私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

Settler Colonialism(セトラー・コロニアリズム)(1)

2018-06-02 23:40:56 | 日記・エッセイ・コラム
 殖民植民地主義と訳出されるのが普通のようですが、殖民と植民はもともと同じ意味の言葉です。一つの人間集団が自己の領土を確立しようとすると、その土地に以前から住んでいる人間集団(先住民)があれば、先住民を制圧しなければなりません。英国の植民地を例にすれば、米国やオーストラリアでは、多数の英国人が植民されて、その地での国家主権の確立は先住民の大量殺戮(ジェノサイド)によって行われ、政治的に無力化された残余の先住民に対しては残酷な同化政策が実施されました。英国によるインドの植民地化では、インドの全人口に対してジェノサイドを行うのは不可能でしたから、英国が現地行政機構を掌握して植民地を統治支配しました。インドは単に「コロニー」であり、米国やオーストラリアはセトラー・コロニーということになります。日本について言えば、朝鮮半島や台湾はコロニー、北海道はセトラー・コロニーということです。
 1961年、米国でTheodora Kroeber 著の『ISHI IN TWO WORLDS A Biography of the Last Wild Indian in North America』という本が出版されました。1911年8月29日の早朝、カリフォルニアのある畜殺場の柵囲いに中で犬に追い詰められた一人の男が発見されました。「イシ」は彼が属したと推定された先住民ヤヒ族の言葉で「人」を意味します。元々の名前は不明です。ヤヒ族インディアンは全員絶滅されたと思われていたのですが、一人だけ生き残りが発見されたということでした。この野生のインディアン「イシ」の良き友人となり、その記録を残したのは人類学者アルフレッド・クローバーでシオドーラ・クローバーの夫です。イシは“白人の伝染病”結核に感染して1916年に亡くなりましたが、アルフレッドはイシについて執筆しようとせず、妻のシオドーラが夫の残した資料にもとづいてイシの物語を出版したのは、夫が1960年に死亡した後のことでした。現在、入手しやすい日本語訳書は行方昭夫訳の『イシ 北米最後の野生インディアン』(岩波現代文庫)ですが、この訳書にはSF作家として高名なアーシュラ・K・ル=グウィンの筆になる注目すべき序文がついています。このKはクローバーのKで、彼女の父はアルフレッド、母はシオドーラです。序文の一部を引用させてもらいます:
「私の父で人類学者のアルフレッド・クローバーは、イシをもっとも親しく知っていた人物の一人であったけれども、イシの物語を執筆するのを望まなかった。その理由はよくは知らない。父が私たち子供にイシの話をしたという記憶はない。・・・どうして父がイシのことを口にしなかったか、私には想像がつくような気がする。一番大きな理由は心の痛みであろう。1900年にカリフォルニアにやってきた父は、無数のインディアンの部族や個人が破滅させられるのを目撃せねばならなかったに違いない。カリフォルニア原住民の言語、暮らし方、知恵などについての情報を、大量殺戮が完了する以前に、少しでも多く蒐集するというのが、何年にもわたる父の仕事であり、このため父は殺戮の目撃者となったのだ。ナチによるユダヤ人大量殺戮に等しいインディアン撲滅の生き残りであるイシは、父の親しい友人かつ教師になった。それなのに、それから僅か5年後に結核——これまた白人からの死の贈り物である——で死亡する。どれほどの悲しみや怒りや責任感に父は悩んでいたことだろう! イシの遺体を解剖するという話があった時、父が「科学研究のためとかいう話が出たら、科学なんか犬にでも食われろ、と私の代わりに言ってやりなさい。われわれは自分らの友人の味方でありたいと思います」と記したことで、父の苦悩は明白に理解できる。」(引用終わり)
 ここで、アーシュラ・K・ル=グウィンは「ナチによるユダヤ人大量殺戮に等しいインディアン撲滅」とはっきり言い切ります。そうです、パレスチナの土地で、ユダヤ人はセトラー・コロニアリズムを実行しているのです。それを達成するには、一人でも多くの原住民パレスチナ人を殺さなければなりません。できれば、カリフォルニアの白人たちが成し遂げたように原住民を皆殺しにしたいのです。これがパレスチナ問題の核心です。私たちは、その事態の進行を、西部劇映画ではなく、リアルタイムで見ているのです。
 米国がガザ地区でイスラエルのやっている大量虐殺を非難しない、いや、出来ないのは、自分が同じ罪業をなすことで国の繁栄を勝ち取ってきたからです。
 「アウシュヴィッツ以後、詩を書くことは野蛮である」とは、アドルノの有名な言葉です。私は、この軽薄な発言を嫌悪しますが、もしそうであるならば、米国の国民詩人ホイットマンはあのような詩の数々を書くべきではなかったのです。アドルノの発言についてはまた取り上げるつもりです。


