日本の首都は京都?!

 日本の首都が東京であるなんてことは、小学生でも知っているだろう。海外においても東京が日本の首都であることはそれなりに認知されていることと思うけれど、ところがどっこい、京都こそが日本に首都であるという「説」があるらしい。

 こんな説が出てくるのは、東京が首都であると直接に規定した法律がないことが原因らしい。首都建設法(昭和25年法律第219号、現在は廃止)に「東京都を(中略)首都として(中略)建設する」という記述があったようだが、首都そのものについて定義する法律が存在しないために、この法律によって日本の首都が東京であると規定されているものではないということらしい。(この法律の「東京都を」という部分はちょっと気になる。これで行くと日本の首都は福島「県」ではなく東京「都」と言うことになる。首都と言うのは郷秋<Gauche>の理解では一つの都市。都市としての東京はやはり23の特別区のことなんじゃないかな)

 上段に書いたのは東京が日本の首都ではないという根拠だが、積極的に京都こそが日本の首都であるという根拠(らしいものが)ある。これにはちょっと驚いた。こういう説だ。

 西暦794年(延暦13年)に時の天皇、桓武天皇が「遷都の詔(みことのり)」を発したことにより平安京、つまり今の京都が日本の首都となった。それ以降に「遷都の詔」、つまり首都を変えるという詔書(しょうしょ。天皇の言葉、あるいは天皇の命令を伝える公文書)が出されていないから、いまだもって西暦794年の「遷都の詔」によって規定された京都こそが日本の首都であるというのである。西暦794年って、1200年も前のことだぞ。さすが歴史ある日本国。そんじょそこいらの新興国とは訳が違うな。

 ただ、この京都こそが日本の首都である説には随分と無理があるんじゃないかと思う郷秋<Gauche>なのである。なぜならば、桓武天皇が「遷都の詔」を発したときに、今で言う「日本国」といい概念があったのかという問題だ。つまり、「自分の勢力の範囲」の中心地として平安京を都と定めたに過ぎないのではないかという疑問である。

 もう一つの疑問は、この説が天皇が日本を統治しているという、天皇制を前提としていると言うことだな。敗戦(終戦)時まではそれでよかったとしても、天皇が「象徴」であると定められた時点で桓武天皇が発した「遷都の詔」は無効なんじゃないだろうか。つまりその時点で、京都が日本の首都であるという根拠が失われたと考えるべきじゃないかな。

 そんなこんなを思うにつけ、東京が日本の首都である根拠が明確ではないというのに、ちょっと前に随分と盛り上がった「首都移転」っていったいなんだったんだろかと思わずにはいられないけど、これ以上考えていると眠れなくなりそうなのでこの当たりで止めておこっと。


 今日の1枚は、以前に似たような写真を掲載しているので二番煎じのようでちょっと気が引けるのですが、あれから2週間後の恩田の森です。
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