マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

エクシブ蓼科に泊まる

2015年10月07日 | 信濃紀行

 10月5日(月)~6日(火)、会員制リゾートホテル「エクシブ蓼科」に宿泊してきた。妹夫婦が知人から宿泊券を貰っていて、私達が蓼科滞在中にここで落ち合おうと決めていた。二人は5日、北八ヶ岳ロープウェー(以前の名前はピラタスロープウェー)を利用して北横岳に登り、予定より早い下山となったのか、実際はホテルではなく、我が山小屋で落ち合った。(ホテル入口付近)

 会員制リゾートホテルに「エクシブ」があることは以前から知っていた。例えば御代田にある妹夫妻の別荘を訪問するときなどに良く見かけたものだった。私達は同じような「東急ハーヴェストクラブ」の会員なので、両者を比較しがちである。「エクシブ」の建物の方が高級で重厚な感じを受けていた。ここに宿泊するか否かの打診を受けた時、一度は宿泊したいと思っていたので即座に「是非」と返答し、4人での宿泊が決まった。


     (中に教会があった)

 「エクシブ蓼科」は蓼科の森の中にたたずむ隠れ家のようだった。しかも広大な敷地の中に8号棟からなる重厚な建物群。英国の貴族が週末を過ごす館をイメージして造られたホテルだけのことはある。「ハーヴェストクラブ蓼科」が瀟洒であるに対しこちらはただただは重厚。
  
 私が一番気に入ったのは豊富な温泉資源を贅沢に使った「からまつの湯」だ。入口で入浴に必要なもの一式が渡される。内風呂・サウナ&水風呂・露天&円形風呂と、豊富な入湯施設。特に露天風呂はそこから蓼科の森がゆったりと眺められる作り。(写真:森の中の小道)
 日本・中国・フランス・イタリア料理などの味覚を味わうレストランもあったが、値段は標準で7・8千円程度。こちらは遠慮して、夕食などはそれなりの工夫をしてお安い食事とした。宿泊部屋以外にキッズ棟やチャペルもあり、パーティー・会議機能を備えたコンベンションホールもありで、風呂から部屋に戻るに際に迷子となってしまったものもいたほどの“迷路宮殿”。


       (からまつの湯)



 早朝6時、妻を除き、日頃インターバル速歩もどきを実践する妹夫婦と私の3人はホテル内の庭を散策した。地図を片手にオリエンテイリングの気分だ。広大な敷地と建物群を再確認したのだが、森林浴にもなっていて、温泉浴&森林浴と、体に良いものを豊富に浴びられるホテルでもあった。
 色々調べてみると、ⅩⅣ[eksiv]はエクシブと読み、ローマ数字で[14]の意味。1室を14人で共同所有することの象徴。会員権を購入すると26泊の宿泊が可能なるそうだが、その訳は、365÷14=26と算出した結果とか。


           (廊下)

 帰路「蓼科自由農園」で野菜を購入し、そこで東京へと帰る二人と別れた。


都電車庫跡で

2015年10月05日 | 身辺雑記

 もう2週間も前のことになるが、7月25日にご一緒に“谷根千”を散策したOさんから「・・・。ところで、シルバーウィークの最終日に近隣の育成室が文京区勤労福祉会館(略して勤福)のピロティ―でバザーをやっています。ご予定が空いていらしたら是非お出かけください」とのメールを頂いた。
 勤福は我が家から自転車で7分ほどの至近距離にあり、ある懐かしさもあり、ヒマでもあったので9月23日(水)に出掛けていった。開店午前11時前に到着。ピロティ―では各育成室毎に、育成室に子供を通わせる母親(所により父親)が中心となり子供と一緒になって開店に向けての準備で忙しそうに働いていて、賑やかだった。私はその様子を横目で眺めながら、その隣の公園に置かれている都電の撮影に向かった。(写真:公園内に置かれた都電の貨物車両)


