岩波新書「日本語の古典」を読んだ。
著者は山口仲美。
最近の学校教育の中で古典がどう位置付けられているかは知らない。
「日本の古典を現在の日本人は捨ててしまっているけれど」と著者が書いている
ところを見ると、きっとそういう扱いをされているのだろう。
私が大学に通っていたとき、回りに革命を求める人がいた。
ところが私には、どうしても日本に革命が起こるとは考えられなかった。
どうしてそう感ずるのだろう。
そんな素朴な疑問から、日本や日本人というものを知りたくなってしまった。
そして考えたのが、外国から持ってきた思想を元に分析するのではなく、
日本人が伝えてきた古典を知る事でわかるのではないか、ということだった。
古典は、様々な時代を経て、しかも各時代いろいろな価値観があっただろうに、
それを乗り越えて伝わってきたものだから、古典を知れば、日本人の持つ基本的な
価値観、自然観、宗教観など根底に流れるものが見えてくるだろうと考えた。
そこで「古典と新作を両輪」にしている劇団に入ったのが、今こうしている
きっかけになっている。
劇団に入ったからといって古典のよき理解者になれたわけではないが、
興味を深める助けにはなったようだ。
そしてこの本は、より興味を広めてくれた。
まずは「古事記」
ヤマトタケルを取り上げているのだが、こんな悲劇があるとは知らなかった。
三重県の亀山でヤマトタケルの墓を尋ねようと思ったのは、この本の影響。
ただこの墓は、明治政府が「古事記」を元に決めてしまったもので、
どうも眉唾物らしい。
そして「伊曾保物語」
450年も前に書かれたイソップ物語の翻訳書だそうだ。
他にも女性の恋のあり方が時代や身分での違いをテーマに取り上げていたり、
擬態語が源氏物語から始まり、今昔物語では擬音語が効果的に使われているなど、
興味の尽きない話しが続いて、一気に読めてしまう。
最後に擬態語や擬音語を取り上げたのは、アルゼンチンに行ったとき、
スペイン語にはオノマトペがないといわれ、アメリカの小学校に行ったときは
「ぶらぶら」という言葉を使ったとたん子供たちにどっと笑われたことがあり
擬態語や擬音語は、日本独自の発達があるのかなと思っていたからだ。
これについてはこれから勉強するとして、
この本は古典に親しみを持つきっかけに最適な本の1つといえそうだ。
著者は山口仲美。
最近の学校教育の中で古典がどう位置付けられているかは知らない。
「日本の古典を現在の日本人は捨ててしまっているけれど」と著者が書いている
ところを見ると、きっとそういう扱いをされているのだろう。
私が大学に通っていたとき、回りに革命を求める人がいた。
ところが私には、どうしても日本に革命が起こるとは考えられなかった。
どうしてそう感ずるのだろう。
そんな素朴な疑問から、日本や日本人というものを知りたくなってしまった。
そして考えたのが、外国から持ってきた思想を元に分析するのではなく、
日本人が伝えてきた古典を知る事でわかるのではないか、ということだった。
古典は、様々な時代を経て、しかも各時代いろいろな価値観があっただろうに、
それを乗り越えて伝わってきたものだから、古典を知れば、日本人の持つ基本的な
価値観、自然観、宗教観など根底に流れるものが見えてくるだろうと考えた。
そこで「古典と新作を両輪」にしている劇団に入ったのが、今こうしている
きっかけになっている。
劇団に入ったからといって古典のよき理解者になれたわけではないが、
興味を深める助けにはなったようだ。
そしてこの本は、より興味を広めてくれた。
まずは「古事記」
ヤマトタケルを取り上げているのだが、こんな悲劇があるとは知らなかった。
三重県の亀山でヤマトタケルの墓を尋ねようと思ったのは、この本の影響。
ただこの墓は、明治政府が「古事記」を元に決めてしまったもので、
どうも眉唾物らしい。
そして「伊曾保物語」
450年も前に書かれたイソップ物語の翻訳書だそうだ。
他にも女性の恋のあり方が時代や身分での違いをテーマに取り上げていたり、
擬態語が源氏物語から始まり、今昔物語では擬音語が効果的に使われているなど、
興味の尽きない話しが続いて、一気に読めてしまう。
最後に擬態語や擬音語を取り上げたのは、アルゼンチンに行ったとき、
スペイン語にはオノマトペがないといわれ、アメリカの小学校に行ったときは
「ぶらぶら」という言葉を使ったとたん子供たちにどっと笑われたことがあり
擬態語や擬音語は、日本独自の発達があるのかなと思っていたからだ。
これについてはこれから勉強するとして、
この本は古典に親しみを持つきっかけに最適な本の1つといえそうだ。