藤永茂(2018年6月2日)

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4 コメント

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「殺される側」に寄り添う記者の目 (桜井)
2018-06-04 05:27:50
エヴァ・バートレット(Eva Bartlett)という尊敬すべきフリーランスの記者がいますが、彼女のウェブサイト「In Gaza and Beyond」には貴重なルポの数々がアップされています。以下は、そのウェブサイト中の自己紹介(活動履歴)のページですが、彼女が長年にわたってガザ(殺される側)に寄り添い、文字通り体をはって命をかけて取材活動を続けてきた様子が伝わります。

https://ingaza.wordpress.com/about-me/

数度にわたる大規模なガザ侵攻による大虐殺のみならず、イスラエル兵による丸腰の住民への攻撃は日常茶飯で、農民・漁民をはじめガザのあらゆる産業、生活全般が攻撃されているとあります。例えば、農民が自分の土地にいるだけで銃弾が飛んでくるそうで、彼らを取材する彼女自身も、銃弾が体をかすめる目にたびたび遭ってきたそうです。至近距離をかすめる銃弾、そして、多くの死者や負傷者の姿―。そうした日常の中にあり続けると、精神に安定を保とうとする防衛機制がはたらき、状況への「慣れ」が生じるそうで、2009年以来、彼女もそうした精神状態になっていったそうです。しかし、2012年の停戦合意の直前、ドローンによる攻撃で無残にも殺された子供たちの骸を目にした時には、その防衛機制の壁が崩れ、嗚咽してしまったとありました。

ガザの地がいかに凄まじい状況にあるか、その中でいかに過酷な取材活動を続けてきたかが、よく伝わる文章と感じました。末尾の写真は、イスラエル兵が彼女の至近距離に催涙弾を撃ち込んだ瞬間をとらえたものですが、直撃すれば命をも奪いかねない非常に危険な撃ち方で、丸腰の人たちに対するイスラエル兵の狂暴さがここにも見られます(以下の動画では3:59あたり)。

https://www.youtube.com/watch?v=2yD7GVNo_Vk&feature=youtu.be&t=204

バートレット氏の渾身のルポをいくつかをご紹介します。以下は、白リン弾による無差別虐殺の惨状を取材したルポです。爆裂がもたらすダメージや、化学爆弾特有のひどい熱傷に加え、被弾から何時間も経過しても負傷箇所から煙が出て来るという恐ろしい性質の兵器です。あまりにも痛ましく、あまりにも哀れで、正視し難い写真ですが、イスラエルがガザの住民に対して犯した罪業のナマの証拠として、貴重な資料です。一番上の写真の少女は、体の右半分を全体的に焼かれ、可哀想にその後、亡くなったそうです。家にいるところを、家族ともども攻撃されたそうで、救急車を呼んでも、それすらイスラエル側に阻止されたということです。いとこがトラクターを運転して負傷者たちを搬送しようとしたのですが、そのいとこも途中でイスラエル兵に狙撃されて死亡。負傷者たちはなんとか30分近くも歩いて病院に向かったとあります。イルラエル兵は本当にどこまでむごいことをするのでしょうか。その下の写真の幼な子の痛みも、いかばかりだったでしょうか。一番下の写真の赤ん坊の写真には、もはや言葉もありません。

https://ingaza.wordpress.com/2009/01/17/white-phosphorous-mutilated-and-murdered-family-members/

以下のルポは、2012年の停戦直前にイスラエルの猛攻撃を受け、無残にも殺されていったガザの住民たちの惨劇を克明に追ったものです。一番上の写真の男の子(14歳)は、先ほどの「自己紹介」のページでバートレット氏が、精神の防衛機制が崩壊し思わず嗚咽してしまったと書いた、当の子です。この子にはきょうだいがいて、きょうだいのために食品を買いに出た際に攻撃されたそうです。停戦が間近に迫り「もう大丈夫」と安心して外出した矢先の悲劇でした。無辜の民、丸腰の住民への攻撃、いかなる正当化も不可能な残忍な暴力。赤ん坊、少年・少女、女性からお年寄りまでが無残に殺されており、まさに虐殺(massacre)です。

https://ingaza.wordpress.com/2012/11/23/killing-before-the-calm-israeli-attacks-on-palestinian-civilians-escalated-before-cease-fire/

