先週・今週は、お隣の釜石まで何度となく往復。
来週以降もまた、別件で行きそうです。
そんな釜石、雪が積もることは少なく、別世界。
こちら遠野はと云うと、圧雪状態だった今月半ばにはだいぶ融け、
先週末には町中の雪も業者さんが除雪してくれました。
これで本来の車道歩道の区別もつき、暮らしやすいと思っていたところ、
昨日から、また、雪
今朝は、家の周りの雪かきから始まり、私設案内所に来て、また雪かき。
雪の無くなった道路も一週間で、また雪道。
それでも先週の除雪で、雪を置くスペースが確保できたのは幸いでした。
吹雪乱舞、久しくそんな風景も見ていなかったここ数年、
川ではなく田んぼには白鳥の集団、密状態です。
午後、運休中だというJR釜石線の様子見に行くと、レールも見えません。
少しだけ風がおさまった遠野駅では手作業で除雪中
切り換えポイント等がある部分はどうしても手作業になるのかもしれません。
ご苦労様です!
駅横の親不孝通り
昨年末で閉めた馴染みの店も看板は外され、入り口は除雪の様子無し。
夜が営業メインのこちらもランチメニューの張り紙
今年最初の外飲みも、しばらく先になりそうです。
ところで、数日前、姫猫さんがこんな本を見せに来ました。
上郷町内にある平野原集落の郷土史です。
自治会独自でまとめたようですが、これがどうして、なかなかの本、
貴重な資料になること間違い無しです。
この本にはさわりしか載っていませんが、平野原氏
建保年間(1213~1219)阿曽沼氏の家臣平野原備後吉武(本姓菊池)、平野原助左衛門吉成が
平野原舘を築く
これが平野原の地名の初見になります。
参考緒家系図には、
平原氏 本名菊池 旧平野原と書く 菊池肥後守武重後胤 紋違鷹羽
吉武 始め菊池将監 平野原備後
先祖は菊池某、閉伊郡遠野へ来て阿曽沼氏の家臣になり、同郡平野原村を領して氏とする。
吉武、遠野孫三郎廣郷に仕える、慶長5年主家没落の時浪士となりて死す。
息子、平原助左衛門吉成、南部利直公の時、召出され、平原村に35石を賜う。
その後、この家系は盛岡に移り、遠野には平野原氏(平原氏)を名乗る家は無くなる。
八戸南部氏が遠野移封となった後、この地域は八戸家臣福田氏の領地となり、昭和の初め頃まで
福田家に米を届けていたと聞いたことがあるが、私自身は確証を得ていない。
例年、この時期に遠野郷神楽共演会が開催されますが、今年は中止。
また、町家のひな祭りは規模縮小で開催すると聞こえてきました。
岩手ではここ二日新型コロナ感染者はゼロ、しかし、今日は一人、
それでも、まずは県内ゼロ目指して頑張りましょう!としか言えませんが・・・。
厳しい冬の先は麗らかな春が・・・そんな強い思いはありますが、新型コロナもまだまだ先行き不透明、春は待ち遠しいも何処か心配もあったりして・・・。
平野原氏・・・菊池姓ということで興味ありですね、叔父の逝去により俄かに遠野工藤氏の調べも再開しなければと思うこの頃です。
昨日は、雪かき大変でしたね~!
午前中は、それだけで終わった感じです。
芸能物が無いので、思い出したように、郷土史系へということで、久々に参考緒家系図。
平野原の平原氏を久々に眺めました。
阿曽沼家臣から南部家臣への転職組には、かつての阿曽沼家臣に縁ある人達との間で縁組を行った例が多いことに気づいていて、今回の平原氏も同様でした。
遠野工藤氏、何系統もありそうですが、私も興味津々。笑
遠野南部家臣の系統である叔父さんの系図を追ってみるのも楽しいかと。
注文が殺到したらどうしようかと、取越苦労しております(笑)
田植え踊りに参加しているのが、どの家族なのか、これでやっと理解できそうです。笑
小さな集落の郷土史、まとめられそうでも、なかなかできることではないと思います。
地元にそれだけの顔ぶれが揃っていてこそですね!
追加注文、各家から数冊ずつ・・・無いとは言いきれないのでは?笑