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古典とは

 歴史学者の與那覇潤氏が書いていた。
 「繰り返し読むたびに新たな発見がある本を、古典と呼ぶ」。
 実に明快。名言である。

 これに倣えば、「繰り返し聴くたびに新たな発見がある音楽を、古典と呼ぶ」と云うことになる。古典=クラシックと捉えるならば、バッハ・モーツァルト・ベートヴェンを筆頭とする作曲家が作ってきたものが所謂クラシックであるだけではなく、いまだに繰り返し聴かれ聴くたびに新たな発見と感動とがある、マイルス・デイヴィスが牽引した時代のジャズも、史上最も大きな人気をもって後に強大な影響を残したビートルズの音楽もまたクラシックと云うことになるだろうか。

 「古典」と成り得るか否かについては、例えば純文学、大衆文学とカテゴライズされることが少なくない文学の世界においても云えるだろう。芥川賞を取ったから純文学であり、直木賞だから大衆文学であると云うのは易い。初出時には「純文学作品」ともてはやされた作品であっても10年後には顧みられないこともあるだろうし、「大衆文学」と云われても50年後にも輝きが失せない作品もあることだろう。

 「繰り返し読む」とは、短期間に繰り返し読む(聴く・見る)ことよりも長いスパン、つまり10年、50年、100年の時を経て読む(聴く・見る)たびに、なお新たな発見と感動をもたらすことであると解した。すべては時のフィルターを通して価値あるものであることが証明される。歴史を学ぶ意義がそこにあると云うことになるだろうか。

例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、黄花コスモス。

 横浜の住宅地に残された里山の四季の移ろいを毎週撮影しているblog「恩田の森Now」。ただいまは8月15日に撮影した写真を5点掲載いたしております。酷暑に見舞われた森の様子をご覧いだけたら嬉しいです。
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#與那覇潤 #古典度とは #クラシックとは #真に価値あるもの #時のフィルター

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