   (公園内に置かれた6063号)
 都電は1972(昭和47)年11月に、現在の都営荒川線を除いて全て廃止された。その都電の車庫の一つが神明車庫。その跡地に神明車庫跡公園と本駒込4丁目アパート(都営住宅)が造られ、その一角に勤福が入ったのだった。跡地にはそこが都電車庫であったことを記念して都電6000形一両と貨物車の乙2号が保存されている。台数として一番多い290両が製造されたのが6000形で、そのうち公園にある電車は6063号と書かれていた。

 勤福は地域の活動センターとしての役割を担い、体育施設や会議室が置かれていて、「源氏の会」では本駒込活動センターに場所が確保できない場合はこちらに回ることもあり、3・4回使用したことがあった。1階にはピロティ―以外に神明育成室もあり、そのピロテイーで、学童クラブ主催のバザーが行われていた。
 子供は小学校1年~3年まで神明育成室に在籍し私はその父母会の会長で、20数年前にも神明育成室は出店したことがあった。輪投げ用の台を作成して輪投げコーナーを開店しての参加だった。その思い出もあり、ここを訪れたのだった。

 このバザーは文京区の学童クラブのうちの6育成室の合同運営。文京区は学童保育運動発祥の地でもあり、区内の幾つかの地域ではこの様なバザーが開催され、30年以上の歴史を持っている。その歴史と伝統もあり、バザーは多くに人で賑わい活気に溢れていた。私も各育成室の出店を見て回り、写真を撮った。Oさんは娘さんの面倒を見つつの販売でお忙しそうだった。私は本駒込育成室では焼き鳥を食したが、つくね2本で満腹するほどのボリュム。手作りものはお安い。

 


『「筋トレ」ウォーキング』(著:能勢博 出版:青春出版)を読む(その2)

2015年10月03日 | スポーツ

 9/27に書いた「筋トレウォーキング」の続きです。

 筋トレ即ちインターバル速歩の効果については「ためしてガッテン」でも紹介されたそうだが、本書でも「
筋トレ」ウォーキングの効果が、筋力と持久力の増強以外に幾つか述べられている。血圧値や血糖値が下がるなど生活習慣病の改善や予防に効果的というデータが記され、健康増進の為のウォーキングの枠を遥かに超えた健康増進法として注目されていることが良く分かる。

 ここでは生活習慣病の予防に効果がある点に絞って記そう。

 実際に、平均年齢65歳前後の男女、600人にトレーニングを4ヶ月間続けて貰った結果、体重、血糖値、血圧、全てが低下したことが分かったそうだ。
 これを説明するのに細胞「ミトコンドリア」が登場する。ミトコンドリアの最大の役割がエネルギーを作り出すこと。ミトコンドリアは筋肉の中にも存在するが、加齢や運動不足によって筋肉の量が減少すると、ミトコンドリアの量も減少し、この結果エネルギーをうまく生み出すことが出来なくなる。
 それのみならずミトコンドリアが減少すると、それとすり替わるようにホルモン「炎症性サイトカン」が分泌する。最近の研究では、これこそが生活習慣病の原因ではと考えられている。炎症性サイトカンが免疫細胞で炎症を起こせば高血圧に、脂肪細胞で炎症を起こせば糖尿病になるという考え方だ。その医学的説明については保留がされているので、更なる研究の結果を待ちたい。

 より効果的な方法には「坂を利用してのウォーキング」や「水中筋トレウォーキング」が登場する。水中での速歩の方が足への負担が軽くなる一方、水中の方が空気中より抵抗が強いこともあり、水の中での速歩はその効果が高いのだ。私自身何とそんな気がして、3年前には我が家から徒歩5分にあるフィットネスクラブ「オアシス」に通ったこともあった。ここは月12000円もの費用が掛かるので辞めてしまった。しかし、改めてその効果を知って、昨年4月にオープンした、湯島にある「文京総合体育館」のプール利用(1回400円)を考えて見ようと思っている。

