私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

ノーム・チョムスキーとエドワード・カーティン

2022-05-25 20:13:39 | 日記・エッセイ・コラム

米国にエドワード・カーティンという、私が大いに好意を寄せる物書き、発言者がいます。ノーム・チョムスキーやクリス・ヘッジスの程には広く知られた名前ではありませんが、傾聴に値する声です。彼が書き続けているエッセーの数々は次のサイトで読むことができます。

http://edwardcurtin.com

彼の過去の文章を集めた2022年出版の単行本『Seeking Truth in A Country of Lies』も購入しました。その中にアルベール・カミュについてのとても良い文章があります。私もカミュが大好きです。

カーティンは、今年の1月10日付で、次のようなことを書いています。彼は25歳前後から、あれこれ頭に浮かんだ事をノートブックに書きつける習慣がつき、後で何か文章を書くときの素材にして来ました。ところが今年、2022年、の初めに、昨年の書き込みを振り返ってみると、2021年は異常で「何もかも嘘だらけ」(It’s all lies.) と書きつけてあるだけでした。カーティンは、2021年中、新著『嘘ばかりの国の中で真実を求めて』を一生懸命まとめていたのでしょう。

アルベール・カミュも二十二歳から四十六歳で突然変死を遂げるまでノートブック(Cahiers)を書き続けました。その最初のエントリー(1935年5月5日)に、カミュは、次の言葉を書きつけました:

「私の言いたいのはこういう事だ:人は、ロマンチックな気持ちなしで、失われた貧困に郷愁を感じうる」

( Ce que je veux dire: Qu’on peut avoir –– sans romantisme –– la nostalgie d’une pauvrete perdue. )

( What I mean is this: that one can, with no romanticism, feel nostalgic for lost poverty. )

この後にカミュの説明的な文章が続きます:

「自分の中でこれに気付いた者は誰しも感謝の念を抱き、そして、結果として、ある良心の呵責を覚える。もし彼が別の社会階級に移ってしまったとなると、階級の比較は、また、彼が大きな富を失ってしまったという感じを彼に与える。富裕な人々にとっては、大空はただ余分の自然の恵みにすぎない。他方、貧乏な人々は、大空が、本当には何であるかを見ることができる:無限の恩寵だ。」

良い言葉ではありませんか。カーティンは、カミュに代わって、彼の言葉で説明を加えます:

That can be easily misunderstood, but he clarifies it. For Camus grew up in poverty but under the sun and by the sea in Algeria where he found beauty and joy in nature. He knew there was a grey, depressing form of poverty that did not provide such solace. He was trying at a young age to express what he later said differently: “I cling like a miser to the freedom that disappears as soon as there is an excess of things.” Yet here we are in 2022 drowning in an excess of things, possessions that keep the world captive to the evil genius of consumer capitalism and the false rhetoric of freedom, things that people don’t need but want because of advertising’s brainwashing and the existential emptiness that convinces people that if you surround yourself with enough things you are somehow protecting yourself, while that delusion feeds an environmental crisis that is destroying the earth. Possessions as a form of demonic possession, a protection racket that doesn’t protect. But they give people an imaginary boost. Call them boosters. See the front page of The New York Times for all the latest consumer goods no one needs. They call it news, and the boosters, booster shots.

英語をたどるのが億劫な方も流し読みして下さい。カーティンの憤懣が感じ取れる筈です。

最近のエドワード・カーティンの論説『反ロシアの左翼人の言葉遣いの微妙さ(The Subtleties of Anti-Russia Leftist Rhetoric)』が、ウクライナ戦争の只中、いくつかのサイトに引用されて評判になっているようです。例えば、

https://dissidentvoice.org/2022/05/the-subtleties-of-anti-russia-leftist-rhetoric/#more-129613

https://www.unz.com/article/the-subtleties-of-anti-russia-leftist-rhetoric/

カーティンはこの論説の中で、ワシントン・ポストやニューヨーク・タイムズのような、完全に米国政府に服従して、進んでそのお先棒を担いでいる論説委員たちの書くことには、知的な読者は直感的に嫌気を催して、案外、影響を受けない場合も多いであろうが、むしろ恐ろしいのは、米国政府批判の正論を堂々と展開しているように見せながら、その中に、誤った思考に導く種子を散布してあるような“進歩的”左派の論説や発言だと厳しい警鐘を打ち鳴らしています。そして、そのような発言を行なっている“左翼”として、ノーム・チョムスキーやその仲間のクリス・ヘッジスを名指しで批判しています。

チョムスキーについては、最近のインタービュー:

https://truthout.org/articles/noam-chomsky-propaganda-wars-are-raging-as-russias-war-on-ukraine-expands/

の中で、チョムスキーがウクライナ戦争の戦況報道について行なった発言が取り上げられています:

I don’t think there are ‘significant lies’ in war reporting. The U.S. media are generally doing a highly creditable job in reporting Russian crimes in Ukraine. That’s valuable, just as it’s valuable that international investigations are underway in preparation for possible war crimes trials.

