視点

 視点とは、物を見る時の目の位置、つまり自分の立ち位置、ポジションの事である。同じものを見るにしても自分の立ち位置が変わればその見え方が変わって来る。この立ち位置とは物理的な位置だけではなく、その人の思想、宗教あるいは文化的背景と云った精神的な立ち位置もある訳で、同じものを見ても誰が見るかによって見えているものの色も形も変わって来る。同じもの、同じ物事であっても見る人によってその見え方が違っている云う事である。

 あるものを見る時、同じものを見ているのだから、そのものを他者も自分と同じように見ている、見えていると思うのは間違い。その人なりの視点で見る訳だから、自分とは違って見えている、少なくとも違って見えている「かも知れない」と、想像力を働かせることが必要だ。

 あるいは例が適切ではないかも知れないけれど、目の不自由な人が象を取り囲んでそれぞれが象を触り、ある人はお腹を触り「壁のようなものだ」と云い、ある人は足を触り「太い丸太のようなものだ」と云い、またある人は耳をさわって「大きな団扇のようなものだ」と云ったという話しを思い出していただけば良いかも知れない。

 突然こんなことを思ったのは、今日撮った写真をPCに取り込んだら、いつ何のために撮ったのか覚えてもいないこんな写真が同時に取り込まれたからだ。撮ったのではなく、何かの拍子に「写ってしまった」だけなのだろう。


 郷秋<Gauche>のオフィスのデスクの上の電話機だ。一日に幾度となく取り上げる受話器が置かれた電話機だが、いつも郷秋<Gauche>が見ている、使っている電話機とは全然違うように見える電話機である。蟻んこよりは大きなもの、例えばマウス(PCのマウスではなくミッキーマウスのマウスだ)が郷秋<Gauche>のデスクの上にいたとしたら、そのマウスが見た電話機はきっとこんな風に見えているのだろう。

 マウスと郷秋<Gauche>の視点の違いによって、同じものが違うもののように見えている。マウスとだから違うもののように見えるのではなく、視点が違うから違って見えるのだ。同じものを見ても人と我とは違うように見えていると云う事を忘れてはならない。時としてそのことを忘れてしまうから諍いが、争いが、戦争が起きるのだ。私があなたや彼と違うように、あなたが私とも彼とも違う当たり前の事実を忘れてはならない。ついつい忘れがちな事だが、時々思い出し、肝に銘じることが大切だと、思う。

 Website「恩田の森Now」に、17日に撮影した写真を掲載いたしております。猛暑の中にもほんの少しですが秋の気配が見え始めた森の様子をどうぞご覧ください。
http://blog.goo.ne.jp/ondanomori/

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