私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

ハイチは我々にとって何か?(1)

2010-02-03 13:44:25 | インポート
 1月12日、カリブ海の黒人国ハイチは首都ポルトープランス地域を中心にマグニチュード7の大地震に見舞われました。ニュースに対する私の最初の反応は「何と気の毒なハイチの人々!」、次に、「これは大変な人災になる!」というものでした。それに続いて、私はハイチには2004年以降、国連平和維持(PKO, Peace-Keeping Operations)の部隊が1万人ほど駐留していることを思い出し、彼等が一斉に救出活動に繰り出す有様を頭の中で描きました。しかし、二日経っても、三日経っても、彼等の救援活動のニュースは報道されませんでした。その代わり、10日後には、ハイチ全国で十の刑務所から5千人を超す受刑者が脱獄し、国連高官は「治安悪化の最大要因」と懸念していることが報じられました。ポルトープランス発の共同通信による新聞記事から一部引用します。:
■ 首都中心部にある国内最大の「ポルトープランス刑務所」では地震発生の12日、殺人やレイプ、誘拐など凶悪事件の犯人を含む4215人の受刑者全員が脱獄した。刑務所の建物はほとんど壊れていない。・・・ 激しい揺れにおびえた看守らが職場を放棄して逃走、受刑者は残った看守から銃を奪い、建物に火を放って脱獄した。刑務所内に入ってみると、正面付近が焼け焦げているほかは無事だ。粗末な2段ベッドが並ぶ房は、いずれも鉄格子のドアが開け放たれたまま。衣類やトランプ、家族だろうか幼い男の子の写真などがして散乱いる。・・・ 同刑務所近くにある首都の中心街「ジャンジャック・デサリン通り」では、21日も無数の住民が崩壊した商店に入り込み、食料などの物品を奪っていた。パトカーが近くに止まっているが、警官らは無表情で眺めているだけ。脱獄犯の多くがこうした略奪行為を煽動、2004年の政変で追放された当時のアリスティド大統領派民兵で麻薬、武器の密輸に関与したとされる受刑者も少なくないとみられる。住民のロナルド・ルフランさん(42)は「治安維持は米軍に頼るしかない」と語った。■
 さて、この新聞記事から何を受け取るか? 大問題です。大部分の読者は、「ハイチはひどい貧乏国で最悪の“失敗国家”のようだ。自力では全然治安も維持できない。大地震後の復興も大変だろう」と感じて、次の記事に読み進むことでしょう。しかし、ハイチの歴史と現状に少しばかりの知識のある人間にとっては、この記事は、そうあっさりとは読み過ごせません。はやくも流行遅れになりましたが、この報道の“空気を読む”ことが必要です。
(1)上に、「ハイチ全国で十の刑務所から5千人を超す受刑者が脱獄し、国連高官は「治安悪化の最大要因」と懸念している」とありますが、そもそも約1万人の国連PKO部隊の任務は何なのか?世界各国への国連の要請に応じて、日本も陸上自衛隊を中心に約300人が派遣されるようですが、彼等は、本当に、地震被害の復旧の手助けのためにハイチへ行くのでしょうか?
(2)上の記事の引用の中に、歴史に関する二つのキーワードが顔を出しています。首都の中心街が「ジャンジャック・デサリン通り」と名付けられたのは何故か? 2004年の政変で追放されたアリスティド大統領とは何者か?
(3)首都ポルトープランスでの略奪行為を煽動するアリスティド大統領派民兵は、麻薬や武器の密売に関与したとされていますが、彼等は政治犯として受刑していたのではないか? だから、国連PKOに課せられた治安維持の任務は、住民による中心街商店の略奪行為を抑え込むといったこと以上のものなのではないのか?
(4)この共同通信の記者の筆致には、アリスティド大統領派民兵を含む5千人の脱獄囚が、まったく碌でもない悪者たちだと決めつけている響きがあり、記事の結びとして、住民の一人の名前と年齢をわざわざ挙げて、「治安維持は米軍に頼るしかない」と語らせています。ここには幾つかの深刻な問題が頭を出しています。まず、マスコミでは常套的な手段ですが、一般市民、通りがかりの人の発言を挿入するというフォーマットです。例え、テレビに発言者の映像が映ったにしても、報道者がどんなサンプリングをして、どんな選択を行なったかに就いては何も知らさず、知る手だてもありません。ハイチの場合でも、別様の発言をした市民が居たかもしれませんが、上の記事では、「治安維持は米軍に頼るしかない」という、政治的には、極めて問題性の高い意見が一つだけ取り上げられています。私は、ここで、この記事の執筆者が、一定の政治的意図を持って、この選択をしたと主張しているのでは決してありません。もう米軍しか頼るものがないという気持ちが、ハイチの一般市民に広がっているのが現実かもしれません。しかし、私が恐れるのは、この記事の執筆者の偏見と無知がそのままこの内容を生み出したのではないかという事です。
 これから先、この『ハイチは我々にとって何か?』のシリーズでは、上に掲げた問題点を、順次、議論して行きたいと思っていますが、その準備として、過去にこのブログでハイチを取り上げた箇所二つを以下に再録しておきます。

