私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

オッペンハイマー産業、オッペンハイマー現象

2024-04-18 11:07:53 | 日記
 2004年12月、三交社からノーマン・フィンケルスタイン著立木勝訳の『ホロコースト産業  同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたちが出版されました。その数年前、私は、カナダで原著に接して強い衝撃を受けました。ナチスによるユダヤ人の受難「ホロコースト」と原爆受難の「ヒロシマ・ナガサキ」は、私の一生を規定する二つの決定的な出来事です。

 「オッペンハイマー産業」という言葉を使うことは適当か。ハリウッド映画産業は歴とした営利行為ですから、そして、今度の米国映画『オッペンハイマー』についてしきりに騒ぎ立てている多数のユーチューバーたちの行為も、詰まるところ、営利行為ですから、「オッペンハイマー産業」という言葉は成り立つと考えてよいのでしょう。しかし、何故こうした「産業」が成り立つのかをあれこれ考えているうちに、私の想いはノーマン・フィンケルスタインが持ち出してきた「ホロコースト産業」に舞い戻り、さらに、大昔の1985年にフランスで公開され、1995年に日本でも公開されたクロード・ランズマンの映画『ショア(SHOAH)』(上映時間9時間30分)を一生懸命に視聴し、その後に行われたランズマンと高橋哲哉とのテレビ対談に聞き入った頃の思い出にまで遡りました。細かいことは忘れてしまいましたが、一つ強烈に頭の中に残っているのは、対談の中で「日本人は中国で重大な残虐行為を犯したのに、ヒロシマ・ナガサキの後は、ケロッとして、まるで被害者であるかの様に振る舞っている」とクロード・ランズマンが言い放って、「ヒロシマ・ナガサキ」を一刀両断に片付けてしまった事でした。

 米国映画『オッペンハイマー』に話を戻します。NHKによる二つのクリストファ・ノーラン監督のインタビューを掲げますので興味のある方は見て下さい:


始めの番組の取材記者の杉田さんによるとノーラン監督はインタビューの中で「どう考えるべきかを観客に押しつける映画は、成功とは言えない」と話していたそうですが、私には、これは大変自己矛盾した言明の様に思えます。この映画を見た人の多くは「オッペンハイマーはこういう人間だったのか」と可成りはっきり考える様になっただろうと思われるからです。

 ヒロシマ原爆投下成功のニュースがロスアラモスに伝えられ、研究所の講堂に集まった大勢の所員たちが足を踏み鳴らしてオッペンハイマーの登場を迎える場面があります。オッペンハイマーは、まるで勝ち誇ったボクサーの様な身ぶりで現れ、「日本人のお気に召さなかったのは確かだ(the Japanese didn’t like it)」と発言して大喝采を浴びます。この記述は、ノーラン監督が映画製作の原典としたバード・シャーウィンのオッペンハイマーの伝記の316頁にありますが、その次の317頁には、ナガサキ被爆の惨状を知ったオッペンハイマーはnervous wreck に陥ったとFBIの要員が報告したことが記されています。米口語では「神経がまいって虚脱状態になる」という意味です。しかし、オッペンハイマーがこうなったという事は映画では報告されていません。これがノーラン監督の手法です。グローブス将軍が、面と向かって、オッペンハイマーをwomanizerと呼ぶ場面、恋人のタトロックがオッペンハイマーを idiot と罵る場面、これらもノーラン監督の創作に違いありますまい。この二対の人間関係を伝記的によく調べれば、こんな事はまずあり得なかったことが分かります。

 エンタメ映画製作者として、ノーラン監督には思う通りに創作する基本的な権利があります。しかし、もし、この映画の描くオッペンハイマーが、真実のオッペンハイマーに近いとノーラン監督が思っているのだとすると、これは致命的な「読み違い」である可能性があります。その可能性を強く示唆するのは、真面目なオッペンハイマーの伝記に必ず登場する人物であるランズデール(John Lansdale) がノーラン監督の『オッペンハイマー』には出て来ない事です。実在した人物があれほど多数登場するのに、ランズデールは出て来ません。次回はこの事を中心にして、もう少し、「オッペンハイマー産業」「オッペンハイマー現象」について考えてみたいと思います。

藤永茂(2024年4月18日)

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