2018年の春、抗議の意思を示した丸腰の民衆に対し、催涙弾・ゴム弾・実弾で襲い掛かったイスラエル兵、嬉々として引き金を引いたイスラエル兵の姿は、2008年から2009年にかけてと、2012年とに、バートレット氏が現地取材でとらえた上記ルポのイスラエルの蛮行・虐殺となんら性質をたがえるものではなく、その延長上にあるものと感じます。
セトラー (よい=ノラや)
2018-06-04 08:53:06
英帝国の辺縁、豪州のさらに僻地の西オーストラリア州に住み着いてもうすぐ12年。移動のたびに整理した蔵書は100冊を大きくは越えないほど少なくなりましたが、イシの本はまだ手元にあります。これと岩波文庫の『インディアスの崩壊に関する簡潔な報告』がまだあるはずです。まだまだ何度も読み返す必要ありと判断したのでしょう。

今、住んでいるここも40年前まではただの小さな港とそれを囲むブッシュに点在する別荘だけだったそうです。今の家から幹線道路をはさんで内陸側、一昨年まで住んでいて、あまりの時間的な立体感のなさに目眩がしてきて転出したところは、宅地開発の直前までブッシュだった新開地。最寄りのショッピングセンターの交差点にある信号機が長らく最北の交通信号機でした。現在はここから北に25キロメートルほどのかつての別荘地Yanchep 小さな観光マリーナTwo Tocksまで海沿いに片側2車線の立派な道路が直通し、道路の両側のそのそこかしこで海岸性の砂丘・低潅木を切り開いて総計10万人規模の住宅開発が進行中です。

数十年、最長100年ぐらいの時間的射程で、そこに人は住んでいませんでした。が、僕もセトラーであることに違いはありません。

そこに人は住んでいなかった。
ーあの状態を「住んでいる」とは言わない
ーあの生き物たちは「人」ではない

地代収入の一部還付という形でのアボリジニへの土地の返還という制度があるのですが、血統の証明が大変だそうです。昨年、仕事でコンビを組むジョンちゃんの一族の土地の一部で鉱山開発が始まったので、シングルファーザーの彼は頑張って書類を書きまくって毎年数十万円の収入を得るLand lordとなって息子をちょっとはマシな学校へやることができるようになったのですが、そのことを家人(白人)に話すとあからさまな嫌悪を表したので、驚きました。



セトラー (よい=ノラや)
2018-06-04 08:53:32
英帝国の辺縁、豪州のさらに僻地の西オーストラリア州に住み着いてもうすぐ12年。移動のたびに整理した蔵書は100冊を大きくは越えないほど少なくなりましたが、イシの本はまだ手元にあります。これと岩波文庫の『インディアスの崩壊に関する簡潔な報告』がまだあるはずです。まだまだ何度も読み返す必要ありと判断したのでしょう。

今、住んでいるここも40年前まではただの小さな港とそれを囲むブッシュに点在する別荘だけだったそうです。今の家から幹線道路をはさんで内陸側、一昨年まで住んでいて、あまりの時間的な立体感のなさに目眩がしてきて転出したところは、宅地開発の直前までブッシュだった新開地。最寄りのショッピングセンターの交差点にある信号機が長らく最北の交通信号機でした。現在はここから北に25キロメートルほどのかつての別荘地Yanchep 小さな観光マリーナTwo Tocksまで海沿いに片側2車線の立派な道路が直通し、道路の両側のそのそこかしこで海岸性の砂丘・低潅木を切り開いて総計10万人規模の住宅開発が進行中です。

数十年、最長100年ぐらいの時間的射程で、そこに人は住んでいませんでした。が、僕もセトラーであることに違いはありません。

そこに人は住んでいなかった。
ーあの状態を「住んでいる」とは言わない
ーあの生き物たちは「人」ではない

地代収入の一部還付という形でのアボリジニへの土地の返還という制度があるのですが、血統の証明が大変だそうです。昨年、仕事でコンビを組むジョンちゃんの一族の土地の一部で鉱山開発が始まったので、シングルファーザーの彼は頑張って書類を書きまくって毎年数十万円の収入を得るLand lordとなって息子をちょっとはマシな学校へやることができるようになったのですが、そのことを家人(白人)に話すとあからさまな嫌悪を表したので、驚きました。



効率が優先される社会はその生みの親をも奴隷化する (海坊主)
2018-06-10 13:52:33
 『アメリカン・インディアン悲史』を著わした藤永先生だからこそ表象し得る視点だと思います。

 クローバー一家のような正常な感性を持つ人々の思いが大多数を占める同胞たちに共有されず、「彼らを根絶やしてしまえ」へ思考が行き着いてしまうのは何故なのでしょう。「全ての人間は等しく基本的人権を有する」と、世界人権宣言で公式に認めたこの国際社会の中において、セトラー・コロニアリズムが現在に至っても健在なのは何故なのでしょう。

 セトラー・コロニアリズムやジェノサイドを遂行する者が心底から邪悪だからなのでしょうか。それともアメリカン・インディアンやアボリジニ、アイヌ人、パレスチナ人にはその報いを受けるべき明白な理由があったからでしょうか。


