「遠野」なんだり・かんだり

遠野の歴史・民俗を中心に「書きたい時に書きたいままを気ままに」のはずが、「あればり・こればり」

大徳院

2007-02-09 00:02:20 | 修験
  ●羽黒対本山派●
遠野横田町八幡宮神子一ノ庭、代々羽黒神子ニテ八幡別当羽黒山伏良厳院、諸事支配引導等致来候、然拠ニ享保十年巳四月十日、右之神子一ノ庭病死仕候処ニ、本山年行事大徳院押込引導仕候得共、良厳院先前ヨリ支配之筋申候得ハ、還テ難題被申懸候故、無拠其分仕罷過候事

 上記は、南部領内を代表する頭巾頭である遠野鱒沢村善行院、綾織村慈聖院、花巻龍宝院三名が本寺羽黒山役所に訴えた延享3年(1746)の「本山年行事非道之致方覚書」の一部分である。

 寛永年間に出羽三山の実力者である天宥が、東叡山輪王寺から圭海を羽黒別当職に迎えたが、そのことにより、羽黒山は輪王寺の末寺となり、地方の山伏はその支配を受けるようになる。南部領では、盛岡の輪王寺末寺法輪寺が全山を統括するようになることから、羽黒系の山伏を本山派に改宗させようとしたことからいざこざが始まる。(遠野郷八幡宮創建八百年誌より)

 遠野の大徳院は本山派で、善行院・慈聖院は羽黒派である。また、八幡宮の別当だった良厳院も羽黒派。この両派の激突により、領内至るところで羽黒系山伏が衝突することになる。この両派の内、本山派の急先鋒である大徳院について「先の修験者霞職の史的研究」では次のように述べている。

  ●大徳院●

 遠野地方に栄えた熊野系修験として知られる。しかし、慶安5年(1652)までの領内先達配置では、閉伊郡地方は宮古千徳村の安楽院は先達に当たっており、大徳院ではなかった。大徳院については、延享年中の「両派由緒書上帳」には次のような系譜が載せてあるという。

 初代祝部~慶安年中までは祝部といい、伊勢・熊野・加茂三社の別当。熊野・加茂両社へ95石、伊勢へ30石、遠野領主阿波守寄進。これまで俗形で畑中にて年行事を勤める。南部氏が盛岡築城に当たって祝部は、畑中久右衛門と称して南部氏に仕官盛岡に移住。二代大徳院清慶は祝部の従弟で、以後、清慶の実子が継ぎ、五代大徳院慶明は六日町金剛院孫の玉之助が聟養子となる。

 (六日町神明神社境内の別当寺に住んでいたが詳しくはわからないと上記八百年誌で菊池照雄氏は記しているのが、五代以降の大徳院のことだと推察する。)

  ●大徳院=畑中久右衛門●
 八戸南部氏の代に消えた畑中氏が大徳院につながるという興味深い記述である。また、この大徳院が熊野・伊勢・加茂の別当だったことも。(この中の熊野とはどこを指すのだろう。先般、新張の熊野神社をエントリーしたが遠野旧事記にも記されていることから、有力候補のひとつとなろう。唯、早い時代にその存在感が薄れてしまった光興寺にある諏訪神社隣接の熊野も見逃すことはできない)

  ●遠野市指定天然記念物ナラガシワ●

 松崎町白岩字畑中。キクコー明神前店の西側道路を北へ200m行くと右側にある。慶長5年(1600)阿曽沼一族が秋田から敗北の際にこの苗木を取り寄せ植えたと伝えらているが、樹齢400年と推定されることから阿曽沼広郷が鍋倉へ城を移した時にはすでに存在してのではないかとする説もある。と(博物館発行「遠野市の指定文化財」) では、誰に縁のものか?

 「まつざき歴史ものがたり」に、畑中の菊池何某氏の家は代々大徳院といって遠野地方きっての有名な修験者であり、また、阿曽沼氏よりも早い時代からこの地方に居住していたと伝えられていると先の良厳院子孫の方が話している。このナラガシワは、畑中氏、大徳院に関わる木ではないだろうか。この菊池何某氏の家はこの辺りなのだが。
 


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4 コメント

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筋道が見えてきた (とらねこ)
2007-02-09 19:38:26
 本日は某所でありがとうございました。
卒業式での謝恩会、第二部では私も参加予定ですので、その際はよろしく・・・・。

 さて、熊野関連と菊池氏、何かしら漠然としては関りあると考えてましたし、菊池市の菊池神社宮司さんとお話しした際に、遠野にも熊野社が何箇所かあったことで、菊池姓と遠野の関わりも何かしら見えたとのご見解を伺った記憶がございます。

 畑中氏に関しては、館という観点から表面的に調べて参りましたが、宗教的関わりが深かったこと、さらに本姓を菊池氏と称すること、このことも熊野信仰と何かしら関係有りと私は感じましたが、笛吹さんのさらなる調べにご期待申し上げます。

 私の方は盛岡藩士としての畑中氏、そして阿曽沼旧臣としての畑中氏、こちら方面を機会あるごとに調べたいと思います。

 いずれ、ナラガシラの古木だけがその真意を知っているかもしれません。
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如し (笛吹童子)
2007-02-09 23:09:22
  とらねこさん:
 得意とする分野から、手がかりとなることをUPすることで、照雄氏、馨氏を始め、T柳先生諸先輩の後進の一人として遠野を追い続けたいと考えています。
 しかし、先輩方の思いの深さに比べ浅い知識ゆえにめげそうになることが度々ですが、優秀な後進に引き継ぐ意味を含め、もう少し、わがままを通すつもりです。お付き合いのほどよろしく!
 阿曽沼氏・南部氏関連については、とらねこさんにお願いします。偏った見方かもしれませんが、諸先輩が見解を述べていない分野から遠野を語りたいと思っています。お付き合いを願います。
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遠野の歴史講座を! (多惣稲荷)
2007-02-10 00:27:27
遠野の歴史を教えてもらった鈴木久介先生を虎猫さまのサイトで思い出しておりました。
過去現在未来がテーマでしたね。
あのような勉強会がまたしたいですね=。
今時ならどなたなんでしょうね。
遠くないうちに笛吹ドンや虎猫ドンが講師になるのは必定かと思いますが・・・・。

仕掛けますか?(’-^*)/
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昔語り (笛吹童子)
2007-02-10 10:40:01
 多惣稲荷 
「むがしがだり」をするまでには、そうとう勉強が必要ですよ。鈴木久介先生の記した「遠野の歴史」を手元に置き、通史として確認する時に開きますが、自分なりに遠野を語るには、まだまだです。疑問を持ちすぎるんですよね?笑
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