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本末転倒

 本末転倒:物事の根本的なことと、そうでないこととを取り違えること。「本末」は根本的なことと枝葉のこと。「転倒」はひっくり返すこと。今日はこの四文字熟語を株式会社ニコンに献上致すとしよう。

 Nikon(ニコン)から、売れ筋DSLRであるDf用のアクセサリーとして、グリップ DF-GR1が2015年2月5日に発売されるようです。12,960 円(税込)。「アルミ製で、Dfと同じ塗装を施した、Df専用グリップです。 特に望遠レンズ使用時などのグリップ感が向上します」と書かれています。
http://shop.nikon-image.com/front/Product120807869.do 
Nikon Rumorsの写真の方が大きくて判りやすいですね。
http://nikonrumors.com/2015/01/14/new-df-gr1-grip-for-the-nikon-df-camera-announced-in-japan.aspx/ 

 Nikon Dfは、プロも使えるフルサイズのイメージセンサーを搭載した高性能DSLRでありながら、「往年のニコン一眼レフカメラを彷彿とさせる直線的フォルム」(©Nikon)により人気を博しているようですが、その為にグリップが小さく作られています。F3のそれよりは大きいですが深さも十分ではなく、長さも大人の手では小指が外れてしまう程小さいため、大きく重たいDfを十分にグリップすること出来ません。このことは、特に大きく重たい望遠レンズを使用する時には深刻な問題となります。

 余程不評だったわけですね。ですからDF-GR1を出さざるを得なくなった。使いづらい事は承知の上でデザインしたニコン、デザインされたDfのはずなのに、そんなものを出すんですか?「Dfは、使いやすさを犠牲にしてでもレトロモダンなデザインを大切にしたカメラです。完璧なグリップが得られないと困るような本格的な撮影には使用しないでください」と毅然としていればよいものを、カッコ悪過ぎだぞ、ニコン!


 と云う訳で今日の一枚は、大きく重たいカメラには、プロの過酷なまでの撮影を支えるためには無骨ではあっても十分なグリップを提供することが必要であることを知っていて、それを確実に実行することが出来た、質実な時代のニコンのカメラ。世界中のプロが愛用した名機中の名機、Nikon F3Pと専用のモータードライブMD-4。更に完璧なグリップ(と極寒時対策)の為にMD-4のグリップ部にラバーを貼った特装品もあった。レンズがNikkorではなくCarl Zeiss Planar 1.4/50 ZF T* なのは郷秋<Gauche>の好み。

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額装

 自作の写真を久しぶりに額装してみました。右の写真は、昨年12月29日に「プリント用に加工してみました。光沢の無い和紙のような風合いの用紙にプリントしてみようかと考えております」とblogに書いたもので、左は4年前程前の夏の終わりに長野県の霧ヶ峰高原で撮った落葉松林です。

 「半切ノートリ」の、テレビ風に云うと32インチ程の結構大きなフレームですが、マット部分が大きいので中の写真はA3サイズです。額装する場合、実はこのマットの大きさが大切なのです。マット面がたっぷりある(ワイドマット)フレームに入れると、中の写真が実に良く引き立つのです。郷秋<Gauche>は黒のマットを良く使うのですがこの黒マットの効果も絶大で、それほどでもない写真もキリリと引き締まり、実に素晴らしい作品であるかのように見えるのです。これを写真の「馬子にも衣装効果」(©郷秋<Gauche>。)と云います。写真だけを良く見るとそれなりの写真はそれなりでしかないのですが、どう見せるか、どうご覧いただくかも写真のテクニックの一つなのです。

 実は、このところたいした写真が撮れておらず若干スランプ気味なのですが、額装の「馬子にも衣装効果」により多少は見栄えが良くなった写真を見ると、「郷秋<Gauche>の写真も捨てたものじゃないな。頑張って撮ってみるか」と、多少ではありますが、やる気が戻って来たりするから不思議なものです(^^;


 さてこの2点、どこに掛けようかな・・・

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ニューNSX登場!

http://www.honda.co.jp/news/2015/4150113.html?from=topbanner
http://www.webcg.net/articles/-/31970
http://response.jp/article/2015/01/13/241462.html