「収奪と弾圧の現実は富と権力が集中化するシステムの中心からは見えにくくなる」

 富と権力が中央に吸い集められる社会システムが確立されると、富が蓄積されるその構造がさらに効率化され、君臨する者たちの目には過酷な収奪のその現実は見えにくくなります。権力の行使が富という利潤として帰ってくるのをニンマリ見届けるのみとなります。よい=ノラや様のコメントにありましたが、カトリックの司祭ラス・カサスによって『インディアスの破壊についての簡潔な報告』が本国に提出されるまで、中南米で残虐の限りを働いたスペイン軍の所業が伝えられなかったように。ベルギーのレオポルド2世の私領『コンゴ自由国』で行われた恐るべき所業に対し、国王本人は罪悪感を全く持たなかったように。そしてエドモンド・モレルやロジャー・ケースメントの告発がなければ、国際社会(とその支配者層)はその恐るべき収奪の現実を見て見ぬ振りしてきたように。三角貿易のその高い利回りばかりが議論され、奴隷化された黒人たちの命は全く顧みられなかったように。
 奴隷制を最初に廃止したその国は奴隷貿易で最も利益を得た国でもありました。つまり、富の最大化が全てに優先される社会に行き着いてしまうのです。


「権力への従属教育(洗脳)・訓練(馴致)は残虐な行為に対する免責を錯覚させる」

 エルサレムのアイヒマンの例を挙げるまでもありません。法令化・厳格化によって実行者本人の意思が行為に介入することが許されなくなると、上からの命令を忠実に実行することが唯一の自己保身の手段となります。つまり、忠実に業務を遂行することで免責されているという錯覚に自ら浸るのです。米国では、富の収奪であり先住民の絶滅行為でもあった西部開拓を『明白な使命(Manifest Destiny)』と称して正当化し、開拓者たちを罪の意識から巧妙に目を逸らさせていました。現在なら『保護する責任(R2P: Responsibility to Peace)』がその役目を担っていると言えるでしょう。

 チャールズ・ダーウィンの進化論が蔑視、差別を促す思想に援用されたという事実も重要です。「西洋人、白人は優れた人類であり西洋文明は優れた文明である」という思考が出来上がると黒人、赤人、黄色人を劣った人種へと突き落とされました。白人がアラブ世界の奴隷とされた時代がかつては存在しましたが、その恥辱の歴史は巧妙に隠されました。劣った民族・人種を文明化するという使命を掲げたヨーロッパ人は、その運営コストが掛かりすぎる事に気づくと、彼らを絶滅するか、あるいは潰せないほど大きな場合は、インドのように現地人を統治機構に組み込んで彼らを共犯関係に陥れました。残虐な行為の実行を現地人に任せてしまうことで現地に派遣されたヨーロッパ人は自らの手を汚さず罪の意識を持たずに済んだのです。アフリカ大陸でも白人自らが奴隷狩りをして黒人達をかき集めていた時代が過ぎると、銃器などを現地の黒人国家に売り捌いて奴隷狩り自体を現地の黒人国家に委託するようになりました。
 これらの仕組みは現地の同胞に裏切り者という大いなる悲劇を生み出しました。


「構築された収奪・弾圧システムはその生みの親たる人間をも束縛する」

 システム化された収奪・弾圧の構造は下層の民衆から権力者に至る全てを束縛すると私は考えます。平和で、安全で、豊かで便利な社会を失うのを恐れるあまり、その永続性を求めてシステムへの依存度をさらに高めてゆくことでしょう。そうした社会内部は全体主義に陥っていると言えるのではないでしょうか。全体主義的空気を醸成するため、マスメディアは一見重要と思えないニュースを垂れ流し、3S政策を持って人々の関心をそちらに向け、このシステムの問題に気づかせないように煙幕を張っていると私は思います。
 その空気の中に生き続ける人々はシステムの永続化を担う者たちとなり、異質な者、異論を発する者、抗議活動をする者、事実を伝える者に対して嫌悪を呈し、憎悪するようになるだろうと思います。その上、そのシステムの永続化を選択した自らの責任を棚上げにして「自分たちは知らなかった」「自分たちは騙された」と平然と言い逃れをするでしょう。そうしないと自らを守れないからです。
   
 最後になりますが、負の連鎖としか形容しようのない悲劇を繰り返すことが出来るのは、行為を正当化する非科学的な論拠を生み、かつその論拠に自らが適用され得ない優越的地位に自らを平然と置ける自己中心主義・ご都合主義に何の疑問を持たず支持してしまう、自らの頭で考えて判断しない人々が多数を占めているからか、あるいはそれに対して声をあげて異議申し立てする人々が少数だからでなのしょう。

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