(戦況報道に重大な虚偽があるとは、私は考えない。USのメディアは、ウクライナでのロシアの犯罪を報道することで、概して信用できる仕事をやっている。これは、起こり得る戦争犯罪の裁判の準備のため国際的な調査が進行中であることと同じぐらい価値のあることだ。)

上のチョムスキーのコメントは、ここだけ読むと、私もビックリせずには居れません。このインタービューを行なったC.J. Polychroniou という人は、TRUTHOUTというウェブサイトにある解説によると、大変な活躍家で、チョムスキーを大変高く買っている人のようです。このインタービューの前置きで、ポリクロニュ氏はチョムスキーを、ガリレオ、ニュートン、デカルトにも比肩すべき知的巨人として紹介しています。もし日本文化のことも知っていれば、弘法大師の名も加えたことでしょう。

日本には「弘法も筆の誤り」とか「猿も木から落ちる」という諺があります。上に引用したチョムスキーの発言もそうした誤りかもしれません。しかし、カーティンにしてみれば、これは真正の左翼に対する裏切り、もともとノーム・チョムスキーに批判的だった人々にとっては、これがチョムスキーの正体だ、ということになるのでしょう。カーティンのこの論説の結びはなかなか辛辣です:

The right-wing and the neocons are obvious in their pernicious agendas; nothing is really hidden; therefore they can and should be opposed. But many leftists serve two masters and are far subtler. Ostensibly on the side of regular people and opposed to imperialism and the predations of the elites at home and abroad, they are often tricksters of beguiling rhetoric that their followers miss. Rhetoric that indirectly fuels the wars they say they oppose.

Smelling skunks is not as obvious as it might seem. Being nocturnal, they come forth when most are sleeping.

<注> pernicious(ひどく悪性の)、ostensibly(表向きには)、predation (略奪)、beguiling(誘惑的な)、skunk(スカンク)、nocturnal(夜行性の)

カーティンは、私と同様、かなり感情的になることがありますから、彼の心中も察しがつかないこともありません。しかし、私は彼のような立場を取りません。

チョムスキーにしろ、ヘジッスにしろ、自分の社会的発言がマスコミの世界から締め出されてしまいたくないという内奥の計算があるのかもしれません。これは、必ずしも問答無用に断罪すべき事ではありません。自分の発言に耳を傾けてくれる人々を失うのは、文筆家にとって、耐え難くつらい事でしょう。あるいは、もっと立派な動機から、発言を続けたいと思って、一種の術策を弄する場合もあるでしょう。今は亡きロバート・フィスクのことを、私は、哀惜の念をもって、回想しています。過去に何度かこのブログで彼のことを語りました。どうか次のブログ記事を読んで下さい。私の言う「一種の術策」が何を意味するかがわかっていただけるはずです:

https://blog.goo.ne.jp/goo1818sigeru/e/ae1b82d6a8ac23164cc6414aad103bff

この中で、フィスクの死を悼んでいるジョン・ピルジャーも、今の状況の中で如何に発言を続けていくか、苦衷の中に身を置いていることでしょう。

真正の左翼論客としてのカーティンの今回の発言から学び取るべきものは大いにあるとしても、俄には私は同意したくありません。

ウクライナ戦争は本物の戦争です。戦争には犯罪行為が必ず伴います。戦争そのものが犯罪です。過去の何らかの個人的経験から、現在もロシアの軍隊が犯罪を犯していると確信する個人がいるとしても何ら驚くべき事ではありますまい。ノーム・チョムスキーにはロシア軍の戦争犯罪を厳しく咎める個人的理由があるのかもしれません。私の敬愛する画家香月泰男が今生きていたら、そういう人の一人になったかもしれないとも思います。

私はこの一生で人間として誠に立派な数人の女性を知る幸せに恵まれました。その一人にスペイン在住の物理学者ソイラ・バランディアランが居ます。夫君も同業の固体物理学者でスペイン北部アストゥリアス地方の出身、なかなかの硬骨漢です。ソイラは、人間として、教師として、妻として、母親として、動物愛護者として、非の打ちようのない人物です。ところが、私にとって、大変意外なところが一つだけあります。それは、ソイラの抱いている強い反フィデル・カストロ感情です。彼女はキューバ出身で、その家族は、おそらく、革命以前のキューバで富裕階級に属していたと思われます。私はソイラの強い反カストロの心情を感知してから、その理由の探索は一度もしなかったのでよく分かりませんが、ソイラの心中には人に語りたくない深いトラウマが蟠踞していたのだと思います。だからといって、ソイラに対する私の尊敬の念は変わりません。