***** 2008年6月25日のブログから *****
オバマ氏の正体を見定めるのに決定的に重要な二つの講演が最近なされました。一つは、5月23日マイアミのCANF (Cuban American National Foundation:キューバ系アメリカ人中央財団?)の集会で、もう一つは、6月4日首都ワシントンのAIPAC (American Israel Public Affairs Committee、イスラエルの利益を代表する超強力なロビー(政治的圧力団体)として有名です。) の年会で、オバマ氏が行った講演です。この二つの講演、実に実に興味深いものです。オバマ氏がアメリカ合州国大統領となった暁には、アメリカのみならず、全世界の命運をも決するような恐るべき内容なのですから。・・・・・
そして、オバマ氏の言うことは、ハイチとコロンビアに到って、「この人ほんとにハーバード出なの?」と言いたくなるような歴史と現実の歪曲になって行きます。ここではハイチについてだけ読んでみましょう。
■ The Haitian people have suffered too long under governments that cared more about their own power than their peoples’ progress and prosperity. It’s time to press Haiti’s leaders to bridge the divides between them. And it’s time to invest in the economic development that must underpin the security that Haitian people lack. And that is why the second part of my agenda will be advancing freedom from fear in the Americas. (ハイチの国民は、国民の進歩と繁栄よりも、自分たちの権力のことに気を配る政府のもとで余りにも長く苦しんできた。今や、ハイチの指導者たちに、お互いの間の対立軋轢を乗り越えるように圧力を掛けるべき時である。そして、今こそ、経済発展に投資をして、ハイチの国民に欠けている安全保障を支援しなければならない。だからこそ、私の政策路線の第二部は中南米諸国で怖れからの自由を促進することである。)■
これがどんなにひどい無責任な文章かは、ハイチに対する米国の内政干渉の歴史のほんのエレメンタリーな知識があれば、立ち所に分かります。両国の関係は、ハイチが世界最初の黒人共和国として1804年1月1日に独立宣言を発してから今日まで、綿々と絡まり合っているのですが、それをここで辿るのは不可能ですので、1915年から1934年までのほぼ20年間、ハイチはアメリカ海兵隊によって侵略占領支配されていた事実だけを指摘するに止めます。海兵隊の不法な侵略に反抗してハイチの黒人たちは直ちに立ち上がりました。シャルルマーニュ・ペラルトに率いられた「カコの反乱(Caco Insurrection)」と呼ばれる事件です。アメリカ海兵隊の損害は死傷者合計98人、ハイチ人民側の死者は1万5千人を超え、ペラルトは1919年に暗殺されました。この一事を知るだけでも、オバマのマイアミ講演が歴史の真実を棚に上げた如何に凄まじい嘘であるかが分かります。これまでハイチの人々を苦しめて来た歴代の政府権力はすべて米国利権の手先であったのです。ハーバード出身ならずとも、並みのアメリカ・インテリなら知っている筈の歴史的事実です。この悲惨なハイチの歴史を知りたければ、ネット上ですぐに資料が見付かります。私の手許にある単行本の良著として、次の5冊を挙げておきます。
* C. L. R. James : The Black Jacobins (1963, 1989)
* Laurent Dubois : Avengers of the New World (2004)
* Paul Farmer : The Uses of Haiti (1994, 2006)
* Peter Hallward : Damming the Flood (2007)
* Eiko Owada : Faulkner, Haiti, and Questions of Imperialism (2002, Sairyusha)
最後の大和田英子さんの本(彩流社)は、異色の内容で、とても興味深く読ませて頂きました。フォークナーの傑作の一つ『アブサロム、アブサロム!』の主人公トマス・サトペンはハイチからやってきた男です。大和田さんの本を読むと、フォークナーのハイチへの思い入れが並々ならぬものであったことが分かります。フォークナーがコンラッドを,文学者として、高く評価していたことはよく知られていますが、黒人に対する思いという点では、私には、二人は大変違っていたように思われます。
*****

