唐松林の中に小屋を建て、晴れた日には畑を耕し雨の日にはセロを弾いて暮したい、そんな郷秋<Gauche>の気ままな独り言。
郷秋<Gauche>の独り言
オーストラリアに日本の領土がある?
そんな馬鹿なと思うかも知れないけれど、どうやら事実らしい。
Yahoo!のニュースを見ていたら、埼玉県加須市の中に栃木市藤岡町の飛び地があり、ここの住民の一部が加須市への編入を希望していると云う記事があった。「飛び地」と云えば、郷秋<Gauche>の住まいの近くでは神奈川県川崎市麻生区岡上が飛び地となっていて、東京都町田市の中にある。これは飛び地としては結構広いらしく、神奈川県警の岡上派出所もあったりする。
全国にはかなりの数の飛び地があり、Web上ではそのリストなんかも見ることができる便利な時代なのだが、「飛び地」をキーワードに検索していたら、何とオーストラリアに日本の飛び地(飛び国土!)があることが判った。「カウラ日本人墓地」と云うのがその日本の飛び地の名称なのだが、以下にWikipediaの記事全文を引用する。
カウラ日本人墓地(カウラにほんじんぼち、Cowra Prisoner of War Camp)はオーストラリア大陸に位置する日本人墓地である。また、この墓地の範囲は日本国領であるが管理はオーストラリア戦争墓地委員会が行っている。周囲はオーストラリア連邦 ニューサウスウェールズ州カウラ市であるため飛び地となる。1963年に(日本に)割譲された。周囲のオーストラリア連邦 ニューサウスウェールズ州カウラ市には関連するものとしてカウラ日本庭園(Cowra Japanese Garden)がある。そのため日本の最南端領土とする説もある。
Wikipediaの記事を読む限り、カウラ日本人墓地はオーストラリア連邦ニューサウスウェールズ州カウラ市にあるが、墓地の範囲(敷地)は間違いなく日本の国土であるらしい。そのカウラ日本人墓地の敷地内に家を建てて住むことは無理としても、日本国籍を有し、各種の税金を真っ当に納入し(制度上正しく減免されているものは除く)、ちゃんと選挙にも行くなど日本国民としての義務を果たしている郷秋<Gauche>としては、このカウラ日本人墓地を本籍地として登録することができると云う事だろう。
皇居のある東京都千代田区千代田一丁目1番地を本籍として登録している人がいると聞いたことがある。果たしてオーストラリア連邦ニューサウスウェールズ州カウラ市にあるカウラ日本人墓地内に住居表示、つまり町名や番地があるのか。もしあるのならば、そこを本籍地として登録することができるような気がするのだが、どうなんだろう。謎は深まるばかりだぞ。
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例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、郷秋<Gauche>の家の近くの公園の紅葉前のモミジ。一か月後に紅葉した時の写真との比較用に掲載しておきます。
姫蔓蕎麦
我が家でもそうして根付いたものがどんどん勢力を伸ばしていますが、どうした訳か花を余り付けません。と云うわけで今日ご覧いただく写真はあかねの森の民家の庭先で咲いていいたものです。我が家の姫蔓蕎麦はいったい何時になったらこんなにたくさんの花を咲かせるのでしょうか。
そうそう、この姫蔓蕎麦はインド北部やヒマラヤ原産地とのこと。いったいどうして東洋の果ての島国にたどり着いたのか、もし調べる手立てがあるのならば知りたいものです。たどり着いた経緯はともかくとして、日本の四季が気に入ったことは確かで、今では(少なくとも首都圏では)普通に見られる道端の雑草としてすっかり日本に定着していますね。
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日本に国境はない?
しかしどうだ、南は尖閣諸島、北は北方領土と、このところ「国境問題」が頻発。確かに北海道から沖縄本島の陸地上に国境線は存在しないが、海上には(地図上のと云う意味だが)幾本かの国境線が引かれ、日本が固有の領土だと主張しているにも関わらず、他国に長く実行支配されている島もある。
日本海(島根県沖)の竹島も領有問題を抱えている。さすがに日本以外の国がその領有権を主張することはないようだが、日本が本州の南方おおよそ1000kmの位置に広がる広大な排他的経済水域(EEZ)を主張する根拠になっている「沖ノ鳥島」は、「島」ではなく岩礁であり、排他的経済水域の根拠とはなりえないと主張する国と地域が存在する。 日本に国境問題は存在しなと云う主張の根拠がなんであったのか、当時の社会科教員に聞いてみたいものである。
人種問題も同様。一番大きな問題として「アイヌ」の問題がある。これはアメリカ大陸やオーストラリアにおける先住民とヨーロッパ人との問題に似ているかも知れないが、アイヌ固有の文化や言語が「消滅の危機に晒されている、あるいは既に消滅している」と云うことすら正確に報道されていない程、問題にされていないことが問題だと郷秋<Gauche>は思う。
同様に沖縄の問題もあるだろう。文化、言語的にあるいは社会的に日本とは別の歴史を持つ琉球を日本に県の一つとして扱うことに異議を唱える方も、あるいは(特に沖縄県には)おられるかも知れない。このことは太平洋戦争末期における沖縄地上戦が更に問題を複雑にしているかも知れないが、これもまたアイヌ民族の問題と同様、一般に報じられる機会は極端に少ない。だから郷秋<Gauche>もほとんど知らないが、そこに少なからぬ問題が潜んでいるように思えてならない。
