私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

プルーデンス(prudence)を持たない男

2024-04-20 10:28:20 | 日記
前回のブログ記事の終わりに
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エンタメ映画製作者として、ノーラン監督には思う通りに創作する基本的な権利があります。しかし、もし、この映画の描くオッペンハイマーが、真実のオッペンハイマーに近いとノーラン監督が思っているのだとすると、これは致命的な「読み違い」である可能性があります。その可能性を強く示唆するのは、真面目なオッペンハイマーの伝記に必ず登場する人物であるランズデール(John Lansdale) がノーラン監督の『オッペンハイマー』には出て来ない事です。実在した人物があれほど多数登場するのに、ランズデールは出て来ません。
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と書きました。ランズデール(1912年~2003年)は、陸軍大佐として、米国の原子爆弾製造計画(マンハッタン区計画)の防諜機関の主任を務め、オッペンハイマーとその妻キティを徹底的に詰問し、調べ上げた人物です。

 N. P. ディヴィス著『ローレンスとオッペンハイマー』(菊池正士訳、タム・ライフ・インターナショナル、一九七一年) という本があります。原著は1969年に英国で出版されました。訳者の菊池正士(1902年〜1974年)は日本の原子物理学の大先達です。この訳書から、オッペンハイマーについての極めて興味深い一節を引用します:
「オッペンハイマーが政府秘密について口が固くなかったと言った者はこれまでただの一人もいない。しかし、オッペンハイマーと長く付き合った者なら誰しも経験したことだが、ランズデールもこの男がプルーデンス(prudence)というものを持っていないことを発見してまったく頭に来る思いをした。正常な人間ならば、世の中でやっていくため、あるいは少なくとも落後しないための賢明な兵法にしたがって、ニッコリするか顔をしかめるか、はねつけるか誘いこむか、人を押しのけるか譲るか、反応の仕方の見当がつくものだ。そだてられ方の欠陥から、この適応性を身につけそこなったオッペンハイマーは、それを、彼自身が案出した知的・道徳的・審美的規範で置きかえたのだ」

 上の引用は拙著『ロバート・オッペンハイマー 愚者としての科学者』(ちくま学芸文庫、2022年)の310頁から転載しました。訳者の菊池正士の訳文が見事なので、原著の原文(p157)も引いておきます:
  Nobody at all has ever said Oppenheimer did not keep a still tongue in his head about government secrets. But like everyone else who dealt with him at length, Lansdale had made the exasperating discovery that he had no prudence. Normal people can be counted on to smile or frown, snub or invite, elbow or yield in accordance with a sensible strategy to get on in the world or at least not drop back. Deprived of this orientation by a defective education, Oppenheimer replaced it with an intellectual-moral-aesthetic criterion of his own devising.

  これは著者デイヴィスがランズデールから直接に聞いたことを書き下ろしたものと思われます。プルーデンスいう言葉は、慎重、思慮深さ、を意味しますが、また、抜け目のなさ、ずる賢さの意味もあります。形容詞はプルーデント(prudent)、プルーデンシャル(prudential)。米国でおそらく最大の保険会社に「プルーデンシャル」という会社があります。私たちは人生を安全に送るために、世の中の規範、世の中の価値に逆らうことなく、慎重に、忖度して、あるいは、計算高く生きる、それを、プルーデントに生きる、というのです。カナダの高名な作家が「芸術家はプルーデントでない生き方をするものだ」と発言したことがありました。
 もし、ロバート・オッペンハイマーが「謎」に見えるならば、「プルーデンス」はその謎を解くキーワードの一つでしょう。オッペンハイマーの著作や講演で、私が知る限り、彼はこの言葉を悪しき意味でしか使っていません。パッシュやデ・シルバなどの諜報員たちがオッペンハイマーの現実感覚の、信じがたいまでの不用心さ、子供っぽさに驚いた時、彼らはこのキーワードを知らなかった故に「謎」を間違って解いてしまいましたが、ランズデールは「謎」を正しく解いたのでした。
 オッペンハイマーを貶める為にストローズが仕組んだ「オッペンハイマー聴聞会」はノーラン監督の映画『オッペンハイマー』の見せ所の一つですが、ランズデールは出て来ません。実際には、ランズデールはオッペンハイマー弁護の強力な論陣を張ったのです。参考までに、ランズデールについての英文ウィキペディアの記事から、関係部分をコピーします:
Lansdale testified at a 1954 Atomic Energy Commission hearing on behalf of Oppenheimer, who was threatened with loss of his security clearance because of Communist associates. A seasoned trial lawyer, Lansdale was not intimidated by AEC lawyer Roger Robb's prosecutorial tactics, and his combative replies contrasted sharply with Oppenheimer's own sheepish answers to Robb's questions. Lansdale felt that Oppenheimer was a loyal American citizen and was outraged by his treatment.

私たちも、この謎解きのキーワード「プルーデンス」を意識して、オッペンハイマーという人間の理解を試みなければなりません。しかし、「育てられ方」が間違っていた結果として彼は「プルーデンス」に欠けていたのでしょうか? 「オッペンハイマーがこうした生き方を選んだのはもっと積極的な信念からだったのでは」と私には思われてならないのです。奇矯唐突に響くかもしれませんが、私は、ロバート・オッペンハイマーとアルベール・カミュには重要な共通点があると考え始めています。次の記事でそのことを論じます。

藤永茂(2024年4月20日)

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