***** 2010年1月20日のブログから *****
 近頃、こんなに腹が立ったことはありません。ハイチの大地震にたいするオバマ政権の反応と、災害を報じるマスコミの内容です。オバマ大統領は「アメリカは、そして世界はハイチとともにある」と言いました。世界はともかく、アメリカは、この二百年、確かに、ハイチとともにありました。マスコミは4日間も瓦礫の下で生き延びた赤ん坊が、駆けつけた救助隊によって、奇跡的に救出される感動的場面を感動的に世界中に報じます。「その手の感激ストーリーには、もう飽き飽きした」と、思わず私は叫びそうになります。ハイチの惨状は人災です。
*****

なお、私事にわたりますが、前立腺手術のため入院しますので来週2月10日のブログは休載いたします。

藤永 茂 (2010年2月3日)



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6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
いつも更新を楽しみにしております。 (ムビラジャカナカ マサ)
2010-02-03 22:54:27
いつも更新を楽しみにしております。
日本のマスコミが決して取り上げない情報を紹介していただき、大変感謝しております。
「闇の奥の奥」を拝読させていただき、このブログの存在を知りました。コンゴのことを日本人はもっと知らなければならないと感じてブログで、「闇の奥の奥」を紹介させていただきました。ご了承お願いいたします。http://blog.mbirazvakanaka.shop-pro.jp/

手術の成功をお祈りしております。
下記の就任条件は何を意味することなのでしょうか? (如意袢)
2010-02-04 11:31:09
下記の就任条件は何を意味することなのでしょうか?

「ヒラリー・クリントンは国務長官に就任する際、オバマ大統領に対し、ハイチでのトラブルは全て自分に解決を任せる事を、最大の国務長官就任の条件の1つとしていた。」

無事退院なされること、願っております。
「caracascafe」さんという、ベネズエラを中心とし... (nazuna)
2010-02-04 22:19:54
「caracascafe」さんという、ベネズエラを中心としたラテンアメリカのニュースを紹介してくださるブログにこんな記事が出ていました。
http://caracascafe.wordpress.com/2010/01/20/haiti-quake-media/
ハイチ「治安悪化」報道

地震以前からハイチに滞在していたジャーナリストの記事が紹介されていますが、地元の人々が何ら懸念していない刑務所の問題が、アメリカのマスコミによって故意に誇張されている様子がうかがえます。

こちら↓では救援物資を持って駆け付けたボリビアの副大統がアメリカの軍隊派遣を非難しています。
http://caracascafe.wordpress.com/2010/01/22/haiti-quake-us-militarization/
ハイチ 米国による軍事化の懸念

また、下記は、以前、アリスティド大統領のことを調べていて見つけた記事です。(2004年のアリスティド大統領の2度目の追放直後の毎日新聞の記事ですが、ある方が「阿修羅」という掲示板に残していてくださいました)

http://www.asyura2.com/0401/war48/msg/916.html
「ハイチ大統領:経済低迷で黒人主義へ 独裁者と同じ道 [毎日新聞]」

また、この記事に対抗して、別の方が英紙、ガーディアンの記事を投稿しています。

http://www.asyura2.com/0401/war48/msg/919.html
「ハイチは軍隊を持つことを放棄し使える予算を賃金改善と教育、健康に振り向けていた」

内容は今回、藤永先生が引用されている御自身の過去記事の中にも、その著書が挙げられている、 Peter Hallward さんという方の Why they had to crush Aristide という記事でした。

大衆の支持を得て民主的に選ばれながら「政権の座に着いたら腐敗して、独裁者の道を進んだ」と先進国のマスコミから非難されたアリスティド大統領。その実はIMFの構造調整プログラムを無理やり飲まされ、思うように改革が進められなかったこと、そうした圧力をはねのけて、農地改革や最低賃金の引き上げなどを目指したために、外国勢力と組んだ特権的な支配層が後押しするクーデターによって追放されてしまったことなど、藤永先生が以前に取り上げられていたジンバブエのムガベ大統領や、先年のホンジェラスのセラヤ大統領の例などとの類似点も思い出させられます。