 ついにその全貌が明らかにされました。しかしなぁ、1800万円もすると云うのにフェラーリやランボルギーニのようなスペシャルな感じが全然ない。何故なら、ホンダの全ラインナップを代表するような「お顔」がいけないのだ。

 ホンダとしては、元々スポーツイメージの強いラインナップの頂点に立つNSXに、自社のラインナップに共通する「お顔」を与えることで、全ラインナップの「底上げ」を図りたかったのだな。だから、ミドエンジン故に必須ではないのにも関わらず他のFWD車と同じようなお顔=フロントグリルをNSXに与えたのである。これが失敗の元。なんだか欲しくないよね、スポーティーカーの親分のようなNSXなんて。ホントに欲しいのはホントに特別なクルマなんだ。って、欲しくても買えない負け惜しみ(^^;

お断り:郷秋<Gauche>は他者の著作物(写真や文章)を著作者の許諾なしに自分のblogに転載することはしないこととしております(著作権法上認められる範囲、明示的に著作権を放棄している場合、著作権保護期間が終了している場合を除く)。日々写真や文章など著作物を作り出している者として、他者の著作権を侵害しないことは当然のことと考えているからです。
 そのような訳ですので、本文中でご紹介をいたしました記事や写真につきましては、お手数をおかけしますが記載いたしましたURLをクリックしてご覧くださいますようお願いいたします。

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FUJIFILMから大口径標準ズームレンズが登場

 うっかり見落としておりましたが、DPREVIEWに「Hands-on with Fujifilm's new XF 16-55mm F2.8 R LM WR lens」(焦点距離はフルフレーム換算24-82mm)と云う記事が掲載されておりました(Click here)。

 あれれ、そんなレンズがあったかなと思ってFUJIFILMのWebsiteを確認しましたがありません。Global siteには掲載されておりますので、どうやら海外のみでの発表のようです。日本国内でもFUJIFILM XマウントF2.8通しの標準ズームレンズの登場を待っている方は多いのではないかと思うのですが・・・

 F2.8通しのズームレンズと云えばプロ御用達の高級レンズ。性能は抜群ですが、大きく重たくそして高価です。それでも欲しくなるのはそれだけ高性能だと云う事です。あるいは、アマチュアの場合にはこれさえ持っていれば良い写真が撮れる(かも知れない)と云うお守り、プロの場合にはこのくらいのレンズを使わないと様にならないと云う理由もあるかも知れません。

 フィルムの時代にはISO 400のKodak TRI X辺りが通常使い得る高感度フィルムの限界(1600のフィルムや増感現像と云う手はありましたが)でしたので、開放F値2.8と云うのは実に有り難いレンズであった訳です。でもデジタル時代の今日に至っては、肉眼では真っ暗にしか見えないような場所でもシャッターボタンを押せば、まるで昼間に撮影したかのように写っていたりするほどに高感度性能が劇的に向上しています。

 そうなると、果たして大きく重たく高価なのとトレードオフする程の価値がF2.8にあるのかと思う訳ですね。ズームレンズの場合、大口径と云われるF2.8と一般的な仕様のF5.6との差は絞り2段分、ISO感度で云えば100と400の差です。つまり、カメラ側のISO感度を400にセットすれば開放F値F5.6のレンズでも同2.8のレンズと同じシャッタースピードで撮影できるのです。

 そもそも開放F値F2.8のレンズだからと云っていつもいつも絞り開放で撮る訳ではありません。F2.8と引き換えに解像度、周辺光量が犠牲にされていますので、何としても開放でなければならない特別な場合を除いては5.6~8まで絞って使うのが一般的だからです。ただし、先にも書いたように大きく重たくそれでいて高価なだけの事はあり、一般的なF5.6のレンズと比較すれば開放時であっても解像度や周辺光量はかなり良好ですし、各種の収差も良く抑えられていますのでそれなりの意味は勿論ある訳です。

