「遠野」なんだり・かんだり

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2019 南部神社神輿渡御

2019-05-07 09:20:10 | 郷土芸能

超大型連休も終わり、今日から仕事再開となった皆さん、この連休がかき入れ時だった皆さん、

今日からいつもの生活に戻ったことと思います。

という事で、連休中の話題から

 

一般的なGWの始まりである5月3日の午後は、SL銀河復路の遠野駅から。

左側では観光協会長自らがお見送りでした。ご苦労さまです!

 

この日は鍋倉山にある南部神社の神輿渡御

 

SL銀河が出発して間もなく露払いの遠野太神楽さんが駅前を通過です。

 

駅前周辺の決まった場所に立ち寄り、演目を披露し、御花を頂きます。

 

この日のおかめ二人は男性でした!

この場面に遭遇した観光客は「あら、おたふくだよ」って言ってましたが。笑

 

 

長野獅子踊りさんも御花を頂き、投げ草です。

 

新調したばかりの太鼓には久しぶりにつけた奥山宝山半月踊の幕

伝書に記されている名称です。

 

現在の駅前通りから、曙町へ

曙町は岩手軽便鉄道が仙人峠まで開通した大正4年のその後に最初の駅前通りとして造られた道路です。

 

その後、下の仲町通りの数軒を廻り、あべ家(あべや)さんにて

 

飲食店の多くの店先にはキリンのホップの郷らしく「一番搾り」の看板。

 

その向いのアンドー洋品店ではkankoの学生服

私の世代はカタカナのカンコー、現在はアルファベットですが、もともとは菅公学生服と漢字でした。

時代の流れですね!

 

大工町を通り、一日市通りの西端、増田旅館さんにて

 

新町を通り、砂場丁にて

 

一日市通りに戻り、ここで遠野太神楽さんはお役御免。お面をはずしたおかめさんも嬉しそうです。

この後、もしかして飲み会でしょうか?笑

 

市民センター前・来内川沿いの道路を経て、神社へ戻ります。

 

拝殿で還御の神事が行われた最後に長野獅子踊りさんがひと踊りして終わりとなります。

 

明治14年山名宗真をはじめとした数百人の有志が発起し、28年に郷社となった鍋倉神社。

昭和15年に南部神社と改める。

境内から眺める駅前通りには車一台見えず、これまでにない5月3日の日中でした。

 

 



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