どうぞ先生の手術が上手く行きますように。お健やかな復帰をお待ちしております。
おはようございます。この2週間ほとんど家をあけ... (池辺)
2010-02-19 08:11:48
おはようございます。この2週間ほとんど家をあけてPCが読めずにいました。というか、これからもそうですが。^^週1・2回の平和コンサートと沖縄からのピースウォークで駆け回っています、ほとんどボランティアですが。
 「闇の奥の奥」読ませていただきました。いやはや白人の傲慢さは一体どこから出てくるのか・・が、長年の植民地主義による、カラードへの偏見・蔑視・搾取により培われたものですね。それは、日本の明治以降の朝鮮・中国蔑視搾取植民地政策と重なるようです。すべては相似象、悲しい構図です。しかし、気づいたものは、そことは別の新しい平等と喜びの世界でいたいものです。が、それは、現実の社会を見なくしかねないところがあります。
 精神は、新しき世界に、しかし、肉体は古い確執に囚われた社会にあって、いかに理想を実現してゆけるのか、その人の生き様が現れてくると思います。

 術後の経過は良いのでしょう?17日のはこれから読ませていただきますね。どうぞ、まだまだお元気でいらしてくださいませ、そして、みなの灯台に道標になってくださるよう願っています。
藤永先生、お元気で復帰されたようですね。おめで... (nazuna)
2010-02-21 10:24:08
藤永先生、お元気で復帰されたようですね。おめでとうございます。

翻訳家の益岡賢さんのHPに、2004年のハイチのアリスティド大統領に対するクーデター当時の、ZnetやCounterPunchなどの翻訳記事の一覧がありました。

ラテン・アメリカ/カリブ
http://www.jca.apc.org/~kmasuoka/places/places.html#americas

その中に「ハイチとアブグレイブ 」というZnetの記事が載っていました。アメリカの刑務所ではしばしば人権侵害のようなことがあるという話は聞かないでもなかったですが、そのアメリカ国内の刑務所で、配下の看守に女性囚人への性的虐待などをしばしば起こさせていたというその責任者が、あのアブグレイブ刑務所のコンサルタントであり、2004年のクーデター直後のハイチでも刑務所の「改革」のために雇われていたという驚くべき内容です。

ハイチとアブグレイブ
http://www.jca.apc.org/~kmasuoka/places/haiti0406b.html

> ステュワートが現在監察下に置いているハイチ刑務所からは、2月29日前後にアリスティド大統領に対するクーデターを起こしたハイチ人「反乱部隊」によって、囚人たちのほとんどが「解放」された。今日、刑務所には、アリスティド大統領のラバラス党に所属する何百人という政治囚が詰め込まれている。その中で最も良く知られているのは、アネット「ソ・アン」オーギュストである。彼女は、5月10日、曖昧な共謀罪で、米軍海兵隊により暴力的に逮捕された。

アネット・オーギュストさんについての記事
ハイチ 良心の囚人より
http://www.jca.apc.org/~kmasuoka/places/haiti0406.html

他にも貧しい子供たちに食事をさせていた神父が逮捕され、その時、子供たちが撃たれたという記事もあります。

ハイチ 銃弾をこの手に握った
http://www.jca.apc.org/~kmasuoka/places/haiti0410.html

こちらはアリスティド大統領のもとで首相を務めていたというネプチューン氏の逮捕についてですが、“アリスティド支持者による虐殺、暴行”とされたものの実態がどのようなものであったのか、その一端がうかがえます。

ハイチ 魔女狩りが激化
http://www.jca.apc.org/~kmasuoka/places/haiti0407.html

あれから6年、今も同じ政治囚の人たちが閉じ込められていたのかどうかはわかりません。しかし「ハイチの刑務所」がおよそどういうものであったのか、今回の地震後、現政権が何故、「刑務所から逃げた」とされる人々を異様なまでに恐れ、アメリカが速やかに治安維持部隊を派遣したのか、少しはわかったような気がします。
コメントを下さる皆様へ。 (藤永 茂)
2010-02-21 11:17:53
コメントを下さる皆様へ。
中身の濃いコメントをいただいて、とても有難く思っています。これまで、私たちは余りにもハイチのことを知らなさすぎました。私のような素人にも出幕があるのは、まさに、そうした悲しい理由からです。今回の大地震災害を機会に、多くの方々が、これらのコメントに含まれている栄養分を充分に摂取して、ハイチの人々の視点から、アメリカ、フランス、カナダなどの、我々にとっては、一種あこがれの国々を見据えるようになって頂きたいものです。
なお、私事にわたって恐縮ですが、年齢のせいもあってか、なかなか、元気が取り戻せないことをご報告いたします。

藤永 茂

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