 要は性能と大きさ・重さ、価格とのバランスの問題ですね。そして撮影者がそこまでの性能を必要としているのか、あるいはその性能を使い切るだけの技量があるのかと云う事です。デジタル時代も特にここ1、2年の高感度性能の向上は著しく、ISO 100と400の差を識別するのはまったく困難であると云っても良い程ですが、さすがに3200と12800の違いは判ったりもするものです。ただ、プロがF2.8のレンズをを欲しがるのは、明るさの問題以上に解像度や周辺光量、良好な各種収差などの性能を求めての事なのだと思います。アマチュアの場合には重たいF2.8と引き換えに財布は軽くなってしまいますが、プロの場合には経費で落ちるし(ですか?)、そのレンズで稼げば良いわけですしね。



 と云う訳で今日の一枚は、フィルムの時代と比べるとその価値が下がっていると思われるF2.8のレンズと、このくらいがちょうど良いバランスなのではないかと思うF4通しの標準ズームレンズ、そしてF値にこだわらなければこんなにコンパクトになると云う例。

 右から(並べ方が逆でした)Ai AF-S Zoom Nikkor ED 28-70mm F2.8D(IF) (フィルムのカメラでも使える絞りリングがあるDタイプながら超音波モーター駆動と云う過渡期のレンズ)、AF-S NIKKOR 24-120mm f/4G ED VR(唯一の現行モデル。手振補正機構付で、望遠側に若干レンジが広い)、そして実にコンパクトなAF-S NIKKOR 24-85mm F3.5-4.5(VRが付かない旧モデル)である。ちなみにお値段はF2.8の20万円(当時)から順に半分、更に半分となります。
参考:ダイニングテーブルの上で、ISO 3200、焦点距離170mm、F5.6、1/20秒、手持ち(ただしテーブルに肘着き)と、実に安易な状況で撮影しています。

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異種相和す


 昨年12月に近所の奈良川(恩田川の支流)で撮ったものです。鳥にはまったく詳しくありませんので間違っているかも知れませんが、9羽のコサギ、ダイサギとアオサギが1羽ずつ、そして2羽のカルガモガが同じ場所で休み、餌を啄んでいます。四種類の鳥は大きさも形も違いますので、人間の人種の違い以上の違いがあるのではないかと思いますが、それでも喧嘩をするわけでもなく平和に共存にています。鳥たちに出来るこんな簡単な事が、どうして人間には出来ないのでしょうね。もしそれが、多少の知恵があることが原因なのだとすれば、そんな知恵はない方がましかもしれませんね。

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D7200がもうすぐ登場?

 Nikon Rumorsによれば、ロシアのWebsiteにNikon D7200の名前が掲載されているとのこと。そのサイト、novocert.ruの素性を郷秋<Gauche>は確認していないが、この情報を伝えるdigicame-info.com/ によれば「ロシアの認証機関」とのlこと。

 ここで云われる認証機関とは日本の経済産業省あるいはその関係機関のようなものなのかどうかはまったく不明だが、中国経由の新製品情報でも「認証機関のWebsaiteに型番が掲載されている」ことを根拠とさせることがある。

 これの噂の出所はともかくとして、D7200が遠からず登場することは間違いないだろう。何故なら、現行機であるD7100の登場が2013年の3月であり、間もなく登場から2年を迎えるからである。このクラスは2年に一度のモデルチェンジが常なのである。CESで発表されていないと云う事は次なるチャンス、横浜で行われるCP+で発表されると云う事になるだろうか。昨年はフルフレーム機ばかり登場させたニコンだが、今年はDX機(APS-C)の年か?

 しかしだ、さすがにDSLRの性能向上もこれ以上の必要がない所まで来ているように思うし、このところの販売不振を考えると、そんなに短いスパンで新製品を開発しようにも出来ない時代に入って来ているように思う。そろそろ、フィルム時代のようにフラッグシップ機が8年に一度、中級機が4年に一度程度の更新になっても良い気がするのだが、いかがなものだろうか。

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大佛次郎とサン・テグジュペリ

 一週間前に、向こう一年間、神奈川新聞に大佛次郎の随筆が掲載されると書いたが、今日はその第二回目が掲載された。タイトルは「敵視、軽蔑、憎悪が人間の生活を悪くする」。1969年1月に掲載された随筆だが、46年前にまるで2015年のこの世界で起こっていることを見透かしたような内容であるのに驚く。この随筆をまさに今日、掲載しようと神奈川新聞の担当者が考えたのだとすれば、それもまた大したことではある。

