きくなった時、国連の平和維持軍が虐殺の進行を止めるどころが、旗を巻き、尻尾を巻いて、逃げてしまったことです。その結果として、虐殺の進行を止めた英雄としてポール・カガメが登場することになります。ポール・カガメはCIAとアメリカ国防総省(ペンタゴン)がわざわざ養成訓練して、ルワンダ・ジェノサイドの4年ほど前に、ウガンダに送り込んだ人物であることは前にも述べました。明々白々の事実です。 コンゴ東部の豊かな地下資源に強い関心を持っていた(いる)アメリカ政府の、NSCの、レーダースクリーンからコンゴ東部/ルワンダ/ウガンダが、一時的にでも、消え去ることなど全く考えられません。ところで、ルワンダ・ジェノサイドの前年、Richard ClarkeはPDD-25(大統領政策決定指令)なるものを作成しています。これは多くの人々によって、国連平和維持軍の無力化を目指すものだと考えられたようです。この辺から、アメリカ政府には、もともと、ジェノサイドに積極的に介入してそれを阻止する気はなかったという“邪推”が当然発生してきます。国連など外国の平和維持軍がいなくなってしまった状態で、ポール・カガメはコンゴ東部に侵攻を開始しました。これが「アフリカの世界戦争」とも呼ばれるコンゴの悲劇の始まりで、数百万人が殺される大惨事になりました。NSCでのRichard Clarkeの側近であったスーザン・ライスという黒人女性は、今はオバマ大統領によってアメリカの国連大使に任ぜられ、テレビでお馴染みの顔になりつつありますが、彼女はアメリカ政府のコンゴ/ルワンダ政策の過去現在のすべてを知っている筈です。サマンサ・パワーは彼女の後釜のようにしてNSCに入り、この二人の女性はオバマ政権のアフリカ政策を左右することになりましょう。二人とも、アフリカに関する限り、大した鷹派です。そして、彼女らの先生格に当る人物が存在します。サマンサ・パワーのナラティヴには遂に顔を出しませんでしたが、Roger Winterという大物です。興味のある方は是非お調べ下さい。

<付記> 上の記事は4月14日午前中に書きましたが、夜になって、Dissident Voice というウェブサイトでKeith Harmon Snow の『The Rwanda Genocide Fabrications』(4月13日付け)という極めて注目すべき論説を見つけました。この「ルワンダ大虐殺のでっち上げ」論が重要なのは、私がモタモタした筆致で書いてきた「ルワンダ大虐殺」推察論が結構いい線を行っていたと思わせることが沢山書いてあるからではありません。私たち一般の人間が日々読まされている報道記事や論説の中立性、真実性について、実に深刻な疑念を抱かざるを得なくなるようなことが書いてあるからです。アフリカに限られた問題ではありません。実は、次回のブログの題は『アリソン・デ・フォルジュとホアン・カレロ』にしようと思っていたのですが、スノーの新しい衝撃的な発言で、私としても、もう一度しっかりと想を練り直す必要がでてきましたので、このタイトルはしばらくお預けにします。

藤永 茂 (2009年4月15日)



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