郷秋<Gauche>の中学生時代にもあったはずの在日中国人、韓国・朝鮮人問題は、当時は完全に無視されていた。高度経済成長時代以降はアジア地域からの出稼ぎ外国人の問題、南米からの日系人出稼ぎ者とその家族の問題もある。更には(今は数は少ないとしても)アジア各国から日本に定住しようとする難民の問題も今後は無視できない問題となるかも知れない。外国人問題は多分に宗教の問題を孕んでいるが、多くの日本人にその認識がないのも問題と云える。
郷秋<Gauche>の中学生時代にも、国境問題、民族問題、在日中国人、韓国・朝鮮人問題はなかったはずはない。ただ「臭い物に蓋」で、そんな問題はなかったことにしていただけの話だろう。そんな臭い物にいつまでも蓋をし続けることが出来なくなったのが昨今。問題を無かったことにして考えることをしなかったから、政府には確固とした方針も対応策もない。だから問題が起こるたびに関係国や関係勢力に振り回され閣僚も国会議員も役人も右往左往する。
この国の危機管理能力はいったいどうなっているのか、考えだしたら心配になって夜も眠れぬほどであるが、そうは云っても夜はしっかり寝ておかないと翌日の仕事に触るから寝ている郷秋<Gauche>ではあるが、心配でることに変わりはない。
平和ボケした日本に難問が次々に襲いかかっている昨今だが、議員や役人ではなく、民間の有識者(これの人選が甚だあやしいとも云えるのだが)を活用し、しっかりした対応策を検討し、断固実施しなければ国の利益、ひいては国民一人ひとりの権威・利益を守ることはできないだろう。民主だ自民だと己が勢力の事だけを考えて対立しているような場合ではないだろうと、郷秋<Gauche>は思うぞ。
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人の世で何が起ころうとも「おいらには関係ないぞよ」と自適な構えのニャンコが羨ましい。あるいは猫には猫の世事や葛藤があるのかも知れないけれど。
ニコンがEVILをINTERNATIONAL CESで発表?
INTERNATIONAL CESは日本語のサイトにもあるように「国際家電ショー」だから、コンシューマユース(民生用つまり、一般ユーザー向け)のデジタルカメラが発表されることはあっても、これまでプロユースのカメラが発表されることはなかった。
ニコンのEVILと聞けば、プロがサブ機として使える、一定の条件下ではD3シリーズ、D700、D300(S)の代わりを務めることのできるハイスペックなカメラを当然想像するわけだけれど、だとするとINTERNATIONAL CESがその発表の場として相応しいいかどうかだな。
この噂についての考え方は三つあると思う。一つは、プロスペックではない程度の、つまりコンシューマユースのEVILが登場する。二つ目は、これまでには例がないけれどプロスペックのEVILが登場する。そして三つ目が、ニコンのEVILはプロユースに耐えられる高品質・高性能なものだからINTERNATIONAL CESではなく、格式あるカメラショーで発表される。
早く見たいからINTERNATIONAL CESで発表されるといいとも思うし、いや、そんな安売りはぜず、格式高い発表されるのこそNikon EVILにはふさわしいとも云えるな。随分と気を持たせる噂だなぁ。
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「わかったよ。あれっ、おいらの座る場所、ないじゃん」とでも云っているかのようなニャンコの写真は、例によって記事本文とは何の関係もないけれど、写真的には一昨日、昨日の続きの一枚。
自慢する程のことではありませんよ
もちろん、自国ばかりではなく海外からも来場者があるとは云え開催国の人口ベースで考えれば、大阪万博当時の人口が今の中国の10分の1以下の日本で、上海万博の90%程の来場者があったわけですからね。上海が大阪を抜いて世界一だと大威張りする程じゃないだろうと郷秋<Gauche>は思うんですよね。
もっとも、万博に大勢の人が来場したとか、そう云うことがその国の一体何を表しているのかと云うと、ほとんど何の意味もないんじゃないかと思うんです。国民一人ひとりの道徳心や真の意味での教養、国の中で富(金銭的なものと知的なものの両方)が偏在していないことこそが大切。万博に人が大勢来たとか、GDPがなんだとか、そう云うことと、一国の価値とか品格と云うのは何の関係もないだろうと思うのですが、翻って今の日本がどうかと云えば、実に心もとない気もする訳で・・・。
金銭的な富だけを求めるのではなく、精神的な意味での富、更にはその富が地域、年齢、性別によって偏在しない社会を作ること、誰かが勝手に作り上げた仮想敵国と競うのではなく、絶対的に、真に価値あるものを調和の取れた形で実現することこそが今の日本に求められているのではないかと。そう云う意味では、良き反面教師が近くにいると云うのはありがたいことだと、郷秋<Gauche>は思うのです。
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今日の写真は、例によって記事本文とは何の関係もないけれど、「おい、いつまでガリガリやっているんだよ。煩くて眠れやしないじゃないか」と云っているのかどうかは判らないけれど、写真的には昨日の続きの一枚。
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