 大佛はヴェトナム戦争語り、チエホフの「生まれてきた人間のひとりひとりが、一本ずつ花の木を植えることにしたら、未来の地球はどんなに美しくなるだろうか」を紹介した後に続けてこう語る。

 「(前略)自分だけが正しいと信じて、他人が同じ意見にならないと敵視したり軽蔑したり憎悪したりする人間の習癖が、一番人間の生活を悪くする。ナンセンスと一言で相手の言い分を否定する思い上がりを人間に許してはならない。これは意見ではなく暴力なのである」。 更に大佛は「飛行家で文士であったサン・テグジュペリの言葉を聴こう。」と続ける。

 「なるほど、君と僕とは意見が違う。それでよいのだ。それだからお互いに、ゆたかな考え方が出来るように成るのだ。」

 大佛次郎とサン・テグジュペリ、云っていることは同じ。憎悪からは憎悪しか生まれないのだ。大佛次郎がサン・テグジュペリの言葉を引くとはまったく意外であるのだが、考えてもみれば、実は同時代を生きた二人なのである(サン・テグジュペリが3年遅く生まれ29年早く没している)。

 今日の神奈川新聞はイスラム過激派がフランスで引き起こした事件について詳しく報道、また解説と関連記事を掲載しているが、備忘の為にその中から次の二つの言葉を引いて今日の小文を閉じたい。

 「文化の多様性の時代に、ヨーロッパ的価値観の絶対優位は揺らいでいる。多様な価値をどのように共存させていくのか。それにはグローバルな視野から『対話』を重ねていくしかない。テロをやめさせるにはその根底にある社会・文化的価値観の協調が不可欠である」(東京外語大学 渡辺啓貴教授)

 「誰かがムハマンドの風刺画を描いたとしても、銃ではなくペンで応じなければならなかった。イスラム教は寛容と平和の宗教だ」(イスラム教スンニ派最高権威機関アズハルの法学者 ラマダン・アブデルラゼク師)

注:1月3日に書いた記事では「大仏」と書いたが、固有名詞であるので「大佛」にあらためた。

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指紋認証の精度が落ちて来ている

 


 かなり精度が落ちています。3~4回に一度しか認証されません。でもね、iPhoneの名誉のために云えばそれはiPhoneが悪いのではなく、郷秋<Gauche>の指紋が薄くなっているからなのです。

 昨年の12月3日に書いた(click here)、足の裏のお手入れを同じことを手の指先にもしているものですから、指紋が薄くなって来てしまっているのです。犯罪の証拠を隠滅しようとしている訳ではありません。この状態の指紋を登録すれば精度は上がるものと思われますが、わずか4つの数字を入れるだけで事足りますので、そのままにして使っている次第です。

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そうだ 京都、行きたい。

 京都在住のFB友だちが「ご案内しますのでお出かけください」とお誘いくださった。行きたいなぁ・・・。

 京都には3度行っている。最初が高校3年の修学旅行。次が大学2年のゼミ研修旅行。そして従兄の結婚式。高校の修学旅行は一体どこに行って何を見たのかまったく記憶にない。従兄の結婚式は真夏だったのか、やけに暑かったことだけを覚えている。

 大学2年の時の研修旅行は多少覚えている。二泊三日の日程だったのだが研修旅行とは名ばかりで、クラスメイトと一緒だったのは行きの新幹線と宿だけで他はまったくの自由行動で現地解散。「こんないい加減なものは研修旅行として認められん!」と、担任のI先生が「上」から酷く叱られたと聞いたのは随分後になってからであった。

 京都に着くと郷秋<Gauche>はすぐに北山に向かった。どこから乗ったのかはまったく記憶にないのだがバスで、多分、北区小野下ノ町辺りに出かけたのだと思う。両側には美しい杉林の山、その谷あいに流れる川と絡むように続く道を、バスはどんどん奥に入っていく。

 整然と植えられ大切に育てられた美しい山から伐り出した杉の木がワイヤーを伝って川岸の貯木場まで運ばれてくるのを見て満足し、間伐材で作られ「北山杉」の焼き印の押された割り箸を土産に買って帰ってきた。今にして思うと随分と変わり者の大学生である。