ここで私の想いは、また、カミュに戻って行きます。彼は人間の知的能力の有限性を強く意識していました。自分の判断が絶対に正しいと考えるのは、人間の傲慢(hubris)です。カミュと言えば、『アストゥリアスの反乱』という戯曲があります。1934年10月、ソイラの夫君の出身地アストゥリアスで、炭鉱労働者を中心として激烈な反乱が勃発しました。ピカソの絵「ゲルニカ」で知られる多数の一般人民の無残な虐殺行為は、フランコによるこの反乱の鎮圧過程で起こりました。歴史家の中にはパリ・コミューンの反乱に並んで記憶されるべき革命運動だとする人もいます。私は、今、トルコ、シリア東部、イラク北部で展開されているクルド人たちのゲリラ戦反抗、オジャランの思想に基礎を置く革命運動のことを頻りに考えています。ここでの”フランコ”は、今は、トルコのエルドアン大統領です。

チョムスキーはウクライナ戦争を東西の帝国主義的覇権争いとみているのでしょうが、私は、その前方に、今の世界でない別の人間世界のharbingerを認めます。今、我々は、歴史的な重大局面にさしかかっています。ウクライナもロシアも大変な苦難に曝されるでしょう。ヨーロッパもアメリカも然り、日本もひどい事になるでしょう。我々は、あるべき世界の姿を見定めて、一歩一歩それに近づく努力を尽くさなければなりません。私は、世界の非白人社会の英知と熱情と努力に全幅の信頼を置いています。やがては、やがては、皮膚の色などに関係のない、明るさ一杯の世界が到来する事を本気で夢見ています。

<付記> 興味深い動画と記事を見つけました。ご参考までに:

https://www.youtube.com/watch?v=yw5DvUgJlZA

https://dissidentvoice.org/2022/05/new-york-times-repudiates-drive-for-decisive-military-victory-in-ukraine-calls-for-peace-negotiations/#more-129864

 

藤永茂(2022年5月25日)


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2 コメント

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Unknown (若くはないけど未熟者です)
2022-05-29 11:43:33
チョムスキー氏に関して、氏の著作を読んだ事がなく過去いくつかのインタビューを見てるだけなので偉そうに語る資格はありませんが、どうか若輩新参者の発言をお許しください。
前回の米国大統領選で既に多くのSNS利用者の中で、これがチョムスキーの正体...等と揶揄されてた事を鮮明に覚えてます。
今の民主党には新時代の夜明けとなる希望がある。米国人を数百万も殺した(コロナによって)男が立候補するなど許されない..云々。
その後の選挙不正騒ぎにも民主党支持者の鏡のような発言に、氏ともあろう人が何と感情的な...と私も感じておりました。
やはり今回のウクライナ紛争についての氏の発言にも、驚く人が少なかった事は当然に思います。

人間的にあらゆる面で尊敬を持てる人物の、意外な側面...心の奥底のトラウマ...大変解る気がします。
昔、身近な人もそのような困惑と、それでも尊敬の念は失くす事がなしという誓いを語るのを聞いた事があります。
ですが私のような若輩者には、「結局人間はどのような修養、鍛錬、また知性教養を身に着けても
あまり意味をなさないのではないか」という虚しさや絶望を禁じ得ません。

米国務長官の「露人を一度でも国内に入れてしまえば永遠に後悔する」脅しの発言やら米欧政界トップ、
大富豪として金融界を牛耳るソロス氏の尋常ではない憎露感。
これらがスタイルや方便ではなく心の奥底からの源感情(?)から来てるだろう事は、まるで理性も人道も人類愛も通じていないこの状況からも想像がつきます。
どのようなトラウマも憎しみも一旦は外に置き、あるいは超越克服できる為政者・指導者を戴かない事には私たちに平和は決して訪れない。
90歳も百歳にもならんとする権力者がその生涯をこのような感情に操られたまま情熱を燃やし続ける行為に多くの人類が被る不幸は計り知れません。

アジア~、ユーラシア、中東地域における指導者達が互いの理性と尊重で国家運営できる世界が訪れる事を願って止みません。
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Unknown (若くはないけど未熟者です)さんへ (千早)
2022-08-23 17:35:02
他の記事コメントに書いた通りで
https://blog.goo.ne.jp/goo1818sigeru/e/8856a0934d2c9030f295479527c7b516
チョムスキーは controlled opposition です。
つまり、工作員。

こうした動きが無数に存在することを認識せずして
我々の側は勝てません。

私が10年以上訴えている<政府は会社 売国詐欺>にしても
諸国の大多数が知らずに騙され続けているし
その詐欺がなかったとしても、ロシア革命やらフランス革命で
それ以前の王朝を破壊して、<政府>と呼ばれる詐欺システムに
乗り換えたことも同時に理解しないといけません。

英国、オランダ等、奴等極悪犯罪者たちとすでに
共謀していたところは残して…
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