 本書では指摘されていないが、筋トレは雨の日でも出来ることが優れていると思う。ランニングは両手を振らないとやりずらいので、雨の日に傘を指しながらランニングをやっている人はめったに見ないが、私は雨の日も、片手で傘をかざす一方片手を大きく振って歩くことが多くなった。数日前に雨が連続した日々には地下鉄南北線「駒込駅」の地下道を練習場所として利用したこともあった。六義園側から入り巣鴨信用金庫へと抜ける往復運動を何回か繰り返した。階段の上下動も入って来て、良い練習場所を見つけたなと思っている。

今日の一葉:タマスダレ(9月24日、富士前公園で撮影)
 


さようなら菊水湯

2015年10月01日 | 銭湯

 文京区から又一軒銭湯が消えていった。私が知っているだけでも、2011年3月の「山の湯」を皮切りに、「鶴の湯」、「おとめ湯」、「月の湯」が店を仕舞い、この9月30日で「菊水湯」が店を閉じた。文京区の「浴場組合」加盟の銭湯は遂に6軒となってしまった。

 菊水湯は、便利な所にあるお気に入りの銭湯で、この数年間に毎週のように通った。
 毎週木曜日には富士前福寿会の小林さんと熊坂さんと私の3人で、特別の用事がない限り、14時半には後楽園ボウリング場に集合し3ゲームを楽しみ、その後菊坂下にある、徒歩20分の菊水湯でひと風呂浴びる。続いて東大赤門そばの「さくら水産」で一献。自宅を出発し自宅をゴールとする一筆書き、費用は全て併せて3000円程度という格別のお安さ。
 ここの銭湯には数々の特徴があったが、一番は番台に座るおかみ、宮本ひろ子さんの人柄。彼女以外の人が座っているのを見たことがない。気さくな人柄で話しやすくざっくばらんに色々と聞けた。富山県のポスターが貼ってあるので出身は富山ですかと聞くとそうでは無かった。初期の建物は明治中頃に建てられものらしく、今のものは昭和30年代に改築したものとの事。(写真:東京新聞に載った菊水湯)
 菊坂下にあるこの銭湯は樋口一葉使用の井戸のすぐそばにあり、井戸水使用で、ときに薪で沸かす。40度程度の温めの湯は薬草を使用し、長時間入浴が可能だった。男湯と女湯をまたぐペンキ絵には立山連峰が描かれ、剣岳が登場している。この絵は絵師中島盛夫による平成24年6月22日制作のもの。(写真は下に掲示)
 
 名残を惜しんで27日(日)と29日(火)の両日入りにいった。どちらの日も4時頃には30名以上の入湯者。特に27日は近くの桜木神社の祭礼で入湯券が配られたからか、あるいはこの日が「レモン湯」だったからか、空きのカランが無い瞬間もあったほどだ。27日に、一番下に掲載のポスターを貰って来た。今年の夏に二泊した「太郎平小屋」が写っていてこれは是非にと思っていたもの。良い記念になる。ご主人の体調が悪く、経費がかさむ一方で客が減り、建物も老朽化等々、多くの銭湯が抱える共通問題故の閉店。その後はマンション(アパートとの説あり)になるようだ。
 東京新聞等にも菊水湯閉店の記事が載り、撮影者も多数みられた。
 29日帰りがけ「長い間お世話になりました」と挨拶すると「こちらこそ」との返答。さようなら、一番思い出深い菊水湯。(写真:菊水湯のノレン)


  
   (9月27日は”レモン湯”だった)                  (菊水湯と書かれた煙突)

 
  (菊水湯の菊水をあしらった彫りもの)

   
  (中島盛夫のペンキ絵:立山連峰)        (ペンキ絵左側に富山湾が描かれている)

 
 (ポスター下に太郎平小屋。上に見えるは薬師岳)