 そう、随分後になって「ノルウェイの森」で、「僕」が直子の入っている京都の山奥にある療養所を訪ねる件を読んだ時、直子が入っている療養所はひょっとして北山にあったのではないかと思ったりもしたのだが、京都にはそのような場所は他にいくらもあるのだろうか。

 北山杉を見た帰り足で高山寺に寄って鳥獣戯画を見た。Wikipediaを見ると、甲・丙巻が東京国立博物館、乙・丁巻が京都国立博物館に寄託されており、寺で見られるのは模本であると書かれている。果たして40年前に見たものも模写本であったのだろうか。ここでは幾枚かの絵葉書を買った。

 翌日は鞍馬に行ったような記憶はあるのだが、北山の記憶とは対照的にまったくぼんやりとしている。記憶の細い糸を手繰ると、大きな「天狗の下駄」を見たような気もするのだが、それは地元神奈川県にある大雄山最乗寺で見たものと錯綜しているのかも知れない。(つづく)


 例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、鴨川(加茂川?)ならぬ横浜・青葉区の奈良川の上を飛ぶ小鷺たち。

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トヨタ・クラウンは同級生

 愛すべき神奈川新聞の一面の下の方に、「きょうの歴史」と云うタイトルの囲み記事が毎日掲載されている。何十年か何百年か前の同じ日の出来事を紹介するコーナーなのだが、その「きょうの歴史」によれば、60年前の今日、トヨタから初代クラウンが発表されたとの事。と云う事は、郷秋<Gauche>とトヨタ・クラウンは同級生と云う事になる。しかしまぁ、郷秋<Gauche>がクラウンを評するならば、「余りにも性格が違い過ぎ親近感が持てずに、二年間同じクラスにいたのに一度も話しをしたことの無かった同級生」とでも云えば良いだろうか。

 ところで神奈川新聞の件の記事に、「車輪の一つ一つが別々に上下動し、車体の振動を和らげるなど(以下省略)」と、あたかも四輪独立懸架であるかのような記述があったので念のために手元の資料を確認してみたけれど、やはり後輪は縦置半楕円リーフスプリングによる左右固定の懸架方式である。あるいはクラウン以前の、ほとんどトラック同然の後輪懸架と比べるれば格段に乗り心地が良くなったと云いたかったのかも知れないが、「車輪の一つ一つが別々に上下動」するのは四輪独立懸架の導入を待たなければならないはずである。


 と云う訳で今日の一枚は、上記記事の根拠とした1955年に登場した初代クラウンに関する資料(自動車アーカイヴ vol.1 60年代の日本/アメリカ車篇 二玄社 2000年2月15日発行)。 ちなみクラウンは、1962年に二代目に移行するが、ホンダS800とスバル1000が1966年、トヨタ2000GT、ダットサンブルーバート(510)、マツダコスモ・スポーツが1967年、フェラレディZが1969年の登場であったことを思うと、初代クラウン登場の1955年は日本の自動車史の中では「有史前」と云う事ができるのだろうな。

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Nikonから新製品

 米国ラスベガスでCES2015が始まりました。これにあせて各社から新製品が発表されています。我がNikon(ニコン)からは、かねてから噂のあったD5500(D5300の後継機で何故か5400が飛ばされた)と、こちらはかなり前からリプレイスが待たれていた300mm F4の後継としてAF-S NIKKOR 300mm f/4E PF ED VRが発表されました。

 D5500はタッチパネルが採用され、可動式モニタ―故に奥行きがあったボディが多少薄くなり、重量もかなり軽くなっているようです。Dタイプのままだった300mm F4がようやく近代化(Gタイプ)されましたが、逆に云うとフィルムのカメラでは使えなくなりましたので、フィルムカメラも併用していたコアなファンには不評かも知れませんね。

 どちらもニコンからのオフィシャルな情報は公開されていませんが、現地からの詳しい情報が入り次第再度書いてみたいと思います。ところで、CESってのは家電の見本市なんですね。カメラは家電じゃないだろう!と云うスタンスの郷秋<Gauche>的には、そんなところで新型カメラを発表するなよ、と云いたいところですが、とうの昔から家電メーカーがカメラを作る時代になっておりましたので仕方がない事なのでしょうね。

