廃軌道(又、超ローカルネタ)

 今日は、昨年末に4回にわたりご覧いただいた超ローカルネタの続きです。
 現在の「こどもの国線」は戦前、陸軍東京兵器補給廠・田奈部隊填薬所への資材の搬入と製造した弾丸弾薬送りだしのため専用の線であったことを書きました。現在は長津田とこどもの国駅をまっすぐ結んでいる「こどもの国線」ですが、戦前は現在のこどもの国駅の手前で分岐していたことが知られています。

 現在のこどもの国駅(頭端式ホーム)はこどもの国正門の東側に位置してそこで線路は終わっていますが、戦前は園内奥まで入っていたようです。そしてもう一つ、手前で分離した線は現在の牧場口駐車場の方まで伸びていたようです。



 上の写真は、その分岐点から現在の牧場口駐車場方面に伸びていた線路の跡です。画面左側がこどもの国線、右側にこどもの国通りが通っていますが、いかにも不自然に斜めに通っている舗装道路がその廃軌道です。以前は半ば土に埋もれながらもレールが見えていましたがアスファルト舗装されてしまい、今はその姿を確認することはできません。

 考えても見ればほんの75年前までここに線路があり蒸気機関車に引かれた貨車には弾薬・砲弾が積まれ全国各地に、あるいは横須賀軍港から船に載せられ戦地に送られて行ったわけです。つまり、写真の廃軌道は戦跡でもあるわけですね。道路としてはほとんど意味をなしておりませんのでアスファルトを剥がし埋もれている線路を掘り出し、戦争遺跡として公開してはどうかと思う、そんな廃軌道です。

 横浜の住宅地に残された小さな湯の里山の四季の移ろいを毎週撮影しているblog「恩田の森Now」。ただいまは12月26日に撮影した写真を7点掲載いたしております。今年最後となります森の様子をご覧いただければ嬉しいです。
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#戦争遺跡 #陸軍東京兵器補給廠・田奈部隊填薬所 #こどもの国線

コメント ( 2 ) | Trackback (  )
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コメント
 
 
 
Unknown (月下の走術師)
2021-01-06 10:00:46
こどもの国線は桂台にいた頃は、たかが遊園地の為に支線を引くなんて東急も太っ腹だなあぐらいしか思ってませんでした。よく調べたらこどもの国にはかつて戦争の遺構があったんですね。それを知ったのもだいぶ後です(苦笑)。

地元にほど近い相模線の寒川駅からも同じような軍需工場があって「西寒川」と言う駅が存在していました。高校の時に国鉄の20000キロチャレンジみたいなイベントがあって悪友に付き合って西寒川駅を訪れたことがあります。
 
 
 
Unknown (郷秋<Gauche>)
2021-01-06 20:56:45
月下の走術師さん、コメントありがとうございます。
西寒川線は、相模川で採取した砂利運搬のための支線でしたね。
 
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