武者小路実篤も筆の誤り?

 近頃の若者の言葉(日本語)が乱れている!聞くに堪えない、もっと美しい日本語であって欲しいと、老人(昔の若者)が云うのを聞くことがある。

 日本語の乱れ(あるいは新しい日本語)は多方面に及んでいるが、話題になることが多い言葉の一つに「ら抜き言葉」がある。例えば、「着れる」と云うべきところを「着れる」、「来れる」と云うべきところを「来れる」と云うのが「ら抜き言葉」。「ら」が入るのが正しとされている。

 が、今日、かの武者小路実篤が「ら抜き言葉」を使っているのを見つけた。我が母校、玉川学園の創立者である小原國芳先生の古希に寄せて書かれた「小原君の古稀を迎へて」に、このように書かれているのだ。

今日玉川学園が何処まで小原君の目的を実現して居るか僕にはわからないが、ともかくこゝまで来れた事は大変だつた事は誰もが認め、その働きは大いに賞讃していゝのだと思つてゐる。
注:玉川学園機関誌『全人』1956(昭和31)年4月号「小原國芳古希記念特集号」に掲載。http://www.tamagawa.jp/social/useful/tamagawa_trivia/tamagawa_trivia-79.html

 見事に「ら抜き言葉」である。

 しかしだ、考えてもみれば言葉とは生き物であり、日々変化しているのではないか。その変化は少しづつなので昨日と今日で違いに気づくことはないけれど、例えば10年スパンで、あるいは50年100年スパンで望むれば変わっていることは大いにあるだろう。

 「全然眠い」「全然美味しい」も、乱れた日本語としてやり玉にあがることが多い。つまり、「全然」はその後には打消しの言葉や否定的な表現を伴って用いるもので、「全然眠くない」「全然美味しくない」と云う用法が正しいとされている。

 がしかし、これもまた大物が否定を伴わない言葉を後に続けて使っていることが知られている。例えば夏目漱石はその代表作「坊つちやん」(1906年)の中で「一体生徒が全然悪るいです。」と書いているのは有名な話である。

 言葉は生き物。だから100年くらいの間には変わりもすれば行ったり来たりもする。余りにもおかしな言葉は消えてなくなり、多くの人の共感を得て受け入れられた言葉は定着し『広辞苑』に収録される。例えば2018年1月発行の第7版に収録された「半端ない」。仮に10年後の第8版にも掲載されていれば、21世紀前半に使われた日本語として認められたことになるのだろう。果たして22世紀まで同じ意味で使い続けられるかどうかは知らんが。


 例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、盛夏から初秋にかけて咲く芙蓉(ふよう)。芙蓉と聞くと咲き始めは白くてやがてピンク、赤紫にと変色する酔芙蓉を思い浮かべるが、これは最初からピンクの花。

 「恩田の森Now」 http://blog.goo.ne.jp/ondanomori に、ただいまは8月4日に撮影した写真を6点掲載いたしております。盛夏の森の様子をご覧いただければ幸いです。

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