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感謝の日

 60回目の誕生日を迎えることができました。まずまず健康で、まずまず幸せで、まずまず恵まれた生活の中で今日を迎えることが出来たことに感謝いたします。この世に生を授けてくれた父と母とそして神様に感謝いたします。これまで育ててくれた、縁を与えられた多くの方々に感謝いたします。たくさんの方に多くのものを与えて頂き今日を迎えることが出来たと云うのに、人には何も差し上げることができずに来た60年の人生には恥じ入るばかりですが、それでもお許しいただけるのだとすれば、明日からは心して新しい人生を歩み始めたいと思います。

 十刊十二支。10と12の最少公倍数は60。1955年、乙未(きのとひつじ)年の1月5日に生まれた郷秋<Gauche>。60年かけて十刊十二支をひと回りし、2015年乙未年の1月5日の誕生日には振り出しに戻って零歳からやり直すことが出来るのだそうだ。だから赤子と同じく赤いちゃんちゃんこ。子供の頃の60歳などとんでもない年寄りに見えたものだが、いざ自分がその歳になってみると「まだまだ行けるじゃん!」と云う気分。ではあるのだが、やはり若い人から見ると、ジジイなんだろうな。

 いや、人がどう見るか、どう思うかではない。大切なのは自分の心持である。やりたいことは山程ある。いや、そんなにたくさんの事をしようとしている訳ではないが、もっと深く取り組みたいいくつかの事がある。なんだか薄っぺらな自分を少しでも厚みのあるものとした。それが無理だとしても、その努力をしたい。慌てずゆっくり少しずつ一歩ずつ、自分なりのやり方でやってみよう。結果はともかく、そうすることにきっと意味があるのだ。来たるべき時の為に、その時に後悔することがないように。


 と云う訳で今日は、1953年1月5日、三歳の誕生日を迎えた郷秋<Gauche>。松の内に生まれたので正月=誕生日で、誕生日らしいことをしてもらった記憶がほとんどないのだが、それでもちゃんと写真を残してくれた亡き父に感謝。ちなみに右手奥の、多分リンゴ箱に風呂敷を掛けた台の上の花は、何故か生け花を嗜んだ父が生けたものであるはず。

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今更ながら

 

 テレビの地上波がデジタル化されて3年半近くも経った今頃、今更ながらブラウン管のテレビからの買い替えです。2日に書いた通り、我が家ではケーブルテレビのデジアナ(デジタル-アナログ変換)サービスで見続けていたのです。そのデジアナサービスも3月で終了すると云うので、この冬休みの課題となっていたテレビの買い替えであったのです。しかし、一昨日の夜に注文して今日届いてしまうと云うのもたいしたものですな。さすがy.com。

 テレビ番組の制作会社でVEをやっている長男坊に聞いたら、4Kは番組が少ないし普及するとしたら4Kを飛ばして8Kかも知れない、メーカーとしてはパナソニックか東芝の色が自分は好きだと云うので、ちょうど手元にREGZA対応を謳った外付けHDDもあったので東芝の47型にしました。箱から出した時にはデカい!と思ったけれど、すぐに慣れてしまい、もっと大きくても良かったかな?と云う感じ。まっ、そんな必要もないでしょう。そもそもテレビを見ないんだから。



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神奈川新聞に大佛次郎の随筆が掲載


 愛すべき神奈川新聞に、大佛大仏次郎(1897-1973。だいぶつじろうに非ず。おさらぎじろう)の随筆が登場。向こう一年間、毎週土曜日に掲載されるとのこと。

 元を質せば横浜生まれの大佛が1958年から72年にかけて同紙の一面に掲載した随筆「ちいさい隅」。掲載された全529編の中から選りすぐりの52編が一年にわたり掲載されるとの事。タイトルカットや題目、自筆署名を含めて当時掲載されたままの再掲との事。

 同じ紙面に「大佛次郎と神奈川新聞」(元同紙論説主幹加藤隆氏)が掲載されている。その中に優れたエッセイストの条件としてフランス文学者河盛好蔵氏の言葉が引用されている。
 「すぐれたエッセイストであるためには、まず文章に巧みな上に、深い教養と、豊かな人生経験と、広い見聞の持主であることを必要とするが、大佛さんはそのいずれも備えている上に、洗練された趣味の持主でもある」

 これから一年間、郷秋<Gauche>の駄文をより良き駄文とするための手本としてこれに増す物はないと楽しみにするところだが、「巧みな文章」を真似る、学ぶことは出来ても「深い教養と、豊かな人生経験と、広い見聞」はそう易々と真似ることは出来ないなぁ。優れているかどうかは別としても、趣味を持っている点ではその条件の「ちいさい隅」をかすってはいるか。

 気になったのが、河盛好蔵氏が書くところの「洗練された趣味」なのだが、調べてみると無類の猫好きであったらしい。猫好きは趣味か、はたまた洗練された猫好きとは・・・。Wikipediaには「読むために購入するほか、稀少本や豪華本を蒐集することを趣味としている側面もあった」とも書かれている。集書家でもあったようだが、洗練された蔵書とはどのようであったのか、見てみたいものである。

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ゆるゆると

 何も考えずゆるゆると過ごした一日。たっぷり眠りカーテンの隙間からのわずかな光と三重ガラスの窓を通してかすかに聞こえるクルマの音とで目を覚ます。シャワーを浴びて少しはしゃきりとしたところで遅い朝食。と云うよりほとんど昼食。正月三が日は毎日飲むものだとは義父の教えだったか。おせちと云うよりは昨日の残り物をつまみにビールと日本酒。食後外は寒そうなのでしっかり着込んで近所の公園を通って山を越えて駅へと続く商店街をゆっくり歩く。個人経営の店はまだほとんどが休業中。大手の系列だけが店を開けているが客はまばら。いやコンビニとファストフード店には結構人が入っている。とんかつ定食を五百円で食わせるチーン店がある。駅前のショッピングビルには結構人が出ている。3月末でデジアナサービスも終わってしまうのでさすがにテレビを買い替えなければならので量販店をのぞいて下調べ。テレビなど大きさの違いだけかと思ったらさに非ず。機能の差により松竹梅桃桜のシリーズがありかつ小中大特大と大きさが揃っているので一つのメーカーだけでも20機種以上あるから驚きだ。いやテレビなどほとんど見ないのだから映れば良いのだ。型録をもらって隣の書店へ。パブロ・カサズスについて書かれたものとユーロファイター・タイフーンについて書かれものとを買う。F35など止めてすでに実績があり国内製造が可能なタイフーンにすれば良かったのだ。またしてもアメリカの圧力に負けたと云うより顔色を窺った結果だ。情けない。次の支援戦闘機こそは国内開発の「心神」だ。しかしもう少し強力なエンジンを開発しないことには戦闘力不足だな。帰りがけに成城石井でするめいかを求める。大晦日に作ったいか人参は昨日子どもたちが来たこともありあという間に無くなってしまった。ハイドンのジプシートリオを聴きながらいかを切り昆布を切り人参を切って漬け込む。柔らかないかだったので明日には食べられるだろう。ハイドンのジプシートリオは昨晩CDを聴きながら二つ目の繰り返しまで弾いてみたのだ。一楽章だけなら弾けそうな気もするがいやまだ無理か。カザルスとタイフーンを交互に読みながらもらい物の日本酒をちびりちびり。〆は何故か昨日は食べなかった雑煮。食後一時間練習。暮れに弦を替えてから良く鳴るようになった気もするが弓の毛替えもした方が良いのかも知れない。いや毛替えのタイミングが判らない。良い音が出なくなったらか。いやそれなら毎日毛替えが必要だ。発音が遅れる音が掠れるような気がするけれどこれが毛替えのタイミングなのか。判らない。そうそう食事と練習の間にy.comでテレビを注文。結構高い買い物のような気もするけれど考えても見ればD800の1/3だ。安いと云うべきか。いやはや備忘の必要もない怠惰な一日いやゆるゆるとした一日であった。一日の終わりはウイスキーをまたしてもちびりちびりと舐めながら駄文を書く。書き置く必要もないようなことを書く。習慣だから書く。寝る前に歯を磨くようなものだ。たいした意味もないけれど書く。そして寝る。ゆるい一日終了。

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